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「エホバの証人」についての情報サイト

2005年1月20日

『反JWプレコックス感』野郎④

・何が問題なのか

さて、「JWプレコックス感野郎」の中では、エホバの証人内部で何か違和感を感じさせる支配的傾向があったとしても、本来は外部から何か文句を言う筋合いではないであろうこと、しかしながら、そうした支配的傾向が何らかのシャレにならない問題を引き起こしている場合には、やはり外部からその点を指摘したほうがよいのではないかと考える、ということを申し上げました。

これと似た感じで今回の「反JWプレコックス感」についても、やはり何らかの支配的と思える傾向が反JW世界に存在し、かつ、それがなにやら良からぬ影響力をもたらしているのではないかと思える場合には、やはり別の観点からの意見を述べて、再考等を促すのは有益なことではないのかな、と、どせいさんは考えているワケなんですね。

ここで確認のためにもう一度重ねて申し上げますが、どせいさんは、元JWの方たちが、自分の感情やその心中を吐露したり、同じ背景を持つ人の話を聞いたり、「自分の経験したことから得た教訓の枠の中で」他の人に個人的提案を述べることには何ら疑問を提起してはいないんですね。
(^∀^;)

ただ、ネットを中心とした反JW世界からは、かなり極端な発想・言動をする人が多いという印象があるのもまた事実だと思うんですね。
こと、「自分はエホバの証人問題に取り組んでいる」という主張を前面に出すサイトや個人のうちの複数から、なにやらかなり不安感を引き起こす雰囲気が漂ってくるように思うわけなんですが、そういったなんとなく形成されてきている全体的雰囲気が、他の問題を引き起こしかねないのではないのかな、と考えているわけなんですね。

具体的にどういったことを懸念しているのかという点について、以下、書いていきたいと思います。

(1)問題の複雑化

まず、エホバの証人にまつわる問題につき極端な見方を持つようになると、逆にそれらの問題の解決策が遠のいてしまうのではないか、という懸念があります。

どせいさんが、「エホバの証人組織のために何らかの問題が引き起こされているという点は揺るがぬ事実である」と考えているということは、繰り返し日記の中で述べてきました。

そして、そうした問題はその原因を丁寧に追究してゆくとともに、何より現実的な解決策や、せめてそれを悪化させない方法というものを考えてゆくべきだと思っているわけなんですが、エホバの証人へのあまりに極端な見方が支配的傾向となると、これまた逆に、何が原因なのか混乱したり、妥当な解決策というものが遠のくのではないのかな、と考えるわけです。

さらに具体的に例を挙げると、すでに日記の中や掲示板なんかでかなり書いちゃいましたが、「健全な家族機能の破壊」という問題が一例として挙げられると思います。

エホバの証人に関わった人が被る害のうち、もっとも深刻かつ多発しているもののひとつは、この「家族機能の破壊」というものだと思います。

つまり、親による子供への過酷な体罰(=ムチ)・エホバの証人信条への絶対的ともいえる帰依の要求・エホバの証人組織を去った子供への無関心等々により、エホバの証人と関わらなければ通常の家庭機能、すなわち「『親→子供への愛情・信頼・是認・安心感・社会生活や結婚生活、育児等についての助言・経済的支援、等々の提供』と、『子供→親への愛情・信頼・是認・感謝・安心感・経済的支援、等々の提供』というサイクル」を享受したであろう家族が、その関係をかなりの程度まで破壊されてしまう、という状況が見られると、どせいさんは感じています。

しかしながら、それが『完全に回復不可能な程度にまで』破壊されているかというと、実はそういうわけでもなく、家族機能を回復させることができる場合もかなり多く、現に、エホバの証人に関わることでいろいろ厄介なことはあったけれども、何とか乗り越えたという家族も少なくないように思えるわけなんですね。

例えば、どせいさんの親族全体の中には、いまも現役のエホバの証人信者や、エホバの証人を信じてやってたんだけど矛盾に気づいてやめた2世、最初からエホバの証人がいやでいやで仕方なかったんだけど無理やりやらされてかなり傷ついてボロボロと思える状況でやめた2世等、複数のエホバの証人経験者がいるんですね。

そして、子供に過酷な体罰を加え、多くの無意味かつ過剰な制限を加えてしまった親の立場の信者は、恐らくそうしたことは間違っていたということ、しかし本当に子供の益を願った結果、当時の判断能力ではそうするしかなかったということを今は感じているようなんですね。ていうかそう言ってました

一方で、そのようにして制限や過酷な体罰の下で育てられ、かつ、後にエホバの証人をやめた当の子供たちも、そうした親のことを憎んだりせずにまあ『親』として大切にするようになって来てるんですね。もちろん口に出したりはしませんが、まさに親への愛情・信頼・是認・感謝・安心感等々の提供をしていて、健全な家族の機能が果たされるようになってるんですね。

自分の親族に限らず、どせいさんは過酷な体罰・過剰な制限の下に育てられて後にエホバの証人をやめた子供と、未だ現役のエホバの証人ないし元エホバの証人である親、という組み合わせの家族を何組か親しく知っていますが、そのほとんどが、通常の親子関係を享受しているんですね。

つまり、そうなるには当然それなりの紆余曲折・しかも何年間かの長い期間の経過とかがあるんですが、それらを乗り越えて通常の親子関係・家庭機能を享受しているわけなんですね。

こうしたケースは、前述のようにもともと親も本当に子供のためになると思って体罰・制限等を加えたし、それゆえに子供も大きくなってからそのことを理解しているために親を許すと同時に、普通の親子としてのコミュニケーションを欠かさなかったという場合が多いような気がします。

どせいさんは、こういうケースは、数多くある本当の「エホバの証人問題の解決」の1つの実例であると思うんですね。
まさしく、エホバの証人に関わった人が被る「家族機能の破壊」という害の現実的な解決や、その治癒ないし悪化の予防がなされてるわけですから。

 
 
さて、ここで「エホバの証人はとんでもない狂信的カルトであり、自分たちは回復不可能な被害を被ったんだ。エホバの証人2世『全体』はエホバの証人の親『全体』から破壊的狂信的仕打ちを受けたんだ」というようにもとらえられる主張が広くなされると、こうした本当の意味でエホバの証人問題を乗り越えてゆこうという動きや発想そのものを打ち消してしまうおそれがあり、非常に望ましくないと思うんですね。

なぜなら、どせいさんが言うような「エホバの証人問題を乗り越えた望ましい親子関係の構築ないし回復」は一朝一夕になされるわけではなく、上でいったように、たいてい『それなりの紆余曲折』の時期を経るわけですが、その『それなりの紆余曲折の時期』に、「自分たちは徹底的に家族関係を破壊されたんだ、親は自分ではなくカルトを選んだんだ」的な発想に支配し尽くされてしまうと、「通常の親子でさえそれを持たなければ自然と家族関係は冷え込むであろう最低限のコミュニケーション」を持つ努力すら払わなくなり、ますます問題がこじれたり本当に是正不可能になったりするおそれがあるからです。

つまり、エホバの証人の問題点により、いわば「健全な家族機能」がひとたび奪われたわけですが、その奪われた「家族機能」が失われたままであるという点においては、何ら代わりがないということになりかねないと思うワケなんですね。

 
 
 
 
 
ここで再び勘違いしないでいただきたいのは、どせいさんは、全てのエホバの証人家族が、このようにいろいろ乗り越えるべきだとか、乗り越えられるとは考えてはいないんですね。

上の方で『完全に回復不可能な程度にまで』破壊されているわけではない場合も多い、と書きましたが、実際エホバの証人のせいで『完全に回復不可能な程度にまで破壊される』家族もこれまた現実に存在し得ると思うんです。こうしたケースの場合、上で書いたような感じとはまた別の、納得の行く対処の仕方を考え、実行してゆくしかないと思います。

 
 
ここでどせいさんが最も言いたいことは、そうした『完全に回復不可能な程度にまで機能を破壊された家族』が、「その機能を回復すべきだ」と思い込まされるべきではないでしょうし、同時に、『エホバの証人と関わらなければ通常の家庭機能を享受したであろう家族、そしてがんばれば十分に家族機能を回復できる家族』が、「あなたたちは狂信的カルトに家庭を破壊されたんだから、取り返しのつかない害悪を被ったんだよ」と思い込まされるべきでもないだろう、ということなんですね。

また、そのように「家族がその機能を完全に回復不可能な程度にまで失われてしまった」ように思える場合には、そこまで至った原因が、本当にエホバの証人問題『だけ』なのか、という点も考えるべきではないかとも思います。もちろん、「エホバの証人」だけが原因という場合もあると思いますし、それとは別の要素が複雑に、或いは単純に絡んでいる場合もそれぞれあると思います。
これは、「エホバの証人組織が原因ではないのではないか」と主張して「エホバの証人を『擁護』したい」のでそう言っているのではなく、結局その問題を「解決してゆきたい」あるいは「その悪化を防ぎたい」と真に願うのであれば、そうした原因を見極め、その原因への対処が不可欠と思えるのでそう言うわけなんですね。

 
 
本当に何らかの問題の解決を求めるのであれば、多様な物事を全て同じように扱うべきではないでしょうし、また、関係する原因は果たしてどのようなものなのかを正しく把握するべきだと思う、ということです。

 
 
 
 
今回は一例として「家族関係の破壊」というものに言及したんですが、反JW世界は、これまで「問題点の存在」を取り上げることにあまりに躍起になりすぎてきた感がどうしても否めないような印象があり、それが「現実的な問題の解決」というものに悪影響を及ぼしかねない状況になってるのではないかとも感じられるわけなんですね。

この点、エホバの証人組織はかなりの秘密主義であることや、ここ最近になって「インターネット」というその秘密主義に対抗する手段が確立されたこと、また、問題点への指摘と攻撃が多くの人の役に立ってきた現実を考えると、エホバの証人にまつわる問題を取り上げることに多くの関心が払われてきたことももっともなことであり、かつ、それらは疑いなく有益な活動であったといえると思います。

しかし、何度も言うように、極端かつ一方的な攻撃や、「攻撃することそのものが目的」であるかのような姿勢、物事全てを強引に一緒くたにするような姿勢が見られる場合には、そこから生じる弊害にも目を向け、それなりのブレーキなり調整なりを施してゆく必要があるのではないでしょうか。と思うわけです。

 
 
 
 
 
わりとまだ続く。