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「エホバの証人」についての情報サイト

2009年5月16日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察⑥

②東京地方裁判所平成9年10月23日判決
(「エホバの証人」を信仰する妻に対する夫からの離婚請求が認容された事例)

■裁判時の夫婦の状況:

結婚25年目で、長女23歳・二女21歳・三女19歳がいる。
結婚11年目に妻がバプテスマを受け、子供たちも次々に入信。

■裁判所の認定した事実:

(1)夫と妻は、婚姻以後、三人の子供をもうけ、円満な家庭生活を営んでいた。
(2)夫の母の家では、代々、神道を信仰してきたため、夫と妻は、婚姻時に夫の母の家から神棚をもらい、これを自宅に祀ってきた。妻は、昭和五八年夏、エホバの証人のバプテスマを受け、その信仰を続けている。そうしたことから、妻は、自宅に神棚を祀ることを止め、夫に相談することなくこれを仕舞い込んだ。
(3)昭和六〇年頃、夫は、エホバの証人の信者による輸血拒否事件の報道を契機として、妻のエホバの証人に対する信仰が篤いものであることを知った。また、その後、妻が神棚を夫の母に返還したことから、夫の母がこれに激怒し、妻が夫の母宅に出入りすることが禁じられるに至った。
 その際には、夫は、夫の母から、妻と離婚するか財産の相続を放棄するかの選択を迫られたが、その当時は、いずれ妻も改心するものと考え、夫の母に対して後者を選択する旨の書面を差し入れた。
(4)妻は、子供たちをエホバの証人の集会等に同行するなどし、長女は中学二年の時に、二女は高校二年の時に、三女は中学二年の時に、それぞれエホバの証人に入信するに至った。
(5)夫は、その間、夫の母の強い意向を受け、また、エホバの証人に対する世間の批判的意見を耳にする中で、妻子らに対し、エホバの証人を信仰することについて反対するようになり、家族でクリスマス等を祝うことができないことについても不満を持つようになった。
(6)妻は、前記入信後、集会について、週三回、月曜日の午後九時三〇分から一一時三〇分まで、火曜日の午後七時三〇分から八時三〇分まで、木曜日の午後七時から八時四五分まで参加するほか、月に一、二時間程度奉仕活動を行ってきている。
 妻は、夫の帰宅時刻にあわせて集会への参加時間を調整したり、また、参加自体を見合わせることにしたりして、夫が自宅で夕食を取るのに不便がないように心掛けており、その間には夫らと家族旅行をすることもあった。もっとも、夫は、被告らがエホバの証人の信仰を止めないことから、昭和六一年二月頃から半年間ぐらい、妻子らとは一緒に食事を取らないこともあった。
(7)夫の父が平成六年に死亡したが、その際、夫は、妻が神式による葬儀に出席した場合に予想される親族とのトラブルを恐れ、その出席を予め拒否したため、妻はこれに出席しなかった。
(8)夫は、その後、妻に対して強く離婚を求めるようになった。夫は、平成元年九月から平成七年一〇月頃まで単身赴任をしていたが、妻は、夫と離婚問題について話し合った際、夫の立場を慮り、三女が高校を卒業する二年後において離婚することをいったん了承した。しかし、妻は精神面及び経済面からみてやはり夫と離婚することはできないものと考え、その後夫に対し、離婚の了承を撤回する旨伝えた。
(9)夫は、東京家庭裁判所に対して調停を申し立てたが、離婚についての合意は成立せず、当分の間別居すること及び婚姻費用の分担等について合意するだけにとどまった。そのため、夫は、同年一二月一五日、夫の母宅に引っ越し、それ以降被告らと別居し、平成八年二月、前記離婚訴訟を提起した。
(10)以上のような経緯をたどる中で、夫は、妻がエホバの証人の教義を信仰した上で、他の宗教を否定し、神道による儀式になじまず、ハルマゲドンを信じ、進化論や輸血を否定する旨の発言を続け、夫に同調する様子を示さなかったことから、それまでは妻の改心に期待を寄せてはいたものの、現在では、妻のそのような考え方と態度に絶望するとともに、子供たちも妻と同様の考えでいるため、もはや意思の疎通は不可能であるとして、離婚を強く望むに至っている。
(11)一方、妻は、エホバの証人の信仰を止めることはできないとしながらも、夫との婚姻生活を継続することを希望しており、今後は夫の生活に迷惑がかからないように宗教的活動を控えるつもりでいるから、夫も宗教的寛容さを備えるべきである旨述べている。

■裁判所の判断:

○夫と妻間の婚姻関係破綻の有無について検討する。

 夫婦間においても、個人の信教の自由が保障されるべきことは当然のことであるが、その一方で、夫婦は、相互の協力によって共同生活を維持していくべき義務を負っている(民法七五二条)。
 右の観点から本件をみると、妻の信仰をめぐる夫と妻間の争いは既に一〇数年に及び、その間、夫は、当初においてはもっぱらその両親との関わりにおいて妻の信仰を嫌悪し、その信仰を止めさせようと働き掛けてきたものであったが、それにもかかわらず妻が右信仰については譲らず、夫の側に歩み寄って来ないため、前記認定のようなエホバの証人の教義を正当なものとして信奉する妻に対して、自らも次第に強い反発と不信感を抱くようになるとともに、子供たち三人とも妻と同じ考えでいるために絶望感を抱くに至っており、そのため、夫と妻の対立ないし考え方の相異は既に相当深刻なものとなっているところ、妻においては、夫に対しては宗教的寛容さを求めながら、夫と折り合っていくために自らの信仰を変えるというようなことはできないとしているのである
 以上のところによると、妻はエホバの証人の信仰を絶ち難いものとしているのに対し、夫は、現在では、右信仰を変えない妻との間で婚姻生活を継続していくことは到底不可能であると考えており、そのような夫婦間の亀裂や対立は既に一〇数年にわたって継続されてきたものであり、これまでにも何度となく話合いがもたれ、その間、妻においてもいったんは夫との離婚を了承したこともあったことなどの経緯に照らすと、今後、どちらか一方が共同生活維持のため、相手方のために譲歩するというようなことは期待できないものといわざるを得ないのであって、夫と妻間の婚姻関係はもはや継続し難いまでに破綻しているものと認めるのが相当である。
 妻は、宗教的寛容さに欠ける夫こそが有責配偶者である旨主張する。しかし、本件においては、前記判示のとおり、妻がエホバの証人に入信して以降、夫と妻双方ともに相手方の信仰や立場に対して互いに歩み寄ろうとせず、婚姻生活を円満なものにするための譲歩をしようとしないため、その結果として婚姻関係が破綻するに至ったものであるから、右破綻の原因を夫にのみ負わせることはできないというべきである。
 この点について、妻は、夫の離婚請求の実質は、妻に対し、離婚に応ずるか、それともエホバの証人の信仰を捨てて婚姻を継続するかの選択を迫るものであり、妻の信教の自由を犯して服従を迫るものであると主張する。しかし、本件のように、夫と妻双方がそれぞれ信仰の点を含め自己の考え方に固執し、譲歩の余地を認め得ないような場合にあっては、右離婚請求を排斥して、夫に対して妻との婚姻生活を継続させるとすることは、今度は、夫について自己の信仰しない宗教との同調を求めることになるものであって、相当とは解されない
 結局、こうした根源的な問題についての対立が今後とも解消し得ないものと認められる結果、それはどちらの側が悪いというようなものではないのであり、夫のみが宗教的寛容さを欠いた有責者であると断ずることはできないというべきである。
 そうすると、本件には民法七七〇条一項五号所定の離婚原因があり、夫の本件離婚請求は理由があるというべきである。

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■サイト作成者のコメント

①本件においても、エホバの証人側から「夫の不寛容さが夫婦関係崩壊の原因である」との主張がなされており、裁判所はこの主張を明確に排斥しています。
②この裁判において夫は、財産分与について繰り返し寛大な姿勢を示しており、判決まで毎月二〇数万円もの婚姻費用の負担を継続してきていたため、裁判所は「夫が将来においても妻や子供たちに対する経済面での援助を惜しむことはないものと考えられる」との判断も示しました。
 おそらく夫は、父として、また夫としての自分の責任を果たそうとする立派な家族の頭だったのではないでしょうか。妻がエホバの証人に入信することさえなければ、この立派な父親と妻、三姉妹の娘の幸福な家庭が崩壊することはなかったかもしれません。
 裁判所は、妻と娘三人が入信したことで、父親が「絶望感を抱いている」旨を指摘しています。将来の幸福を願った三姉妹の娘全員が、信者以外との恋愛・結婚が禁じられ、生涯独身を通すことや子供を儲けないことが強く奨励され、まもなくこの世は終わるとの強い思想に支配され経済的にもギリギリの生活を送ることが強く勧められるこの宗教に入ってしまったことを考えると、この夫の「絶望感」がいかほどであるか、容易に想像がつくように思われます。