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「エホバの証人」についての情報サイト

2005年12月26日

『JWプレコックス感』野郎⑯

ところで、今回の「JWプレコックス感野郎」なんですが、どせいさんが自分で書いている最中に感じてたのは、どうも「エホバの証人組織に対する批判的表現」が強い感がだいぶあるな、という点なんですよね。

考えてみると、エホバの証人は「信じること・信じ込むこと」を土台とした宗教団体であって、その信じているご本人たちに文句がないのであれば、その価値観の多様性を尊重して、いらん批判なんか外部からしないでおくのが本来の姿であるとは思うんですよね。

何度も繰り返すように、「神のみ言葉の研究と組織の訓練により自分たちは他に例をみないすばらしい組織を構成していて、たまに変な人がいてもまったく問題ないんだ」と個々の信者が考えているのであれば・或いは組織そのものも「自分たちは不完全ながらも神のご意志を行うためにできる限りを尽くしているんだ」と誠実に考えているのであれば、それらの主観的評価と外部からの評価に食い違いがあると思えても、それはそれでその主観は尊重してあげて、今回どせいさんがしたようなよそからの批判を意地悪に加える必要はないと思うワケです。まさしくこういう世界なワケですよね。

しかしですよ。今回どせいさんがエホバの証人の「変さ」について長々長々と書いたのは(そしてこれからも書いていこうと思うのは)、個人としてのエホバの証人にも組織体としてのエホバの証人にも、どうもこういう「苦笑を誘うけども、純粋なんだから尊重してあげようか」というレベルを超えた悪質で卑怯な態度が見え隠れするからであり、しかもそれによってちょっとシャレにならない深刻な被害が長年にわたり広い範囲で引き起こされてきてるのではないかと考えるからなんですね。「JWプレコックス感」の根本原因は「虚栄心」ではないかというのが今回の結論だったわけですが、まさにこの「虚栄心」によりいろいろよろしくないことがエホバの証人組織内でおきていると思うんですね。

 
 
まず個人的レベルでいくとですね。
エホバの証人を構成する人々のうち、その多くは純粋で正直で人を疑うことを知らない人たちであるとどせいさんが考えているということは再三再四述べてきました。そして、「人を疑うことを知らない」というよりもさらに強く「立派な人間性を持つ(かのような)人に強い魅力を感じる」というレベルの人がとても多いとも思うんですよね。人と少し違った雰囲気がある人や、表面的にうまく立ち回れる人がいると、それを立派な人と強く思いこむ傾向もあるのではないかと思います。これは簡単に言うと「単なる変人」や「無責任な人間」に不必要に強い信頼を寄せるということなワケですが、自分たちはすばらしい団体を作り上げていると誇示したい組織から「信仰の仲間」や「資格ある兄弟」を信頼するように教育され強調されることも手伝って(てかそっちが猛烈にメインの理由だけど)変な人と接しても、どこかおかしいんではないんかい?と考えることもできず、とにかく長老・開拓者・奉仕の僕でありさえすればそちらが正しく、もしその人たちが間違ってると感じても自分の判断力のほうがおかしいんだと自ら思い込むという構図が出来上がってると思うんですよね。(世の中に見られる「どこかおかしい」別の例 ここをクリック)

さて、こういう批判できない人たちで構成される社会で恐ろしいのは、悪意のある人間や身勝手な変人が現れた場合に、その存在やその人の引きおこすトラブルをその社会内で是正できないということなんですよね。まあ世の中にはですね、本当になんの中身もない、完全に間違った愚かさ100%っていう戯言を平気で朗々と話し続けたりする人が結構いたりするもんなんですよね。大抵こういう連中はなんか「それらしい言葉」を並べるので、一見すると難しいことをいってるかのように思え、それをいってる本人も勝手に「オレってすごいだろ」みたいに思ってるワケなんですが、ある程度教育を受けた人間が聞くと、その言葉は中身が何にもないまったく無意味な内容だということが指摘できたりするシロモノだったりするんですよね。結局こういう人ってのは、実にハッキリいってしまうと「単なる偉そうなバカ」であり、その言葉も「単なる屁理屈」なわけで、ちゃんとした社会ではこういう人たちは簡単にハジキ返されてしまい,安いキャバクラとかそういう場所(つまり対価を支払ってハナシを聞いてもらう場所)以外では相手にされないので結構なんですが、上に書いたような社会内でこういう身勝手な人が出現すると周りは本当に悲惨なわけです。(世の中に見られる「身勝手な人」の例 ここをクリック)

この点、実際にエホバの証人の信者のうち、長老やその妻などをはじめとする多くの人々は、「自分自身の言動・判断がどんなにおかしくても、周囲の人間は全てそれを善意に解釈し、誰からもどこからも健全かつ実効的な規制・監督・批判を一切受けない」という状況に人間性を完全に腐らせ、他の人の上に権威を振るい、他の人の人生に好きなように無責任な干渉をすることで、「虚栄心を満たす」という自らの欲求を満足させ続けているんではないですかね。そりゃね、巡回訪問や排斥の制度で是正はなされているとかって考える人もいるとは思いますが、結局「淫行」とかの「霊的罪」を明らかに犯さない限り、長老の不遜さ・知性の欠如・意地悪な態度・えこひいき等々の人間性についての問題は10年20年30年と放置されるのが普通ではないのですかね。

善意でしか物を考えられない人が多く集まってる社会の中で、人のことなどお構いなしに自分の権威への欲求のことだけを考えるこういうヴァカが出てくると、周りの人は「いつかエホバが正してくださる」とか「こうした状況でも正しい見方を示すことで組織への忠節を示すことができる」とか「自分の見方が悪いんだ」などと考えて我慢に我慢を重ね、精神的な健康を損なったり、プライバシーに土足で踏み込まれて深い傷を負ったり、恋愛や結婚や進学や転職等について無責任かつ完全に誤った決定を選択させられたりすることにより、人生メチャメチャにされてしまうわけなんですよね。こういう程度の外道ならまだ許せますが、エホバの証人組織内で他の人の善意を足蹴にして利己的になってる連中についてはほんとにしゃれにならんワケです。自分には子供もいない連中が「子供にムチが足りない」などと平気でいい、自分は結婚している連中が若い姉妹とかに「結婚するな」といい、自分は大学行ったこともない連中が「大学教育の危険」について若い人に強調したりするわけですからね。

 
 
10年20年30年経ってようやくアホ長老が降ろされて、それを見て「エホバが物事を正して下さった」なんて言うのは、信仰とか忠誠とかっていうよりも、単に「正義の感覚に背を向けよう逃げようとする姿勢」・「何が善で悪かを理解できない悲劇的な無知」、そして「その間に引き起こされたいろんな被害を無視しようとする弱々しい態度」に過ぎないとどせいさんは思います。

こうした状況に対してはやっぱり健全な批判を加え、そもそもこうした人間は神と兄弟への愛などではなく虚栄心という利己的理由で動いている可能性が高いこと・その言ってる内容も知性や責任感が完全に欠落した単なる自己満足用の屁理屈に過ぎないこと・そしてそれにもかかわらずこういう不誠実かつ頭の良くない連中があがめられているという構造全体が『JWプレコックス感』を引き起こしているんだ、ってことをみんなが的確に指摘していかなくてはなんないのではないかと思ったわけなんですな。

ていうかまあ確実に利己心でやってますよ、こういう偉そうな人たちは。「『利己心でやっている』に残り3000点全部』って感じですよ、どせいさん的にはね。

こういう人の言うこと聞いてはいけません、とどせいさんは思うワケです。

 
 
 
もう一回だけ続くと書きましたが、書ききれないのでもう一回だけ続く。人生そんなもんさ。

2005年12月27日

『JWプレコックス感』野郎⑰

次に組織というレベルについてなんですが。
組織についてもやはりですね、「誠実にその責務を果たそう」という態度よりも、どうも「虚栄心を満たしたいという利己的な態度」や「逃げ隠れするような卑怯な姿勢」が本質的傾向になってるような気がするんですよね。

自分たちの権威性を強めることに関してはいくらでも基準を緩めて無責任な態度を示し、一方で自分たちの権威性を揺るがすことについてはなりふりかまわず卑怯な態度をとると。
なんかそういう感じがするんですね。

例えば、今回一例とした外国語組織を考えてみても、「つたない言葉でも命を意味する真理をなんとかその人たちの言葉で伝えようとする努力を払おう」という誠実な姿勢はあまり感じられず、むしろ、「国際色豊かな組織を形成しているという外見」・「大学教育を受けなくとも『協会の用意する訓練』さえカツヨウすれば外国語の能力を身につけられるという虚偽の外見」を作り上げるために、本来エホバの証人的には最も重要視されるべきはずの霊的教育やそれに携わる人間の質についてはいくらでも落として構わないという、無責任かつ矛盾した姿勢がひしひしと感じられる気がするんですね。

結局、霊的な基準や奉仕者の資格なんてもんは、ものみの塔組織自らが勝手に基準を作って決めてるわけですから、そちらの都合でいくらでも基準を落とすことなんてできるわけですよね。実際、実質的にまったく言語できないキョウダイタチが外国語会衆にいても「雑誌が語るので大丈夫だ」とか「聖霊の働きが助けてくれる」とか言ったりすれば、なんだか立派な多言語組織が形成されてるような外見だけはできちまうワケですから。

そんな風に、自分たちが第一にしていると声高に主張する「兄弟たちの霊的福祉」なるものと、「大学教育なんか受けなくても国際性豊かな組織を構成できるという見栄えのよい(虚偽の)外見」のどちらをとるかという選択肢に対し、結局「兄弟たちの霊的福祉」なるものをいとも簡単に犠牲にする姿勢に、自分たちが勝手に基準をゆがめられるものならいくらでも基準をゆがめて外見だけは保とうという無責任な姿勢、そして、そんな風に自分たちが勝手に基準を設定できるんだという思い上がった姿勢がみられると思うわけなんですね。

 
 
 
 
一方で世の中には、エホバの証人組織が自分たちではゆがめられない「厳然とした基準」を要求される場面が多くあるわけですが、そういうごまかしがきかない場面に直面すると、どうもエホバの証人組織はとたんに男らしくない卑怯で見苦しい態度を見せるようになるんですよね。

例えば、ものみの塔協会は多くの訴訟を抱えるようになってきてるわけですが、訴訟やってくにはそれなりの人数の弁護士、しかも、ものみの塔協会の考えにハイハイって従う弁護士たちが必要なワケです。ところが、大学教育を否定するこの宗教内では、組織の言うことを誠実かつ純粋に当てはめてきた立派な信者の中から弁護士を養成することなんてできるわけはないわけでして。

結局どうしたかというと、世で評価されるものを求め、大学教育を否定する風潮に逆らって大学に進学した2世信者たちを学歴に応じてべテルに呼び、そこで彼らの衣食住すべてをまかない、通常のべテル奉仕すらさせずに毎日毎日自分のお部屋で司法試験の勉強させていたようなんですよね。
しかもそれらの人間の教育には多額の費用がかかるわけですが、そうした費用は全て寄付でまかなうわけですよね。
当然それらの寄付には「べテルで奉仕するという目標のために協会の指示にしたがって大学進学しなかった2世たち」や「大学在学中に『真理』を知り、卒業目前に『世の知恵を避けるために』中退した1世たち」の寄付が多く含まれているわけですよ。

よく、「どうやらべテル奉仕者が司法試験に受かったらしい」といううわさが流れて、その際に「合格した兄弟たちは大卒ではないので一次試験から受けて合格したらしい」とか「合格した兄弟たちはべテルでの8時間の奉仕が終わった後に個人的時間を用いて試験勉強をして、合格したらしい」とかささやかれるらしいですが、そういうのは全部うそみたいです。

そして、こうした誠実な2世たちへの裏切り以外の何物でもないと思えるシステムの恩恵により司法試験に合格したべテルのキョウダイなんかは、組織の指示に忠実に従って大学へは行かず、多くのものを犠牲にして全時間奉仕している兄弟とかに対し、自ら面と向かって「あんたたちは人生の敗者だ」とかって言ってたらしいですね。
(エホバの証人情報センター>読者の広場>2003年の投稿>188.「大学教育に関するベテルの実態・偽善」-エホバの証人と司法教育)

結局こういう事実がばれると、大学教育を否定する方針と矛盾するわけですから、ものみの塔協会はこういう事実は信者にはひた隠しにしようとしているらしいです。

なんたって嘘ついてまで、上述したようなものみの塔にとって有利な虚偽のうわさを流すことに貢献する旅行する監督もいらっしゃるみたいですから。

こういうリョコウスルカントクってのはさ、アレと一緒でさ、1人いると300人はいるんだよね、きっと。(←もちろん日本に巡回区は300もないことを知ってて言っている。)

 
 
 
 
 
 
さて、ほんの一例をツラツラ掘り下げていくだけで、結構エホバの証人組織の本質が見えてくるような気がするんですが、どうなんでしょうね?(←もちろん今回の話はほんの一例で、これから先もいろいろ例を挙げてゆく気まんまん)。

さあ、ハナシ戻しますが、こういうことをやってる組織は「神と兄弟への深い愛を動機とする、唯一神に是認された清い組織」なんですかね?

「神から委ねられた責任を誠実に果たすため、兄弟たちに愛と謙遜のうちに指導を与える組織」なんですかね?

 
 
 
まあ、そうだと考える人はそれはそれでいいと思うんですよね。

 
 
ただね、どせいさんは全くそう思わないんですよ。

むしろ、自分たちは神を愛してる、神に忠実、だから神から権威を委ねられていると「神、神」言うことにより「本当に神のことを考えていると見せかけて実はその神の権威・神への人々の愛を自分たち自身の権威・自分たちへの愛とすりかえて、結局自分たちの虚栄心を満たすことを真の目的としている組織だ」と思えちゃうんですね。

 
 
思いっきりハッキリ言ってですね。

「エホバの証人組織」というのは、若い信者に大学にいかれると健全な批判能力や物事を本当に確かめる能力を身につけてられてしまい、自分たちを権威づける偽りの年代計算その他が簡単にばれてしまうので、何百万人という若い人たち・その一人一人の将来や人生を犠牲にしてでも大学に行かせまいとし、ワケのわからんヘッポコな言語訓練学校とかを作って「大学いかなくても言語を操れるようになるんだよ・必要な訓練、教育は全て組織の中にいれば受けられるんだよ」という偽りの印象を信者に与えている卑怯な組織に過ぎないんだと、どせいさんはオモイマス。

そして、その偽りを維持するためには自分たちが本当に重要だと標榜する霊的物事の質・長老たちの質はいくらでも落としてかまわないと考える、口だけの不誠実な組織なんだと、どせいさんはオモイマス。

こんな組織がどんなに口では耳障りのよいことをいい、どんなに見栄えのよいハリボテの外見を構築しても、様々な場面に垣間見せるその本質的態度は、まさに『正義の感覚』に反するものだともオモイマス。
こんな恥を知らない組織が「真理」だの「兄弟たちを指導する責任」だの「正直さの重要性」だのと言うのは、吐き気がする。

結局、こうした不誠実で利己的で女々しく卑怯な組織が、その自分たちの本質を隠しきれずに周囲に漂わせる不気味な雰囲気こそが、『JWプレコックス感』なのかなあともオモイマス。

 
 
 
 
 
 
 
 
もし、こんな不誠実で利己的で卑怯な組織が、本当に神の是認を受けた唯一真の宗教であるならば、そして、多くの誠実な人々や若者たちの人生を無責任に台無しにするこの組織に所属しその指示に従わないと来るべきハルマゲドンで滅ぼされるというのであれば、大いにけっこう

どせいさんは、こんな組織に属すことで命を救われるくらいなら、今まで苦楽をともにしてきた尊敬する友人たちや、掛け値なしで自分を愛してくれる親族たちとともに、自分の正義の感覚を信じつつそのハルマゲドンで死んだほうがよっぽどマシですね。