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2005年10月22日

『JWプレコックス感』野郎③

さて核心。

この『JWプレコックス感』の原因が何なのかですね。

(^∀^)

 
 
まずね、どせいさんがこの感覚の1つ目とした、「親しげに関心を示してくれてるようでいてなんか妙に機械的で冷たい感じ」を感じるのは何でかっていうハナシなんですが、これはすごく言いいにくいというだけで、答えそのものはとても簡単なんだと思います。

 
 
その答えってのは、個人的関心を示しているようでいて、実は関心なんてないからではないですかね。

( ̄∇ ̄)スカーン

 
 
決して全てのエホバの証人ではないんですが、しかしやはり多くのエホバの証人の人からはですね、

「本当に相手のことを気にかけて気遣いを示している」のではなく、むしろ「相手のことを気にかけて気遣いを示している自分の姿が好きだから・或いはそういう姿が要求されているから」にこやかに話かける、という印象をうけるんですよね。

ここにまさに、「おかまいなしの一方的なおしつけ笑顔」という印象を受ける原因があると思うんですよ。

みなさんはそう思われないですかね?どうだろう。

 
 
 
エホバの証人の大会とか集会とかにいくとよく、「もしよろしければこちらから前にお座りいただけますか」みたいなことをとてもニコヤカに言われたりすることがあります。「もしよろしければ」とおっしゃられてるわけですから、自己主張することが普段から自然なことであるどせいさんなんかは、隣の人がおっかなそうなおばさんだったりすると、「あ、いやなのでこの後ろ座ります」って言っちゃったりするんですよね。すると、さっきまでニコヤカだった人があからさまに不愉快そうな顔をしたり、猫なで声だったのがずいぶん高圧的な態度に豹変する。そんな経験したことがありました。

あるいは、よく聞く話ですが、普段全然自分のことを気にかけもせず、あいさつしてこようともしない長老夫婦が、ある日突然お花と一緒に「お元気ですか、心配してます」みたいなことが書いてある変な手紙と一緒に家まで訪ねてくるとか、同じく普段全然自分のことなんか関心なさげな長老から、その日集会に行ったのに、「集会におみえになってなかったみたいで心配してました」みたいなメッセージが携帯に入ってるとか。

こんなような経験するときってまさしく『JWプレコックス感』を強く感じるときだと思うんですよね。つまりこういう経験すると、通常人には「理解できない意味不明の行動」と感じられるわけですよ。親切なんだろうけど、なんかズレてていったい何なんだろう?ちょっと理解に苦しむ行動だなあと。

でもね、こういう行動の意味が理解できないのは、この方たちが「本当に気遣いで行動してる」と解釈しようとするからなんですよ。

だから、「本当に気遣いで行動してる」のではなく、「気遣いで行動してるかのような自分自身の姿に満足したいという自己満足で行動してるから」と解釈すれば、理解するのは何も難しくない。

結局このテの方たちは全て自己満足で行動されてるのだと考えれば、表面と実質のズレがとたんに理解でき、大いに納得がいくわけです。

 
 
ま、こういう、本当は気にかけてなどいないのに、自分自身の満足のために相手を気にかけてるような行動をとるってのは、結局は相手の感情を無視しないとできない荒業ですから、感情を無視された側は尊厳を傷つけられるワケですよね。しかも、なんかしんないけどエホバの証人の方は、「気遣う側の私は強い人・偉い人」、「気遣われるあなたは弱い人・だめな人」っていうムードを言外に強くにじませるんですよね。これがまた不快感に拍車をかけると。
( ̄∇ ̄)アハハハ

こうした理由で「なんとなくいや~な感じ」が引き起こされるのではないですかいね。

 
 
 
 
まあね、こういう「相手を尊重してるように見えて、実は相手の感情を無視してる」っていう構図は、残念ながらエホバの証人組織の中にとても多く見られるように思えるんですよね。

例えば、どせいさんがとても引っかかるは、エホバの証人の方がよく使われる修辞的質問なんですよね。「~さんは、~とは思われませんか?」という質問ですね。

これを使ってるエホバの証人の方は、この質問で相手を推論させたり、相手が自分で答えられるよう尊重してるように思って使うのかもしれないですよね。でも実際は明らかなサルでも分かる明確な答えがすでにあってそれに反する自分の考えを言うことなど許されてなどはいないんですよね。。こういう方たちの多くは「~さんは、~とは思われませんか?」と自由に意見を述べて良いかのような態度を示しながら、「思いません!( ̄∇ ̄)」なんて答えちまったら、またとたんに高圧的な態度をとるか、あるいは対応できなくて固まっちまうんですよね。
そんな風に、求められてる答えなんか完全に分かりきってるのに自分が納得いかないから言わないでいる答えを、あたかも自分で出した結論のように言わされるところに尊厳無視の態度が感じられ、とても不愉快になるわけですよ。

そもそもね、質問によって本当に推論させて正しい結論に導くのはなかなか至難の業なんですよ。専門分野のゼミとか、ソクラテスメソッドの場面とかでは、教える人は教えられる人を知識で圧倒しきってないといわれるわけですよね、大体10対1位の知識差がないと成り立たないといわれている。そういう場面の、しかも、かなり複雑な事例や理論を理解させる場合に推論という方法を使うわけですよ。エホバの証人みたいに答えが完全にわかりきってることをただ言わせるためにこういう質問されると、完全にシラケるんですよね、それはとりもなおさず、すでに決まっている答えをあたかも自分で納得した結論であるかのように言わせようとする態度から、尊厳を無視した姿勢が感じられるからなんでしょうね。

 
 
 
そしてこういう、「大して相手のことなんか気にかけてないのに心から相手を思いやってるかのような外見的態度をとる」という行動パターンは、あまりにも繰り返されるので、個々のエホバの証人にも、組織体としての証人組織全体にも、完全に「型」になっちゃってるのかもしれないですね。気遣い示してるような外見を示す側の人も、それを感謝して受けてるような外見を示す側の人も、完全に巨大なエホバの証人パターンを作り上げていて、その型通りの答えがこないと対応できない状況が構築されてるんではないのかいな。

そもそも本当に気遣っての礼儀正しさを示す人は、そういう外見や型を示すことが目的ではなくて、相手のために何かしようというのが動機だから、その気遣う相手に合わせて柔軟に対応できると思うんですよね。ところが、礼儀正しい自分に酔いたいがゆえの、あるいは全ての信者が画一的に新しい人格、立派な人間性を身に付けてるという外見を作りあげたい組織の指示に従うために礼儀正しくしてる人は、本当に気遣いで礼儀正しさを示してる人なら対応できるハズのことに全く対応できないと思うんですよ。

自分の予想通りの、すなわちいかにも「エホバの証人エホバの証人した」言動にはニコヤカに対応し、ちょっとでも自分の予想と違った行動に対してはあからさまに不快な顔をする長老、或いはどうしたらいいかわからず固まってしまう若い奉仕の僕。こういう人たちのなんとも理解不能な対応は、こういう観点から考えると、とたんに納得がいき、理解可能になる気がシナイデモナイデモナイ。

(∋_∈)

 
 
 
果敢に続く