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2005年8月25日

エホバの証人のでき方⑪

まこの、紀元前607年という年に何の根拠もないというのは、今やエホバの証人に関心を持つ人たちのほとんどにとっては周知の事実のような気がします。

とくに、エホバの証人を攻撃しようって人たちは、躍起になってこの事実を暴きたてようとしてるような印象を受けますですね。
( ̄∇ ̄;)ハハハ…

これは揺るがない事実だから、

いまさらどせいさんの一匹や二匹がこの事実を弱小ブログの中で書いたとこで、別に何も新しいことではないぞ」

って思われる方も多いかもしれませんね。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
…いや、まったくそのとおりです。(泣

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なのでね、まあこの年号の根拠のなさについては、どせいさんごときがこれ以上ピーピーいわなくてもいいと思うんですよね。(^∀^)ピーピー

そしてこの事実が知れ渡ってる限り、きちんと調べた上で「やっぱりエホバの証人になろう」っていう人は、日本ではもう、そうそうは現れないんではないかな、とも思いますね。
実際増えてないみたいだし、エホ証。

 
 
 
 
 
 
ただですね、前回、年代計算の説明には、軽く流され、証明の対象とされてはいない「前提」がいくつかあるって書きました。「紀元前607年」っていう年は、そのうちのひとつの前提だったわけです。

そしてね、ほかにも証明されてない「前提」があるわけで、むしろみんななんでこっちを疑問に思わないんだろう?ってどせいさんは思うんですよね。

 
そのもひとつの「前提」は何かっていうと、「ダニエル書にでてくる木は神の支配権を表す」っていう点なんですよね。

 
 
 
紀元前607年が何の根拠もない年号だという点は、いろいろ調べないとすぐには指摘できないことだけど、この「何を根拠に、でかい木が神の支配権の象徴だといえるのかい?( ̄∇ ̄;)」という点は、手ぶらでエホバの証人の人の説明聞いてる時でも、特に何も持たずに指摘できる点だと思う。

だってね、「何かすんごいでっかい木がいきなり天使に切られて、それがしばらくしたらまた成長始める」なんていうウルトラ抽象的な描写、いろいろ解釈しようと思えばそれこそ無限にでてくるハズ。
それが何で、「神の支配権」を表すという解釈に特定されるのか、確実な根拠はないんですよね。
(^∀^;)

特にね、この予言、聖書の中で一回成就して説き明かされてるワケですよね、ネブカドが7年間狂っちゃうけどまた正気に戻るって。
既に一回聖書内で成就してて説き明かしもされてるものが、二重に成就するという前提自体にも、これまた確実な証拠に基づく根拠は何もないワケなんですよね。ひとつの「解釈」に過ぎない。

ま、頑張ってるエホバの証人の人なんかは、「木は聖書では王権を表すことがあるんです」なんていうけど、じゃあなんで木は神様の王権を表すといえるのかとか、今回のネブカドの夢にもそれがあてはまるとなんでいえるのかとかを確認すると、やっぱつまっちゃうんですよね。
(>∀<;)グッハリ

 
となると、何で「ダニエル書の木 = 神の支配権」ていえるかの根拠は、やっぱり「聖書を勤勉に研究してる神の地上の組織が正しく解釈するとそうなるから」ってことになっちゃうんですよね。

 
 
 
 
 
さあ。

 
 
 
 
 
こうなってくると、エホ証は神の組織だといえるのか?ていうことを証明する根拠として年代計算を考えてるのに、その年代計算を証明する根拠がエホ証は神の組織、てことになっちゃうんですよね。

 
 
 
 
エホバの証人は神の組織となぜいえるのか → 年代計算するとそうなる → なんで年代計算正しいといえるのか → 神の組織であるエホバの証人組織が正しく解釈してるから → なんでエホバの証人組織は神の組織といえるのか → 年代計算するとそうなる

 
 
 
 
グルグルグルグル
(>∀<)~%

きれいな循環
(^∀^)アハハハ

 
 
 
根拠ナイ

 
 
 
証明できナイ

 
ナイナイばっかできりがナイ

 
てワケでですね、エホバの証人の年代計算は、ハナシとしては面白いですよ。面白いけど、じゃあ現実世界でこれに基づいて行動しませんか?て言われたときに、別に神学者でもなんでもない普通のマトモな人が、ちょっと気になるとこを確認するだけですぐに行き詰まってしまうものだと思うんですよね。
(^∀^;)
違うかな?どう?反論ある?

 
逆にですね、あそこまで真剣に、他の人に生命・社会的地位・財産を犠牲にしてエホバの証人教理を信じませんかと勧める人たちが、これほどまでにもろい論理を根拠としてるという点にわが目を疑う。
不思議不思議で仕方ナイ。

 
 

2005年8月29日

エホバの証人のでき方⑫

さて、

「1914年の年代計算に根拠はございません!(≧∀≦)」

てサラッというのは簡単ですが、これがエホバの証人の人たちに与える影響はすさまじいと思うんですよね。

(^∀^;)アタリマエダケド

勿論ね、今は「終りの日」ではないってのも大変なことです。
(その29 ワキミチ 参照で)

 
でもそれより何よりですね、ちょっと前にどせいさんが書いたように、エホバの証人の人たちは1914年前後に自分たちの組織に様々な聖書予言が成就したことを正当性の根拠と考えてるワケです。

そしてそのうち最も重要なのは、1914年から3年半後の1918年に、神は天への復活を開始し、1919年にはエホバの証人組織を「忠実で思慮深い奴隷」として任命し、以後地上の霊的な事柄は全てエホバの証人組織に任された、との理解だとオモイマス。

しかしこの基準たる1914年になんの根拠もないとなると、神がエホバの証人組織を認めて霊で導いてるという解釈そのものが覆るワケですよね。

ということは、「組織」が教えるありとあらゆる全ての事柄、宇宙主権とか、将来地上の楽園で永遠に生きられる希望とか、輸血をしてはいけないとか、結婚関係外の性関係はいけないとかっていう教えとか、集会や大会・正規開拓者や補助開拓者・巡回監督や長老や奉仕の僕などといった組織のシステム、そういったエホバの証人組織の全てのものの正しさが、ここでとりあえずオールリセットされ、神の是認を受けているという点について何の根拠もないことになるワケですよね。

(^∀^;)ね

というか、客観的に見てる人にとっては、「いや、何の根拠もないというよりも、1914年の年代計算は間違ってるとハッキリ認識してるにも関わらず、引き続きその年代計算を根拠に自分たちは唯一の神の経路だと信者に教え続けてる組織の教えであるという事実からすると、むしろどちらかというと、全てが誤ってると推測した上で確認してった方がよいのではないかい?」と思えるのですが、イカガデショウ。

(^∀^;)(^∀^;)(^∀^;)・・・・・。

 
 
 
 
 
 
 
ま、そんなワケで、この1914年の年代計算の間違いはあまりに致命的で、これをひた隠しにしようとする不誠実な態度とあいまって、「エホバの証人組織が唯一真の神の地上の組織だ」というエホバの証人の主張は、残念ながら全く成り立たないものだと思えてしまうワケです。

どう思う?

 
 
 
さて、以前どせいさんは、エホバの証人が自分たちの組織だけが唯一真の組織だと考える根拠として、

① 聖書をガッツリ読むと1914年がキリストの再臨の年ってわかる
② エホ証組織はその年の前後に発生・発展し、しかもその年の特殊性を事前にふれ告げていた
③ その年代以降エホバの証人は、聖書の真理を正確に理解できるという点と、世界中で増え続けているという2つの点で、神に是認されてる

という3点を挙げているということを指摘しました。

 
でこの①の年代計算の誤りだけで、エホバの証人組織のいう正当性は完全に瓦解するとは思います。

までも一応念のためにね、エホバの証人が自分たちは唯一の神の組織だと主張する残りの根拠もちょっと考えてみようかと思うんですよね。

続きは次回

 
 
(≧∀≦)ウシシシシ

 
 

2005年8月29日

ワキミチ

ちょっと本論からワキミチにそれます。
まあ単なる余談・オマケと思って軽く聞いてください。

 
 
この1914年の年代計算の誤りをひた隠しにするというのは、エホバの証人の人たちの実際の生活を考えるといろんな点で本当にひどいことだと思うんですよね。

この年代計算が誤りとなると、今は「終りの日」ではないことになるかと思います。そうなると当然、今のエホバの証人の人たちがいわゆる「大群衆」として生きて新しい体制に入るワケではないことになるワケですよね。

でね、エホバの証人の人たちの中には、「もし自分が生きてる間に終りがこないとしても、それでもエホバの証人をやめはしない」というひとが多くいて、これはこれでまあ立派なことで、納得がいくことではあります。

気になるのはですね、「いつかは自分も結婚したいけどとりあえずハルマゲドンが来るまでは独身で奉仕して、新しい体制で若返ったら結婚しよう」って本気で考えて、結婚しないでいる姉妹たちとかって、本当にいるワケですよね。そういう人たちのことなんですよ。

一般社会の女性はやっぱり、チヤホヤされる時期は短いからその時期は大事にし、それが過ぎれば結婚や出産の適齢期を意識しつつ、かなり真剣に恋したり結婚相手を選んだりする人が多いと思うんですが、明らかにそういう感覚がエホバの証人社会には欠落してるように感じられるんですよね。
ほかにも子供を作らない・かなりの年齢差で結婚する。
これはエホバの証人社会の大きな特徴のように思えます。

明確に「ハルマゲドンくるまでは」と自分に言い聞かせてるわけではない人たちの間でも、エホバの証人社会全体の支配的傾向として、「とりあえずハルマゲドンが来るまでは保留」という意識が、生活のいろんな重要決定において確実に働いているように思えます。

 
上にも書きましたが、「もし自分が生きてる間に終りがこないとしても、それでもエホバの証人をやめはしない」という決意。

これは確かに納得の行く発言なのだけど、しかし「もし自分が生きてる間に終りがこないとしても、それでもやはり結婚はしない」という風にはならないと思うんですよね。

 
だってね、エホバの証人の教えによると、一度死んで復活する人は、恋愛感情や生殖能力を持たずに復活してくるわけですから、「もし自分が生きてる間に終りがこないとしても、再び復活して生きられるからエホバの証人をやめない」とは言えても、
「もし自分が生きてる間に終りがこないとしても、いずれ復活して再び恋愛できるから、やはり今恋愛はしない」とは言えないワケですよね。

そうなると、今は終わりの日ではないとして、でも遠い遠い未来のいつかにハルマゲドンが本当にくるのだと仮定したとしても、生きてそれを通過して若返ることができないのであれば、今のエホバの証人の人たちが恋愛して結婚できるのは今しかないワケなんですよね。

 
 
「今が終りの日ではなく、生きてハルマゲドンを通過して若返れるワケではないとわかってたなら、なんでそれをキチンと言ってくれなかったのか。それさえ知っていれば、エホバの証人やめるとはいわなくても、せめて結婚はしたのに」と考えるエホバの証人の人は、実はかなり多いのではないかな。

子供を作らないという決定についてもこれはいえるんですよね、「今が終りの日ではなく、生きてハルマゲドンを通過して、新しい体制で子供を生めるワケではないとわかってたなら、なんでそれをキチンと言ってくれなかったのか。それさえ知っていれば、エホバの証人やめなくとも子供は作ったのに」と思う人も多いはず。

違うかな。

どうなんだろ。

 
 

2005年8月30日

エホバの証人のでき方⑬

えっと。
(^∀^)

そうですね、まず③の、「正しく聖書を理解してるからエホバの証人組織は唯一真の神の組織だ」という主張なんですが。

 
エホバの証人の人たちは、たとえ年代計算のひとつやふたつ間違っていたとしても、その他の聖書理解については,組織は依然、唯一信頼できる団体なのであって、引き続きこの組織のもとにとどまりたい、て考えたりもするかもしれないですよね。

思うにそういう人たちは、エホバの証人の聖書理解は、ラッセル時代からの独自の勤勉な聖書研究の賜物として他に例をみない完全にオリジナルなもので、それゆえに自分たちの組織は、他の全ての偽りの宗教から一線を画しているのだと考えてると思います。

だから、ひとつやふたつやみっつやよっつくらい、どでかい間違いがあったとしても、「じゃあ他にどこの団体がエホバの証人より正しく聖書を理解してるんだ」ぐらいの勢いなわけでして、ハイ。

まあ何度もいいますけど、どせいさんは自分ではあまり宗教とかは信じてないですし、ましてや「エホバの証人の代わりに真理に導いてくれるのはこの組織ですよ」って他の宗教勧めるインチキ宗教家みたいな真似をする気は毛頭ナイデス。

( ̄∇ ̄;)ハハハ

そんな気はまったくないんですが、でもね、それなりに世の中をウロチョロしてきたものとしてですね、まあ例によって、ホントにエホバの証人の教えが、エホバの証人の人が考えているような特別なものなのか、外からみた場合の印象を伝えることくらいしても、怒られはしないんじゃないかと思うんですよね。

 
 
 
 
 
 
では、エホバの証人の人たちが自分たち独自の特徴だと考え、それゆえに自分たちを世の多くの偽りの宗教と完全に分けられた者とさせてると考えてる多くの教えが、本当に本当にほんとーに(>∀<;)(←しつこい)エホバの証人独自のものなのかというと。

 
 
…。

 
 
 
 
なんといーますかまあ、

 
 
 
 
外部からフツーにながめると、

やっぱり独自のものとはとても言えないと思えるんですよね。

( ̄∇ ̄;)スマンコッテスタイ

 
 
 
社会学とか社会心理学とかやる人にとって、エホバの証人みたいに、100年以上の歴史があって、先進国中心に数百万単位の信者がいる宗教ってのは、「カルト教団」とか「新興宗教」ではなく、「新宗教」ってやつにカテゴライズされると思います。

そんでね、エホバの証人の人たちの教えの多くは、エホバの証人独自の教えというよりも、この「新宗教」に特有の典型的共通点を多く有する教えのように思えるんですなコレガ。

まあ、ペンテコステ派のとこでわりと具体的に書いたので、どういうことなのかイメージはわくと思うけど、一応、いくつかの文献に触れますね。

 
えっとね、ふだんおうちでマンガ本ばっか読んでるどせいさんだってね、難しい文章読むことだってあるんですよ。
(^∀^)エッヘン

 
 
 
 
わかりやすいな、と思うのは、Gussener,R.E.,&Berkowitz,S.D.て人たちが書いた論文なんですよね。*注2

この論文の中でこの人たち、新宗教の3つのタイプとして、キリスト教系・東洋の神秘系・自己啓発系の宗教をとりあげて、

究極の実在
最高善
悪の根源
最高権威
指導者のタイプ
修行者の道
社会との関係
歴史との関係
脱退者との関係

についてそれぞれ何を教えてるかをまとめてるんですよね。

そして、キリスト教系の新宗教の特徴として、

究極の実在   → 創造者としての神のご意思が世界の道徳律である
最高善     → 罪が贖われることによる個人の救済
悪の根源    → 人間の不従順、うぬぼれ等
最高権威    → 不謬とされる聖書の文字通りの解釈
指導者     → 神の言葉をふれ告げる伝道者・警告する者
修行者の道   → 廉直であること・義に厳しいこと・聖書研究・信仰
社会との関係  → 不道徳な今の世から来るべき世への逃れ
歴史との関係  → 歴史的使命を果たす・キリストの再臨を待つ一方、世界の人々へ福音を伝える
脱退者との関係 → 背教行為は神の力を弱める脱退は悪魔の手ほどき

ていうことを教えるって指摘してるんですよね。

どせいさんは、エホバの証人の教えって、だいぶこれに当てはまるような気がするんだけどどうですかね。

 
念のためにいいますと、別にGussenerとBerkowitzは、エホバの証人を研究してその特徴をまとめたわけではないんですよ、アメリカのたーくさんのいわゆる「新宗教」の教えについて、その特徴をまとめただけなんです。

 
なのに、 なにやらエホバの証人の教えの特徴を説明されてるかのような印象をウケル・・・。

 
つまり、エホバの証人が、聖書そのものの研究の重要性を強調し、「忠実で思慮深い奴隷」を見張りの者、警告をふれ告げるものと呼び、現在の汚れた世から離れることを人々に勧め、二度と繰り返されない現代にとって最も大切なのべ伝える業の重要性を訴え、そのようにしてエホバの証人独自のものと思える教えを強調すればするほど、結局、世に多く存在する他の「新宗教」との教えの上での共通点を強調する結果になるわけですよね、いってみれば。

( ̄∇ ̄)スカーン

 
 
ちなみにエホバの証人そのものを対象にしてる論文てのも、結構あるんですよ。

たとえば、Lawson,R.て人は、新宗教の教団と国家との関係について論文書いてるんだけど(*注3、その中で、同じミラー派(Millerite movement)の流れを引く二つの新宗教として、安息日再臨派(Seventh-day Adventists)とエホバの証人(Jehovah’s Witnesses)について比較してるんですよね。

 
 
 
長くなったので続きはまた次回

 
 
 
 
 
 
 
 
 
*注2
Gussener,R.E.,&Berkowitz,S.D.1988
Scholars,sects and Sanghas,Ⅰ:recruitment to Asian-based meditation groups in North America.
Sociological Analysis,49,136-170.

*注3
Lawson,R.1995 Sect-state relations:Accounting for the differing trajectories of Seventh-day Adventists and Jehovah’s Witnesses.
Sociology of Religions,56,351-377

 
 

2005年9月2日

エホバの証人のでき方⑭

Lawson,R.はこの論文の中で、

1. 社会的上昇志向性
2. 組織の開放性
3. 教義の硬直性
4. 黙示録的世界の切迫度
5. 生まれついての信者の割合
6. 改宗者に対する教化
7. 迫害を受けた度合い
8. 国家・社会との関係
9. セクトとしての位置づけ

といった要因について、特に戦争時の政府との関係に焦点をあてながら、二つの宗教を比較・考察してるんですよね。

ちなみに安息日再臨派(Seventh-day Adventists)については上から順に

1. かなりの社会的上昇を実現
2. 指導部は組織が一般人に与える印象に配慮・社会的地位を求める
3. 教義の解釈を緩和する方向性を示す
4. 「その日」の到来を遅らせることで妥協・明確な日時設定を避ける
5. 生まれついての信者の割合が高い
6. あまり熱心ではない
7. 迫害は散発的・大抵事前に回避
8. 時代とともに緊張関係は明らかに減少
9. 教団化したセクト

としてるんですが、エホバの証人(Jehovah’s Witnesses)については、

1. ほとんど社会的上昇性は見られない
2. 指導部は孤高の存在・世間から一歩退くことを強調
3. 教義解釈は厳格
4. 「その日」の到来が迫っていると強調・明確な日時を設定
5. 生まれついての信者の割合は低い
6. 非常に熱心
7. 政府・暴徒による組織的迫害に苦しめられた
8. 緊張関係は依然高い・時代が変わってもほとんど変化なし
9. セクトとして定着

としているみたい。

でね、まあこの内容自体はぶっちゃけどうでもいいんですよ

( ̄∇ ̄)アハハハ

 
 
どせいさん的にポイントはですね、「なんでこの研究者が安息日再臨派とエホバの証人を比較の対象としたのか」てことなんですよね。
(^∀^)ヌフフフフ

上を見れば明らかなようにね、この2つの宗教はいい感じにキレイな対象をなしてるワケですよね。お互いがお互いの正反対の方向性に発展してきている。
そしてね、ただ対象的な発展をとげてる2つの宗教だってだけではないんですね、ここが大事。

とりわけこの研究者に興味深かったんじゃないかなと思うのは、この2つの宗教は、同じ一つの宗教から派生した亜派、いってみれば兄弟教団で、出発点は同じなのに、そこから好対象な形でそれぞれの独自路線に発展していったという点ではないですかね。
(^∀^)キュピピピーン

実際論文の中で彼は、2つの宗教は、どちらもWilliam Millerの予言が1844年10月22日に外れた後に、彼の信仰の基本部分を受け継ぐ形で活動を始めた、千年王国到来前にキリストが再臨する(permillennialism)という立場を採る終末論グループとしてるみたいなんですよね。

おんなじ宗教から派生した2つの宗教が、それぞれあさっての方向に発展していくなんて、研究対象としてはもってこいだったんじゃないのかな~

 
 
 
ま、つまり何がいいたいかというとですね、どうもエホバの証人の人たちには、自分たちの宗教は、とにかくラッセルが聖書そのものを理解したくて勤勉に研究した結果として長年の闇の時代の後にポコッと生まれたみたいな印象持ってる人が多いですよね。そりゃあ他の人たちからいろいろ啓発されたこともあったけど、ほとんど自分たちが誠実かつ徹底的な聖書研究をしたということのみに立脚して発生・発展していった宗教だとね。
( ̄∇ ̄;)どうだろ?違うかな。

しかし実際はですね、多くの研究者が考えてるように、エホバの証人の教えはこのMillerの考えを引き継ぐ形で発生してるみたいなんですよね。

よくはわからんけど、さらにこのMillerは、イギリスのジョン・ブラウンていう人が1800年代の初めに書いた、「ダニエル8章の2300日は西暦1844年に終わる」っていう論文を支持してたみたいでして。

そして、さらにこのブラウンて人は、別の聖書解釈も示していて、それが「ダニエル4章の『七つの時』は2520年」ていうやつでね。

つまりエホバの証人が今使ってる年代計算の方法そのものを言い出したのは、このブラウンさんてことらしいです。例の元統治体の兄弟、このこと書いてますね。*注4

 
続きはまた次回

 
 
 
 
*注4
レイモンド・フランズ『良心の危機』(せせらぎ出版 2001年)
193頁