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2005年11月7日

『JWプレコックス感』野郎⑦

どせいさんの考えるこの「ニセモノ感」、前回はどちらかと言うと礼儀正しさや上品さという特質を念頭にいろいろ書いたんですが、エホバの証人の方からは、とりわけ「謙遜さ」という特質について特に強く「ニセモノ感」を感じるので、今回この点について斬らせていただきたいと思います、ごめんなさい。
(>_<;)

前回指摘したように、エホバの証人の方たちは、人としての自分たちにも組織としての自分たちにも、その人間性について、かなりの理想的イメージを抱いてると思うのですが、特にこの「謙遜さ」という言葉がエホバの証人内でとても好んで用いられていて、でもその割には本当の謙遜さを示す人はとても少なくて、むしろ「謙遜さ」てなんのことかわかってないのではないかい?と思わせるような状況が存在すると思うんですよね。
そしてこれがJWプレコックス感の大きな原因になっていると感じるワケです。

 
 
具体的な例を中心に考えていくとですね。
まあ、いわずもがなですが、特に長老陛下様たちに、この謙遜さの「ニセモノ感」を強く感じるんですよね。

( ̄∇ ̄)ハハハハ

 
 
エホバの証人組織の中では長老は特に謙遜な人間でないといけないことになっているんですよね?
そしてご本人たちも、なんか自分たちは「謙遜で近付きやすい人」だと思いこんでるように思えるんですが。

しかし実際にどせいさんが見る長老陛下様たちのうちの多くはですね、

 
 
表面的に丁寧そうな言葉使いでも人を見下した感じの方々とか、

 
 
気取った言葉使いなんだけど知識や人間性に裏打ちされないウスッペラサを感じる方々とか、

 
 
根拠もなく自信たっぷりで物事をすぐに決めつけ、批判されると固まるか逆上する方々とか、

 
 
ちょっと何かを聞きかじっただけで何かの専門家になったかのように考えて、かえって視野の狭さを示しちゃってる方々とか、

 
 
少しのことを大げさにいう・もったいぶる方々とか、

 
 
なんかそんな人が多いんですよね。

一言で言ってしまうと、とにかくひたすら偉そうなんですよ。

「長老はとても謙遜で近付きやすいんですよ」と言われて、実際「どれどれ?」て見てみると、こんな感じ
あまり近づきやすくない。(ー_ー)…

勿論ね、そうじゃない長老もけっこういますよ。
までもしかし、「ほとんどの長老は謙遜で近付きやすく、一部にはそうでない人もいる」なんていう状況ではないと思うんですよね、むしろ尊大な長老陛下様が大部分で、たまにマトモな長老がいたかと思うと大抵は地域大会で話をするレベルの希少長老て感じでしょ。
原則と例外が完全に逆転してる。

申し訳ないが、常識的に考えると世の中のマトモなとこでは絶対に通用しないだろうな、という人間性の方々が大変多くいらっしゃる感じなんですよね。

謙遜な長老は優しく群れを牧すなんて言っても、実際はとんでもなくヒドい人間性を持った連中が、羊のように反抗できないタイプの人を相手にやりたい放題な感じがするんですよね。
(どせいさんの考える長老と会衆の成員の関係の図 題:「イヤッホー!!」 ここをクリック)

 
 
 
さて、こうしたヤカラを手本とするように言われて、「ホンモノの謙遜さ」に接する機会を奪われ、「ニセモノ」をホンモノと教えられ混乱させられるエホバの証人の若い人とかは、正直本当に気の毒だとどせいさんは思いますね。

そして、エホバの証人の人が『世の人』についてどんな偽りのイメージを信者に植え付けようと、世の中には、エホバの証人の人たちとは比較にならない、本当に見事な「ホンモノの」謙遜さを示す立派な人というのはいるもんです。

もっとも、「ホンモノの謙遜さ」を示すというのはエホバの証人の方たちが考えるよりもはるかに難しいことなので、実際謙遜さを示す人の数というのもかなり少ないのではないかな、とも思いますが。

どせいさんの感覚で言うと、実力のある医師とか、裁判官とか、キャリア官僚とか、大学教授の中でも一線級の学者とか、知事や国会議員クラスの政治家とか、あるいはこういう人たちの秘書とか、こういう方々の中にはビックリするほど謙遜で、品位があるんだけどとても優しくて礼儀正しくて、周囲から心底尊敬されている人とかが多くいるように思うんですよね。

こういう方たちの集まる場、まあ学会とか(※注 あの学会ではない こういう学会)、親睦会みたいなとこに、どせいさんとかが何かの間違いでよんでもらってヒョコヒョコでかけてゆくとですね、「あ、なんかエホバの証人の人たちに雰囲気が似てる!( ̄□ ̄;)」て感じることが多いんですよね。
皆さん正装で、品位あって、とても親切で謙虚な感じだったりして。なんか大会のあの雰囲気がある感じ。

 
 
しかし決定的に違うのは、そこに「ニセモノ感」や「ハリボテ感」がないんですよ。もちろん『JWプレコックス感』的いや~な感じもない。

つまり前回書いたように、こういう方たちは別に「謙遜さという外見だけを作り上げ」たりなんてしてないワケなんですよね。
世の中で高く評価される知性とか、これまで成し遂げて来た実績から来る自信や余裕とか、世の中上には上がいることを十分認識している視野の広さとか、まあちいち例をあげるのもアホらしいですが、そういうご本人のもっている価値あるものからにじみ出る結果としての、本当の謙遜さとか品位とか礼儀とかを示してるんですよね。

なので、これまたいちいち言うのもアホらしいですが、言葉使いや振る舞いに妙チキリンな間違いなどはないし、何かの気遣いを示してくれる時はとても気がきいてるし、何か予期せぬことを振られた時こそ「あー、さすが!」という反応がポロリとでたりするワケなんですよね。それに、腰は低くても、熱意ややる気にあふれてて、とてつもないパワー感を感じて、妙な年寄りくさい気取った感じもないと。圧倒的なホンモノ感。本当に感銘を受ける。

しかも、前回言及した礼儀のプロみたいなホテリエとかフライトアテンダントとかの方たちは、礼儀正しい作法や言葉使いの訓練を受けてる場合が多いと思うんですが、こういう方々はそんな訓練受けずとも、知性や人間的余裕の当然の結果としてこういう特質を示してたりするワケで。

なのでね、エホバの証人の人がこういうのにあこがれるのはわからんでもないですがね、ご自身たちの考えるような理想の組織を作り上げるのは、つまりみんながみんな週何回かの聖書のお勉強するだけでこういう人間性を示せるようになるというのは、そうそう簡単に実現できるもんではないと思うんですよね。てか不可能だと思う。必ずボロがでたり、なんとなく歪んだ感じがするのがいなめないと思うから。

 
 
だって、例えば長老という立場について考えてもね、「深い聖書理解と円熟したクリスチャン人格、そして人を教える資格ゆえに際立った信仰の手本となれる人」がなれるということになってると思うんですよね。

でも実際はどうなんですかね??

どせいさんなんかが見てると、最低限のホワイトカラーの仕事をする能力さえあれば、ある程度の期間開拓奉仕とかすれば、わりと誰でも長老になれてるような気がするんですが、違うのかいな???

実際、「優れた教える能力が必要」とか言っても、ものみの塔の司会とかで漢字を読めなかったり、どせいさんが見てても完全に質問に対する答えを間違ってたりって人がいますけどね。会衆の若い奉仕の僕の方がずっと良くものみの塔の教えを理解してるなんてこと多いのではないですかいね?
必要な事務処理をやっていくのに最低限必要な読解力もないのではないのかい?って人がわりと普通に長老やってるように思うのはどせいさんだけなのかいな?

それからなんたって、長老になるのに必要なのは推薦だけだから、かなり理解力の低い人間でも人間関係だけで長老になることができるし、一度長老になってしまえばどんなに尊大になろうと、どんなに意地悪でひねくれていようと、よほどの『霊的』罪を犯さない限りは長老でいつづけられるワケですよね。

「深い聖書理解と円熟したクリスチャン人格、そして人を教える資格ゆえに際立った信仰の手本となれる人」とみなされ続けるワケですよね?

そして、ご本人も自分は謙遜だ、と思いこんで表面的に不自然な気取った態度をとり、周りもなんとなくそういうもんが謙遜さなんだと思いこむと。

 
 
 
 
 
 
 
 
…世の中のまともな基準からいったらね、こんなのマジあり得ないから。ホントに

 
 
 
 
 
 
これで「ホンモノの謙遜さ」をあらわそうったってムリだと思うんですよね。

それどころか、こういう誇るべきものなんて特に何もない人たちが、その能力・努力には不相応な権威や地位を与えられ、勘違いした態度を示すところに、もはや滑稽ともいえる違和感が生じ、「JWプレコックス感」を引き起こす原因になってるのではないのかいな、って思うんですよね。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
まー、こういうの見て感じるのはですね。

そもそもエホバの証人の方は、本当に「謙遜になりたい」と思ってるんですかね?てことなんですよね。

勿論そう思ってる方も多いと思いますが、本当に「謙遜になりたい」と思ってる人なんてもともと謙遜で、そんなもんを目標みたいにして目指す必要なんてないと思うんですよね。

多くのエホバの証人の人は、本当に謙遜になりたいというより、むしろ「権威があるのに謙遜な人と思われたい」という欲求が強いと思うんですよね。
つまり謙遜謙遜言う態度の本質は、実は虚栄心そのものの固まりなのではないですかいね。

若い人やなんかが「謙遜であろう謙遜であろう」と異常に口にする光景がよく浮かびますが、結局そういう子が目指してるのは、「代理の巡回監督で地域大会で話もするんだけど謙遜な兄弟」とか、「MTSでてるのに謙遜な兄弟」とか、そういう「権威があるんだけど気さくな人」であるってことがよくあるんじゃないですかね?

この種の若い子たちの姿勢とかに代表されるような、「虚栄心満たすために謙遜な外見を求める姿勢」なんてのは、全く本末転倒ですよね。
こういう歪んだ姿勢からはなんともいえない不気味さしか漂ってこないと思うんですよ。
そしてこういう歪んだ姿勢がエホバの証人組織の本質的傾向になっており、さらにそれが「JWプレコックス感」の原因になってる気がしないでもないでもないんですな、これが。

(∋_∈)

 
 
 
容赦なく続く