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「エホバの証人」についての情報サイト

2005年1月9日

『反JWプレコックス感』野郎②

(2)「エホバの証人問題」に取り組む

反エホバの証人世界全体から感じられる「よろしくない感じ」の第二の具体例としては、「エホバの証人問題」に取り組んでいると自ら称するサイトや、事実上「エホバの証人問題」に取り組んでいるとみなされているサイトの多くに共通して見られる、「なんともいえないどこかズレた感じ」というものを挙げたいと思います。

 
 
再び勘違いしないでいただきたいのですが、元JW信者の方たちの作成している多くのサイトやブログについて「その悩みや感情をストレートに吐き出しすぎだ」などと考えてるわけではまったくありません。
(^∀^;)

多くの元信者の方たちが自分の感情を丁寧に吐露するのは大変意義のあることだと思います。
なぜなら、そうした行動は自分自身の感情の整理になると思いますし、何よりその整理のプロセスを多くの同じ背景を持つ元信者たちと共有し、「エホバの証人にまつわる問題」は自分だけのものではないんだと勇気付け、どう行動してゆくかの現実的指針となるとも思えるからです。

こうしたサイトは貴重だし、あたりまえだけどそこから「ズレ感」はまったく感じられないと思います。

 
 
 
 
 
もっとも、元JW信者が、そうした自分の感情の吐露を越えて、一種の社会活動として「エホバの証人問題に取り組む活動」を行うとなると、これまたハナシは変わってくると思うんですね。
( ̄∇ ̄;)

上述したように、正直な話「エホバの証人問題」に取り組んでいると自ら称するサイトや、事実上「エホバの証人問題」に取り組んでいるとみなされているサイトのうち、多くから「外見はなんとなく整っているんだけど、なんかどこかトンチンカンなズレた感じ」が伝わってくるんですね。

パッとみてそうした「どっかズレた感じ」を感ずることもあれば、時間をかけて観察していると、主張の論理矛盾や、或いはこうした類の活動を行っていると主張する人自身のそもそもの目的のズレや、少し不安感を抱かせるような資質が浮き彫りになるということもあります。

繰り返しますが、元JW信者が「自分はこうだった」「自分はこう思う」と、その気持ちを個人として表現する限りにおいては、特に誰かが何かを言う筋合いではないと思うんですね。
しかし、元JWとして「社会に何かを働きかける」とか「他の人たちのために反JW活動を展開している」と称したり、或いは事実上そうした存在とみなされるようになった場合は、やはり「社会を相手にしたり」、「他の人たちのために活動を行う」に足る能力・資質を本当に有しているのかにつき、健全な批判の対象とされるべきだと思います。

 
 
 
さて、具体的にどのような点に「ズレ感」を感じるかと言うとですね。

1.まず物事全体に関する見方が極端で一方的になってしまってるケースがとても多いと思います。こうと決めたらとにかくそうと思いこみ、修正や再考の機会を失ってしまっているように感じられる場合が多々あるということです。

これは、前述した「反JW=絶対の正義」という姿勢として現れることもありますが、こと「自分自身の経験した事実を、エホバの証人全般に当てはめようとする姿勢」に現れることが多いように思います。

例えば2世の場合、自分が経験したことにつき、「2世はこうなんだ」とか「JWの親はこうなんだ」などと言い切り、自分が個人的に感じたことがみな等しくエホバの証人2世全体に当てはまるかのように主張し、或いは自分の親に対し個人的に抱く鬱屈した感情を、エホバの証人の親全体・極端な場合には1世信者全体に対する攻撃の口実とする人が見受けられるように思うんですね。

このあたり、非常に難しいハナシなんですが、これらは同じ経験をした人たちに対してはすさまじい共感を呼び、勇気付ける効果がある反面で、必ずしも真実を伝えてはいないというのもまた厳然たる事実だと思うんですね。

「2世がJWを辞めるとみんな必ず壊れる」とか「元JW2世全員が劣等感にさいなまれ、パニックにも襲われる」とか、「1世信者がいなければ自分たち2世の被害はなかった」といった主張をする場合、これらはいずれも正しい主張ではないと思います。

なぜならエホバの証人をやめた後、精神や人格形成に特に問題を抱えない2世もまた数多く存在し、2世信者を本当に幸福にする1世信者の親も確実に存在し、それらの人たちの数も決して「少数派」とはいえない数だったりするからです。

正しくは「少なくとも自分がJWをやめたときは壊れた」とか「少なくとも自分は劣等感にさいなまれ、パニックにも襲われた」とか、「少なくとも自分の親がJW信者にならなければ自分の被害はなかった」というハナシであり、これをエホバの証人に関わる人に一般的に当てはめるのは誤りであると思います。

他にも、「ものみの塔のせいで自殺等に追いやられた人間がすさまじい数いるのではないか」とか「エホバの証人に関わる人のほとんどは、一生かけても取り返しのつかない被害を被っている」というような論調で物事が訴えられることもしばしばありますが、こうした見方もバランスを欠いた極端に悲観的なものであったり、実質的な根拠を欠くものであるように思えるワケです。
(^∀^;)

 
 
 
2.次に、反JW世界の多くの人は、「的確な批判に対してとても弱い」という傾向があると思います。

特に、なりふりかまわない支離滅裂な個人攻撃的(つまり無意味な)批判に対しては喜んでえげつない反撃を加えるのに、逆に至極まっとうな批判をされ、いわば痛いとこを突かれると、逆上したり態度を豹変させる、という態度がしばしば見られるように感じます。

こうした的確な批判にさらされたときの反応というのは、その人が本当は何を目的としているかとか、その人の基本的人間性がどのようなものか、といった重要な事実を示すものだと思います。

ことインターネットの特殊性として、「サイトの印象さえ良くすれば、その作成者の人間性や主張内容もまともなものであるかのような印象を与える」という内在的デメリットがありますので、批判にさらされたときのサイト運営者の態度は、その資質・考えを知る良い判断材料になると思うんですね。

もし本当に「エホバの証人問題」なるものに関心がある人であれば、結局その「問題そのもの」の方に神経がいってるので、自分が批判されることはあまり苦にならないと思うんですよね。
むしろ、より自分の活動を向上させる好機となり、結局「エホバの証人問題」解決のために役立つということで、そうしたものはある種歓迎すべきものとみなせると思います。

一方で、自分の満足のためにサイトを運営したり「反エホバの証人活動」をする人は、たいていの場合批判に我慢ができないという態度を示すと思います。なぜなら、エホバの証人活動云々はいうなれば手段に過ぎず、それらを通じて「自分の満足」を得ること自体が目的なので、その自分が批判されること自体に神経が行くからです。

この点、批判に弱いという傾向が「反JW世界」に広く見られるように思えるということは、結局そうした態度を示す人たちの目的・資質につき大きな不安感を抱かせるものとなっているように思うワケです。

 
 
 
めっさ続く