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2009年5月13日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察⑤

2.裁判例の紹介

①広島地方裁判所平成5年6月28日判決
(妻の宗教活動(エホバの証人)を理由とする離婚請求が認められた事例)

■裁判時の夫婦の状況:

結婚14年目で13歳の長男と9歳の長女あり
結婚3年目に妻が入信

■判決内容:

夫と妻は離婚する。
長男・長女の親権者を夫と定める。

■裁判所の認定した事実:

 結婚後の夫婦関係は概ね円満であったところ、妻は、昭和五七年九月ころ、エホバの証人のクリスチャンの訪問を受けたことからエホバの証人を知り、同クリスチャンに一週間に一回位定期的に自宅に来てもらって聖書の説明や右宗教の話を聞いていた。昭和五八年一月夫の転勤に伴い転居後もエホバの証人のクリスチャンに同じように定期的に自宅に来てもらって同宗教の教えを学び続け、昭和六○年五月ころからエホバの証人の集会が開かれる王国会館に行ってその集会に参加するようになった。夫はエホバの証人のクリスチャンが自宅に来て妻に右宗教の話をしていることを知り、妻にはっきりとは言わなかったが、これを嫌っていた。妻も夫の態度から夫が嫌っていることは知っており、クリスチャンの来訪中たまたま夫が帰宅すると、右クリスチャンは直ちに帰ってしまうこともあった。
 昭和六○年六月夫が転勤になったころ、エホバの証人の輸血拒否事件が報道されたことがあり、それをきっかけとして夫は妻に対しエホバの証人の信仰を止めるようにはっきりと言うようになり、妻がこれを聞き入れないと妻が持っていた聖書の手引書を投げ捨てたりした。また、妻は午前九時三○分から午前一一時三○分まで開かれる日曜日の集会に子供二人を連れて行っていたが、夫は同年七月ころから、妻がこの集会に参加しようとするや、妻を殴打したり足を蹴ったりする等の暴行を加えて右参加を阻止しようとした。結婚後夫が妻に暴力を振ったのは右が初めてであった。同年八月夫婦は墓参りに行ったが、その際、妻は行くことは行くが墓に手を合わせることはできないと言って夫と口論となった。同年秋、秋祭りの際近所の子供らはみこし担ぎをしたが、妻は長男(当時五歳)を妻の信仰上の理由から右秋祭りに参加させなかった。長男は近所の子供らと一緒にみこし担ぎができないことを淋しく思い、夫は妻に参加させなかった理由を問い質したが、妻は自分の信仰と違うものにへつらうと神の加護が少なくなると説明し、夫は益々妻に対し不信感を募らせた。
 妻は夫の暴力を恐れてエホバの証人の集会への参加を一時中断していたが、同年一一月ころから夫の反対を押し切って子供を連れて右集会に参加するようになった。夫は妻にエホバの証人は一元的にしかものを見ないから偏った人問になると言って説得したが、妻はこれを聞き入れないため、夫は妻に右信仰を止めてほしい一心で、集会に行く前と集会から帰った後妻に対し平手で顔面を殴打する等の暴行を加えたり、寒い夜に鍵を掛けて家に入れないこともあった。昭和六一年正月夫婦は夫の姉の家族と一緒に宮島に参拝に行ったが、妻は行くことは行くが参拝しないと言って参拝しなかったため、夫はその日の夜妻の顔を数回殴打した。また、妻の両親や二人の姉も夫方に来て妻に対しエホバの証人の信仰を止め、元の生活に戻ったらどうかと何度も説得したが、効果がなかった。その後も妻は日曜日に子供二人を連れて集会に参加し、その際は夫は妻に暴力を加えて口論となるということを繰り返していたが、夫が妻に対しエホバの証人の信仰を許さないで右のように暴力を振うため、妻は遂に同年五月ころ二人の子供を連れて実家に帰った。夫は毎週のように妻の実家のある都市に子供らに会いに行っていたので、妻は夫に喜んでもらえると思い、同年八月子供二人を連れて帰ろうとしたが、夫は妻が前日エホバの証人の仲問の家に宿泊したことを責め、子供二人だけを自宅に入れ、妻は入れなかった。そして、子供二人は夫が夫の実家に預けて夫の両親が養育し、夫が実家のある都市に勤務となった平成二年四月からは夫も右実家で一緒に生活し、その生活は安定している。
 なお、昭和六二年六月夫は東京に転勤になり、妻も東京でアパートを借りて生活し、しばらくの間夫婦は会って妻の信仰のことなどについて話し合ったが、妻に信仰を止める意思が全くなかったため、夫は妻との離婚はやむをえないと固く決心した。妻は昭和六三年バプテスマを受け、一週間に二回位朝九時から一○時半までの一時間半位戸別訪問して伝道に出歩いている。
 エホバの証人は、子供の養育等に関係するものとして、信者に次のようなことを厳格に教えている。
(一)エホバの神は絶対で唯一であり、専心の愛を求めるから、エホバの神以外のものを崇拝することは禁止される。したがって、先祖崇拝は許されないから、墓参りをしても合掌しない。国歌や校歌も歌わない。国旗に対して敬礼しない。
(二)正月、節分、ひな祭り、節句の行事や儀式に参加しない。
(三)輸血は行わない。
(四)武道はしない。学校の課外活動にも参加しない。
(五)親は、子供が運動選手としてではなく、神の奉仕者としての仕事を生涯追い求めることを願う。
(六)投票は認めない。したがって、選挙のときには投票せず、棄権する。
 妻は右教義を絶対的なものとして信じており、皆がエホバの証人に反対するのは聖書の知識がないからだと考えている。夫は、エホバの証人は右のような教義を持っているほか、他の考え方を全く受け入れようとしないとして右宗教を強く嫌悪し、子供を連れて伝道に歩いていることにも嫌悪感を抱いている。更に、夫は右宗教は子供の養育上悪影響があると考えている。

■裁判所の判断:

○右認定の事実に基づいて夫婦間の婚姻関係が破綻しているかについて判断する。
 
 夫は前記認定のような教義を持つエホバの証人を強く嫌悪し、二人の子供に同教義が教え込まれることに強く反対し、妻に対し宗教活動を中止するように長期間にわたって求めて話し合ってきたが、同宗教に対する妻の信仰は非常に強固であって、夫の気持や考え方を理解して自分の宗教活動を自粛しようとする態度は全くみられず、妻の信仰及びその教義の実践を含む宗教活動に関する夫婦間の対立は深刻であって、夫の離婚意思は固く、そして別居期間も約七年に達し、夫婦間の婚姻関係は回復し難いまでに破綻したものということができる。なお、妻はその本人尋問において、これからは口だけでなく行動を伴うようにして平衝を保ちながら夫にも理解してもらってやり直したいと供述し、平成五年二月一二日の本件和解期日においても同様の供述をしたので、夫婦、双方代理人の了解の下に、夫婦二人だけで話し合う機会を与えたが、結局は妻は涙を流すだけでものが言えない状態になってしまい、今後同居しても夫婦関係が円満に回復する見込みは全くない。

○そこで更に、夫妻間の婚姻関係が破綻したことについて夫に主な責任があるかについて判断する。

 夫が、妻がエホバの証人の集会に参加するのを暴力でもって阻止しようとしたことはその方法において許されないことは当然である。しかし、原妻の婚姻関係が破綻したのは夫が妻に対し暴力を振ったためではなく、妻の宗教活動の是非に関して決定的に対立したためであるから、夫がエホバの証人を強く嫌悪して妻に対しその信仰及びその教義の実践の中止を強く求めたことに夫に主な責任があるかどうかについて検討しなければならない。
 ところで、夫婦間においても信仰の自由は尊重されなければならない。しかし、信仰が信者の単なる内心に止まらず、教義の実践を伴い、それが家庭生活や子供の養育に影響を与える場合は、夫婦協力義務の観点から一定の制約を受けることはやむをえないところである。
 本件の場合、エホバの証人は前記のような教義を持っており、夫が二人の子供に右教義を教え込まれたくないと考えたり、家族一緒に正月を祝い、先祖供養のため墓参りをする等世間一般に行われていることはしたいと考えて、妻に対し右宗教に傾倒しないようにその宗教活動の中止を求めても、右教義の内容に照らし、夫だけが間違っていると非難することはできず、夫の考え方や気持を無視している妻にも責任があるというべきである。夫はもう少し妻の信仰に寛容になってもよいのではないかという考えがあるかもしれないが、本件の場合寛容になることは、エホバの証人の教義でもって妻が行動し、二人の子供が右教義を教え込まれ、実行させられるのを是認するのと同じことであり、夫はこれは夫としてまた父として耐え難いことであると述べているのであって、夫が寛容でないことを理由に夫に破綻の主な責任があるという考えには到底賛成することはできない。また、妻は今後は子供のことに関して自分の一存で決めないで夫と相談して決めたいと供述するが、エホバの証人の前記認定の教義の(五)によれば、同宗教の信者の親は子供が神の奉仕者としての仕事を生涯追い求めることを願うとされており、妻が今後夫と相談してもエホバの証人の教義に反することについて、弾力的な態度をとることは到底期待できない
 したがって、夫が妻に対しエホバの証人の信仰及びその教義の実践を含む宗教活動の中止を求め、これを許そうとしなかったとしても、夫だけを責めることはできず、結局夫間の婚姻関係の破綻の主な責任が夫にあるということはできない。
 よって、夫には婚姻を継続し難い重大な事由があるから、夫の本訴請求は民法七七○条一項五号により認められるべきである。

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■サイト作成者のコメント:

①子供に関連したエホバの証人教理を具体的に列挙し、子供にこうした教義を教え込まれることは耐え難いとする夫の主張を認め、かつ子供らの親権者を夫と認めたという点で、非常に意義深い裁判例であると考えられます。
②エホバの証人の妻側の発想として「自分はこの教理のおかげで夫を愛し、家事もこなす立派な妻になっている。それでも夫婦関係がうまく行かないのは夫が教理に頑なかつ不寛容な態度を示すからであり、夫が少しでも寛容になってくれれば解決する」との態度が極めてよく見られる印象があります。しかしながら本判決は、エホバの証人が主張する「寛容さ」なるものとは、結局は、極端な教理を全面的に受け入れることを要求するものであり、通常人には耐え難いものであること、こうした「寛容さ」なるものを妻がを要求する場合に、夫に夫婦崩壊の責任があるとは到底いえない、という点を指摘しています。