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「エホバの証人」についての情報サイト

2005年7月27日

エホバの証人のでき方⑥

この2つの論理的根拠をもう少し詳しく書きますね☆
(^∀^)
 
 
 
まず1つ目の、「神のご意志」の時期がいつかってのが、聖書を勤勉に調べることによってどうわかるのかという点ですが。

長いけど、我慢してイッキに読んでね。(>_<;)

前書きましたけど、エホバの証人の人たちによると、古代の聖書時代に神の是認を受けた唯一の組織が地上に存在して、それがイスラエル民族だったワケですが、このイスラエル民族には、役割もあったんですよね。
 
 
 
その役割は何かというと、神の宇宙の支配者としての権威というか支配権というか、そういうものを地上で代表するってこと。
 
 
 
まあ、外国に大使館をおいて、そこに国旗掲げるみたいな感覚で。神の支配者としての権威はイスラエルによって地上に対して代表されてたという構図。そしてその証拠として、イスラエルはどこの国と戦争しても奇跡とかが起きて天下無敵だったと。
 
 
 
ところが、この神の支配権の地上での代表が途絶えることが予言されるんですね。
 
 
 
それが聖書のダニエル書の4章というところにでてくるそうです。
 
そこにどんな内容が書かれているかというと、ネブカドネザルという名前の、ある王様が変な夢をみるワケです。
 
その夢の中では、何だかもんのすご~~~~~~く(>_<;)デカイ木がでてくるんだけど、天使がやってきて、この木をスッパリ切っちゃうんですよね。
 
( ̄∇ ̄)ナハハハ
 
 
 
ただ、切られた木の根っこはそのまま残されて、成長がストップするように金属の輪っかをかけられます。そして「7つの時」が過ぎると再び木は成長を始めると。
 
 
 
エホバの証人の理解によると、このデカイ木は、イスラエル民族によって代表されてた神の宇宙の支配者としての権威を表すそうです。
 
 
 
そしてその木が倒されることは、その神の権威の代表たるイスラエル民族が滅ぼされ、地上で神の権威を代表する組織がなくなることを意味すると。
 
 
 
しかし、「7つの時」が過ぎ去れば、神の支配権は再び地上に対して示される。
 
というのが、エホバの証人のダニエル4章の理解なワケです。
(^∀^)
 
 
 
これはつまり、イスラエル民族が滅びる時(=起算点)がいつなのかと、そこから流れ始める「7つの時」(=経過期間)がどの位の期間なのかがわかれば、神の支配権が再び地上に対して示される時、つまり神の特別なご意志の時がいつか割り出せるワケです。
(^∀^)ムフフフフフ
 
エホバの証人によれば、イスラエルが滅ぼされて木が倒されたのは、紀元前607年のエルサレム攻略の時だそうです。
 
 
 
そこから「7つの時」が過ぎたら、神の支配権は再び示されるので、この「7つの時」は何年間なのか気になるワケだけど、まず黙示録を調べると、1つの時は360日とあるそうです。そうすると、「7つの時」は2520日ということになります。
そして、民数記には「1年に対して1日」という記述があるので、この法則をあてはめると、2520日は2520年ということになります。
 
紀元前607年から2520年が過ぎると西暦1914年になります。
 
 
 
というわけで、エホバの証人の方たちは1914年に神の支配権がこの地に対して再び示されるんだと考え、それはどういう意味かというと、天ですでに復活していたイエス・キリストがその年に地球を支配する「神の王国」の王として天で即位するということだ、と考えているんですよね。
 
そして、イエスキリストはまだ地上にいたときから、自分が王様になるときには戦争・地震・食糧不足といった「しるし」が地上に現れると予言していて、実際そのとおりに1914年に第一次世界大戦が起きたしその後戦争が続いているし、その年を境に地震や食糧不足も増えているし、そういった目に見えるしるしが、1914年はまさに預言成就の年で、その特別な年にイエスキリストが神の王国の王として即位したことをガッツリと証明しているんだ、とも考えているかと思います。
 
そして、ラッセルとその仲間は勤勉かつ誠実な聖書研究によって、これらの「真理」を理解するにいたり、1914年の何年も前から、この特別な年についてふれ告げていたら、まさにその年に預言が成就して、その理解が正しかったことが証明されたと。この特別な年について事前に理解し・ふれ告げていた組織なんぞはもちろん彼らをおいては他になく、事前にこの年を述べ伝えていたという事実や、何よりこの年の意義をきちんと理解できるようになるには神の助けなくしてはできるはずもないのだから、そうした理解のための神からの助けを得られたということも、神から是認された唯一の組織であることを示す間違いのない証拠だと。ま、そういう理解がなされていると思うんですよね。
 
さらに、イエスキリストは、自らのバプテスマから3日半の後に、エルサレムの神殿に現れて、そこにいた両替商たちを追い払うことにより神への崇拝を清めたと。この予言的行動の成就として、1914年から3年半の後の1918年にイエスは地上の崇拝を清めるために地上に注意を向け、当時バビロン的な因習(誕生日とかクリスマスとか)をまだ引きずっていたエホバの証人組織を清めなくてはならなかったので、精錬というか懲らしめというか、そんなんを与え、それがすなわち1918年のラザフォードを含む8人の協会役員の投獄だったと。
 
その後1919年に彼らは解放され、その年にはオハイオのシーダーポイントですっごい大会やったし、黄金時代誌も作りだしたし、もはや大いなるバビロン(背教したキリスト教世界を中心とする偽りの宗教の世界帝国)はエホバの証人の邪魔ができなくなったので、その年に大いなるバビロンは倒れたんだと。
 
このあたりまでが、エホバの証人が自分たちが唯一真の宗教だと主張する根拠の1つ目、「神のご意志の時期がいつかというのは聖書を勤勉に学びさえすれば具体的年号を特定できるし、ラッセルとその仲間は実際、その神のご意志の時期を事前に割り出し、人々に知らせていた」という点についての流れなわけです。
 
 
 
 
 
 
あ~~~
こんなに長くなるとは思わなかった。
(^∀^;)シンドイ
 
エホバの証人の人たち自身も、キチンとすぐには説明できないってのがよくわかるわ、しょうがないねこれだけ複雑だと。
 
 
 
あ、エホバの証人の人とかでこれみてて、もし間違いあったら教えてくださいね。
(>∀<;)フヒー!
 
 
 
 
 
 
さて、エホバの証人の自らの正当性を主張する上での論理的主張その2
「神のご意志にとって特別な時期を起点に、エホバの証人が神にとっての唯一真の宗教として是認されたことを示す、明らかな目に見える証拠があること」っていうてんなんですが、こっちはまあ簡単なわけですよ。
 
上に書いたように、1914年に続く1918年の協会役員の投獄・1919年のシーダーポイントの大会と黄金時代誌の発行開始、こういったいろんなエホバの証人組織にとっての重大ニュースも、大抵聖書預言の成就であり、こういうイベントが全て聖書から説明できるってことがこれには含まれるわけですけど、それより何より、エホバの証人が現在「霊的繁栄」を経験しているという厳然たる「事実」が、エホバの証人だけが真の宗教であることを示す、明らかな目に見える証拠だ、とされています。
 
この「霊的繁栄」って何かというと、まあ「わかりやすすぎるぞコラ」ってくらいわかりやすくいっちゃうと、
 
 

  1. 聖書の意味がちゃんとわかる ってことと、
  2. 数がふえてる

 
 
ってことに尽きる印象。

例えば、1914年から終わりの日が始まったこと、大半の人間の希望は将来地上の楽園で生きることで14万4千人だけが天へ行って王様になること、地上に苦しみが存在するのはこないだも書いた神と悪魔の論争の結論を示すためでキチンと理由があること、こういう聖書の正しい理解が得られているのはエホバの証人組織だけで、これは神がエホバの証人組織を祝福しているからで、こういう理解がエホバの証人だけに与えられているということは、神が特別に是認している証拠だというわけです。

あとは、とにかくエホバの証人が世界中で増え続けていることは、ひたすら神の祝福だと、まあそういうわけですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なんかとんでもなく長くなったけど、エホバの証人たち自身が自分たちの組織についてどう考えているのか、なるべくエホバの証人の観点から必要十分に書いたらこんな感じなのかな?と思うことを書きました。
(^∀^;)=3
世間の人の目にエホバの証人の発生と発達がどういう風に映るのかだけをツラツラかくのは不公平だもんね☆
 
 
 
さて、このエホバの証人側からの説明、どせいさんはどう思うかというとですね、まあかなり説得力あると思うんですよね。
なによりさ、最初に書いた一般人のエホバの証人組織についての文化的視点からの解釈は夢も希望もない感じですよね。
それにひきかえこちらの説明は、すごいわくわくする感じだし聞いてて楽しいというか、続きが気になるし、もっといろいろ質問したくなる感じもする。
(^∀^)キャー!
 
次回はね、ここら辺くらいまでしっかりエホバの証人側からの説明聞いた上で、まともな一般人はどう考えるのかなあ、っていうのを、どせいさんなりに書きたいと思います。

あ、でもねなんか同じテーマずっと続いてちょっと飽きちゃったんだよね。

次回はタイムリーな別の軽い話題書いて、そのあとにでもまたどせいさんの勝手な意見をつらつら書こうかな。

あ、でも間あくとワケわかんなくなるかな。

どうしよう。
(>∀<;)…

2005年8月15日

エホバの証人のでき方⑦

さて、いつかの続きなんですが、エホバの証人のでき方について、エホバの証人の人たち側の説明をガッツリ聞いた後でどせいさんがどう感じるかを書いてみたいと思います。

(^∀^)

このテーマについてどせいさんが自分の考えを言ってみようと思ったのにはそれなりに理由があるんですね。

何年か前にですね、ちょうど30歳になったばかりっていう、まあ若い感じのエホバの証人の兄弟とハナシをしたことがありました。そしてその兄弟、どせいさん的にはとても好印象だったんですよね。

エホバの証人活動に本当に誠実に打ち込んでいて、教理にもとても良く通じていました。エホバの証人組織の中でも、特定の立場の人たちだけでなく、みんなから信頼されそうなタイプ。もう少し若い時は特別開拓者だったみたいで、親戚に巡回監督もいていろいろ教えてもらってたそうです。

そんな彼がね、本当に真摯かつ残念そうに、「エホバの証人の持つ真理はまさに真理で、キチンと調べてくれさえすれば、必ずそのことがわかってもらえるハズなんです。ただ、少し複雑な部分もあるので、最初のうち我慢してある程度まで知識を取り入れてもらわないと、真理だという証明をしようがないんです。ところが、その最初の少しの我慢を続けてくれる人が本当に少なくて、なかなか貴重な真理を得るに至ってもらえないんです。特に、高い教育を受けた見識のある人ほど、知識が邪魔をして最初の我慢を続けてもらえないんですよね、どうしたらいいんでしょうか。」というようなことを話してくれたことがアリマシタ。

後で思ったんですが、これってそれなりにマジメにエホバの証人やってる人たち、つまり教理にもかなり通じていて、自分の研究生にバプテスマ受けさせた経験もあるというような、かなり骨のあるエホバの証人なら誰しもが真剣に考えることみたいなんですよね。

それでですね、どせいさんとしては、そんな風に真剣な気持ちというのは何にせよ敬意に値すると思うし、また同時に、「キチンとある程度調べてくれさえすれば必ずわかってもらえるのにそうしてもらえない」と悩む姿が気の毒にも思えるワケなんです。

そこでどせいさんがですね、自分が高い教育を受けた見識のある人とは全然思わないんですけど
(^∀^)アハハハ
でも、まあ常識や良識のある平均的日本の社会人ならこう感じるのではないかい?ていう意見くらいは示せると思ったワケなんですな、これが。

そんなワケで、まずはなるべくエホバの証人の人の側の説明を丁寧にきいて、善意に解釈して、その上で、キチンとした社会人だったらここはどうしても疑問に思うのではないかな?てとこを礼儀正しく指摘したいと思ったんですよね。
それを日記でやろうというワケです☆

まあ、どせいさんの戯言に過ぎないワケですが、エホバの証人の人たちで、真剣に他の人に真理を伝えたいのだけどどこがいけないのだろう?て悩んでる人たちや、本当のところ、自分たちの組織はどう思われてるんだろう?て考えてるエホバの証人の人たちにとって、少し役立つ視点にはなるかもしれないですよね。

(^∀^)

どせいさんは別に他の宗教とかぜんぜん信じてないし、典型的日本の社会人の感覚持ってると思うので、その感覚の通りにツラツラ書いてくつもりですので。

2005年8月17日

エホバの証人のでき方⑧

エホバの証人の人たちからみたエホバの証人組織のでき方の説明としては、「エホバの証人のでき方 その④~⑥」に書いたような感じでわりと十分かな?という気がするんですが、どうなんでしょう。
(^∀^)

 
つまり要約すると、 ① 聖書をガッツリ読むと1914年がキリストの再臨の年ってわかるし、
② エホ証組織はその年の前後に発生・発展し、しかもその年の特殊性を事前にふれ告げていたし、
③ その年代以降エホバの証人は、聖書の真理を正確に理解できるという点と、世界中で増え続けているという2つの点で、神に是認されてるし。

ていうワケで、エホバの証人は現代の唯一の神の組織だし、この組織に所属しその指示に従順にしないと、「邪悪な世代」の一人として近いうちに滅ぼされてしまうぞ、ということなんだと思います。

 
 
 
 
 
さてでわ、どせいさんが、こういうハナシを改めて細かく説明されたらどう感じるか、てことなんですが。

 
このエホバの証人サイドからの説明を、ドップリ善意で時間かけて丁寧に聞くと、かなり納得がいくんですよね。
相当説得力があるとオモイマス。

特に、どんな質問をしても、必ず聖書に関連づけた答えが帰ってくるということに関心します。
(^∀^)うん、うん

(一応言っておきますが、そこら辺の、教理全然わからずにノリとか人間関係でエホ証やってるようなインチキ開拓者おねーちゃんみたいな姉妹とかに聞いてもダメなんですよ。例の元特開の、すごい認識あっていれこんでるような兄弟とかに、誠実に尋ねるとそう感じるってことです。)

エホバの証人教理って、複雑だけどかなり緻密で、論理矛盾とかほとんどないように思いますね。お見事な論理構成ではないかと。

 
ちなみに、エホバの証人問題の専門家っていう教会の牧師さん何人かが、エホバの証人教理の「ここもここもここも間違ってる」って指摘してるのを直接聞いたことあったけど、どせいさんは正直そういう話をされてもあまりピンとこない気がする。なんか、そういう細かい聖書解釈の話ってどっちが正しいかなんて証明不可能な気がするし、ぶっちゃけエホバの証人の理論はかなりうまく完結してるから、むしろ好みでいったらエホバの証人の教えや組織のほうがずっといい気がしちゃう。
(^∀^;)キャー、ごめんなさい

 
 
あとはね、やっぱりエホバの証人の人の話って、夢があるし、聞いてて面白いですよ。

世の中には本当に神様いて、

 
 
 
実はかなり短い期間の間に悪魔と勝負してて、

 
 
 
だから私らの人生も神様と悪魔の闘いに関係してて、

 
 
 
しかもそのクライマックスが、この現代に起こるぞ、

 
 
 
なんてね。ワクワクする。

 
 
 
 
 
 
 
ただですね。
じゃあ、世の中のまともで誠実な人が、みんながみんなエホバの証人教理をきちんと聞いたら、集会に出てバプテスマ受けて、王国第一の生活をするようになってゆくのかっていうと、そうではないと思うんですよね。

 
 
本当にそうかどうか。

 
 
 
確認する必要が。

 
 
 
あると思うのは。

 
 
 
当然のことではないかと。

 
 
 
思うのですがイカガデショウ。
(^∀^;)

やっぱり対価として出てゆくものが大きければ大きいほど、何か決定する前によくよく確認するのは常識ですよね。
ガリガリ君買うのかピノにするのかくらいなら、な~んも考えなくてもいいけど、たとえば中古車買うとか、家買うとか、対価がでかい場合は必ず自分の目で確かめないと、誰も代わりに責任とってはくれないですからね。

 
 
ちなみにどせいさんはあんまり宗教とか信じてないことは前も書きました。どせいさんが信じるものは、資本主義体制下での市場原理とか、立憲民主主義とか、先進自由主義諸国で普遍のものとみなされてる原理です。この点でどせいさんは、多くの良識ある一般の日本人と同じ感覚を有してると思っています。

そして、そんなどせいさんが価値あるものと考えるのは、

① 命と健康
② 社会的地位
③ 財産

 
ですかね。それを持ってるかどうかは全く別として。

社会的地位や財産を重視するというのは、エホバの証人の人的にはやや抵抗ありかもしれませんが、この3つが人間に不可欠だというのも、やはり先進諸国では普遍の原理とみなされていると思います。人であれば誰でも保障されるべき大切な権利を「人権」として明記してる本を「憲法」といいますが、どこの国の憲法でも、大抵、生命権・人格権・財産権は保障されてるんじゃないですかね。アメリカの憲法に出てくるライフ・リバティ・プロパティってやつです。人が人であるためにはこれが不可欠だというのは、世界中のコンセンサスなわけですよ。

 
 
でですね、偶然なのかなんなのかよく知らないけど、エホバの証人になるってことは、この3つ全部を対価として支払うってことになるんですね、実際の話。( ̄∇ ̄;)

①についていうとね、もちろんエホバの証人の人たちが命大切にしてるってことは知ってますよ。でもね、たとえば、急にエホバの証人活動が政府に禁止されて、エホバの証人やめないと死刑って言われたら、エホバの証人であり続けることと命とどっちとるかといわれたら、命を対価にエホバの証人であり続けることを選ばなくてはいけないというのが、教えなわけですよね。そしてこれってかなり真剣な話なわけですよ、実際、命を落とすことになっても輸血しないでくださいっていって亡くなって言ったエホバの証人の人も現実にいるわけですから。冗談抜きでエホバの証人になるってことは命を対価にしてもいい覚悟でやらないといけないわけですよね。

②についてもね、個人の良心がどうとかってなると少し焦点ボケるけど、本当に純粋に全てを捧げたエホバの証人になること考えたら、大学教育や、フルタイムの仕事は避けるべきってことになるわけですよね。だってイエスが地上にいたらやっぱり大学いったり正社員になったりしないで奉仕すると思うし。

③についてもまあ同じですよね、イエスだったら株券持ったり家建てたりするお金あったら寄付してあとは奉仕するだろうから、キチンとしたエホバの証人をやってくなら、やはり蓄財とかはすべきではないってことになりますよね。

 
 
 
 
さて、要は何が言いたいかというと、さっき言ったように、物事の決定をするときって、支払う対価が大きければ大きいほど、事前の確認をきちんとすべきなんですよね。

そして、エホバの証人になるってことは、生命・社会的地位・財産っていう、人間にとってもっとも大切なもの全てを対価にするってことなんですよね。

 
 
つまりそれほど大切なものを全て犠牲にする可能性があることならば、それだけキチンと確認するべきなんですよね。

 
 
多くのエホバの証人の人たちは、そういう認識の下にそこまでの確認をしてるのかな?

「最善の生き方をお伝えしますよ」って、家から家に回ったり、各家庭に招かれてエホバの証人の教理を教えてるときに、そこまでの犠牲を払うことを勧めることができるほどに、本当に自分自身が確認したのかな?

 
長々と書きましたが、
キチンとした日本人としての発想からいくと、エホバの証人のでき方について考えるときは、そこまで突き詰めて本腰で考えないといけないという意識をどせいさんはもっていますよ、てことね☆

そういう意識の下に、実際具体的にどう考えるのかの説明についてはまた次回。

 
 
前置き長くてごめんなさい。(>∀<;)

 
 

2005年8月22日

エホバの証人のでき方⑨

エホバの証人の発生・発展についての説明が、つじつまが合っててとっても納得がいくというのは前回書いたとおりです。

 
 
 
そこでですね、なんでエホバの証人の説明は、妙に納得がいくのかをどせいさんなりに考えてみたんですが。
思うに、エホバの証人の教理って論理として分析すると、2本の柱で成り立っていて、その2本の論理が相互に補完しあって見事な教理が出来上がってるように感じられます。
その2本の柱というのは、もちろん

① 純粋な聖書そのものの解釈
(聖句の理解と信仰だけの完全に観念的な世界。
例えば贖い、宇宙主権、愛の大切さ、などなど。(^∀^))
② 年代計算と、それに基づく「エホバの証人組織」の正当性

なわけです。
エホバの証人のありとあらゆる教えは、この2本の柱を自由に行き来してガッツリと支えられてる印象を受けますね、いわゆる「自転車の両輪」ていう感じ。

なんつーの?、①愛とかイエスの手本とか、ありがたくて暖かい聖書のハナシを聞くわけですが、②それがこの私らの生きてる時代に特別に関係してるとなると、とたんに現実感がでてくるし、生活に当てはめて実行せねば!となるわけですよね。
純粋に聖書だけだった話が、年代計算を通じて途端に現実味を帯びる。ここにカトリックやプロテスタントにはない、エホバの証人の、「エホバの証人らしい」独自性がでてくるワケです☆

具体的にいろんなエホバの証人の教えを考えてみると、

「もうすぐハルマゲドンくるんですよ」→なんで?→「①聖書に書いてあるから」→聖書にハルマゲドンのこと書いてあってもなんで現代に来るってわかるの?→「②年代計算から今は終わりの日といえるし、真の組織がそう教えるから」→なんで年代計算や組織が正しいといえるの?→「①聖書に書いてあるから」→なんでその聖書の理解が正しいといえるの?→「②聖書をきちんと理解して神に是認された組織が研究してるから」

とか、

「輸血してはいけません」」→なんで?→「①聖書に書いてあるから」→聖書に血を避けなさいとあっても、なんで輸血という医学的に承認された方法も「血」に入るといえるの?→「②真の組織が正しく聖書を解釈してるから」→なんで組織が正しいといえるの?→「①聖書に書いてあるから」→なんでその聖書の理解が正しいといえるの?→「②聖書をきちんと理解して神に是認された組織が研究してるから」

みたいな感じに、2つの柱を根拠とし合って、全ての質問に矛盾のない答えを提供できてるように思えます。

まさに、この「全ての質問に矛盾のない答えを提供できる」っていうのが、エホバの証人の人の説明に納得が行くことの大きな理由だと思うんですよね。

しかし、さらにいうと、確かにエホバの証人の人は全ての質問に答えられるんですが、その答えがまた答えを必要とする、という特徴があるのも、極めて大きなポイントで、実はこのせいで、説明をキチンと聞こうとする者に、なんとなく不安感与えたり,怪しさを抱かせてしまってるのも事実だと思うんですよね。
…。(>∀<;)

あることをたずねると、
「あ、それはAという理由があるんですよ。」と答えが返ってくる。
なるほど、と思う。

でも、「じゃあなんでAといえるの?」ときくと、
「あ、それはBとCという理由があるんですよ。」と2つの根拠に基づく答えが返ってくる。
なるほど、と思う。

でも、「じゃあなんでBとCいえるの?」ときくと、
「あ、それはBについてはDとAという理由,CについてはEとFという理由があるんですよ。」と4つの根拠を必要とする答えが返ってくる。

というように、
確かに全てに答えがある、答えはあるんだけど、その答えの根拠がまた複数の答えを必要とし、その複数の答えがまたまた複数の根拠を必要とする、というように、なんかね、仮定に仮定で答えるというか、スパッとぐうの音のでないような答えはでないで、答えの答えが際限なく広がっていくような印象を受けるんですよね、これが。しかも、そのたくさんの答え同士は、聖書そのものの解釈と現代の組織についての解釈が入れ替わり立ち代り現れつつお互いがお互いを証明してて、なんていうかね、土台や柱がない梁同士が互いに支えあってる状態をみてるような、「何かずいぶん大きなものが構築されているけど、本当は確定的な根拠や土台がなくて、キチンと支えられてないのでは?」と思わせるような、なんともいえない不安感を抱かせるんですよね。

 
 
こういう説明を受けるとき、普通の人の反応は2つ

1つは、仮定の理論が際限なく広がってゆくので、とても全体を把握して確認する気になどなれず、疲れて説明聞くのをやめちゃうか、
2つめは、逆に、際限なく広がってゆく答えと、それが表面的には矛盾してないのを見て、「ここまで自分が納得する答えが続いたんだから、正しいんだろう」と思い最後の最後まで詰めて確認しようとはしないで納得し、自分はキチンと理性に基づいてこの説明を確信するにいたったんだと考える。

ってことのような気がする。

2はバプテスマまで行く人、
1は研究やめちゃう未信者のご主人て感じですかね。
さしずめ。

 
しかし、どせいさんみたいに、客観的に腹を決めてエホバの証人教理の正当性を確認・確信したいっていう人は、どこまで答えが続いていこうとも、社会的観点からまず間違いないだろうっていう証拠にぶつかるまで、さかのぼっての確認をやめないわけですな、これが。
それに、そもそも、エホバの証人になって、ほかの人に「生き方」そのものを勧めようっていう人は、本来全員が全員そういう徹底的な追及をすべきだと思うんですよね。先回書いたように、一般市民社会でもっとも大切と思えるものを捨てるように人様に伝えるわけなんだから。

 
 
さて。

そういう観点でエホバの証人のひとのいうことにしばらくず~と耳を傾けてその説明を聞いていると、答えはすぐくるけど、確定的な答えにはなかなか行き着かず、論理を論理で説明しあうという構図や、上のAの例みたいに、Aの説明を求めていたのに、いつのまにかAの根拠のひとつにAがでてくるみたいな説明を受けると、なんか循環論法に陥ってるんじゃないのかという大きな不安が出てくるんですよね。

なんか、

口約束と手形だけで資金調達しようとしてる人の説明受けてるみたいな

形式的にはすべて納得いくけど、信用のための確信に必要な実質的根拠が、最後の最後までななかなか出てこないような不安感。
( ̄∇ ̄;)スカーン

 
 
 
 
 
 
 
までもね。

 
やっぱり結局のところ、エホバの証人の考えの正しさの全ての根拠、エホバの証人組織の正当性の根拠は、みんな1914年についての年代計算の正しさに帰着するのかな、という気がします。

この正しささえ証明されれば、芋づる式にすべて正しいと証明されると思うんですよね。

 
 
 
続きはまた次回。

 
 

2005年8月25日

エホバの証人のでき方⑩

さて。

これさえ正確と証明されれば、エホバの証人組織の正当性やその教えの正しさが全て証明されるんじゃないのかいという「1914年についての年代計算」が、果たして冷静な一般人の目にどう映るかという点なんですが。
(≧∀≦;)ヒー
ドキドキ

無駄にもう一度確認すると、エホバの証人の人たちは、

・聖書のダニエル4章にでてくる、「一度切られ、7つの時が過ぎると再び成長を始める木」は、神の支配権を表す。

・黙示録と民数記によると、7つの時は2520年。

・イスラエルが滅ぼされたのは、紀元前607年で、そこから2520年が過ぎると1914年。

ということで、1914年という特別な年が導き出され、この年に終わりの日は始まったし、これと絡んでラッセルとその仲間はイエスキリストによって「忠実で思慮深い奴隷」として任命されたとしているわけです。

 
 
 
 
ではね、これを眺めてどせいさんがどう思うかというとですね。

確かにこの流れに論理矛盾ナイデス。(^∀^)
矛盾はない、ないけれども、だからといってこれが正しいことにはまだならないんですよね。

この説明には、あたかも周知の事実であるかのように流され、証明の対象とされてはいない「前提」がいくつかあるんですよね。そもそも証明されてない「前提」のもとに何かの論理を組み立てても、それはただの架空のお話になっちゃうわけです。

このエホバの証人の論理で一番証明の対象とされるべきなのに、何の説明もされてないものの最重要なものは、「イスラエルが滅ぼされたのは、紀元前607年」っていう点です。

どせいさん的には、

 
 
 
「え? なにこれ?」

 
 
 
「誰が言ったの? ・・・どこに書いてあるの?」

 
 
 
(^∀^;)? ??

 
 
 
ていう感じですかね。

どせいさんもそれなりにいろいろ調べてみたし、特にそういうのが得意なお友達とかにも聞いてみたんですが、ネブカドネザルがこの年にエルサレムを滅ぼしたなんていう資料ってどこにもないらしいんですよね、周の匡王の退位の年ではあるらしいんだけど。

エホバの証人の人で、「自分は理性による神聖な奉仕をしてて、自ら聖書を勤勉に研究して真理を確信しています」っていう人の中で、このもっとも基本かつ初歩的な点を、本当に自分で確認した人っているのかな?
(>∀<;)
それとも、「活字の形で見せられ、当然に証明されたことであるかのように『言い切り』のカタチで物事を示されると、人の良さもあいまってそれを確認することもなく信じてしまう」という、多くの誠実な人たちが陥ってしまう落とし穴に、まんまとスッポリ入ってしまったのかな?

 
ま、なんにせよですね、イスラエルが滅ぼされたのは紀元前607年ではないらしく、どの考古学上の資料も大体その年から20年ずれた年を示しているみたいです。

そして、残念なことですけども、個々のエホバの証人の人が、この点を覆そうとしてもたぶん絶対無理だと思います。

何でかっていうとね、エホバの証人の本に「聖書に対する洞察」っていう本あるでしょ?
あの本はどせいさんもなめるようにして読んだけど、とてもよくできていると思いますね。(^∀^)ハイ

あの洞察の本の大部分を執筆して、ものみの塔の記事とかも書いていた元統治体の兄弟が、あの本の前身だった「聖書理解の助け」っていう本
(あの、例の青くてでかくて日本語で出てないやつね☆)
を書くために徹底的に調査したけど、結局、紀元前607年という数字は協会の出版物にしか存在しないということがわかり、終わりの日が1914年に始まったことにはならないことがわかったって後で公言してるんだよね。*注1

というわけでですね、「これさえ正確と証明されれば、エホバの証人組織の正当性やその教えの正しさが全て証明される」という1914年についての年代計算は、そもそもその一番の土台というか、前提が、虚偽に立脚しているわけなんです。

(^∀^;)どどどどう思う?
ヒー!

ま、考えてみればですね、ラッセルが年代計算に関心持ち出したのは、1876年頃らしいんですよね。今から130年前。日本でいったら徳川慶喜とか、勝 海舟とかがウロウロしてた時代。10年前は江戸時代なワケですよ。 みんなチョンマゲ。

そんな時代に、ネブカドネザルがいつエルサレムを滅ぼしたかについて、1年もずれずないキチンと確定的な考古学上の年号の知識があったとはとても思えないんですよね。
(>_<)

 
 
続きはまた次回

 
 
 
 
*注1
レイモンド・フランズ『良心の危機』(せせらぎ出版 2001年)37、38頁