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JW.com » エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察③

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「エホバの証人」についての情報サイト

2009年5月9日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察③

2.プラス面

(1) これに対して、エホバの証人側としては、夫婦の一方又は双方が信者になることにより家族生活は幸福になるということを、繰り返し内外にアピールしています。彼らがしばしば主張するプラス面としては、以下のようなものがあげられるかもしれません。

①信者になった妻又は夫が聖書の原則を当てはめる結果として、夫は妻を自分自身のように愛し、妻は夫を深く敬うようになる。また、これらの特質以外にも、辛抱強さや親切、正直さ、自制心といった特質を信者が培うようになるため、夫婦生活は幸福なものとなる。

②アルコール中毒や麻薬中毒といった深刻な問題を抱える夫が、神の基準を受け入れることによりこれらの問題を克服し、かつ「家族の頭」としての責任を果たすようになり、破綻した家庭が幸福な家庭になるケースが多く存在する。

③性道徳に関する神の高い基準(結婚関係外の性関係を一切禁止するエホバの証人の教え)は、多くの夫婦に貞潔な関係と信頼感・幸福感をもたらす。

④とりわけ、夫婦双方が信者となる場合、「神への崇拝」という固い絆が存在するため、夫婦はより親密かつ幸福になる。

(2) さて、上述したこれらの点は、エホバの証人の集会や大会での講話においても、或いは彼らの出版物の記事の中でも、さらには家から家の宣教での証言や「家庭聖書研究」における説明においても、しばしば目にし、耳にする主張であり、エホバの証人組織としてはこの点を全面に押し出すため、実際にこれらの点に関心を抱くようになり、彼らと「研究」するにいたる人も多々存在します。
 
 しかしながら、こうした「プラス面」を掲げる彼らの主張には、次に示すようないくつかの疑問点が存在します。

① まず、信者たち自身は、上に掲げたような「プラス面」が存在するという点について、実に「強い自負」を抱いているように見受けられますが、結局のところその自信のよりどころ・根拠は、「自分たちはエホバの証人教理のおかげで幸福になった」と自称する信者の経験談が、ものみの塔協会の出版物に載っていたり、大会等で語られるという点に帰結するように思われます。

しかし、そもそもそれら夫婦に関する「経験談」のほとんどは、「南アフリカに住むジョージは…と語りました。」とか、「インドのある夫婦は…と述べています」などといった程度のもので、極めて具体性に欠けるものばかりです。何十年も前に一度語られ、今現在はどうなっているのか全くわからないような「経験談」が繰り返し引き合いに出されることもしばしばあります。

エホバの証人信者の自負・自身の根源をつきつめて考えると、こうした「世界のどこかに実在する」との説明以外は一切情報が与えられていない、極めて抽象的な「経験談」が、断定的な結論とともに繰り返し繰り返し示されることにより、無意識的かつ無批判にこの教育を受け続ける信者全体の間に、「この宗教は夫婦に幸福をもたらしているのだ」という根拠のない巨大な思い込みが形成されてきているというのが現実であるとの印象を強く受けます。冷静に考えれば、実際に個々の夫婦がどのような問題を抱えているのかが明らかにされたり語られたりすることはエホバの証人組織内ではほぼありえず、現実の状況がどのようなものであるかは誰にもわからないのです。
(この疑問点は、後に示す裁判例の記述の具体性、その多様性と比較していただけば、さらに際立つものとなるのではないかと思います。)

② また、これら「経験談」においては極端なアルコール中毒や薬物中毒、深刻な犯罪癖など、多くの家庭にとっては無縁であろう問題から解放された、というような実に極端なレアケースがことさらに紹介されることが多くあり、大抵そうした「経験談」は遠い外国、特に発展途上国での経験であったりします。

こうした、そもそも実際に起きたか否かも確実ではなく、現在では状況はどうなっているかもよくわからない、「極端なレアケース」をことさらに示すことによって、自分たちの教理が、それを誠実に学ぶ人たちすべてに幸福をもたらすものであると主張するのは、なかなか説得力に欠けるのではないかと感じられます。
(*これらエホバの証人側によってことさらに示される「幸福な夫婦の実例」については、下の脚注部分で幾つかの例を引用してあります。)

③ 何より、「エホバの証人教理により様々な良い特質が培われ、夫婦の結合の絆が強まる」という彼らの主張は、結局のところ「非信者の配偶者の側がエホバの証人教理を受け入れるならばそうなる」という絶対的な条件を前提としているものであり、この都合のよい絶対条件が満たされない状況においては、結局その教理は何ら幸福をもたらすものではなく、かえってその教理によって不一致と分裂がもたらされるという事態を引き起こしている、というのが実際のところではないかと考えられます。
 
つまり、どんなに妻が「夫を愛してる、夫を愛してる」と言うようになったところで、その同じ妻が、結局は毎週毎週確実に日曜日に家を空け、究極では夫よりも神を確実に優先するということであれば、夫婦に深刻な問題が生じることを避けられない場面が当然に多々生じるはずです。ところが、「自分は夫を愛し、家事を頑張っているのだから、自分の宗教については一切妥協できないし自分の宗教活動は全面的に認められるべきだ」という発想がエホバの証人信者の根幹に存在するように見受けられます。「夫が妻の宗教の素晴らしさを認めさえすれば」夫婦ともに幸福になるのであり、「もしこの宗教の素晴らしさが夫により認められず、夫婦が幸福とはいえない状態である場合、それは夫の側の不寛容こそがその原因であり、妻の側は完全にその責任を果たしているのだ」、という独りよがりな考えが信者の心に大きく横たわっているわけです。
(しかも、個々の信者の妻たちも必ずしも「良い特質なるもの」を培っているわけではない、というのが多くの信者の家庭での現実でしょう。)
 
やや離れた視点で全体像をみるならば、エホバの証人たちは、彼ら自信が主張するように「家族生活を幸福にするために聖書を研究している」のではなく、むしろ「家庭聖書研究をさせエホバの証人組織に人々を入らせるために『これを学べば家族生活が幸福になる』と称しているにすぎない」と評価せざるを得ない印象があります。

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(3) そもそもエホバの証人がその出版物や大会の実演などの中で示す「幸福な夫婦」の姿は、アメリカ的文化の中でステレオタイプ的に示される、ある種「人形のような夫婦の理想像」であることが多く、「夫婦ともに信者であり、夫婦ともに熱心に教団活動に携わっている」というのが、その幸福の暗黙の絶対前提条件とされている場合がほとんどです。

 夫婦や家族の愛情にはさまざまな形がありそれぞれが自然な形で愛情を表現するのがもっとも幸福な形だと思いますが、エホバの証人信者の中には、教団側から繰り返し示される「幸福な家族のモデルタイプ」のようなものが常に存在し、非現実的なそのモデルタイプに形式的に合わせようとするがゆえに、個々の夫婦・家族に不自然なゆがみが生じているが実際のところではないかとの印象を強く受けます。
 
 
 
*エホバの証人の出版物内に示される「幸福な夫婦の実例」

-『聖書―神の言葉、それとも人間の言葉?』(1989年)第12章「高い知恵の源」26節より-

 「聖書の助言が実際に役立つことは,南太平洋地域から寄せられた次の経験にも見られます。ある夫婦は,10年間共に生活した後,自分たちの結婚は失敗であったと思うようになりました。それで,二人は別居の用意を始めました。その時に,妻はひとりのエホバの証人と話すことができ,結婚した夫婦に対する聖書の助言をその証人と一緒に研究しました。夫はこのように報告しています。「妻は聖書の原則を学ぶにつれ,それを自分の生活に当てはめる努力をするようになりました。数週間のうちに幾らか変化が認められるようになりました」。興味をそそられた夫は,妻のその聖書研究に自分も加わることに同意し,結婚した男子に対する聖書の助言を学ぶようになりました。その結果ですか。『今,私たちは真に幸福な家族生活のための基盤を見つけました』と夫は語っています。」

-『わたしたちの王国宣教』1999年5月号2ページ3節 「家族生活の改善」より-

「10年間の結婚生活ののち別れることに決めたある夫婦の場合もそうでした。しかし,その妻が聖書研究を始め,結婚生活に関する聖書の原則を学びました。妻が聖書の原則を当てはめてゆくにつれ,夫は妻が変化してゆくのにすぐに気づき,自分も研究に加わりました。「真に幸福な家庭生活を送るための基盤を見つけた」と夫は後に語っています。」

(サイト作成者注:これら二つの「経験談」は、内容が酷似しているため同じ夫婦による経験であると強く推認されます。このように、地球上のどこかに「実在している」との情報しか示されていない夫婦が、特に具体的根拠を示すことなく、極めて抽象的に語った「エホバの証人教理のおかげで自分たちは幸せになった」という結論部分のみの言葉が、10年や20年経た後も繰り返し使用される例はエホバの証人の教育において多く見られます。これら「経験談」を無批判に鵜呑みにするよう巧みに勧められるため、エホバの証人信者全体の間に「エホバの証人教理のおかげで夫婦は幸せになる」という根拠のないイメージが強く印象付けられる結果となっていると考えられるのではないでしょうか。)

-『目ざめよ!』1971年9月8日号8ページ-
チリに住むある主婦は,3人の子どもを持っているうえに,アルコール中毒の夫をかかえていました。夫は大酒が原因でよい仕事を失い,家族は貧民街に移転しなければなりませんでした。父親がアルコールに多くのお金を費やすので,子どもたちは食うや食わずの状態に置かれ,妻は家族を養うために働かねばなりませんでした。彼女はまた不愉快な態度を示し,夫と言い争ったり,夫に向かって金切り声をたてたりしました。
ところが,あるエホバの証人がその婦人を訪問しました。彼女は聖書に指摘されている人間に対する神の目的を学ぶことに興味をもつようになりました。また,クリスチャンの妻は夫に対して,アルコール中毒の夫に対してさえ,どのようにふるまうべきであるかを学びはじめました。知識が進むにつれて彼女は,夫を助けることができるより良い妻になれますようにと神に祈るようになりました。彼女の態度や行ないの変わりように夫は感心させられました。彼は酒を飲む量を減らしはじめました。そしてついに完全に酒を断ち,『飲み仲間』といっしょに飲み騒ぐこともやめました。彼はふたたび家族を顧みはじめ,お金を賢明に使うようになりました。家族の一致が取り戻されました。夫の説明によると,彼を正気に戻らせたのは,妻が聖書研究をはじめてから良いほうに大きく変化したのを見たことでした。泥酔していても,以前よりも親切に,思いやりをもって自分を扱ってくれることに彼は気づきました。最後に彼も同様な聖書の勉強を始め,家族生活に見られはじめたすばらしい向上が続くことを願っています。

-『ものみの塔』96年5月1日号30ページ 「王国宣明者の報告」より
スロベニアの,ある村のはずれに,一組の年配の夫婦が二人だけで住んでいました。夫のヨウザは60歳くらいで,アルコール依存症に関連したひどい問題を抱えていた上に,病身の妻リュードミーラの世話をしていました。ある日ヨウザのところに二人の王国宣明者がやって来ました。二人はヨウザに勧められて家の中へ入り,ヨウザの妻に会いました。王国の音信を聞いて,リュードミーラのほほには喜びの涙がとめどなく流れました。ヨウザもその音信を聞いて喜び,いろいろと質問しました。証人たちはその夫婦に聖書文書を何冊か配布して立ち去りました。
霊的な真理に対するヨウザの渇きはいやされていました。しかし,残念ながらヨウザには別のものに対する渇望がありました。18年ほどの間,ぶどう酒を毎日10㍑ぐらい消費していたのです。ヨウザは飲酒の問題があったので,自分の外見にあまり注意を払っていませんでした。しかし,アルコールの乱用に関する神の見方を学んだヨウザは,変化することを決意しました。毎日飲む量を記録して,徐々に飲酒の問題を克服するよう努力したのです。まもなくぶどう酒のとりこではなくなりました。聖書研究を通して,真のクリスチャンは身体を清潔にしておかなければならないことも学びました。それでヨウザはお金を証人たちに渡して,「クリスチャンの集会や野外奉仕で見苦しくないようにするために必要な衣類を何でも買ってきてください」と言いました。証人たちは,下着,くつ下,くつ,ワイシャツ,スーツ,ネクタイ,書類かばんを持って戻りました。ヨウザとリュードミーラは1年間聖書を学んだ後,証人たちと一緒に家から家の伝道の業を行なう資格を得ました。それから3か月後,二人はエホバの証人の地域大会で神への献身の象徴として水のバプテスマを受けました。この謙遜な男性とその妻の生活にもたらされた好ましい結果は,神の言葉には人を変化させる力があることを証明しています。

『ものみの塔』91年1月1日号より
オーストラリアからの報告を見ると分かる通り,聖書の真理は人格を変化させることができます。1987年1月の初め,ある男の人が,強盗と文書偽造の罪で25か月の懲役刑に服したあと,オーストラリアからニュージーランドへ移送されました。この人は麻薬中毒にかかっていただけでなく,17年以上も麻薬の売人をしていました。その翌年,その人の妻がエホバの証人と聖書を研究し始めました。夫は妻の知識が増すにつれ,妻の行状が大きく変化してゆくことに気づきました。彼女は以前よりも良い妻,良い母になりました。夫は妻の勧めで1989年6月の巡回大会に出席し,家庭聖書研究にも応じて,外見や生き方に大きな変化が見られるようになりました。7人の家族全員が集会に出席し始め,その男の人はエフェソス 4章17節から24節にあるパウロの優れた諭しに従ってきた者として,1990年1月にバプテスマを受けました。

ー『ものみの塔』01年2月1日6ページよりー
ジェーンという若い女性は,現実から逃避しようとして,マリファナ,たばこ,コカイン,アンフェタミン,LSDその他の麻薬を常習的に使用していました。酒にもおぼれていました。ジェーンによれば,夫も同じような状態だったということです。二人の将来の見通しは暗たんたるものでした。そのような時に,ジェーンはエホバの証人と接し,クリスチャンの集会に出席して,「ものみの塔」誌と姉妹誌の「目ざめよ!」誌を読むようになりました。夫もそれに加わり,二人で一緒にエホバの証人と聖書を研究し始めました。エホバの高い規準に関する認識を深めた二人は,薬物乱用と手を切りました。その結果どうなったでしょうか。数年後にジェーンはこう書いています。「生活が新しくなって,深い喜びを味わっています。人を清める神の言葉の力と,自由で健康的な生活を送れるようになったことを,エホバに心から感謝しています」。

(サイト作成者注:後に示したこれらの「経験談」も、エホバの証人の用いる経験の典型例であるように思われます。単に名前のみの情報しか示されていない「実在する」とされる人物が、「エホバの証人教理を受け入れることで夫婦生活を幸福なものにした」との単純で端的な結論だけが強く示されます。多くの場合、これらの「出来事」はどこか外国で起きており、しばしば暴力や薬物乱用など極端な問題を克服したという点がことさらに強調されます。)