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「エホバの証人」についての情報サイト

2008年5月25日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析⑥

2.オオカミと恐怖

こうした西洋文化における恐怖の正体の分析というのは非常に啓発的であるため、もう少しだけこの視点での検討を続けてみたいと思います。

前述のとおり、ヨーロッパ大陸に横たわる「森」には、旅人を脅かす幾つかの現実的危険が存在したわけですが、ここで登場するのが「狼」の存在です。森の中に存在したいくつかの現実の危険・恐怖のうち、この「狼」というのはその際たるものであったようです。狼は最高時速70キロで走り、時速30キロ程度であれば一晩中獲物を追跡することができたため、一たびこの獣に狙われると旅人の末路は悲惨なものでした。また、狼は極めて特殊な本能を持つ動物で、狩りの際に対象とする複数の獲物のうち弱い固体を確実に見分けることができるそうです。つまり、人間でいうと女性、中でも少女と老婆が集中的に狙われる結果になるわけです。こうして生まれたのが「赤ずきんちゃん」の話です。この話の中では、赤ずきんのおばあさんは狼に食べられ、少女である赤ずきん自信も狡猾に騙された上で襲われるわけですが、こうした基本ストーリーは「なぜ女性ばかりを集中的に狙うのか」という狼に対する超自然的な恐怖感から自然に発生するとともに、特に女性は狼に注意しなければならないという教訓的目的を込めて意図的に作成されていったものでもあるわけです。

グリム童話をはじめとする中世ヨーロッパの童話は実は悲惨で不気味な内容が多いというのは有名な話ですが、それは、日常起こる悲惨な出来事をもとにそれらが作成されたと共に、そうした悲惨な事態に子供たちが近付かないよう、予防的観点から教育的意味も込めて製作されたからであり、オオカミにまつわる童話についても同じことが言えるわけです。

さて、この狼による被害は深刻で、中世のフランスにとっては、国家レベルでの現実の脅威にすら発展したこともありました。15世紀には狼の群れがパリにまで接近し、また、18世紀にフランスのジェボーダン地方に出現したある巨大なオオカミは1764年から1767年にかけて100人を超える被害者を食い殺し、「ジェボーダンの獣」としてフランス全土を震撼させ、国王が対応を迫られたこともありました(2001年にはこの史実が映画化)。
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(ジェボーダンの獣①)

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(ジェボーダンの獣②)

こうした狼による深刻な被害は、直近ではなんと第一次世界大戦の時期にすら生じました。男たちが戦争のために村々から消え、老人と女性だけが残されたからです。

かくして、狼のもつこうした特殊な本能に対する人知を超えた恐怖感が「童話の中の狼」を生み出し、森に対する恐怖・その中に住みついた盗賊たちへの恐怖がこれに融合されて「人狼(狼男)」概念をも生み出すことになったわけです。なお、人狼については農作物や食料の保存方法が悪かった時代、ライ麦パンに繁殖した麦角菌(身体の麻痺・思考力の低下・幻覚・興奮等の作用がある)を摂取してしまい、その結果人格が豹変したり、凶暴な行動をとってしまった人や、同じような症状が発症後に起こる狂犬病に罹患した人が狼男扱いされてしまったという説もあるともされていますが、前述した森や狼への恐怖感がこれと結びついていることは間違いないと思われます。
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(1722年に描かれた人狼)

「童話の中のオオカミ概念」や「人狼」といった化け物に対する神話的恐怖の正体は、結局のところ、こうした科学的に当然に説明のつく現象が生じたにすぎないにもかかわらず、その当時そうした事態に現に直面した人々がそれを十分に理解することができなかったために、自分の都合の良い形で、既存の理解にその現象を結びつけて、統一的な理解を一応行った結果もたらされたものであるわけです。人間にとっては「いったい何なのか理解できない」という混乱した状況こそが最大の恐怖であり、どんなに脆弱な考え・理論(心霊話や妖怪話、神話等)であっても、その場で納得できる説明を求めるわけです。

さて、ここまでごく簡単に、西洋人の恐怖の対象である「緑色」「森」「狼」といったものを具体例に、その恐怖の正体は何なのかという点を考えたわけですが、ここで我が国日本における恐怖の対象についてもその正体は何なのかという点を少しだけ考え、これとエホバの証人内部の「悪霊現象」を比較・考察してみたいと思います。

日本においての恐怖の具体例としては、妖怪たち、特に「鬼」「ろくろっ首」「天狗」といったものを代表例に考えてみたいと考えていますが、端的に結論から言うと、日本の妖怪の正体は、多くの場合「死体」です。

2008年5月28日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析 ⑦

○日本古来からの恐怖ーその正体

1.赤鬼・青鬼

話は少し変わりますが、どせいさんはかなり前に「司法解剖」に立ち会うというちょっと変わった経験をしたことがありました。「司法解剖」というのは、犯罪被害に遭って亡くなった方のご遺体を解剖して死因を特定し、その亡くなった被害者ご本人の生前の権利やご遺族の権利を擁護する重要な過程なわけですが、その司法解剖に先立って「法医学」についてのかなり集中的な講義をその道の権威の教授から受ける機会があったんですね。

簡単にいうと、死亡推定時刻の計算の仕方や自殺と他殺の見分け方・死因や凶器の特定方法などを学び、その際に大量のご遺体の写真を次から次へと見せられるわけなのですが、法医学というのは「ご遺体」を研究対象とするものですので、特に「死後変化」について詳細に学ぶことになったわけです。

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さて、この「死後変化」の中には、「早期死体現象」と「晩期死体現象」という段階があり、これらの過程を経て、死体はミイラ化・死蝋化(水中に沈んだ死体が石鹸のようになり永久死体化すること)・白骨化という過程に至るということらしいです。このうち、「早期死体現象」には、死後硬直や死斑(人の死後、体内の血液が重力により滞留したり化学反応を起こすことによって体表に生じる独特の模様)の発生、体温低下・角膜の混濁といったものがあり、「晩期死体現象」には死体の自家融解や腐敗、といった現象があるとの事でした。

そしてこの「晩期死体現象」の中には、興味深いことに「赤鬼現象」「青鬼現象」と呼ばれる現象があるそうです。要するに、ご遺体の腐敗が進み内部にガスが発生するなどして顔や体が異様に膨張し、巨人様化する現象です。体内に残留するヘモグロビンがどのような変化をするかによって死体の色は変化しますが、ヘモグロビンは硫化して緑褐色になることもあり、そうして死体の体表が緑褐色になった場合が「青鬼現象」・そうでない場合が「赤鬼現象」とのことだそうです。

さて、実際にこうした赤鬼現象の生じているご遺体の写真を目にすると、本当に驚きます。身体全体が巨大化し、歯がむき出しになり、飛び出した目が爛々と輝いているように見え、まさしく「鬼」そのものの印象を与えるからです。鬼をはじめとする様々な「妖怪」の正体はいったい何だったのかという点については様々な研究がなされいくつかの説が存在するようではありますが、ひとつの有力な説として、こうした死体の変化をみて人々はこれを「鬼」ととらえ、その概念を発展させていったのではないか、と考えられているそうです。

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通常、このように晩期死体現象にまでは進んでいないきれいな形の死体に対面するだけでも、人はなぜか強い恐怖感を感じることがあります。それは恐らく、生き物としての人間にとって「人が本当に死んでいる」という状況がある種受け入れがたいものであり「人が人でなくなっている」ということに対する本能的恐怖感を感じるからではないかと思います。まして太古の時代、まだ人の移動距離や得られる情報量が圧倒的に小さかった時代、人の生涯のうちで他人の死を目の当たりにすること自体そう多く経験することではなかったと考えられる時代に、こうした「晩期死体現象」の生じている死体に出くわした人の恐怖感はどれほどのものであったか、想像に難くないのではないでしょうか。確かに「人」であるように思われる目の前の物体が理解を超えるような形で、しかし、現に目の前に確かな現実として存在することに対して、「鬼」という概念を用いて何とか対応し、あるいは、すでに「鬼」という概念を教えられていた場合には、そのすでに与えられたイメージに基づいて、統一的に物事を理解し、そしてその後に「鬼を見た」と確信を持って語られるようになった可能性があるわけです。

2.そのほかの妖怪

また、その「法医学」の講義においては「自殺死体」と「他殺死体」の見分け方が非常に重要であるとの教育もなされました。
日本においては首吊り自殺が自殺全体の半数を占めるそうですが、この首吊り件数の占める割合の飛躍的な高さは日本独特のもので、他人に迷惑が一切かからない形での自殺方法である首吊りが日本に多いのは、日本の美徳のひとつの現れとすら考えられているそうです。

さてこの首吊りですが、森の奥深くなどで首吊りがなされると、非常に長い間遺体が発見されないことがあります。そしてその間に、首の部分が通常ではちょっと想像できないレベルにまでのびてしまうことがあるそうです。実際に、長期間森の中で放置された死体の写真も講義で扱われたのですが、おぼろげな記憶ながら1メートル以上はありそうなほど首の部分が延びていたような印象を受けたことを覚えています。また、首吊りをする人は「最後の瞬間を人に見られたくない」との心理から顔を隠す傾向があるそうですが、そのご遺体も頭の部分にはすっぽりと四角い覆いがかぶさっており、そうした事情もあいまって、その写真を見たときに強烈な恐怖感に見舞われた覚えがあります。さらに、そのように長時間放置された首吊り死体は、発見より先に縄が切れることもあり、その場合には異様に首の伸びきった死体が地面に転がることとなり、さらにそこから腐敗が進み動物や昆虫による損傷も進むことになります。
そのような状態にいたった死体をたまたま旅人や通行人が発見することも当然に多々起こったことであり、そうした人はこれを「ろくろ首」ととらえたのではないか、と考えられるわけです。日本国外ではろくろ首という妖怪の概念があまり聞かれないのも、先ほど述べた「首吊りが日本の美徳」とされる情況が背景にあってのことかもしれません。こうした発見者の恐怖感は相当のものでしょうし、その「自らがこの目で見たもの」についてそれら発見者が人々にどのように語るかを想像することは、さほど難しくないのではないでしょうか。
葛飾北斎の描いたろくろ首
(北斎の描いたろくろ首)

ところで、これとは逆に日本では湿度が高く、死体が「ミイラ化」して発見されることはほとんどないそうです。どせいさんたちに講義をしてくれた教授は、数十年の学者生活の中で一度だけ、東北地方の寒村で冬場に自宅で自然死し、その後長期間発見されなかったために自然にミイラ化した遺体に出あったことがあったそうです。ただ、死体が本当にミイラとして半永久保存されるには体重が20キロを下回る必要があり、その死体は23キロであったため、その先生は自宅のマンションのベランダでさらに1週間日干しにする必要があったそうです。この発見された当時の半ミイラ化したご遺体の写真も拝見したのですが、人としての原型はとどめながら、かなり「干からびている」という印象があり、ちょうど吸血鬼に完全に血を吸い尽くされたかのような様相を呈していました。湿度が高くミイラ化した死体が発見されることのない日本では吸血鬼という概念がなく、他方で、湿度が低く土葬の習慣のあった東欧において吸血鬼伝説が生まれたのは、そうした点に由来するのかもしれないと強く思いました。

もちろん、すべての妖怪や幽霊の正体が「死体」であるわけではないでしょうし、これら「鬼」や「ろくろ首」の正体についても、他の有力な説が存在するはずです。しかし、このように普段あまり知ることのない、特定の分野についての専門的な知識を得ると、漠然として恐怖として扱われているものの正体がハッキリと見え、何らかの理解できない思える現象が存在したとしても、それは自らの無知ゆえであって、往々にして科学や確立された理論によって完全に説明がつくものである、という点が明確に理解できるようになるのではないかと思います。(ちなみに、筋肉質の青壮年者等が労作後,高温環境下などで急死するという条件がそろう場合、死後硬直は急速なスピードで生ずるそうです。弁慶が立ったまま死んだとされる「立ち往生」や、日清戦争のラッパ手木口小平の「シンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」と謳われた情況は、この急速な死後硬直であった可能性が高いと考えられているそうです。)

こうした「死体」以外の要因として説明される妖怪の正体のひとつの例として、天狗が挙げられるかもしれません。、勝鹿北星・浦沢直樹著の漫画『マスターキートン』には、突然日本の村に現れて神社に住み着き、その後村人の信頼を得るようになり、やがて村の娘と恋に落ちるようになった天狗の伝承が登場します。この物語の中では、その天狗の正体は難船して日本に漂着した西洋人であることが描かれています。漫画ドラえもんにも、実は鬼が島の鬼の正体が漂着したオランダ人である、というシーンがありますが、赤い顔・鋭い眼光・高い鼻といった特徴からも、天狗の正体は西洋人である、と考えるのは有力な説であるようです。

2008年5月29日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析⑧

○恐怖の正体が教えるもの

1.人間の本質

ここまで見てきた、様々な恐怖の実際の正体を考えたとき、どのような結論に至ることができるでしょうか。ひとつ確実にいえることは、人は「自らの知識や経験では理解できない恐怖という現実」に現に直面したとき、超自然的な人知を超えたものとしての「妖怪」や「お化け」という概念を用いて、何とか自分の理解に統一させてその情況に対応しようとする傾向があるということではないかと思います。また、もともと何らかの「妖怪」や「化け物」の概念を与えられていた場合にはなおさらで、ある一定の不自然と思える現象に直面した際にそうした「与えられた理解」に自分の発想を直結させて、物事を一方的に解釈する傾向もあるといえるかもしれません。

さて、こうした「自らの知識や経験では理解できない現実」が生じた際に、これを超自然的な現象として理解し、納得しようとする傾向は人間にとって本質的なものであり、はるか昔の人々のみならず、現代の人間にも十分生じうる現象であるようです。そうした出来事の現代における好例は「キャトル・ミューティレーション」でしょう。これは、1960年代前半から、おもにアメリカを中心として報告された「牛や馬などの大量の家畜がとつぜんいっせいに死ぬ」という事件です。しかも、その大量に「殺害された」家畜は眼や陰部などがえぐられ、とても人間業とは思えないレーザーを用いたかのようなシャープな切り口で体が「切り落とされ」、さらには遺体の周りおよび体内には一滴の血液も残されていない形で発見されたそうです。いったい誰が、何の目的で、いかなる手段を使って「惨殺した」のか、まったくの謎に包まれていたため、マスコミなどによって「宇宙人の仕業」「狂信的宗教団体の仕業」と騒がれたようです。
(この集団妄想は、10年以上も続いたとの事です。)

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結局、元FBI捜査官が1980年に1年にわたって行なった実験で、死亡した家畜を放置しておくと、血液は地面に吸い込まれて流れ去り、ハエや蛆などの虫や動物などに目や性器などのやわらかい部分から食べられ、野生動物(野犬やコヨーテ、鳥)の牙などによる鋭利な切り口を伴う捕食がなされると、「キャトル・ミューティレーション」と同じ状態になるとの報告がなされました。また、牛の死骸の損なわれた部分はすべて上部のみで、地面に接触していた部分は損傷していなかったことも判明し、「キャトル・ミューティレーション」とは「牛の死骸の通常の変化でしかない」との結論に至ったようです。そもそもの家畜の原因は病死や食中毒に過ぎなかったそうです。

このように、古代の人々のみならず、20世紀後半においてもこうした現象が生じたということは、自らが現在の知識では理解しがたい出来事に接したとき、いかに突拍子もない説明であったとしてもそれを受け入れて納得しようとする傾向が人間にとって本質的なものであることを示すととともに、人がいかにたやすく超自然的現象を信じ込んでしまうかを如実に示しているのではないでしょうか。

2.エホバの証人へのあてはめ

では本論に立ち返り、今まで見てきた「恐怖の正体」・「人間の心理の本質」という点について得られた考察を、エホバの証人にあてはめて考えてみたいと思います。冒頭の部分において、エホバの証人内部における悪霊現象の正体は、広い意味での精神疾患である場合がほとんどではないか、という考えを述べました。実際に、特定の種類の精神疾患がどのような症状をもたらすのか、そして、エホバの証人信者がそれを認識したとき、どのように反応しうるのかを少し考えて見ましょう。

たとえば「統合失調症」という病気は100人に一人の割合で発症する病気ですが、その典型的な症状は妄想・幻想・幻聴・幻覚であるそうです。以前あるニュース番組で、「統合失調症の人の知覚する世界」をコンピューターグラフィックで再現していたことがありましたが、なんでもない日常の風景、たとえば台所にあるりんごや、壁の上にかかった時計などが不気味に歪みだし、恐ろしい悪霊のような顔になって近づいてきたりするという、非常に恐ろしいシーンが繰り返し再現されていました。また、この病気にかかると、一晩中「死ね、死ね」「殺せ、殺せ」という声が聞こえたり、「死神」に追い掛け回されるという幻覚をはっきりと見ることもあるそうです。そのニュースでの説明によれば、この病気の特徴は「非常に強い恐怖心」を伴う病気であるとの事でした。さらに、「性的行為をされている」という『体感幻覚』という症状も見られるそうです。
(脚注部分に、この病気の症状について説明した「読売新聞」の記事を引用してあります。)

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では、エホバの証人から「悪霊」についての強いイメージと教育を与えられている人がこうした症状を抱えた場合、どのように判断する可能性があるでしょうか。すでに見てきたように、エホバの証人組織は「悪霊は精神的な苦しみを味わっているある人たちの難しい状態を一層ひどくして,それらの人々を責めさいなむことに喜びを感じる」(ものみの塔1988年10月15日号)・「悪霊は、ある人々に対しては,睡眠を妨害したり,恐ろしい夢を見させたりして,夜中にいやがらせをします。性的に虐待する場合もあります。発狂や殺人や自殺にまで人々を追いつめることもあります。」(死者の霊)・「悪霊は私が眠ろうとする時に限って私を煩わせました。うつらうつらしかけると,その声が私を起こし,墓場や死について話しかけてきました。」(ものみの塔1987年9月1日)といった内容のことを、明確に繰り返し述べています。また、エホバの証人信者には「世の知恵」と称して精神疾患等については専門家の意見に耳を傾けない傾向や、あるいはそうした専門家の助言を避けるよう他の人に勧める傾向もあります。

このような明確なイメージを強く刷り込まれ、精神医療について懐疑的な態度を示す状況にあっては、エホバの証人たちはこれらの科学的な症状を、まさに「悪霊の攻撃」と解釈するのではないでしょうか。

しかも、統合失調症の発症率が日本国内でも1%程度とかなり高いことを考えると、もしエホバの証人のひとつの会衆が100人前後の関係者を擁するとすれば、エホバの証人の各会衆すべてに、確実に一人はこうした症状を抱える人がいるという計算になります。驚くほど閉鎖的な発想をする、聡明とはいえない長老や長老たち・古株奉仕者たちに事実上支配されている田舎の会衆などが多い実情を考えると、こうした症例が見られた場合に安易に「悪霊の攻撃」と判断されるケースは、実は通常の予想をはるかに上回る比率で起きている可能性があるのではないでしょうか。

また、エホバの証人は全世界に存在し、特に発展途上国で増加を続けていますが、そもそもこうした精神疾患についての理解が皆無に近く、専門的医療を受けられないばかりか悪霊に対する土着信仰に極めて強く影響されている地域もあります。また、『飢餓』は統合失調症発症の危険因子の代表例とされていますから、十分な食べ物の供給されない貧しい国々では「100人に1人」という日本の発症率を大きく上回る率で、これらの症例が発生していると考えられます。こうした国々でこれらの症例が見られた場合(そして、現に頻回に見られるわけですが)、果たしてエホバの証人関係者たちはこれをどのように考えるでしょうか。

「現に悪霊を見た!」と確信を持って語られるであろうことは、容易に想像がつくように思われます。

*統合失調症の症状

○統合失調症(上)死に神に追われる毎日

「あの患者さん、かわいいわね」「どこがかわいいねん。ブスよ、ブス」。深夜、ナースステーションから、看護師のひそひそ話が聞こえた。病室からは遠く離れ、声が届くはずはなかったが、大阪府の森実恵さん(49)は「私のことをうわさしている」と勘ぐった。16年前、大腸炎で入院した時のことだ。続いて、男性の声がした。「やっと会えたね。二人は赤い糸で結ばれていたんだよ」。大腸の内視鏡検査の時に、やさしい言葉をかけてくれた若い内科医の声だった。以来、森さんは好意を抱いていた。「先生が私にテレパシーを送ってきてくれた」。「テレパシーによる会話」は夜通し続いた。それが、後に命を脅かすことになる幻聴の始まりだった。森さんはそれまで、学習塾の講師などを務め、結婚後は主婦業に専念して2人の子供を産んだ。入院時に、下の子は9か月だった。子育てに追われる中、身内の葬儀などで疲労がたまり、下血した。そして気づかぬうちに、心を病んだ。退院後も、内科医との「会話」は続いた。うれしさをこらえ切れず、夫に打ち明けた。「私、超能力者になったの。テレパシーで先生と会話できるのよ」夫は冷静だった。「それが本当なら、テレパシーで約束して会えるはずだ」やってみた。近所の公園、駅……。待ちぼうけに終わった。「何かおかしい」。森さんは外来の時、内科医に打ち明けた。「私、先生の声が聞こえるんです」「それはうれしいですが、心療内科を受診してみてください」心療内科は、ストレスで引き起こされる身体症状などを中心に診る。幻聴の体験などを話すと、医師は告げた。「精神分裂病(現在の統合失調症)ですね」
約100人に1人がかかる病気だ。20歳前後に発症することが多いが、発症原因は解明されていない。その時、診察室に大きな白いもやが現れ、医師の脇をすり抜けて迫ってきた。もやの一部が大きな鎌(かま)に変わる。「死に神だ!」。診察室を飛び出し、電車に飛び乗った。だが、死に神も乗ってくる。次の駅で降りると、死に神も降りる。走っても走っても、追ってくる。疲れきって帰宅しても、死に神は横にいた。 処方された抗精神病薬は「毒が入っている」と疑い、あまり飲まなかった。間もなく「死ね、死ね」という男の声が四六時中、頭の中で響くようになった。「部屋中の壁から血がしたたり、生首や手首が転がっている」幻視も起こった。死に神が鎌を持ち、迫ってくる。子供を母に預けて家を飛び出し、近所を逃げ回る毎日が続いた。
(2008年1月9日 読売新聞)

○統合失調症(下)克服しても続く偏見

統合失調症の発症から1年がたった34歳の時、大阪府の森実恵さん(49)は、大学病院の精神科病棟に入院した。他人から責められる声が頭の中で響く幻聴や、死に神に追いかけられる幻視が強まり、耐えられなくなったのだ。その病棟は自由に出入りできず、自殺を防ぐため、病室には花瓶も置けなかった。一日1度、体操のため屋上に出た。青空が目に鮮烈で、花壇の花々が心に染みた。殺風景な病室で乾ききった心が、自然の力に癒やされるのを感じた。幻聴を抑える薬も見つかり、3か月目に退院できた。
ところが翌年、症状が再び悪化した。頭の中で「死ね、死ね」の連呼がやまない。見ず知らずの男女の声に、家族や知人、主治医の声も加わった。さらに別の幻聴は、不用意な発言で友人を傷つけたことなど、森さんが悔やむ過去の記憶を次々と暴き出し、「だからお前はこんな病気になるんだ。死んで当然だ」と迫った。「脳内の自分いじめ」がピークに達した夜、森さんは「死んだほうが楽」と衝動にかられ、自宅近くで、がけから身を投げた。途中の岩場で体が止まった。軽傷で済んだとわかり、今度は自分で頭を岩に打ちつけ、家を飛び出す前にポケットに入れた爪(つめ)切りで腕や眉間(みけん)を切りつけた。痛みは全く感じなかった。精根尽き果てたころ、夜が明けた。われに返り、ぼろぼろの体で家に戻った。以来、幻聴の勢いは衰えた。夫とは、この病気が原因で離婚したが、下の子供を引き取ることになった。幼稚園や小学校に通わせ、生活費を稼ぐため学習塾の講師として再び働き始めた。「無理にでも普通の生活をしたことが、良いリハビリになりました」森さんは現在、睡眠を促す薬だけを飲んでいる。幻聴は多少あるが、言葉にならない雑音ですぐ消える。
「統合失調症は回復する病気です」。病気の実態を伝えたくて、「森実恵」のペンネームで本を3冊書いた。「統合失調症の患者を危険視する人は今も多いですが、明らかな間違い。計画的で悪質な犯罪は、心の病で疲れ切った人には、とてもできません」患者の電話相談に応じる。寄せられる悩みの多くが、就職の厳しさだ。統合失調症は、病歴を公表する人がほとんどなく、治る人が多い現実が知られていない。森さんは「自分をさらけ出して伝えなければ」と思う。だが、「まだ学生の子供に迷惑はかけられない」。病気のことを打ち明けたら、学習塾の講師を続けられなくなるかもしれない。「統合失調症で最も怖いのは、社会の偏見という二次的被害なんです」病を克服してもなお、森さんの闘いは続く。
(2008年1月10日 読売新聞)

(この記事で経験を述べた森さんは、他の読売新聞の連載記事の中でも、自分の経験した症状について「幻視(鎌(かま)を持った死に神が追いかけてくる)、体感幻覚(男性がいないのに愛撫(あいぶ)されている感じ)、幻臭(甘い物のにおい、ドブ川のにおい)、幻味(血の味、ゲジゲジの味)……。すべての感覚が病に侵され、私は一人、シュールレアリズムの世界に漂っていました。一分間に三十回、一日四万三千二百回、一か月で百万回以上も「死ね」と言われ・・・ました」と述べています。詳しくは「統合失調症とともに」http://sound.jp/kuuon/Baobab/S.molimie.html をご覧ください)

2008年6月2日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析⑨

先回指摘した点、すなわち統合失調症の症状として①死ね・殺せといった幻聴があること②死神が襲いかかる等の、恐怖感を伴うハッキリとした幻覚があること③性的行為をされているという幻覚があること、などを考えた場合、エホバの証人の出版物がさも真実であるかのように述べる、①悪霊は人を自殺や殺人に追いやる、②悪霊を見た・感じたという目撃証人がいる、③悪霊は人々に性的虐待を加える、といった主張は、結局はこうした精神疾患からもたらされる症例をとりあげているに過ぎず、統合失調症に罹患した人の言う言葉を鵜呑みにしたもの、或いは、いいように利用したものに過ぎないと考えるのが通常の発想のように思えます。

ところで、ここで再度確認しておきたいのは、このサイトはおよそ悪霊を見たり感じたりする人の全てが統合失調症やそれに類する重度の精神疾患に罹患していると主張しているわけではないという点です。

コックリさんやポルターガイスト現象についての論考の際に述べた通り、普段何ら精神的に問題を抱えていない健全な人であっても、集団妄想なり個人的な強い暗示なりによって、自分が知覚したものを「悪霊現象」としてとらえたり確信することが有り得るわけです。要は、その本人が自分の脳内で「悪霊現象」なり「心霊現象」なりを感じ、これを外部の人間に確信を持って語りさえすれば、「悪霊現象」はできあがるわけです。その脳内での知覚をもたらすものが統合失調症であれば、それは典型的なケースなのでしょうが、こうした『脳内発想』をもたらすものは、統合失調症に限らず世の中に数多に存在するわけです。

こうしたもののもうひとつの例として「ドッペルゲンガー」について考えてみましょう。

○ドッペルゲンガー

1.ドッペルゲンガーの恐怖ー死をもたらす「もう一人の自分」

「ドッペルゲンガー」とは人が「自分そっくりの分身」を見るという不思議な現象です。エスカレーターを昇っていてふと顔をあげるとそこにもう一人の自分が立っているのを目撃したり、洗濯物を干していてふと横を見ると壁の向こうからもう一人の自分が自分をジーと見つめているのを目撃する、といったケースがこの現象の典型例でしょう。ドイツの伝説ではドッペルゲンガーを見た人は数日のうちに必ず死ぬといわれているそうですが、この種の伝説は世界中に存在するようです。ドイツの伝説のように、ドッペルゲンガーを見ることで死んでしまうという話もあれば、ドッペルゲンガーによって本人が殺されるという話も存在するようです。

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少し前の回で紹介した、精神科医風野春樹先生のサイト『私家族版・精神医学用語辞典』(http://homepage3.nifty.com/kazano/psy.html)には、このドッペルゲンガーの伝説について詳しく載っていますが、風野先生によると、中国や日本にも類似の伝承があるそうです。以下、『』内は前述のサイトからの引用文です。

『中国にも「離魂病」の伝承があり、「捜神後記」にはこんな話が載っている。外出した夫が、もう一人の自分がまだ床に寝ているという妻からの知らせを受け、帰ってみると確かに自分が寝ている。その姿をそろそろとさすっていると、だんだん朦朧となって、ついに消えてしまった。それ以来、夫はわけのわからない病気にかかって死んでしまった』

『日本の江戸時代の「奥州波奈志」という本には、奥州の実話として「影の病」という話が載っている。北勇治という男が、帰宅して自分の部屋の戸を開けると、机に向かっている男の後姿が見えた。着衣から髪の結い方まで自分そっくりなので怪しんで近づくと、相手は細く開いていた障子を抜けて縁先に走り出た。追いかけて障子を開いたときには、もう姿はなかった。家の者にそのことを語ると、母は何も言わずただ眉をひそめた。それから北は病に臥し、その年の内に亡くなった。実は、北家ではこれまで三代に渡り当主が己の姿を見て病を発し、亡くなっていたのである。北の母や長く勤める家来は皆これを知っていたがあまりに忌まわしいことのため誰も語らず、当代主人である北とその妻は一切知らなかった(以上の話は江戸川乱歩『幻影城』からとった)』

さらに風野先生は、藤縄昭「自己像幻視とドッペルゲンガー」(臨床精神医学76年12月号)という論文を引用して、典型的なドッペルゲンガーには、目の前数十センチないし数メートルのところあるいは側方にはっきりとした自己自身の像が見える・多くは動かないが、ときには歩行、身振りに合わせて動作する・全身像は少なく、顔や頭部、上半身などの部分像が多い・一般に黒や灰色、白などモノトーンであることが多い・平面的で立体感を欠き、薄いという場合もあれば、ときにはゼラチン様ないしガラス様に透明な姿で見えることもある・自己像は自己自身の姿とかならずしも似ておらず、表情が異なったり、衣服が異なったり、さらには若かったり甚だしく老けて見えたりすることもある、といった特徴があり、特に重要な特徴としてはどのような姿をとって現れてもその人物像が自己自身の像であると直感的に確信して疑わないという点を指摘しています。(ドッペルゲンガーの実例については、風野医師の紹介する実例を脚注に引用してあります。)

さて、このように「もう一人の自分自身の存在を現実に強く感じる」というこの症状のみを聞かされた場合、実に不思議な感じがするとともに、やはり強い恐怖感を覚えるのが通常ではないかと思われますが、この「ドッペルゲンガー」の正体は何なのでしょうか。

2.ドッペルゲンガーの正体

先に紹介したサイトの内容からは、どうやらドッペルゲンガーというのは、世界中に見られる現象であり(リンカーンや芥川龍之介も見たといわれているそうです)、かつ、「精神医学上の一症例」として扱われているらしいことがわかります。風野医師は精神医学の観点から、このドッペルゲンガーについて次のように述べています。

『このドッペルゲンガー、伝承とか小説の中の出来事と思われがちだが、実はこれ、精神医学界でも古くから話題になっている現象なのである。実際に、こういう症状を訴える患者が確かにいて、昔から多くの論文が書かれているのだ。もっとも、純粋に学術的な興味というより、いくぶんロマン主義的な関心(興味本位ともいう)であることは否定できないのだけれど(多重人格もついこの間まではそうだった)。最近では、精神科医の春日武彦さんが『顔面考』という本でドッペルゲンガーについて大きく取り上げていますね。』

例によって風野先生は、この症例の原因等については特に述べていないのですが、一説によれば、脳の側頭葉と頭頂葉の境界領域に脳腫瘍ができた患者がドッペルゲンガーを見るケースが多いと考えられているようです。脳のこの領域の機能が損なわれると、自己の肉体の認識上の感覚を失い、あたかも肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するかのように錯覚することがあるとのことです。

たとえば、スイスのチューリッヒ大学でドッペルゲンガーを研究しているピーター・ブルッガー博士によると、スイスに住むある陶芸家の男性は、頻繁にドッペルゲンガーを目撃しており、ある朝も目覚めにドッペルゲンガーを目撃したそうですが、その直後に激しい頭痛に見舞われたそうです。診断の結果、この激しい頭痛の原因は脳腫瘍であることが判明し、手術で腫瘍部分を切除したところ、それと同時にドッペルゲンガーを見ることもなくなったそうです。さらに、カナダの神経外科医ワイルダー・グレイヴス・ペンフィールド(1891-1976 従来悪霊により引き起こされると考えられていたてんかんの治療に尽力したことで有名)は、正常な人でもこの脳の領域に刺激を与えると肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するように感じられることを実験で証明したそうです。

また、ドイツのアーヘン大学病院医学部クラウス・ポドル博士によると、ドッペルゲンガーは脳腫瘍だけでなく、偏頭痛が発生する原因となる脳内の血流の変動による脳の機能の低下によっても引き起こされるとのことです。すなわち、偏頭痛が起きるときにはまず脳内の血流量が一時的に低下するという「前兆現象」が起こり、低下した血液を補うため一気に脳内に血流量が増え、これによって血管周囲の神経が圧迫されて激しい痛みが発生するそうです。この、脳内の血流量が一時的に減少するという偏頭痛の「前兆現象」が側頭葉と頭頂葉の境界領域で起きていれば、神経の伝達異常が生じ、ドッペルゲンガーの幻覚を見る可能性があるということだそうです。
(前述したリンカーンや芥川龍之介は偏頭痛持ちであったことが判明しており、この点を裏付けているものとも考えられます。)

このように、「ドッペルゲンガー」は科学的に十分納得の行く説明がつく現象であるわけですが、実際にこれを体験する本人は、少なくとも自分の「脳内」ではそれが現実であるために確信をこめてその経験を語りますし、その後に短期間のうちにその現象の経験者本人が死亡したりするため、周囲でこの現象について聞かされる人は極めて不可思議に感じるとともに非常に強い恐怖感を覚える事となるわけです。
ところが、こうした「ドッペルゲンガーを見ると死ぬ」「ドッペルゲンガーというもう一人の自分自身に殺される」という伝説も、結局は「脳に機能障害を患い、死期が近い人物が医学的な兆候としてドッペルゲンガーを見る」という客観的事実から発生したものであって、例によって「自らの無知ゆえに理解できない現象について、摩訶不思議な超常的説明やうわさ話を作り上げる」というパターンが踏襲されているだけとの解釈が可能であるわけです。

統合失調症にせよ、ドッペルゲンガーにせよ、とにかく共通しているのは客観的には全く事実が存在しないにもかかわらず、本人がその「脳内」において「現実である」と知覚するために確信を持ってその(存在しない)事実を経験談として語り、これを語られる側の周囲の人間が無知である場合や一定の方向に発想をコントロールされている場合にはさらに誤った確信に拍車がかかってゆく、という点ではないでしょうか。

3.すべての共通点ー「脳内発想」と「確信」

さて、ここまで集団妄想という一時的心理状態、統合失調症という精神疾患、ドッペルゲンガーという脳の物理的欠陥といういくつかの例だけを見ましたが、こうした例が教えてくれるのは、前述したような「脳内確信」というものは様々な原因で起こりうるとともに、時代・文化・人種等に関わりなく「およそ人」に普遍的に共通して見られる現象であるということではないでしょうか。

更なる別の例としては、たとえば既視感(デジャブ)についても、結局のところ「脳内で起こる現象」に過ぎず、人間の感覚から神経を通ってきた信号が何かのことで直接脳内に記憶として蓄えられ、脳が認識をした段階で既に記憶として存在するという事実を再認識する事によりおこる現象であるとも言われています。

こうした、「個人の脳内において、存在しない事実を事実として認識する」との現象を一々紹介していけば、実際のところきりがありません。

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多くの「悪霊現象」の正体は、これらの「脳内現象」に過ぎないでしょうし、そうした現象は様々な理由により、健康で健全な人たちにも十分に起こりうる現象であるわけです。

*ドッペルゲンガーの実例

『さてドッペルゲンガーの実例だけど、須江洋成らによる「多彩な自己像幻視を呈した非定型精神病(満田)の1症例」(臨床精神医学98年1月号)という文献には、まさにタイトル通り驚くほど多彩な例が報告されているので紹介しておこう。患者は26歳の女性。あるとき「就寝して間もなく壁際に黒い洋服を着ている人物が見えた」。「その人物はまるで影のようで、顔は見えなかったが、それは自分であるとすぐに確信した。自分を見つめているように思えた。夫に伝えようと視線をそらしたところ、その影は自分の視界に入ろうとするかのように移動した」という。これはごくオーソドックスなドッペルゲンガーといえる。18歳のとき最初に見たドッペルゲンガーは、「夜間に突然、向こうに歩いていく裸の人物が見え、『誰?』と声をかけて振り返った姿が自分であった」というものだったという。その後、「電車の中からホームを見ていて階段を降りていく自分が見えた」「ショーウィンドウに映る自分を見ながら髪を整えていたとき、隣で同じことをしている自分が映っており、何か話しかけてきたが間もなく消えた」「出前を取り、お金を払おうとしたところ、先に払おうとするかのように玄関に向かう自分の姿が見えた」など、さまざまなドッペルゲンガーを体験。 「歩いていたとき自転車に跨るようにして壁に寄りかかりながら自分を見ている幼い頃の自分が見えて、近寄ろうとしてつまづき顔を上げたときには消えていた」という年齢の違う自己を見た体験もある。さらに、隣の部屋から様子をうかがっているなど、近くにいるもうひとりの自分の気配を感じることもあるという。最後の二つの例からもわかるように、分身というのは、別に自分にそっくりだから分身であるというわけではないのだ。たとえ幼い姿であろうと、気配だけであろうと、それが自分であると「直感的に確信して疑わない」のである。最後の例などかなり怖いと思うのだが・・・。、さらに彼女はこのほかにも、極めて珍しい体験を報告している。幼い頃、衣服は異なるが薪を取りに行く母親と薪をくべている母親が同時に見えて、「どっちがお母さん?」と聞いてきた、という体験を鮮明に覚えているのだそうだ。 他人における二重身、とでもいうのだろうか。これは強烈な経験だったろうなあ。』ー風野春樹「私家族版・精神医学用語辞典」『ドッペルゲンガーDoppelgänger』(http://homepage3.nifty.com/kazano/dopel.html)

2008年6月5日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析⑩

○もうひとつの側面ーうわさ話

ここまで、エホバの証人組織内の「悪霊話」の正体として「広い意味での精神疾患」または「脳内現象」というものについて考えてきましたが、「悪霊話」のもうひとつの原因、「うわさ話」についても一応言及しておきたいと思います。もっとも、この「うわさ話」という事象については、先に述べたとおりすでに「バカ話、うわさ話野郎」の項で詳細に言及がされていますので、ここでは、そちらで述べたことの簡単なおさらいという形で話を進めてゆきたいと思います。
(1回で終わらせるので、少し長くなります。)

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1.うわさ話とは何か

すでに述べた点の要約になりますが、「うわさ話」というものについては社会心理学の観点から詳細な研究がなされており、①都市伝説、②流言、③デマゴーグ、という3つのものに分類されるようです。このうち都市伝説とは、「口裂け女」に代表されるような、人々がうそだと承知の上で楽しみの一つとして語られるものであるのに対して、流言やデマゴーグというのは、人々が「それは真実だ」と思い込んだ上で流布されてゆくものであり、異常行動やパニックをもたらし得る、危険で不健全なものであるわけです。(流言とデマゴーグの違いは、前者は誰からともなく伝えられた話が広まってゆくのに対して、後者は特定の扇動者が意図的に嘘を吹き込んで流布させる、という点にあります。)

こうした分類からいうと、エホバの証人内部の「悪霊話」というのは、関係者がそれを真実であると思い込んでいる点で、まさに「流言」の典型例であるといえるのではないかと思われます。そして、こうした悪霊についての流言の中にも「Aタイプ:精神疾患に関連した現象を悪霊現象ととらえて確信を持って伝えられる話」と、「Bタイプ:全く事実無根の作り話」の2類型が存在するといえるのではないでしょうか。後者の例としては「漫画ドラゴンボールは悪霊が鳥山明にアイディアを与えたものである」という話や、このシリーズの冒頭で紹介した「わらび」の話があげられるでしょうし、「聖霊が見えるおじさん」「悪霊に取り付かれた王国会館」といった話は精神疾患の症例についての目撃証言に尾ひれがついたものとも考えうるため、前者に属する事例なのかもしれません。いずれにせよ、「流言」であるとの前提で分析をすると、実にスムーズに整理ができるように感じられます。

さてこの『流言』ですが、以前紹介した、フランスの社会学者エドガル・モランの『オルレアンのうわさの研究』によれば、人びとが漠然とした不安や敵意、自分たちでは十分理解できない状況、既存の偏見といったものを抱えているときに、何かよくわからない事態や新しい事態が発生すると流言が生み出されることがあり、かつ、こうした流言は「すでに与えられている発想やイメージ、ストーリー」と結びつきやすいものであるということでした。
(具体的には、『オルレアンのうわさ』とは、フランス・オルレアン地方で一時広まった「ユダヤ人の経営する最新ブティックの試着室で若い女性が薬物を投与されて誘拐されてるらしい」といううわさだったわけですが、これは「オルレアンという田舎では最先端のブティックは危険なものとみなされ」、「ユダヤ人への敵意もあり」、「都市化という現象についても若い女性たちに危険な自由化をもたらすと感じられており」、「他方で若い女性たちはブティックに憧れを抱いており」、こうして生み出された漠然とした偏見・敵意・好奇心が「女性のかどわかし」「密室=性・危険性」という既存の発想やイメージと結びついて『流言』が発生した、ということでした。)

そして、流言についてのこのモランの分析は、エホバの証人内部の「Bタイプの悪霊話」には、実に的確に当てはまるように思われます。

エホバの証人内部ではこれまで、特定の有名人が悪霊の影響を受けて成功した、といううわさ話が繰り返し流れてきています。古くは「ピンクレディ」、最近では「XJapan」や「L’Arc〜en〜Ciel」が悪霊からヒットを確約されたといううわさ話が存在するようですし、L’Arc〜en〜Cielにいたっては、ある時期に発表した2枚組みアルバムの名前が「ark 」と「ray」(アクレイ)であったため、悪霊に影響されていることは間違いないとの話が出たこともあったそうです。この種の悪霊話の最たるものは、鳥山明が「エホバの証人2世を真理から離すために悪霊からアイディアを教えられてドラゴンボールを描き、後にそのことを当の悪霊から伝えられて鳥山氏がエホバの証人となり、東海地方の巡回大会でその旨の経験談を述べた」との話でしょう。

これらはすべて事実無根であると考えられるわけですが、モランの分析を念頭に置くと、どうしてこうしたうわさが蔓延するのかという点にすぐに合点がいきます。エホバの証人の人々は、一般社会を「この世」と称し、強い警戒心や敵意・漠然とした不安感を抱いているわけです。他方で、内部の若者たちは「この世」に憧れを抱く場合も多いですし、こうした傾向に対する大人たちの古典的な警戒感も存在します。そうした中で、これらミュージシャンや漫画家の「先鋭的発想」「爆発的ヒット」「ビジュアル系、あるいは『大魔王』等の名称の使用という奇抜さ」などといった特徴を持つ新しい事態に接することにより、漠然とした敵意・警戒感といったものが「悪霊の影響」という既存のストーリーと結びついて、「不気味で強力な流言」という事象を生み出すわけです。この種の「悪霊話」には、大抵の場合は「責任ある兄弟の指示に不従順であったところ悪霊の攻撃を受けた」「従順であったところ難を逃れた」「悪霊とかかわりのある人の罪が奇跡的に暴露された」といった、何らかのエホバの証人組織に都合のよい教訓が伴う場合が実に多いわけですが、こうした特徴からも、何らかの「既存の発想・与えられた教え」によって「作り出された」話であることをうかがい知れるのではないかと思います。

(いつも思うことですが、エホバの証人という団体内部では、こういった群集心理現象や社会学的事象が絵に書いたようなモデルケース的に観察されることがよくあります。他の例としてはたとえば「ネットワークビジネス」の蔓延などがあげられると思いますが、「連鎖的に人をだます心理的テクニック」的なものをJW組織内に持ち込んだ場合(そしてそれはいつもJW信者自身によって持ち込まれるわけですが)、極めて効果的にその種のテクニックが機能するように感じられます。これはとりもなおさず、JWが、健全な判断能力や批判能力がなく無防備にコントロールされやすい人々が集められた組織であること、または、健全な判断能力や批判能力がなく無防備にコントロールされやすい人になるように教育される組織であることを示しているものだと、どせいさんは感じています。)

社会学的観点から物事を考えると、「悪霊という化け物」の話自体は恐れるに足らないものの、不安定な団体・組織の生み出す「不気味な流言」という事象には現実の空恐ろしさが感じられ、むしろこの「流言」という事象そのものこそが危険な「化け物」であり「ぬえ」であると感じられるのではないでしょうか。

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(ぬえ- ねたみや敵意、恐れなどの人間の悪感情により生み出されるとされる想像上の化け物。「ぬえ」という言葉は「得体の知れないもの」という意味でも使われる)

2.流言の蔓延する組織の特徴・本質

(1).情報統制

さらに、アメリカの社会心理学者オルポートとポストマンの研究によっても、流言の発生量は「自分のいる状況理解の曖昧さ」に比例するという点が指摘されていました。つまり、人々が自分のいる状況・社会・世界についての知識が不明確なときには、不安を感じてその不安から逃れたりなんとか自分たちなりの答えをだそうとするために流言が生み出さることとなり、他方で、事態が正しく把握され、状況に対する知識が明確であれば流言は発生しないわけです。 わかりやすく言えば、的確な情報の与えられない激甚災害後や、言論・思想の自由のない抑圧的な社会で(かつての共産圏など)は、流言が発生しやすいわけですが、これは「情報がない・何がなんだかぼんやりしていてわからないということの恐怖感」から何とか逃れようとする人間の悲痛な行動原理に由来するものと考えられています。 
 
この点、大学教育やインターネットなどの正確な情報にアクセスする手段を用いることの「危険性」が強調され、自らの組織・教理についての批評を「汚れ」等と表現して絶対悪とみなすエホバの証人内部においては、共産圏の人々同様、信者たちは「正確な情報」というものから引き離されており、こうした「思想・言論の自由」の事実上の抑圧が、「悪霊話」という不気味な魔物を生み出していると考えられるのではないでしょうか。「もうすぐ終わりが来る」といわれながらいつくるかもわからず、抽象的に「終わりの日のしるしが存在する・この世は終わりだ」といわれながら具体的にはそれを感じることもなく、「悪霊の現実の攻撃がある」と繰り返されながらそれを見ることもない、という状況の中で次から次へと生み出されて蔓延してゆく「悪霊話」には、「ハルマゲドンが来るといわれながらこないため、自分たちでそれを引き起こしたオウム真理教」と、どこか似たところがあるような感もあります。

これらに加えて、エホバの証人信者には「自分たちは特別な人間」「自分たちには世の人にはわからない特別な知識が与えられている」という強い思い込みがあるため、この世の中で大ヒットする様々な事象について、「世の人は知らないけれども自分たちはあれが悪霊の仕業だと知っている」と感じさせる「悪霊話」は実に耳障りがよいものであるはずです。「自分たちに何か特別なことが起こる、自分たちに何か特別なことが起こる」と繰り返されながら、「何も特別なことが起きない」世の中で、刹那的にその欲求を満たし、一時の高揚感を与えてくれる「悪霊話」は、信者たちの精神的渇きを癒す歓迎されるべき話でもあるというのが実際のところなのではないでしょうか。

(2).複数のチャンネルの存在

この流言の「派生経路」について、アメリカの社会学者シブタニは、エホバの証人組織にも的確にあてはまる興味深い指摘をしています。シブタニは、人は前述のような「情報のないことによる不安感」を感じ、自分たちの行動を決めるために知識を求める場合、『公式の制度的チャンネル』と『非公式の補助的チャンネル』という二つ経路に頼ることになる、と説明しています。マスコミは『制度的チャンネル』であるわけですが、激甚災害や言論統制等によりこれが機能しない場合には、クチコミやうわさという『補助的チャンネル』が機能しはじめ、流言という化け物はこの経路の中で産声を上げ、肥大化してゆくわけです。

エホバの証人についてこれを見ると、出版物・協会からの手紙・大会での発表などは『公式の制度的チャンネル』なのでしょうが、エホバの証人がこの世で本当に特別であることを示す劇的ニュースはこの正式な経路では十分にもたらされません。(なぜならそういう事実は存在しないし、公式チャンネルには「証拠」が残るために、そうそう虚偽は書けないからです。)そこでエホバの証人内部では、『補助的チャンネル』が機能することとなり、この二次的ルートは実に強力かつ広範に整備されています。

たとえば、「開拓奉仕学校のお昼に語られる経験」「建設奉仕の現場で食事の時間に語られる経験」「旅行する監督や訪問講演者との交わりで語られる経験」「大会ホールの定期清掃の自発奉仕のお昼に語られる経験」などは、二次的ルートの代表例でしょう。これらのいわば「準公式」な場においては、確認の取られていない「どこかで聞いた」程度の話でも裏を取らずに無責任に語られることがあり、それでいて「公式の場で聞いたから間違いないだろう」という信頼感から「間違いのない話」として確信を持って伝えられるわけです。こうして各会衆単位に持ち込まれた「流言」という化け物は、その後、「群れの奉仕の時の会話」「研究参加の時の会話」「交わりでの会話」という、さらに細かな経路を通じて、各個人にばら撒かれてゆくわけです。

かくして、エホバの証人内部のどこかで発生した「悪霊話」或いは、精神疾患等に由来する「悪霊を見た・感じた」という確信を伴った目撃証言は、基本部分についてはその原型をとどめながらも、各過程においていいように尾ひれがつき、誇張され、組織に都合のよい形での教訓も付与されて、国単位・文化単位の大きな枠の中で拡散し浸透してゆくこととなるものと考えられるのではないでしょうか。

3.社会学的分析の教えてくれるもの

さて、駆け足で「流言についての社会学的分析」という視点から「悪霊話」について考えてみたわけですが、こうした学問的視点からエホバの証人組織内部の現象を考えると、実に簡単に整理がつくとともに、理性的で合理的ないくつかの結論が容易に導き出されるのではないかと思います。エホバの証人組織が、こうした教育を受けないよう、躍起になって若者に警告するのがうなずけますし、学問的批判の対象とされることを病的に恐れるのもこれまたうなずけます。

結局のところ、エホバの証人内部の「悪霊話」は、その信者たちが十分に教育や情報を与えられず、一般社会に対する敵意や警戒心を植えつけられるといった実情からくる無知・警戒心・敵意・恐れ・混乱といったものから生み出される、不健全な負の産物であるととらえることができるわけです。

エホバの証人たちは好んで「あなた方は真理を知り、真理はあなた方を自由にする」という聖句を引用し、自分たちが迷信や恐れから自由にされていると主張しますが、実のところは一般社会の人々には全く無縁の迷信的恐れ・敵意・混乱・無知といったもののくびきの下におかれており、こうした「悪霊話」というものの存在が、これら惨めで不健全な状況の確たる証拠となってしまっているのではないでしょうか。

一般社会のほとんどの人たちがはるか昔に克服した「恐怖」という化け物に、エホバの証人信者の人々は今も自ら囚われている、というのが実際のところのように思われます。

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(フュースリー「悪夢」 1802)

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