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「エホバの証人」についての情報サイト

2009年5月16日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察⑥

②東京地方裁判所平成9年10月23日判決
(「エホバの証人」を信仰する妻に対する夫からの離婚請求が認容された事例)

■裁判時の夫婦の状況:

結婚25年目で、長女23歳・二女21歳・三女19歳がいる。
結婚11年目に妻がバプテスマを受け、子供たちも次々に入信。

■裁判所の認定した事実:

(1)夫と妻は、婚姻以後、三人の子供をもうけ、円満な家庭生活を営んでいた。
(2)夫の母の家では、代々、神道を信仰してきたため、夫と妻は、婚姻時に夫の母の家から神棚をもらい、これを自宅に祀ってきた。妻は、昭和五八年夏、エホバの証人のバプテスマを受け、その信仰を続けている。そうしたことから、妻は、自宅に神棚を祀ることを止め、夫に相談することなくこれを仕舞い込んだ。
(3)昭和六〇年頃、夫は、エホバの証人の信者による輸血拒否事件の報道を契機として、妻のエホバの証人に対する信仰が篤いものであることを知った。また、その後、妻が神棚を夫の母に返還したことから、夫の母がこれに激怒し、妻が夫の母宅に出入りすることが禁じられるに至った。
 その際には、夫は、夫の母から、妻と離婚するか財産の相続を放棄するかの選択を迫られたが、その当時は、いずれ妻も改心するものと考え、夫の母に対して後者を選択する旨の書面を差し入れた。
(4)妻は、子供たちをエホバの証人の集会等に同行するなどし、長女は中学二年の時に、二女は高校二年の時に、三女は中学二年の時に、それぞれエホバの証人に入信するに至った。
(5)夫は、その間、夫の母の強い意向を受け、また、エホバの証人に対する世間の批判的意見を耳にする中で、妻子らに対し、エホバの証人を信仰することについて反対するようになり、家族でクリスマス等を祝うことができないことについても不満を持つようになった。
(6)妻は、前記入信後、集会について、週三回、月曜日の午後九時三〇分から一一時三〇分まで、火曜日の午後七時三〇分から八時三〇分まで、木曜日の午後七時から八時四五分まで参加するほか、月に一、二時間程度奉仕活動を行ってきている。
 妻は、夫の帰宅時刻にあわせて集会への参加時間を調整したり、また、参加自体を見合わせることにしたりして、夫が自宅で夕食を取るのに不便がないように心掛けており、その間には夫らと家族旅行をすることもあった。もっとも、夫は、被告らがエホバの証人の信仰を止めないことから、昭和六一年二月頃から半年間ぐらい、妻子らとは一緒に食事を取らないこともあった。
(7)夫の父が平成六年に死亡したが、その際、夫は、妻が神式による葬儀に出席した場合に予想される親族とのトラブルを恐れ、その出席を予め拒否したため、妻はこれに出席しなかった。
(8)夫は、その後、妻に対して強く離婚を求めるようになった。夫は、平成元年九月から平成七年一〇月頃まで単身赴任をしていたが、妻は、夫と離婚問題について話し合った際、夫の立場を慮り、三女が高校を卒業する二年後において離婚することをいったん了承した。しかし、妻は精神面及び経済面からみてやはり夫と離婚することはできないものと考え、その後夫に対し、離婚の了承を撤回する旨伝えた。
(9)夫は、東京家庭裁判所に対して調停を申し立てたが、離婚についての合意は成立せず、当分の間別居すること及び婚姻費用の分担等について合意するだけにとどまった。そのため、夫は、同年一二月一五日、夫の母宅に引っ越し、それ以降被告らと別居し、平成八年二月、前記離婚訴訟を提起した。
(10)以上のような経緯をたどる中で、夫は、妻がエホバの証人の教義を信仰した上で、他の宗教を否定し、神道による儀式になじまず、ハルマゲドンを信じ、進化論や輸血を否定する旨の発言を続け、夫に同調する様子を示さなかったことから、それまでは妻の改心に期待を寄せてはいたものの、現在では、妻のそのような考え方と態度に絶望するとともに、子供たちも妻と同様の考えでいるため、もはや意思の疎通は不可能であるとして、離婚を強く望むに至っている。
(11)一方、妻は、エホバの証人の信仰を止めることはできないとしながらも、夫との婚姻生活を継続することを希望しており、今後は夫の生活に迷惑がかからないように宗教的活動を控えるつもりでいるから、夫も宗教的寛容さを備えるべきである旨述べている。

■裁判所の判断:

○夫と妻間の婚姻関係破綻の有無について検討する。

 夫婦間においても、個人の信教の自由が保障されるべきことは当然のことであるが、その一方で、夫婦は、相互の協力によって共同生活を維持していくべき義務を負っている(民法七五二条)。
 右の観点から本件をみると、妻の信仰をめぐる夫と妻間の争いは既に一〇数年に及び、その間、夫は、当初においてはもっぱらその両親との関わりにおいて妻の信仰を嫌悪し、その信仰を止めさせようと働き掛けてきたものであったが、それにもかかわらず妻が右信仰については譲らず、夫の側に歩み寄って来ないため、前記認定のようなエホバの証人の教義を正当なものとして信奉する妻に対して、自らも次第に強い反発と不信感を抱くようになるとともに、子供たち三人とも妻と同じ考えでいるために絶望感を抱くに至っており、そのため、夫と妻の対立ないし考え方の相異は既に相当深刻なものとなっているところ、妻においては、夫に対しては宗教的寛容さを求めながら、夫と折り合っていくために自らの信仰を変えるというようなことはできないとしているのである
 以上のところによると、妻はエホバの証人の信仰を絶ち難いものとしているのに対し、夫は、現在では、右信仰を変えない妻との間で婚姻生活を継続していくことは到底不可能であると考えており、そのような夫婦間の亀裂や対立は既に一〇数年にわたって継続されてきたものであり、これまでにも何度となく話合いがもたれ、その間、妻においてもいったんは夫との離婚を了承したこともあったことなどの経緯に照らすと、今後、どちらか一方が共同生活維持のため、相手方のために譲歩するというようなことは期待できないものといわざるを得ないのであって、夫と妻間の婚姻関係はもはや継続し難いまでに破綻しているものと認めるのが相当である。
 妻は、宗教的寛容さに欠ける夫こそが有責配偶者である旨主張する。しかし、本件においては、前記判示のとおり、妻がエホバの証人に入信して以降、夫と妻双方ともに相手方の信仰や立場に対して互いに歩み寄ろうとせず、婚姻生活を円満なものにするための譲歩をしようとしないため、その結果として婚姻関係が破綻するに至ったものであるから、右破綻の原因を夫にのみ負わせることはできないというべきである。
 この点について、妻は、夫の離婚請求の実質は、妻に対し、離婚に応ずるか、それともエホバの証人の信仰を捨てて婚姻を継続するかの選択を迫るものであり、妻の信教の自由を犯して服従を迫るものであると主張する。しかし、本件のように、夫と妻双方がそれぞれ信仰の点を含め自己の考え方に固執し、譲歩の余地を認め得ないような場合にあっては、右離婚請求を排斥して、夫に対して妻との婚姻生活を継続させるとすることは、今度は、夫について自己の信仰しない宗教との同調を求めることになるものであって、相当とは解されない
 結局、こうした根源的な問題についての対立が今後とも解消し得ないものと認められる結果、それはどちらの側が悪いというようなものではないのであり、夫のみが宗教的寛容さを欠いた有責者であると断ずることはできないというべきである。
 そうすると、本件には民法七七〇条一項五号所定の離婚原因があり、夫の本件離婚請求は理由があるというべきである。

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■サイト作成者のコメント

①本件においても、エホバの証人側から「夫の不寛容さが夫婦関係崩壊の原因である」との主張がなされており、裁判所はこの主張を明確に排斥しています。
②この裁判において夫は、財産分与について繰り返し寛大な姿勢を示しており、判決まで毎月二〇数万円もの婚姻費用の負担を継続してきていたため、裁判所は「夫が将来においても妻や子供たちに対する経済面での援助を惜しむことはないものと考えられる」との判断も示しました。
 おそらく夫は、父として、また夫としての自分の責任を果たそうとする立派な家族の頭だったのではないでしょうか。妻がエホバの証人に入信することさえなければ、この立派な父親と妻、三姉妹の娘の幸福な家庭が崩壊することはなかったかもしれません。
 裁判所は、妻と娘三人が入信したことで、父親が「絶望感を抱いている」旨を指摘しています。将来の幸福を願った三姉妹の娘全員が、信者以外との恋愛・結婚が禁じられ、生涯独身を通すことや子供を儲けないことが強く奨励され、まもなくこの世は終わるとの強い思想に支配され経済的にもギリギリの生活を送ることが強く勧められるこの宗教に入ってしまったことを考えると、この夫の「絶望感」がいかほどであるか、容易に想像がつくように思われます。

2009年5月18日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察⑦

③東京高等裁判所平成2年4月25日判決
(妻の宗教活動により夫婦関係が悪化し婚姻関係が破綻した場合においてその責任は夫と妻の双方にあるとして夫の離婚請求が認容された事例)

■裁判時の夫婦の状況:

結婚20年目で18歳の長女・15歳の長男・5歳の二女あり。

■裁判所の認定した事実:
 
 妻は、長女がかつて傷害を負い、後遺症が残ったため、同女の治療や養育に悩み、昭和五一年ころからキリスト教の一派である「エホバの証人」主催の「聖書の勉強会」に参加するようになった。
 妻の信教状況は、当初の二年間は、「エホバの証人」の関係者に週に一度一時間位自宅に来てもらって聖書の話を聞く程度であり、夫もこのことを許し、外で集会があるときは、自己の自動車で妻を送るなどしていたが、妻は、昭和五三年ころから「エホバの証人」の熱心な信者となり、定期的に集会に参加するようになった。集会の時間は、火曜日は午後七時から同八時まで、木曜日は午後六時半から同八時半まで、日曜日は、午前九時半から同一一時半まで(当初は午後二時から同四時まで)であった。また、妻は、そのころから、昼間も伝導活動に従事するようになった。妻は、夫が仕事から帰宅しても家におらず、夕食が冷えたまま用意されていることもあった。
 夫は、昭和五四年ころに至って、妻の信仰している宗教が「エホバの証人」であることを知った。そして、書物等から「エホバの証人」は、正月、雛祭等の風俗的習慣による行事や葬儀の際の焼香等を行ってはならないこと、政治との関わり合いをもってはならず選挙権を行使してもならないこと、格闘技をしてはならず、子供は運動会の騎馬戦にも参加してはならないこと、輸血は罪悪であり、事故等により輸血が必要になってもこれを拒否しなければならないこと等の独特の教義をもっていることを知り、また、妻が、前記集会への出席、伝導活動等で家を明けることが多かったこともあって、妻に対し、「エホバの証人」を信仰するのを止め、集会等への出席も止めるよう説得するに至ったが、妻は、この説得を全く聞き入れようとはせず、逆に夫に対し右宗教への入信を勧めるなどした。
 夫は、妻がエホバの証人の集会に参加したり、伝導活動をしたりするのを止めさせるため、妻の父親や仲人等に依頼して妻を説得してもらい、また、昭和五七年九月には、地方に在住する夫の両親や妻の父をも東京都内に招き、同人らを交えて妻と協議をしたが、妻は、宗教活動を止めたり、これを自粛したりすることを拒否し続けた。
 妻は、昭和五三年ころから集会や伝導活動に長男、長女を連れて行くようになっていたが、夫が妻の宗教活動に反対し、子供らを宗教活動に連れていくことを止めるよう説得するようになってからも、その反対、説得を無視して子供らを集会や伝導活動に参加させていた。
 その間、夫の父が、昭和五九年死去し、その葬儀が行われた際にも、妻は二女を妊娠しているという理由で出席せず、長女も出席を拒否し、長男だけが出席して周囲の勧めで焼香したが、妻は、これを夫の強制によるものと考えて快く思わなかった。さらに、妻は、夫の父の一周忌にも特段の理由なく出席せず、長女も出席を拒否し、長男一郎のみが出席したが、焼香は拒否するに至った。
 夫は、昭和五〇年に同人の姉が肺結核になり、昭和五三年に同人の父が脳血栓で倒れたころから、酒をよく飲むようになったが、妻が「エホバの証人」に入信したことを知ってからは、強度の困惑と不安を覚え、酒で気を紛らわし、かつ、酔ったあげく妻に対し辛く当たることが多くなった。妻は、これに対し、夫がアルコール依存症にかかり、そのため精神的に不安定な状態になっているとして、昭和六〇年ころから、精神科医に相談したり、夫を精神科医に連れて行って診断を受けさせたり、夫の上司に相談したりしたが、夫は、妻のこのような態度は夫をないがしろにするものであると考え、妻に対しますます嫌悪感をつのらせていった。
 妻は、昭和五九年に二女を妊娠したところ、夫は、夫婦関係が既に破綻していることを理由にその出産に反対したが、妻は、これに従わず、昭和六〇年に出産した。
 夫は、妻が前記のとおり夫の気持ちを無視して宗教活動を続けることに怒りを爆発させて、昭和六〇年三月ころ及び同年六月ころの二回にわたり、妻の家計簿を破ったり、二女のおむつを風呂桶に投げ込んだり、二女の布団やコンビラックに「殺人宗教エホバ」、「自分の子供も殺しますエホバ」、「邪宗エホバの証人」等と落書きしたり、さらに金属バットで二女のべビーベッドやコンビラックを壊したりしたことがあった。
 妻は、昭和六〇年九月には、「エホバの証人」において、年間一〇〇〇時間、月九〇時間の奉仕活動を行う「全時間奉仕者」となり、以来、宗教活動に没頭している。また、長女、長男をも積極的に集会に参加させ、現在では両名とも「エホバの証人」の熱心な信者となるに至っている。さらに妻は、二女に対しても、幼い時から聖書を読むべきであるとして聖書を与え、これを読ませている。
 夫は、昭和六〇年の初めころから自宅の二階で家族とは独立した生活をするようになり、夫婦の家庭内別居の状態が始まった。さらに昭和六一年四月には、夫が自宅を出てアパートで生活するようになり、妻及び三名の子供らとは全く別居するに至った。
 夫は、昭和五九年に東京地方裁判所八王子支部に離婚の調停を申し立て、期日が五回にわたって開かれたが、同年一〇月右調停は不調のまま終了した。また、夫は、昭和六二年二月にも再度右支部に離婚の調鄲を申し立て、期日が二回開かれたが、同年三月調停不成立により終了した。
 以上の次第で、夫は、妻が宗教にのめり込み家庭生活をないがしろにしたとして、妻及びその宗教活動を嫌悪し、さらに現在では、妻が今後宗教活動を止めても同人と再び同居する気持ちはないと述べるばかりか、子供らと一緒に生活する気持ちをも失っている。これに対し、妻は、現在では、離婚する気持ちは全くなく、夫が帰ってくるのをいつまでも待っているとし、また、夫が「エホバの証人」を嫌悪するのは、同人がその教義を正しく理解しておらず、かつ、アルコール依存症により精神状態が不安定になっているためであると考え、将来夫が「エホバの証人」を正しく理解するようになれば、夫との正常な婚姻生活を続けることができるものと考えている。しかし、夫のために、自己の宗教活動を自粛する考えは全くもっていない

■裁判所の判断:

○以上に認定の事実関係に基づき、夫と妻との間の婚姻関係が破綻しているか否かについて判断する。

 前記認定の事実によれば、夫は、妻が「エホバの証人」に入信していることを知った後は、妻及びその宗教活動を強く嫌悪し、妻に対し宗教活動を止めるよう説得したが、これが受け入れられないばかりか、子供たちまでも宗教活動に参加するようになり、妻に同調する立場をとるに至ったこともあって、家庭内でますます孤立し、その結果、飲酒にふけったり、落書きや器物破損に及んだりした上、遂には自ら家を出て別居するに至っている。これに対し、妻は、宗教活動に参加することによって家族の夕食を作る等の家事までないがしろにすることはなかったものの、夫が妻及びその宗教活動を嫌悪していることについては、単に夫が「エホバの証人」を正しく理解しないためであるとして、逆に入信を勧めることはあっても、夫の気持ちを思いやって宗教活動を自粛する等の努力をすることはせず、むしろ、夫の反対を押し切って子供らをも積極的に宗教活動に参加させており、そのことが、夫の気持をますます妻や家庭から離れさせる結果を招いている。
 しかも、夫は、前記認定の経過に基づき、自らの意思によって既に長期間別居しており、今後妻が宗教活動を止めても再び夫婦としての共同生活を営む気持ちは完全に喪失したと考えているのに対し、妻は、夫と離婚する気持ちは全くなく、夫が帰ってくるのをいつまでも待っているとはいうものの、夫との共同生活を回復するために、宗教活動を止めるとか自粛する気持は毛頭なく、夫が「エホバの証人」を嫌悪するのは、同人がその教義を正しく理解しておらず、かつ、アルコール依存症により精神状態が不安定になっているためであると考えるなど、夫の考え方とは全く相容れない正反対の考え方をしているから、今後、双方が相手のために自分の考え方や立場を譲り、夫婦としての共同生活を回復する余地は全くないものといわざるを得ない。
 したがって、夫と妻との婚姻関係は、既に完全に破綻しているものと認めるべきである。

○そこでさらに、夫と妻との間の婚姻関係破綻の責任がいずれにあるかについて判断する。

 ところで、信仰の自由は、個人の基本的人権に属する問題であり、夫婦といえどもこれを侵害することは許されない。しかし、夫婦の間では、互いに相手の考え方や立場を尊重して、自己の行為の節度を守り、相協力して、家族間の精神的融和をはかり、夫婦関係を円滑に保つように努力をすべき義務があるのであり、夫婦の一方が自己の信仰の自由のみを強調し、その信仰に基づく宗教活動に専念して、相手の生活や気持ちを全く無視するような態度をとった結果、夫婦関係が悪化し、婚姻関係を継続しがたい状態に立ち至った場合には、その者にも婚姻関係破綻の責任があるとされてもやむを得ないものといわなければならない。
 一方、前記認定の事実によれば、夫は、妻との婚姻生活中、飲酒にふけり、酔余落書きや器物損壊に及んだこと等が認められるが、これらは、婚姻関係破綻の原因というよりは、むしろその結果というべきであり、仮にこれらが婚姻関係破綻の一因となったとしても、これのみでその破綻が生じたものとは解し得ない。また、夫が妻に対し、同人の宗教活動を止めさせようとしたこと自体も、前記認定の事実関係の下においては、それほど非難に値する行為であったということはできない
 むしろ、本件においては、当事者双方が、それぞれ相手方の考え方や立場を無視してかたくなな態度をとり、婚姻関係を円満に継続する努力を怠ったことが婚姻関係破綻の原因であると考えられるから、夫のみに右婚姻関係破綻の責任を負わせることはできず、その責任は夫と妻との双方にあるものといわざるを得ない。
 そうすると、夫の本件離婚の請求は、民法七七〇条一項五号所定の事由に該当し、その理由があるというべきである。そして、前記認定の事実を総合して考えると、夫と妻の間の三名の子の親権者は、いずれも母である妻と定めるのが相当である。

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■サイト作成者のコメント:

①すでに述べたように、エホバの証人はしきりと「この教理を学んだおかげでアルコール依存症を克服し幸福になった夫婦が数多く存在する」と主張しますが、皮肉なことに本件では、裁判所が「エホバの証人教理を学んだがゆえに婚姻関係が破綻し、その結果として配偶者が飲酒にふけるようになった」と認定しています。同種の事例は、おそらく世界中で無数に存在することでしょう。
②本件で裁判所は、「妻は、夫が帰ってくるのをいつまでも待っているとはいうものの、宗教活動を止めるとか自粛する気持は毛頭なく、夫がエホバの証人を嫌悪するのは、同人がその教義を正しく理解していないためであると考えるなど、夫の考え方とは全く相容れない正反対の考え方をしている」旨を端的に指摘しています。
エホバの証人内部では「エホバ(神)は離婚を憎まれる」と教えられ、形式的には「可能な限り離婚はしないように」と教えられています。そして、多くのエホバの証人信者の妻は「自分は妻としての責任を果たしているし、離婚を望んではいない。今でも夫を愛している。」などと述べて自分と自分の宗教教義に酔い、「それなのに関係が破綻しているのはひとえに夫のエホバの証人に対する理解の欠如だ」と考えているような印象を受けます。本件は、まさしくこのような頑なで独りよがりで一方的なエホバの証人サイドの発想こそが、夫婦関係を崩壊させるものだと指摘する裁判例になっています。

2009年5月20日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察⑧

④大分地方裁判所昭和62年1月29日判決

(妻が「エホバの証人」に入信し、その行動や宗教活動が妻としての協力義務に背馳し、その限度を超えるもので、これが婚姻を継続し難い重大な事由に該当するとした事例)

■裁判時の夫婦の状況:

結婚8年目
5歳の息子と3歳の息子あり

■判決内容:

夫と妻とを離婚する。
長男(5歳)の親権者を夫と、二男(3歳)の親権者を妻と、各定める。
訴訟費用は妻の負担とする。

■裁判所の認定した事実:

○ 各証拠によれば、次の事実が認められる。

 夫と妻は、共に同じ会社に勤務していたが、昭和五四年挙式した。二人の間には、昭和五七年長男が、昭和五九年次男がそれぞれ生れた。婚姻当初は、後述の実家の問題を除き、夫婦仲はとりたてて悪くはなかつた。
 夫は、四人兄弟姉妹の長男で、その両親(夫婦の婚姻当時、五二歳と五○歳位)も共に健在であり、将来はこの両親と実家(兼業農家)をみる立場にあつた。そのため、夫は、婚姻前、妻に対し、将来は長男夫婦として実家に帰り両親の面倒を見ること及び母親の身体が弱いので盆や正月などには実家の手伝いをすることを注文し、妻もこれを受け入れていた。
 しかし、婚姻後、二人で度々夫の実家に帰るうち、妻は、夫の父から、長男の嫁として配慮が足りないなどと何度か意見をされるうち、些細なことまで気にするようになつて、実家に帰るのが気重くなり、その両親を嫌うようになつた。妻は、実家に帰るのを嫌がるようになり、また夫に対しても実家に関わり過ぎるとの不満を持つに至つた。他方、夫は、長男として両親に対する責任があつて、妻に対し、時々実家に帰るよう求めるため、このことで二人の間にも波風が立つようになつた。
 そして、昭和五八年正月、夫の父が妻に、長男の嫁だから暮れにはもう少し早く帰つてくるよう強く意見したため、妻が反発して紛糾した。このことがあつて、妻は、その後間もなく夫に離婚を申し出たので仲人を入れて話し合つた。その結果、夫が父親のことを詑び、その間の調整に努力するので二人で一緒に再出発しようと説得したため、妻も了解してこの際はなんとか治まつた。
 そこで、妻は、同年のお盆には夫の実家に帰ることになつたが、再度紛糾し、今度は夫も妻に加わつて、二人で夫の両親と激しい口論となつた。このことがあつて以降、妻はもとよりとして、夫までも妻の気持を考えて一年間実家へ帰らなかつた。
 しかし、夫としては、いつまでも実家を放置できないし帰らねばとの気持ちが強く、妻は反対に二度と帰る気持がなかつたため、段々と互いの溝が深まり、互いに気持が離れて行つた。昭和五九年の暮を迎えて、二人の間の対立も強くなり、遂に、夫も妻に対して、「長男の嫁として夫の実家に帰れ、帰らぬのならば離婚しよう、おまえはその実家に帰れ。」と言い、妻は、「夫の実家には帰らぬ。」と答えるなどしたために再度離婚話となつたが、決着がつかぬまま、夫は長男のみを連れて一年振り実家へ帰り、妻は次男を連れて妻の実家へ帰つた。
 以上の事実が認められ、右事実によれば、夫と妻との間は、昭和五九年の暮の時点においても、ある程度の破綻をしていたものとみられる

○各証拠によれば、更に次の事実が認められる。

 妻は、前段の様な経緯から生じた精神的不安から逃れ、夫婦関係が改善されてはとの動機から、兼ねて実姉が信仰していたキリスト教の一派である「エホバの証人」に関心を抱くようになり、昭和六○年一月ころから、夫には秘したまま、同派の教書を読み、集会にも参加するようになつた。当初は日曜日の午後二時間のみの参加であつたが、一月余り経過したころからは、他の週二日も午後七時過ぎから約一時間余の集会にも参加するようになつた。
 夫は、予ねてから、職場の同僚がその妻のエホバの宗教活動に困惑していたことを見聞し、同宗派を嫌悪していたし、このことは妻にも話したことがあつた。ところが、同年二月ころに妻の入信を知り、妻に「自分がエホバを嫌つていることを知りながら入つたのか。」と言つて責め、辞めるように説得したが、妻は聞きいれなかつた。それで、そのころ、夫、妻、双方の両親、親族及び仲人が集まつて話し合い、夫から妻に、「エホバを辞めるよう、辞めねば離婚する。」旨話したが、妻は辞めるのを拒否した。
 同宗派は、キリスト教宗派のうちでも独特の教義、戒律を持ち、これを厳格に守ろうとするもので、妻も、正月、雛祭、七夕等の日本古来の、現在は風俗的行事と化した風習も、神の教えに反するとして拒絶し一切行わず、また、隣近所の冠婚葬祭の付き合いもしない。子の教育に関しては、武器を持つ職業や公害産業、闘争的スポーツを不当として、子供にはこれらの職業に就かせたり、スポーツをさせない旨日ごろ主張し、日本の政治や現状は狂つているとの認識を持ち、選挙権も信仰上の信念に反するとして一切行使せず、家計や共働きについても宗教第一との考えで、宗教活動を優先させている
 他方、夫においては、夫の家の宗旨は仏教ではあるものの、神仏を崇拝し、日本の風俗風習に疑がはず従い、近所付き合いを疎かにせず、実家や両親を大切にし、日本の政治や現状も肯定すると云う、極く平均的日本人の考え方を持つている。そのために妻の右のような考え方につき我慢できないほどの不満を持つている。
 妻は、日時が経つにつれて、信心に熱心となり宗派の組織との結びつきや宗教活動を強めた。週日の二日の夜の集会も七時過ぎから一○時半過ぎまでの三時間半にも及ぶようになり、更にこれだけでなく、週日三日奉仕活動として一般家庭への伝導活動に従事している。妻は、これらの集会や奉仕活動には幼児二人を連れて行つており、その帰りは冬でも夜一○時を大きく廻つた。夫の帰宅が午後七時過ぎることも多いため、夫の夕食は簡単に準備されて食卓に置かれていることもあるが、夫が帰宅して一人で準備して夕食をとることも度々であつたし、風呂はいつも沸かされてなかつた。夫は妻に、集会等に出かけるのを控えるように度々求めたが、妻は、多く参加するほど霊的に成長するとして耳を貸さず、時に子供が熱を出しても少々のことでは連れて出るし、夫が子供が怪我しているので家へ居てくれと頼んでも、それを押し切つて、怪我した子を夫に預けて集会に出かけた。
 この様な生活を続けるうち、夫も我慢出来ず、熱を出した子を連れ出したことや宗教活動のことで妻を殴つたり、帰宅した妻と子を自宅に入れなかつたりするようになつたために、妻は、実姉の家に行きそこで過ごしたり、何日間か暮らしたこともあつた。そして結局昭和六○年四月ころ、夫は長男を連れて夫の実家へ帰り、妻及び次男と別居するようになつた。
 以後、夫は長男と実家の両親と暮らし、妻は、自宅で、夫からの若干の仕送りとアルバイトの収入で次男と共に生活し、前記同様宗教活動に熱心に従事している。
 その間、夫から調停の申立がなされたが、妻が離婚に反対のため、同年五月二九日不成立で終了している。現在でも、妻は離婚を否定しているが、夫は離婚意思は固く、その夫婦生活に全く自信を失つている。

■裁判所の判断:

 叙上の事実に照らし、本件離婚事由の存否につき判断するに、夫婦間においても信仰や宗教活動の自由が保障されており、これを尊重すべきことはもとよりのことであるが、他方、本件の様な専業の主婦とその夫という夫婦間においては、その妻は、家事労働に従事することは当然として、加えて、夫と共に配偶者や家族全体が平穏に安心した家庭生活が出来るように精神的融和を図り、更には親族、知人、近隣の人達との付き合いを円滑にするように努めるべき、いわゆる夫婦間の協力義務を負うのである。従つて、宗教活動等も右協力義務により、自ら一定の限度が存するもので、その限度を超えるような宗教活動等を行い、夫や家庭を顧みない場合には、右協力義務の観点から、夫婦関係を継続し難い重大な事由が存すると解するを相当とする。
 そうして、本件においては、前記一に認定の事実によつても、夫と妻との夫婦関係は或る程度の破綻が生じていたところに、更に前記に認定のとおり、妻の信仰、これに根づく行動や宗教活動等破綻状態を決定づける事情が加わつたものである。これらの活動等は、もはや夫の妻としての協力義務に背馳し、その限度を超えるものであり、夫や家庭よりも宗教活動を第一義的に考え最優先させようとするものである。しかも、妻は信仰を絶ち難く、宗教活動を中止する意思は全く伺われない。他方、夫にとつては、妻の信仰の対象を嫌悪し、その宗教活動を不愉快と感じているのであるから、妻との夫婦生活が精神的に絶え難いことは明白であり、夫にとつては、妻が右信仰を辞めることが婚姻生活を継続するための必須の条件である。これらの状況に照らすとき、夫と妻との婚姻は、もはや継続し難い程度に破綻しているものと認めるのが相当である。
 尤も、妻は、本人尋問で、「夫を愛している、エホバを学んで夫への愛情は一層強まつた、努力すれば一緒に暮らせる、夫に従う、夫の実家で生活してもよい。」等と供述しているが、夫、妻各本人尋問の結果によれば、妻は、右信仰は堅持し、奉仕活動等宗教活動は、夫に嫌われても続けるといい、全ての行動はまずもつて神の教えに従つて行うという信念は変わらず、これらの点での妥協の意思は全くないこと、離婚に反対するのも教義がこれを禁じているからであり、神が夫を愛しそれに従えと教えるので、愛している等述べるもので、それは表層的、観念的なものに過ぎないものではないかとの疑を払拭できず、妻の前記供述は現実的なもの、又は実践可能なこととは到底考えられず、夫、妻の婚姻の破綻を左右するまでには至らないものと考えられる。
 叙上の認定によれば、本件離婚は破綻していてこれを継続し難い事由があるから、夫が妻に対して求める本訴請求のうち、離婚を求める部分は理由があるから認容する。また、前記認定の事実関係のもとでは、夫、妻間の子のうち長男一郎の親権者には夫を、次男次郎のそれには妻を、それぞれ指定するのが相当と認める。
 よつて、訴訟費用につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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■サイト作成者のコメント:

①エホバの証人は、危機に瀕していた夫婦が入信を機にその関係を劇的に修復することがあるという点を、ことさらに強調することがあります。本裁判例は、この主張とは正反対に、もともと夫婦間に破綻の火種があったところ、妻がエホバの証人に入信することでこれが悪化し、決定的に破綻するに至ったケースといえるでしょう。
本件の妻がエホバの証人信者になった動機も、「夫婦関係が改善される」との期待からであったことが示されていますが、かかる妻の願いとは正反対の結果がエホバの証人教理によりもたらされることとなっています。エホバの証人側の主張とは裏腹な結果がもたらされるこうしたケースは、やはり世界中に無数に存在するのではないでしょうか。
②本件でも裁判所は、「妻は夫を愛している、夫に従う」等と口では述べるものの、教義が離婚を禁ずるので離婚しようとしないだけであり、また、神が夫を愛しそれに従えと教えるので、愛している等述べるだけであるとの疑いがある旨を端的に指摘しています。
 エホバの証人の教える「家庭での愛」なるもの、また「離婚を避けなさい」との教えががいかに形式的で虚しいものであるか、そしていかに配偶者を落胆させる利己的な教えであるかという点が実に的確に汲み取られた判決ではないでしょうか。

2009年12月9日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察⑨

第3 妻を説得するべきか

さて、これまで見てきたようなエホバの証人組織が夫婦関係にもたらす影響・子供の人生にもたらす影響、そして何よりもエホバの証人という宗教組織の実態・本質を考えると、夫が信者である妻に対してエホバの証人を辞めるように説得することを真剣に考え始めたとしても無理のないことであり、むしろ自然なことであるように思われます。

そこで、そもそもエホバの証人を辞めるよう妻を説得すべきであるか否か、仮に説得をするとした場合にどのような点に留意してそれを行うべきであるのかという点について少し考えてみたいと思います。

1.前提

この点を考える前に、まずひとつの重要な前提を確認しておく必要があるのではないかと思われます。その「前提」とは、「妻がエホバの証人に入信したのには必ず何らかの理由がある」という点です。多くの場合その「理由」というのは、家庭で満たされないものを求めて入信した、というものであるようです。

この宗教の特徴として、夫婦のうち妻だけが入信し、やがて妻が子供を入信させるというパターンが非常に多いという点はすでに指摘のとおりですが、夫に社会的地位があり、仕事が忙しくて家庭を顧みないために、空虚感を満たすために妻が入信したというケースはとても多いように見受けられます。

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夫が毎日毎日家を留守にしているという状況の中で、エホバの証人信者に家に訪ねてこられ、「幸福な家庭の秘訣を知りたいと思いませんか」と勧められたり、或いは裁判例のケース③の母親のように、子育てに悩み一人で孤立しているところに「誰しもが子育ての方法について悩むと思うのですが、世界のベストセラーである聖書の述べる指針を少し見てみませんか」などと勧められることにより、この教理に関心を持つようになるわけです。

そして、エホバの証人の集会に行ってみると、はじめのうちは「ラブシャワー」と呼ばれる大歓迎を受け、一つ一つの行動を全面肯定されることとなります。そこには似たような状況の「仲間」も多くいます。つまり、妻が本質的に求めていながらも夫がそれを満たすことが出来ないでいた欲求を、この組織が表面的に提供してくれるわけです。

やがて、この宗教は妻の生活や考え方そのものを支配するようになり、しかもその宗教教育は、週2回、3回のペースで5年、10年、20年と継続的に与えられます。

したがって、この生活や考え方を支配しつくしている宗教から脱却させるには、それ相応の努力と時間が必要でしょうし、仮にこの宗教から脱却させたとしても、当然に妻の心と生活には、いままでこの宗教が入り込んでいた分の大きな穴がポッカリと開くこととなります。その開いた穴については、いまや夫自身が代わりとなるものをきちんと提供してゆくべきなのであって、それが出来ないということであれば、妻の心と生活から、この宗教を無理やりに引っぺがすということをすることは妻のためにはならず、そのようなことをする資格もまた夫にはないというべきなのかもしれません。

2. 説得の方法

では、もしも夫が妻を説得することを決意した場合、どのような方法でこれを行うべきなのでしょうか。

端的に言って、「太陽と北風」の話を思いに留め、「太陽方式」を採るということが、成功の秘訣であるように思われます。

(1)北風方式の弊害

ア. まず「北風方式」、すなわち強硬な姿勢で妻の宗教活動に反対し、無理やりに辞めさせるという方法は避けるのが懸命であるように思われます。

その理由の一つは、こうした正面からの反対はそもそも功を奏さず、むしろ逆効果になるからです。

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エホバの証人の教理を学ぶ人は、極めて早い時期に「これは真の宗教であり、この世はサタンに支配されているゆえに、必ず反対に直面する」と教えられます。したがって、夫がこの宗教に反対を始めると、これによって妻は「教えられたとおりだ。やはりこれは真の宗教なのだ」と確信を深めてしまうことになります。

エホバの証人の発想の特徴は、「とにかく自分たちは特別なのだ」と考えるという点にあります。したがって、世間から賞賛されれば「やはり自分たちは特別な真の宗教なのだ」と解釈しますし、もし反対に直面すれば「自分たちは真の宗教なのだから迫害されるのだ。反対されているということは、やはりこの宗教に間違いはないのだ」と解釈します。また、夫から反対される妻に対しては、「もしあなたが反対に屈すれば、あなたが愛しているそのご主人もこの真の宗教に入ることができなくて、やがて滅びることになるんですよ。 ご主人を愛しているのであればこそ、反対に屈してはいけない」などと、極めて感情的かつ逃げ場のない教えが繰り返し与えられることになります。

したがって、夫が正面を切って反対するということは、逆に、妻がこの宗教にさらに専念するための燃料を投下するような事態であるわけです。

イ.正面から反対することにはもう一つの深刻な弊害があります。それは、仮にこの宗教から引き剥がしたとしても、夫婦の関係自体を破壊してしまう恐れがあるということです。

前述したように、この宗教に没頭している妻はたいていの場合、生活も友人関係も心もすべてこの宗教に支配されており、かつ、その支配は長年にわたっています。こうした状況の妻を、力でその活動から引き離すのは、相当の威嚇が必要であり、ある場合は暴力にすら至るかもしれません。

そのような妻の尊厳を無視する方法をとった場合には、妻を宗教から引き離すことに成功した頃には、その方法自体により夫婦関係が破壊されてしまっている可能性が高いかもしれません。夫婦関係の改善のために採る行動が、結局夫婦関係を破壊したということでは、全く意味がないのではないでしょうか。