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「エホバの証人」についての情報サイト

2009年5月6日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察①

第1 序論
第2 エホバの証人教理が夫婦にもたらす影響
第3 裁判例に基づく分析
第4 妻を説得するべきか
第5 信者同士の場合
第6 結論

 
 
第1 序論
 
 エホバの証人という宗教団体を問題視する人たちのうち、この宗教が「家族や夫婦関係を破壊している」という点を主張する人は少なくありません。実際のところ、エホバの証人に関連して社会で取りざたされる問題のうち、真っ先に取り上げられるのは、輸血拒否の問題と並んでこの「家族の崩壊」という問題かもしれません。                    

 一方、非常に興味深いことに、エホバの証人の信者たち自身はというと、彼らの側は彼らの側で、自分たちの宗教が「家族生活を幸福にするものである」という点を機会あるごとに主張しています。『あなたの家族生活を幸福にする』・『幸せな家庭を築く秘訣』と題する本がこの宗教から出版されており、彼らの家から家の宣教での勧誘においても「家族生活を幸福にする秘訣を知りたいと思われませんか」といった文句が用いられることが多々あります。実際に「家族生活について聖書が述べるところを学んでみたい」と考えたことが、この宗教に入信するきっかけであったという主婦は、日本には少なからず存在します。さらに、エホバの証人の大会や集会などでも「幸福な家族」のモデルケース的な姿が「実演」や「インタビュー」により示されることも多く、この宗教が「家族」というものに少なからず関心があることは目に見えて明らかであるように思われます。

 では、実際のところ、エホバの証人教理は家族に対してどのような影響を与えるのでしょうか。今回は、この宗教が「家族」の中でも、とりわけ「夫婦関係」にもたらす影響について考察を加えてみたいと思います(「親子関係」など家族の別の側面に与える影響については別講で取り上げる予定です)。

 そして、可能な限り中立性を保つため、日本国内で出された実際の裁判例を紹介しつつ、その分析を行うという形で考察を進めてゆきたいと考えています。

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 なお、サイト作成者としては、これからエホバの証人になることを考えて彼らと「研究」しているという方や、「家族の誰かがエホバの証人信者になった」という状況の方などを念頭においてこの講を作成していますが、願わくば、現役のエホバの証人信者の方にもこの文章をお読みいただいて、客観的かつ中立的な視点に立った裁判官や法律家たちが、エホバの証人教理とそれが夫婦関係にもたらす影響ついて、どのような印象を抱いているのかを知っていただけたらとも希望しています。

2009年5月8日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察②

第2 エホバの証人教理が夫婦にもたらす影響

 まず最初に、一般的にいってエホバの証人の教え及びその活動が夫婦関係にどのような影響を及ぼし得るのか、考えられる点を簡単に列挙してみたいと思います。ここに示す点のうちの多くは、後述する数多くの裁判例の中で共通して繰り返し言及される点であり、したがって、社会内において類型的に見られる性質のものであると考えられます。また、そもそも仮に何らかのデータに基づかなかったとしても、エホバの証人の教理を注意深く調べさえすれば、論理必然的に導き出される点であると考えられるのではないでしょうか。

1. マイナス面
 
 ではまずマイナス面からですが、夫婦の一方がエホバの証人に入信した場合、以下に挙げるような影響が夫婦関係に及ぶことが考えられるのではないかと思います。

① 信者は最低でも週2回の集会(夜間に行われるものも含む)及び年数回の大会(大抵は数日間開かれ、終日行われる)、毎週行われる数時間の布教活動(人によってはほぼ毎日参加するケースも少なくない)に参加することとなります。
 したがって、家庭の主婦などが定期的に夜間家を留守にし、毎週日曜日も必ず一定の時間宗教活動に専念することにより、夫婦関係に支障が生じることがあり得ます。

② エホバの証人の教理では、誕生日やクリスマス、正月やひな祭り・七五三などを祝うことは厳に禁じられています。妻や子供たちが、ある日を境に突然誕生日やクリスマスを祝わなくなった場合、こうした家族行事を重視する家庭では大きな亀裂が生じるかもしれません。

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③ エホバの証人教理は葬式や通夜・法事への参加、神式の結婚式、焼香や参拝等の一切の宗教儀式への参加を強く禁止しています。また、一切の偶像崇拝も禁止されており、家庭内にある仏壇や神棚をある日突然処分しだす信者も存在します。こうした信者側の態度は、葬儀や法事などの際に親族関係に大きな亀裂をもたらしたり、宗教や伝統を重視する家庭においては深刻な問題を引き起こすことがあり得ます。

④ エホバの証人信者は、同じ宗教の信者以外のすべての人を『未信者』、その総体を『この世』と称し、可能な限り一般社会と関係を持たないようにすべきであると強く教えられています。たとえ夫婦や親子、親戚であっても、信者でないものは『世の人』すなわち避けるべき存在であり、本来赤の他人である信者たち同士こそが『兄弟・姉妹』であると考え るため、夫婦・親戚関係が冷淡になり、真の家族が強い疎外感を抱く結果となります。 

⑤ 信者たちの信じる神エホバは「全き専心」を要求する神であるとされ、エホバ神への愛や崇拝行為は他のすべての事柄に絶対的に優先しなければならないとされています。したがって、究極的には「夫を取るかエホバをとるか」「子供を取るかエホバをとるか」という命題を出されたとき、「エホバをとる」というのが大方の信者の答えであり、その旨を夫 に公言する妻も多く存在します。
 こうした状況につき、夫が強い疎外感や、妻の愛情に対する強い疑念を抱くようになることもあるかもしれません。

⑥ エホバの証人内部では、教団幹部により「行ってよい性行為と行ってはいけない性行為」すら具体的に指示されており、これに反した場合には自ら教団幹部に申告することが要求され、その後に公の制裁も与えられることとされています。
 通常の判断能力を有する一般人の感覚からいえば、こうした事実を愉快に感ずる人は皆無でしょうし、ある場合にはこうした教団の指示が、個々の夫婦間に深刻な問題をもたらすかもしれません。

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⑦ 夫婦に子供がいる場合、その教育方針に関連して問題が生じるかもしれません。エホバの証人内部では、「ムチ」と称される極めて深刻な児童虐待行為が長年にわたって奨励されてきたという事実があり、また大学教育についても、無価値かつ危険なものとしてできる限りこれを避けるようにとの教えが信者には与えられています。
 さらに、「この世」との接触を避け、宗教活動のために時間を確保するため、部活動に参加したり信者以外の友人を作らないよう子供が教育されることも多々あります。エホバの証人内部では、結婚を前提とした信者同士の恋愛以外の一切の恋愛は固く禁じられており、成人後も正規雇用の職に就くことなく宗教活動に没頭し、資産の形成等通常の経済活動は営まないよう幼いうちから強く教え込まれます。
 このような極端な価値観にもとづいて子供を扱い、生涯にわたって重大かつ深刻な影響を子供の人生に与え続ける 宗教信条を子供に植え付けようとする妻が、夫やその親族との間で様々な衝突を引き起こしうることは、容易に想像できるのではないでしょうか。

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2009年5月9日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察③

2.プラス面

(1) これに対して、エホバの証人側としては、夫婦の一方又は双方が信者になることにより家族生活は幸福になるということを、繰り返し内外にアピールしています。彼らがしばしば主張するプラス面としては、以下のようなものがあげられるかもしれません。

①信者になった妻又は夫が聖書の原則を当てはめる結果として、夫は妻を自分自身のように愛し、妻は夫を深く敬うようになる。また、これらの特質以外にも、辛抱強さや親切、正直さ、自制心といった特質を信者が培うようになるため、夫婦生活は幸福なものとなる。

②アルコール中毒や麻薬中毒といった深刻な問題を抱える夫が、神の基準を受け入れることによりこれらの問題を克服し、かつ「家族の頭」としての責任を果たすようになり、破綻した家庭が幸福な家庭になるケースが多く存在する。

③性道徳に関する神の高い基準(結婚関係外の性関係を一切禁止するエホバの証人の教え)は、多くの夫婦に貞潔な関係と信頼感・幸福感をもたらす。

④とりわけ、夫婦双方が信者となる場合、「神への崇拝」という固い絆が存在するため、夫婦はより親密かつ幸福になる。

(2) さて、上述したこれらの点は、エホバの証人の集会や大会での講話においても、或いは彼らの出版物の記事の中でも、さらには家から家の宣教での証言や「家庭聖書研究」における説明においても、しばしば目にし、耳にする主張であり、エホバの証人組織としてはこの点を全面に押し出すため、実際にこれらの点に関心を抱くようになり、彼らと「研究」するにいたる人も多々存在します。
 
 しかしながら、こうした「プラス面」を掲げる彼らの主張には、次に示すようないくつかの疑問点が存在します。

① まず、信者たち自身は、上に掲げたような「プラス面」が存在するという点について、実に「強い自負」を抱いているように見受けられますが、結局のところその自信のよりどころ・根拠は、「自分たちはエホバの証人教理のおかげで幸福になった」と自称する信者の経験談が、ものみの塔協会の出版物に載っていたり、大会等で語られるという点に帰結するように思われます。

しかし、そもそもそれら夫婦に関する「経験談」のほとんどは、「南アフリカに住むジョージは…と語りました。」とか、「インドのある夫婦は…と述べています」などといった程度のもので、極めて具体性に欠けるものばかりです。何十年も前に一度語られ、今現在はどうなっているのか全くわからないような「経験談」が繰り返し引き合いに出されることもしばしばあります。

エホバの証人信者の自負・自身の根源をつきつめて考えると、こうした「世界のどこかに実在する」との説明以外は一切情報が与えられていない、極めて抽象的な「経験談」が、断定的な結論とともに繰り返し繰り返し示されることにより、無意識的かつ無批判にこの教育を受け続ける信者全体の間に、「この宗教は夫婦に幸福をもたらしているのだ」という根拠のない巨大な思い込みが形成されてきているというのが現実であるとの印象を強く受けます。冷静に考えれば、実際に個々の夫婦がどのような問題を抱えているのかが明らかにされたり語られたりすることはエホバの証人組織内ではほぼありえず、現実の状況がどのようなものであるかは誰にもわからないのです。
(この疑問点は、後に示す裁判例の記述の具体性、その多様性と比較していただけば、さらに際立つものとなるのではないかと思います。)

② また、これら「経験談」においては極端なアルコール中毒や薬物中毒、深刻な犯罪癖など、多くの家庭にとっては無縁であろう問題から解放された、というような実に極端なレアケースがことさらに紹介されることが多くあり、大抵そうした「経験談」は遠い外国、特に発展途上国での経験であったりします。

こうした、そもそも実際に起きたか否かも確実ではなく、現在では状況はどうなっているかもよくわからない、「極端なレアケース」をことさらに示すことによって、自分たちの教理が、それを誠実に学ぶ人たちすべてに幸福をもたらすものであると主張するのは、なかなか説得力に欠けるのではないかと感じられます。
(*これらエホバの証人側によってことさらに示される「幸福な夫婦の実例」については、下の脚注部分で幾つかの例を引用してあります。)

③ 何より、「エホバの証人教理により様々な良い特質が培われ、夫婦の結合の絆が強まる」という彼らの主張は、結局のところ「非信者の配偶者の側がエホバの証人教理を受け入れるならばそうなる」という絶対的な条件を前提としているものであり、この都合のよい絶対条件が満たされない状況においては、結局その教理は何ら幸福をもたらすものではなく、かえってその教理によって不一致と分裂がもたらされるという事態を引き起こしている、というのが実際のところではないかと考えられます。
 
つまり、どんなに妻が「夫を愛してる、夫を愛してる」と言うようになったところで、その同じ妻が、結局は毎週毎週確実に日曜日に家を空け、究極では夫よりも神を確実に優先するということであれば、夫婦に深刻な問題が生じることを避けられない場面が当然に多々生じるはずです。ところが、「自分は夫を愛し、家事を頑張っているのだから、自分の宗教については一切妥協できないし自分の宗教活動は全面的に認められるべきだ」という発想がエホバの証人信者の根幹に存在するように見受けられます。「夫が妻の宗教の素晴らしさを認めさえすれば」夫婦ともに幸福になるのであり、「もしこの宗教の素晴らしさが夫により認められず、夫婦が幸福とはいえない状態である場合、それは夫の側の不寛容こそがその原因であり、妻の側は完全にその責任を果たしているのだ」、という独りよがりな考えが信者の心に大きく横たわっているわけです。
(しかも、個々の信者の妻たちも必ずしも「良い特質なるもの」を培っているわけではない、というのが多くの信者の家庭での現実でしょう。)
 
やや離れた視点で全体像をみるならば、エホバの証人たちは、彼ら自信が主張するように「家族生活を幸福にするために聖書を研究している」のではなく、むしろ「家庭聖書研究をさせエホバの証人組織に人々を入らせるために『これを学べば家族生活が幸福になる』と称しているにすぎない」と評価せざるを得ない印象があります。

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(3) そもそもエホバの証人がその出版物や大会の実演などの中で示す「幸福な夫婦」の姿は、アメリカ的文化の中でステレオタイプ的に示される、ある種「人形のような夫婦の理想像」であることが多く、「夫婦ともに信者であり、夫婦ともに熱心に教団活動に携わっている」というのが、その幸福の暗黙の絶対前提条件とされている場合がほとんどです。

 夫婦や家族の愛情にはさまざまな形がありそれぞれが自然な形で愛情を表現するのがもっとも幸福な形だと思いますが、エホバの証人信者の中には、教団側から繰り返し示される「幸福な家族のモデルタイプ」のようなものが常に存在し、非現実的なそのモデルタイプに形式的に合わせようとするがゆえに、個々の夫婦・家族に不自然なゆがみが生じているが実際のところではないかとの印象を強く受けます。
 
 
 
*エホバの証人の出版物内に示される「幸福な夫婦の実例」

-『聖書―神の言葉、それとも人間の言葉?』(1989年)第12章「高い知恵の源」26節より-

 「聖書の助言が実際に役立つことは,南太平洋地域から寄せられた次の経験にも見られます。ある夫婦は,10年間共に生活した後,自分たちの結婚は失敗であったと思うようになりました。それで,二人は別居の用意を始めました。その時に,妻はひとりのエホバの証人と話すことができ,結婚した夫婦に対する聖書の助言をその証人と一緒に研究しました。夫はこのように報告しています。「妻は聖書の原則を学ぶにつれ,それを自分の生活に当てはめる努力をするようになりました。数週間のうちに幾らか変化が認められるようになりました」。興味をそそられた夫は,妻のその聖書研究に自分も加わることに同意し,結婚した男子に対する聖書の助言を学ぶようになりました。その結果ですか。『今,私たちは真に幸福な家族生活のための基盤を見つけました』と夫は語っています。」

-『わたしたちの王国宣教』1999年5月号2ページ3節 「家族生活の改善」より-

「10年間の結婚生活ののち別れることに決めたある夫婦の場合もそうでした。しかし,その妻が聖書研究を始め,結婚生活に関する聖書の原則を学びました。妻が聖書の原則を当てはめてゆくにつれ,夫は妻が変化してゆくのにすぐに気づき,自分も研究に加わりました。「真に幸福な家庭生活を送るための基盤を見つけた」と夫は後に語っています。」

(サイト作成者注:これら二つの「経験談」は、内容が酷似しているため同じ夫婦による経験であると強く推認されます。このように、地球上のどこかに「実在している」との情報しか示されていない夫婦が、特に具体的根拠を示すことなく、極めて抽象的に語った「エホバの証人教理のおかげで自分たちは幸せになった」という結論部分のみの言葉が、10年や20年経た後も繰り返し使用される例はエホバの証人の教育において多く見られます。これら「経験談」を無批判に鵜呑みにするよう巧みに勧められるため、エホバの証人信者全体の間に「エホバの証人教理のおかげで夫婦は幸せになる」という根拠のないイメージが強く印象付けられる結果となっていると考えられるのではないでしょうか。)

-『目ざめよ!』1971年9月8日号8ページ-
チリに住むある主婦は,3人の子どもを持っているうえに,アルコール中毒の夫をかかえていました。夫は大酒が原因でよい仕事を失い,家族は貧民街に移転しなければなりませんでした。父親がアルコールに多くのお金を費やすので,子どもたちは食うや食わずの状態に置かれ,妻は家族を養うために働かねばなりませんでした。彼女はまた不愉快な態度を示し,夫と言い争ったり,夫に向かって金切り声をたてたりしました。
ところが,あるエホバの証人がその婦人を訪問しました。彼女は聖書に指摘されている人間に対する神の目的を学ぶことに興味をもつようになりました。また,クリスチャンの妻は夫に対して,アルコール中毒の夫に対してさえ,どのようにふるまうべきであるかを学びはじめました。知識が進むにつれて彼女は,夫を助けることができるより良い妻になれますようにと神に祈るようになりました。彼女の態度や行ないの変わりように夫は感心させられました。彼は酒を飲む量を減らしはじめました。そしてついに完全に酒を断ち,『飲み仲間』といっしょに飲み騒ぐこともやめました。彼はふたたび家族を顧みはじめ,お金を賢明に使うようになりました。家族の一致が取り戻されました。夫の説明によると,彼を正気に戻らせたのは,妻が聖書研究をはじめてから良いほうに大きく変化したのを見たことでした。泥酔していても,以前よりも親切に,思いやりをもって自分を扱ってくれることに彼は気づきました。最後に彼も同様な聖書の勉強を始め,家族生活に見られはじめたすばらしい向上が続くことを願っています。

-『ものみの塔』96年5月1日号30ページ 「王国宣明者の報告」より
スロベニアの,ある村のはずれに,一組の年配の夫婦が二人だけで住んでいました。夫のヨウザは60歳くらいで,アルコール依存症に関連したひどい問題を抱えていた上に,病身の妻リュードミーラの世話をしていました。ある日ヨウザのところに二人の王国宣明者がやって来ました。二人はヨウザに勧められて家の中へ入り,ヨウザの妻に会いました。王国の音信を聞いて,リュードミーラのほほには喜びの涙がとめどなく流れました。ヨウザもその音信を聞いて喜び,いろいろと質問しました。証人たちはその夫婦に聖書文書を何冊か配布して立ち去りました。
霊的な真理に対するヨウザの渇きはいやされていました。しかし,残念ながらヨウザには別のものに対する渇望がありました。18年ほどの間,ぶどう酒を毎日10㍑ぐらい消費していたのです。ヨウザは飲酒の問題があったので,自分の外見にあまり注意を払っていませんでした。しかし,アルコールの乱用に関する神の見方を学んだヨウザは,変化することを決意しました。毎日飲む量を記録して,徐々に飲酒の問題を克服するよう努力したのです。まもなくぶどう酒のとりこではなくなりました。聖書研究を通して,真のクリスチャンは身体を清潔にしておかなければならないことも学びました。それでヨウザはお金を証人たちに渡して,「クリスチャンの集会や野外奉仕で見苦しくないようにするために必要な衣類を何でも買ってきてください」と言いました。証人たちは,下着,くつ下,くつ,ワイシャツ,スーツ,ネクタイ,書類かばんを持って戻りました。ヨウザとリュードミーラは1年間聖書を学んだ後,証人たちと一緒に家から家の伝道の業を行なう資格を得ました。それから3か月後,二人はエホバの証人の地域大会で神への献身の象徴として水のバプテスマを受けました。この謙遜な男性とその妻の生活にもたらされた好ましい結果は,神の言葉には人を変化させる力があることを証明しています。

『ものみの塔』91年1月1日号より
オーストラリアからの報告を見ると分かる通り,聖書の真理は人格を変化させることができます。1987年1月の初め,ある男の人が,強盗と文書偽造の罪で25か月の懲役刑に服したあと,オーストラリアからニュージーランドへ移送されました。この人は麻薬中毒にかかっていただけでなく,17年以上も麻薬の売人をしていました。その翌年,その人の妻がエホバの証人と聖書を研究し始めました。夫は妻の知識が増すにつれ,妻の行状が大きく変化してゆくことに気づきました。彼女は以前よりも良い妻,良い母になりました。夫は妻の勧めで1989年6月の巡回大会に出席し,家庭聖書研究にも応じて,外見や生き方に大きな変化が見られるようになりました。7人の家族全員が集会に出席し始め,その男の人はエフェソス 4章17節から24節にあるパウロの優れた諭しに従ってきた者として,1990年1月にバプテスマを受けました。

ー『ものみの塔』01年2月1日6ページよりー
ジェーンという若い女性は,現実から逃避しようとして,マリファナ,たばこ,コカイン,アンフェタミン,LSDその他の麻薬を常習的に使用していました。酒にもおぼれていました。ジェーンによれば,夫も同じような状態だったということです。二人の将来の見通しは暗たんたるものでした。そのような時に,ジェーンはエホバの証人と接し,クリスチャンの集会に出席して,「ものみの塔」誌と姉妹誌の「目ざめよ!」誌を読むようになりました。夫もそれに加わり,二人で一緒にエホバの証人と聖書を研究し始めました。エホバの高い規準に関する認識を深めた二人は,薬物乱用と手を切りました。その結果どうなったでしょうか。数年後にジェーンはこう書いています。「生活が新しくなって,深い喜びを味わっています。人を清める神の言葉の力と,自由で健康的な生活を送れるようになったことを,エホバに心から感謝しています」。

(サイト作成者注:後に示したこれらの「経験談」も、エホバの証人の用いる経験の典型例であるように思われます。単に名前のみの情報しか示されていない「実在する」とされる人物が、「エホバの証人教理を受け入れることで夫婦生活を幸福なものにした」との単純で端的な結論だけが強く示されます。多くの場合、これらの「出来事」はどこか外国で起きており、しばしば暴力や薬物乱用など極端な問題を克服したという点がことさらに強調されます。)

2009年5月10日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察④

第3 裁判例に基づく分析

 では、一般論はここまでにして、実際に日本国内で生じたエホバの証人信者の離婚訴訟の具体例について考察してゆきたいと思います。

1.裁判例についての雑感

 まず最初に、日本国内の「エホバの証人離婚訴訟」の全体像につき雑感を述べておきたいと思います。

 現在Web上のシステムやDVDなどの形で、法律実務家や大学の研究者などを対象とした「判例検索システム」が幾種類か存在しますが、そのうちの一つを利用して「エホバの証人」で検索してみると、実に多くの裁判例がヒットします。そして、驚くことにそのうちの大多数、約20件の裁判例は、輸血拒否の判例でも武道の拒否の判例でもなく、エホバの証人信者の「離婚訴訟」についての裁判例です。

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 また、最近、第一東京弁護士会の人権擁護委員会から『離婚をめぐる相談100問100答』という書籍が出版されましたが、その中には「信仰の自由と離婚」と題する独立した講が設けられており、実質的にこの講は「日本国内でエホバの証人が引き起こす夫婦問題」について扱った講となっています。というのは、この講の中では14の裁判例が紹介されており、その全てがエホバの証人教理とその活動を理由とした離婚訴訟の裁判例となっているからです。

 これらの検索システムや専門書は、裁判官や弁護士といった法律実務家が類似事例に直面した場合の先例とするために事務的に用意されているものです。したがって、特に何の偏見も持たない(偏見を持つ理由がそもそも存在せず、中立的であることが職業的に強く要求されている)裁判官や弁護士、法律研究者の中に「エホバの証人」について調べたことがある人がいれば、この宗教は一般的にいって「夫婦関係に問題を引き起こす宗教である」との第1印象を持つのが当然のことであるように思えます。
(これに対して、エホバの証人信者の人たちの多くは「エホバの証人が家族問題を引き起こすと考えるのは偏見であり、物事をよく知らないからだ」との主張をされますが、その主張には客観的な根拠が存在せず、物事をよく知らない(或いは事実を知らされていない)のは、残念ながら個々のエホバの証人信者の側であると、結論付けざるを得ないのではないかと考えます。)

この点、高名な弁護士である滝本太郎氏が、「弁護士10年やれば、エホバの証人の離婚事件の相談は、誰でも一度は受けるのではないか」と発言されていることや(*注1)、朝日中央綜合法律経済事務所グループの作成している「離婚完全ガイド」(*注2)内の「離婚の基礎知識」の項などにも、複数のエホバの証人離婚裁判例が離婚訴訟の典型例として紹介されいることなどは、大変興味深い事実です。

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 なお、付言すると、これらエホバの証人教理により引き起こされた離婚訴訟の裁判例のうち、「妻が信者であり夫が一般人である」というケースの割合は、実に「100%」でした。エホバの証人の実態についてのデータを取ることは極めて困難であるといわれていますが、裁判例に見られるこの貴重な事実からは、日本国内では、エホバの証人には妻のみが入信するケースが多く、信者でない夫と信者となった妻との間で問題が生ずるケースがほとんどであると一応結論付けることができるのではないかと考えられます。

 では幾つかの実際の裁判例につき、以下、比較的詳細な形で判決文を紹介するとともに、本サイト作成者からの簡単なコメントを示してゆきたいと思います。
(以下に示す、「裁判所の認定した事実」や「裁判所の判断」の項目の下の文章は、全て実際の判決文からの直接の引用です。但し、読みやすさへの配慮から、「甲・乙、控訴人・被控訴人」といった表現を「夫・妻」に置き換えており、また判決文で付されている仮名を「長男・長女、ニ男・二女」といった表現に置き換えてあります。これら以外は、全て裁判官の記した判決書そのままの表現で引用してあります。)

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*注1ーURL:http://sky.ap.teacup.com/takitaro/568.html

*注2-URL:http://www.ac-rikon.jp/information
/information01/index03.html

2009年5月13日

エホバの証人と夫婦関係-裁判例に基づく考察⑤

2.裁判例の紹介

①広島地方裁判所平成5年6月28日判決
(妻の宗教活動(エホバの証人)を理由とする離婚請求が認められた事例)

■裁判時の夫婦の状況:

結婚14年目で13歳の長男と9歳の長女あり
結婚3年目に妻が入信

■判決内容:

夫と妻は離婚する。
長男・長女の親権者を夫と定める。

■裁判所の認定した事実:

 結婚後の夫婦関係は概ね円満であったところ、妻は、昭和五七年九月ころ、エホバの証人のクリスチャンの訪問を受けたことからエホバの証人を知り、同クリスチャンに一週間に一回位定期的に自宅に来てもらって聖書の説明や右宗教の話を聞いていた。昭和五八年一月夫の転勤に伴い転居後もエホバの証人のクリスチャンに同じように定期的に自宅に来てもらって同宗教の教えを学び続け、昭和六○年五月ころからエホバの証人の集会が開かれる王国会館に行ってその集会に参加するようになった。夫はエホバの証人のクリスチャンが自宅に来て妻に右宗教の話をしていることを知り、妻にはっきりとは言わなかったが、これを嫌っていた。妻も夫の態度から夫が嫌っていることは知っており、クリスチャンの来訪中たまたま夫が帰宅すると、右クリスチャンは直ちに帰ってしまうこともあった。
 昭和六○年六月夫が転勤になったころ、エホバの証人の輸血拒否事件が報道されたことがあり、それをきっかけとして夫は妻に対しエホバの証人の信仰を止めるようにはっきりと言うようになり、妻がこれを聞き入れないと妻が持っていた聖書の手引書を投げ捨てたりした。また、妻は午前九時三○分から午前一一時三○分まで開かれる日曜日の集会に子供二人を連れて行っていたが、夫は同年七月ころから、妻がこの集会に参加しようとするや、妻を殴打したり足を蹴ったりする等の暴行を加えて右参加を阻止しようとした。結婚後夫が妻に暴力を振ったのは右が初めてであった。同年八月夫婦は墓参りに行ったが、その際、妻は行くことは行くが墓に手を合わせることはできないと言って夫と口論となった。同年秋、秋祭りの際近所の子供らはみこし担ぎをしたが、妻は長男(当時五歳)を妻の信仰上の理由から右秋祭りに参加させなかった。長男は近所の子供らと一緒にみこし担ぎができないことを淋しく思い、夫は妻に参加させなかった理由を問い質したが、妻は自分の信仰と違うものにへつらうと神の加護が少なくなると説明し、夫は益々妻に対し不信感を募らせた。
 妻は夫の暴力を恐れてエホバの証人の集会への参加を一時中断していたが、同年一一月ころから夫の反対を押し切って子供を連れて右集会に参加するようになった。夫は妻にエホバの証人は一元的にしかものを見ないから偏った人問になると言って説得したが、妻はこれを聞き入れないため、夫は妻に右信仰を止めてほしい一心で、集会に行く前と集会から帰った後妻に対し平手で顔面を殴打する等の暴行を加えたり、寒い夜に鍵を掛けて家に入れないこともあった。昭和六一年正月夫婦は夫の姉の家族と一緒に宮島に参拝に行ったが、妻は行くことは行くが参拝しないと言って参拝しなかったため、夫はその日の夜妻の顔を数回殴打した。また、妻の両親や二人の姉も夫方に来て妻に対しエホバの証人の信仰を止め、元の生活に戻ったらどうかと何度も説得したが、効果がなかった。その後も妻は日曜日に子供二人を連れて集会に参加し、その際は夫は妻に暴力を加えて口論となるということを繰り返していたが、夫が妻に対しエホバの証人の信仰を許さないで右のように暴力を振うため、妻は遂に同年五月ころ二人の子供を連れて実家に帰った。夫は毎週のように妻の実家のある都市に子供らに会いに行っていたので、妻は夫に喜んでもらえると思い、同年八月子供二人を連れて帰ろうとしたが、夫は妻が前日エホバの証人の仲問の家に宿泊したことを責め、子供二人だけを自宅に入れ、妻は入れなかった。そして、子供二人は夫が夫の実家に預けて夫の両親が養育し、夫が実家のある都市に勤務となった平成二年四月からは夫も右実家で一緒に生活し、その生活は安定している。
 なお、昭和六二年六月夫は東京に転勤になり、妻も東京でアパートを借りて生活し、しばらくの間夫婦は会って妻の信仰のことなどについて話し合ったが、妻に信仰を止める意思が全くなかったため、夫は妻との離婚はやむをえないと固く決心した。妻は昭和六三年バプテスマを受け、一週間に二回位朝九時から一○時半までの一時間半位戸別訪問して伝道に出歩いている。
 エホバの証人は、子供の養育等に関係するものとして、信者に次のようなことを厳格に教えている。
(一)エホバの神は絶対で唯一であり、専心の愛を求めるから、エホバの神以外のものを崇拝することは禁止される。したがって、先祖崇拝は許されないから、墓参りをしても合掌しない。国歌や校歌も歌わない。国旗に対して敬礼しない。
(二)正月、節分、ひな祭り、節句の行事や儀式に参加しない。
(三)輸血は行わない。
(四)武道はしない。学校の課外活動にも参加しない。
(五)親は、子供が運動選手としてではなく、神の奉仕者としての仕事を生涯追い求めることを願う。
(六)投票は認めない。したがって、選挙のときには投票せず、棄権する。
 妻は右教義を絶対的なものとして信じており、皆がエホバの証人に反対するのは聖書の知識がないからだと考えている。夫は、エホバの証人は右のような教義を持っているほか、他の考え方を全く受け入れようとしないとして右宗教を強く嫌悪し、子供を連れて伝道に歩いていることにも嫌悪感を抱いている。更に、夫は右宗教は子供の養育上悪影響があると考えている。

■裁判所の判断:

○右認定の事実に基づいて夫婦間の婚姻関係が破綻しているかについて判断する。
 
 夫は前記認定のような教義を持つエホバの証人を強く嫌悪し、二人の子供に同教義が教え込まれることに強く反対し、妻に対し宗教活動を中止するように長期間にわたって求めて話し合ってきたが、同宗教に対する妻の信仰は非常に強固であって、夫の気持や考え方を理解して自分の宗教活動を自粛しようとする態度は全くみられず、妻の信仰及びその教義の実践を含む宗教活動に関する夫婦間の対立は深刻であって、夫の離婚意思は固く、そして別居期間も約七年に達し、夫婦間の婚姻関係は回復し難いまでに破綻したものということができる。なお、妻はその本人尋問において、これからは口だけでなく行動を伴うようにして平衝を保ちながら夫にも理解してもらってやり直したいと供述し、平成五年二月一二日の本件和解期日においても同様の供述をしたので、夫婦、双方代理人の了解の下に、夫婦二人だけで話し合う機会を与えたが、結局は妻は涙を流すだけでものが言えない状態になってしまい、今後同居しても夫婦関係が円満に回復する見込みは全くない。

○そこで更に、夫妻間の婚姻関係が破綻したことについて夫に主な責任があるかについて判断する。

 夫が、妻がエホバの証人の集会に参加するのを暴力でもって阻止しようとしたことはその方法において許されないことは当然である。しかし、原妻の婚姻関係が破綻したのは夫が妻に対し暴力を振ったためではなく、妻の宗教活動の是非に関して決定的に対立したためであるから、夫がエホバの証人を強く嫌悪して妻に対しその信仰及びその教義の実践の中止を強く求めたことに夫に主な責任があるかどうかについて検討しなければならない。
 ところで、夫婦間においても信仰の自由は尊重されなければならない。しかし、信仰が信者の単なる内心に止まらず、教義の実践を伴い、それが家庭生活や子供の養育に影響を与える場合は、夫婦協力義務の観点から一定の制約を受けることはやむをえないところである。
 本件の場合、エホバの証人は前記のような教義を持っており、夫が二人の子供に右教義を教え込まれたくないと考えたり、家族一緒に正月を祝い、先祖供養のため墓参りをする等世間一般に行われていることはしたいと考えて、妻に対し右宗教に傾倒しないようにその宗教活動の中止を求めても、右教義の内容に照らし、夫だけが間違っていると非難することはできず、夫の考え方や気持を無視している妻にも責任があるというべきである。夫はもう少し妻の信仰に寛容になってもよいのではないかという考えがあるかもしれないが、本件の場合寛容になることは、エホバの証人の教義でもって妻が行動し、二人の子供が右教義を教え込まれ、実行させられるのを是認するのと同じことであり、夫はこれは夫としてまた父として耐え難いことであると述べているのであって、夫が寛容でないことを理由に夫に破綻の主な責任があるという考えには到底賛成することはできない。また、妻は今後は子供のことに関して自分の一存で決めないで夫と相談して決めたいと供述するが、エホバの証人の前記認定の教義の(五)によれば、同宗教の信者の親は子供が神の奉仕者としての仕事を生涯追い求めることを願うとされており、妻が今後夫と相談してもエホバの証人の教義に反することについて、弾力的な態度をとることは到底期待できない
 したがって、夫が妻に対しエホバの証人の信仰及びその教義の実践を含む宗教活動の中止を求め、これを許そうとしなかったとしても、夫だけを責めることはできず、結局夫間の婚姻関係の破綻の主な責任が夫にあるということはできない。
 よって、夫には婚姻を継続し難い重大な事由があるから、夫の本訴請求は民法七七○条一項五号により認められるべきである。

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■サイト作成者のコメント:

①子供に関連したエホバの証人教理を具体的に列挙し、子供にこうした教義を教え込まれることは耐え難いとする夫の主張を認め、かつ子供らの親権者を夫と認めたという点で、非常に意義深い裁判例であると考えられます。
②エホバの証人の妻側の発想として「自分はこの教理のおかげで夫を愛し、家事もこなす立派な妻になっている。それでも夫婦関係がうまく行かないのは夫が教理に頑なかつ不寛容な態度を示すからであり、夫が少しでも寛容になってくれれば解決する」との態度が極めてよく見られる印象があります。しかしながら本判決は、エホバの証人が主張する「寛容さ」なるものとは、結局は、極端な教理を全面的に受け入れることを要求するものであり、通常人には耐え難いものであること、こうした「寛容さ」なるものを妻がを要求する場合に、夫に夫婦崩壊の責任があるとは到底いえない、という点を指摘しています。