2005年8月17日
エホバの証人のでき方⑧
エホバの証人の人たちからみたエホバの証人組織のでき方の説明としては、「エホバの証人のでき方 その④~⑥」に書いたような感じでわりと十分かな?という気がするんですが、どうなんでしょう。
(^∀^)
つまり要約すると、 ① 聖書をガッツリ読むと1914年がキリストの再臨の年ってわかるし、
② エホ証組織はその年の前後に発生・発展し、しかもその年の特殊性を事前にふれ告げていたし、
③ その年代以降エホバの証人は、聖書の真理を正確に理解できるという点と、世界中で増え続けているという2つの点で、神に是認されてるし。
ていうワケで、エホバの証人は現代の唯一の神の組織だし、この組織に所属しその指示に従順にしないと、「邪悪な世代」の一人として近いうちに滅ぼされてしまうぞ、ということなんだと思います。
さてでわ、どせいさんが、こういうハナシを改めて細かく説明されたらどう感じるか、てことなんですが。
このエホバの証人サイドからの説明を、ドップリ善意で時間かけて丁寧に聞くと、かなり納得がいくんですよね。
相当説得力があるとオモイマス。
特に、どんな質問をしても、必ず聖書に関連づけた答えが帰ってくるということに関心します。
(^∀^)うん、うん
(一応言っておきますが、そこら辺の、教理全然わからずにノリとか人間関係でエホ証やってるようなインチキ開拓者おねーちゃんみたいな姉妹とかに聞いてもダメなんですよ。例の元特開の、すごい認識あっていれこんでるような兄弟とかに、誠実に尋ねるとそう感じるってことです。)
エホバの証人教理って、複雑だけどかなり緻密で、論理矛盾とかほとんどないように思いますね。お見事な論理構成ではないかと。
ちなみに、エホバの証人問題の専門家っていう教会の牧師さん何人かが、エホバの証人教理の「ここもここもここも間違ってる」って指摘してるのを直接聞いたことあったけど、どせいさんは正直そういう話をされてもあまりピンとこない気がする。なんか、そういう細かい聖書解釈の話ってどっちが正しいかなんて証明不可能な気がするし、ぶっちゃけエホバの証人の理論はかなりうまく完結してるから、むしろ好みでいったらエホバの証人の教えや組織のほうがずっといい気がしちゃう。
(^∀^;)キャー、ごめんなさい
あとはね、やっぱりエホバの証人の人の話って、夢があるし、聞いてて面白いですよ。
世の中には本当に神様いて、
実はかなり短い期間の間に悪魔と勝負してて、
だから私らの人生も神様と悪魔の闘いに関係してて、
しかもそのクライマックスが、この現代に起こるぞ、
なんてね。ワクワクする。
ただですね。
じゃあ、世の中のまともで誠実な人が、みんながみんなエホバの証人教理をきちんと聞いたら、集会に出てバプテスマ受けて、王国第一の生活をするようになってゆくのかっていうと、そうではないと思うんですよね。
本当にそうかどうか。
確認する必要が。
あると思うのは。
当然のことではないかと。
思うのですがイカガデショウ。
(^∀^;)
やっぱり対価として出てゆくものが大きければ大きいほど、何か決定する前によくよく確認するのは常識ですよね。
ガリガリ君買うのかピノにするのかくらいなら、な~んも考えなくてもいいけど、たとえば中古車買うとか、家買うとか、対価がでかい場合は必ず自分の目で確かめないと、誰も代わりに責任とってはくれないですからね。
ちなみにどせいさんはあんまり宗教とか信じてないことは前も書きました。どせいさんが信じるものは、資本主義体制下での市場原理とか、立憲民主主義とか、先進自由主義諸国で普遍のものとみなされてる原理です。この点でどせいさんは、多くの良識ある一般の日本人と同じ感覚を有してると思っています。
そして、そんなどせいさんが価値あるものと考えるのは、
① 命と健康
② 社会的地位
③ 財産
ですかね。それを持ってるかどうかは全く別として。
社会的地位や財産を重視するというのは、エホバの証人の人的にはやや抵抗ありかもしれませんが、この3つが人間に不可欠だというのも、やはり先進諸国では普遍の原理とみなされていると思います。人であれば誰でも保障されるべき大切な権利を「人権」として明記してる本を「憲法」といいますが、どこの国の憲法でも、大抵、生命権・人格権・財産権は保障されてるんじゃないですかね。アメリカの憲法に出てくるライフ・リバティ・プロパティってやつです。人が人であるためにはこれが不可欠だというのは、世界中のコンセンサスなわけですよ。
でですね、偶然なのかなんなのかよく知らないけど、エホバの証人になるってことは、この3つ全部を対価として支払うってことになるんですね、実際の話。( ̄∇ ̄;)
①についていうとね、もちろんエホバの証人の人たちが命大切にしてるってことは知ってますよ。でもね、たとえば、急にエホバの証人活動が政府に禁止されて、エホバの証人やめないと死刑って言われたら、エホバの証人であり続けることと命とどっちとるかといわれたら、命を対価にエホバの証人であり続けることを選ばなくてはいけないというのが、教えなわけですよね。そしてこれってかなり真剣な話なわけですよ、実際、命を落とすことになっても輸血しないでくださいっていって亡くなって言ったエホバの証人の人も現実にいるわけですから。冗談抜きでエホバの証人になるってことは命を対価にしてもいい覚悟でやらないといけないわけですよね。
②についてもね、個人の良心がどうとかってなると少し焦点ボケるけど、本当に純粋に全てを捧げたエホバの証人になること考えたら、大学教育や、フルタイムの仕事は避けるべきってことになるわけですよね。だってイエスが地上にいたらやっぱり大学いったり正社員になったりしないで奉仕すると思うし。
③についてもまあ同じですよね、イエスだったら株券持ったり家建てたりするお金あったら寄付してあとは奉仕するだろうから、キチンとしたエホバの証人をやってくなら、やはり蓄財とかはすべきではないってことになりますよね。
さて、要は何が言いたいかというと、さっき言ったように、物事の決定をするときって、支払う対価が大きければ大きいほど、事前の確認をきちんとすべきなんですよね。
そして、エホバの証人になるってことは、生命・社会的地位・財産っていう、人間にとってもっとも大切なもの全てを対価にするってことなんですよね。
つまりそれほど大切なものを全て犠牲にする可能性があることならば、それだけキチンと確認するべきなんですよね。
多くのエホバの証人の人たちは、そういう認識の下にそこまでの確認をしてるのかな?
「最善の生き方をお伝えしますよ」って、家から家に回ったり、各家庭に招かれてエホバの証人の教理を教えてるときに、そこまでの犠牲を払うことを勧めることができるほどに、本当に自分自身が確認したのかな?
長々と書きましたが、
キチンとした日本人としての発想からいくと、エホバの証人のでき方について考えるときは、そこまで突き詰めて本腰で考えないといけないという意識をどせいさんはもっていますよ、てことね☆
そういう意識の下に、実際具体的にどう考えるのかの説明についてはまた次回。
前置き長くてごめんなさい。(>∀<;)