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2005年7月17日

エホバの証人のでき方①

えっと、前も書きましたが、どせいさんは今現在特に何の宗教も信じてはいないです。
(^∀^)エヘヘへ

どせいさんは自分では「特定の信仰を持たない、いわゆる普通の一般日本人」の発想を脳内に持っていると自分で勝手に思っているのですが、そういう視点から物事を考えるときに、人はエホバの証人の発生と発達の歴史についてどう解釈するのかっていうのを今回は書きたいと思います。

エホバの証人の人たちにとっても、自分たちの組織の歴史が、「文化」としての視点から一般人にいかに解されるのかを知るのは面白いもんではないかと思います。

さて、エホバの証人の信者の人たち自身は、自分たちの宗教についてどう思ってるんでしょうかね。
(^∀^)

ほとんどのエホバの証人の人たちは、自分たちの宗教はある意味とても特徴的な宗教で、特にほかのキリスト教には自分たちのような特徴は見られないと思ってるんではないかな。

例えば、キリスト教なのに偶像を一切用いないとか、聖書をただ読むのではなく個人的に研究することをも重視するとか、自分たちの生きている今の時代にキリストの統治が関連しているっていう教えとかね。

あとは、一目でエホバの証人とわかる独特な正装で、集会や大きな大会に集まりあうこと、そこで聖書を自分の目で確かめながら研究することとかも、エホバの証人ならではと思ってる人も多いみたいで。

そして、そういう特徴があるからこそ、自分たちの宗教はただひとつの真の宗教だと日々納得を深めたりもするんですよね。

どせいさんもやっぱりね、以前は「そういうあたりがエホバの証人て特徴的だよな~」て思ってたんですよ。

でも最近ね、どせいさんのお友達で、いろいろ宗教の勉強してるお友達で、ハカセって呼んでる人がいるんだけど、そのハカセがね、エホバの証人に超そっくりな宗教があるって教えてくれて、どせいさん的にはそれを知って大ショックだったんですよ。

ショー( ̄□ ̄;)ーック!

ハカセがね、どせいさんに「ホレ、ホレ」ってビデオ見せて
くれたんですよ。(下図参照)

(>∀<)ノホレホレ

その中にはね、中米・カリブ海地域の、あるキリスト教について特集されてたのね。
で、そのキリスト教ってのがか~な~りエホバの証人に似てるんですよ。(∋_∈)

その中で、18歳の女の子が「自分の宗教についてどう思うかい?」ってインタビューされてるんだけど、その様子や、女の子の服装・応対の仕方・言ってる内容が、まるでエホバの証人の大会インタビューみたいなのね。
( ̄∇ ̄)スカーン

実際その子、そのインタビューで
「私は聖書の研究を通じて、イエスが神の子であること、私たちのために贖いとして命を投げ打ったこと、その後復活されたことを学びました。
私の生活の中心は聖書です、聖書に書かれている言葉はすべて神の言葉で、毎日読むよう努力しています。神の言葉を読めば、神が私たちに何を求めておられるか、どう自分の生活を神のご意志にあわせるか、知ることできます。真の仲間たちと同じ信仰を分かち合えるのも喜びです」
っていってたのね。

どせいさんは、
まじエホ証そのままじゃん!? ( ̄□ ̄;)ガビーン
とか思いました。
頭をスカーンと叩かれたかのようなショック。こんな感じ。
ほかにもね、その人たちの集会の場面で映った服装とか、ホントにエホ証ルックそのままだったんですよ。
(>_<)

あ、ちなみにそのビデオってのは一ツ橋大学のなんとかって先生が監修してる、「信仰の世界」だかなんだかってビデオです。
地域文化論的な視点からの、学術的ビデオですよ、念のため。

びっくりしてるどせいさん →( ̄□ ̄;)ガビーンガビーン
を尻目にハカセいわく、
「いや、どせいさん、こんな雰囲気の宗教って、結構似たようなのがいっぱいあるよ」
とのこと。

そしてハカセがいうにはね、この人たちはペンテコステ派っていう新宗教らしいんだけど、ペンテコステ派については、わりと勉強してる人もいるらしい。

なので、この新宗教がどういう風に生まれて発展してきたかっていうのを知れば、エホバの証人がどうやって生まれ、発展してきたかっていう点についてのブンカジンルイガクテキな答えがでてくるのでわ?と、どせいさんは思うようになったわけです。

( ̄∇ ̄)ぐひひひひ

続きはまた次回。

2005年7月19日

エホバの証人のでき方②

念のため最初にいっておきますが、どせいさんは、このペンテコステ派がエホバの証人と全く同じだといってるわけではありません。
(^∀^;)

実際、エホバの証人とペンテコステ派の間には、ハタから見てもすぐにわかる外見上の大きな違いがあります。
たとえば、ペンテコステ派の人たちは、ギターとかドラムとかいろんな楽器を使って歌ったり踊ったりして、「トランス」という状態になることを重要視するんですよね。これはエホバの証人とは決定的に違う特徴だと思います。

ただ、先回言ったように、自分たちが聖書を勤勉に学ぶことによって真理を得ているという発想や、独特の服装とか、かなり似た特徴も、これまたあるということです。

事実、あるペンテコステ派の人が、正装した家族を連れて家から家に伝道している姿をどせいさんは偶然見たことあるんですけど、エホバの証人の伝道風景そっくりでしたね。その人に近づいて直接ハナシを聞いたら、その人以前、伝道最中にエホバの証人の人たちに出くわしたことがあって、しかもなんとそのエホバの証人たちさえも、その人の「エホバの証人ぽい」服装・雰囲気を見て、その人が自分たちの仲間の証人だと思い込んで親しげに話かけてきたことがあったそうなんですよね。

日本でのハナシですよ、これ。
(∋_∈)
 
 
 
ま、そんな感じなので、ペンテコステ派がどうできてきたのかを考えると、エホバの証人がどうして存在するようになったのかを、ブンカ的視点から考えるヒントになると思うわけなんです。
 
 
 
 
 
 
このペンテコステ派というのは、1906年に、アメリカのロスで黒人たちが始めたのがそもそもの起源だそうです。

この1906年というという時期と、黒人たちが始めたというのは大きなポイントでして。

つまり、古来より、宗教というものは、長年の間人が人を支配するための道具ないしは一種の発明として絶対的権威を振るってきたわけです。

中世キリスト教の典型のシステムとしては、ごく少数の宗教的職能者(プロ)の集団が、圧倒的多数の信者たち(アマ)を支配し、一般信者たちは字を読むこともできず、批判的に物事を考えるための教育も施されず、とにかく精神的にも現実の社会生活でも支配されるがままであったわけです。

ところが周知のように、教会の権威はやがて揺らぐようになり、まずはルターが宗教改革をしだして、ぶっちゃけた言い方をすれば「信じればOKで、教会の関与や干渉はいらない」的な考えが芽生えはじめるわけです。こういう動きを「易業化」というそうです。

この「易業化」というのは、人間の尊厳にとってとても大きな意味を持つそうです。

今までは、「教会の、坊主にいろいろ助けてもらわないと神様のことがわからず、しかも教えてもらってもかなり難しくてぜんぜんわからない」と考えてたものが、ただ信じれば、自分も神に近づけると思うようになるわけです。これは多くの人に尊厳を与え、「個」を自覚させ、しかも現実の生活でも、宗教を道具とした支配状態からの開放へとつながるわけですからね。人権意識の芽生え・発達と連動した現象といえるかと。

その後、産業革命を経て、1800年代、1900年代になってくると、この「易業化」の第2波的なものがやってくるわけです。

つまり、識字率も上がり、本を手にできるようになって飛躍的に物事の理解が向上することにより、すでに存在している宗教的権威に対する批判・反発が生じ、人権意識の高まりや「個」を重んじる新風潮から、「いっちょ自分たちで聖書みおなおしてみっか!」的な、いってみれば「自分の目で聖書を確かめて新しいキリスト教作るブーム」的なものがやってきたみたいで。

そんな時代の流れの中で生まれ、かなりの程度の支持を受けて発展してきたのが、ペンテコステ派であり、エホバの証人であり、他の中堅キリスト教諸派なんだなと、どせいさんは思ったりするワケです。

そんな背景があったので、現代社会における新宗教には2つの特徴があるそうです。
 
 
1つは多宗教化
2つめは民衆化
 
 
だそうで。

つまり、多宗教化ってのは、かつてはでっかい教会(チャーチ)がドカンと存在し、それ以外はとても小さな宗教(セクト)がチリヂリに存在し、しかもセクトはチャーチに迫害される、という構図だったものが、現代においては、カトリック教会も存在するけど、まあまあの大きさのメソジスト・英国国教・長老派・バプテスト・その他もろもろの諸派が存在し、それぞれそれなりの勢力を持ってるし、迫害もされないという状況になってきてるワケですよね。これ別名デノミネーションというそうです。

そして民衆化という点ですが、これも「易業化」とリンクしてるわけです。つまり、かつては高度な教育を受け、なんだかラテン語とかギリシャ語とか話せる坊さんでないと宗教は理解できなっかたし、そういう人はものすごい権威付けられていたわけです。

ところが、聖書を自分で読み、理解し、信じることこそが大事で、かつ、それをするだけで自分も聖書を教える側になれるという考えは、いい言い方をすると人権観念に調和し、人に尊厳を与えるため、多くの人、特にどちらかというと宗教的に虐げられていた人に歓迎されたわけです。

わかりやすく言っちゃえば、今まで神に近いからすごい人だ、と考えてた憧れの宗教職(プロ)に、自分も割と簡単になれるんだ、っていうのは大きな魅力なわけです。

自分もすごいんだって、人間は思いたいわけですよ。

そういう意味では、ペンテコステ派を興したのが宗教的にも社会的にも最下層の存在として不当に虐げられてきた黒人たちだったというのは納得のいく事実なワケです。
 
 
 
続きはまた次回。

2005年7月21日

エホバの証人のでき方③

このペンテコステ派の教会には幾つかの目立った特徴があるそうです。

  1. 個人的な悔い改めを求めること、
  2. キリストの復活が自分たちの生きてる時代に到来するという信仰を強調し、緊急感を信者に抱かせること、
  3. 大規模集会やあらゆるメディアを利用して自分たちを宣伝すること
  4. 偶像崇拝の否定・アル中からの救済を強調すること
  5. やっぱりキリスト教の伝統的な部分(聖書を権威とする・キリストと神への信仰を強調する)も持ってはいること

てな感じ。

そしてこれらの特徴はみんな意味があって、先回書いた、新キリスト教のでき方と不可分にリンクしてるんですよね。
(^∀^)へへへへー

例えば、1.は、人権観念芽生えてきて、今までの偉かった坊主の支配から抜け出したいから個人で神に近づけるって考えたいし、2.の特徴も、自分たちだけが特別の時代に生きてて、しかも自分たちだけがその真理を知ったって思いたいんだよね。
それから、4.はね、貧しい地域で人数増やすのに必要なんだって。要するに、偶像はお金がかかるから教会も買いたくないし、アル中もやっぱりお金がかかるからそこから救い出すことで信者にものすごい具体的な救済を与えることになって、ありがたがられるらしい。
 
 
 
実際ハカセも現地の教会いったらしいけど、すんげえいっぱいアル中&元アル中信者がいるらしいんですよね。(∋_∈)
 
 
 
ま、これ以外には、なんといってもゴスペル歌って楽器を鳴らして、歌って踊ってトランスするってのが一番の特徴ではありますがね。
 
 
 
 
 
 
さて、ペンテコステ派の生まれた背景や、今も持ってるいくつかの特徴とその特徴を有するに至った経緯は、結構エホバの証人にもそのままいろいろあてはまる気がしないでもなくもないのではないですかね。
(^∀^)ヌフフフフ
 
 
 
 
 
 
まね、エホバの証人の人たちが自分たちの組織について考えてることはそれはそれでいいんですよ。
 
つまり、エホバの証人の人たちは自分たちの組織について、1800年代の終わりに、ラッセルというとても謙遜で神の言葉に忠実な際立った聖書学者がいて、その人が、偽りの宗教にとらわれることなく聖書そのものの勤勉な研究をして、そしてそれが、1914年という神のご意志にとって特別な時に近接していたために彼と仲間は神から特別に用いられるようになり、いくつかの試練と精錬の後に神から是認され、彼のグループは忠実で思慮深い奴隷としてイエスに用いられるようになり、その証拠として彼と仲間の始めた聖書研究グループは霊的な繁栄を享受し、唯一の真の宗教として確立された、と信じていると思います。

そしてそれが、現代のエホバの証人組織の発生と発展が持つ真の意味なのであって、世の人はそういう事実を調べようともしないし、自分たちにとっても少し難しい部分だから、世の人に説明しても、理解されるのは難しいとも考えたりするのではないかな。

ただですね、そういうエホバの証人的理解からでなく、文化研究的な視点からエホバの証人組織の発生と発展を考えても、かなり納得のいく結論は、それはそれで出るし、世の人はそっちのほうで納得するっていうのも知っておくと良いのではないかな。

つまり、エホバの証人の人は、「あの時期」にラッセルが聖書研究を始めたことは特別なことだったし、自分の目で聖書を確かめるという方法も特別なこと、と考えるかもしれないです。

でも、一般の、ある程度教育を受けた人の目からみれば、「あの時期」はちょうど先進国での産業革命が完了し始めたころで、人々は食うものに困らず、情報も手に入り始めて、人権観念が強くなりだし、教会支配から抜け出そうという動きがほかにも多くあった時代で、ラッセルはご多分に漏れず、ほかの多くの人がし始めたことを自分もしてみただけに思えるんですよね。

キリストの統治が自分たちの生きてる時代に関係するという信仰・緊急感を信者に抱かせること・大会を開くこと・偶像崇拝の否定・家庭生活の安定の強調・聖書を権威とすること、こういう特徴は歴史100年前後の新宗教には多く見られるし、どうしてそういう特徴を有するに至ったかは、文化的視点から十分に説明のつく、至極「当然の帰結」にすら思えたりもするんですよね。

ちなみにハカセはね、「エホバの証人研究」してる宗教学者とか文化人類学者は聞いたことないんだって。世間話で言ってただけだけど。
誰か目指してみたらどうかな?
(^∀^)ウシシシ

さて、現代のエホバの証人組織の発生と発展を、普通の一般人の寒い視点から見たらどう見えるかということをつらつら書きましたが、エホバの証人の人たち自身の熱い視点からはどう説明されるのか、そしてそれを静かな心でどせいさんが考えたらどう思えるか、ってのを次回書きます。

エホバの証人のひとが読んでくれることを期待。

無理かな。

2005年7月23日

エホバの証人のでき方④

エホバの証人の人たちの側から、エホバの証人組織の発生と発展をみるとどうなるのか、というハナシなんですが。
(^∀^)

前回も書いたけど、エホバの証人の人たちの多くは、キチンと事実を調べてくれさえすれば、自分たちの組織が唯一真の宗教だとわかるハズなのに、多くの人はその事実をなかなか調べようとはしないのでわかってもらえない、というもどかしさを感じてるように見えることがあります。

一方で、いざ自分たちの組織について、それがどう生まれてどう拡大したのか・なぜ唯一の真の宗教だと言えるのかを説明するように言われると、系統立ててキチンと説明できる人はなかなか少ないようにも感じます。
(>_<)
 
 
 
ま、そんなどせいさんみたいなトンチキ野郎の勝手な感想はさておき本題いきますね。(^∀^;)
 
 
 
 
 
一般の人たちは、大抵の場合「エホバの証人の始まり=ラッセル」とすぐになるわけですが、この「エホバの証人を始めたのはラッセル」という発想は、エホバの証人たち自身にとっては実はやや抵抗のある発想なのではないでしょうか。
 
 
 
つまり、エホバの証人たちは、自分たちの歴史のそもそもの始まりは、聖書に出てくる人類最初の夫婦アダムとイブの2番目の息子アベルにまでさかのぼり、以来この21世紀まで、神に忠実だった人たちは全て「エホバの証人」であり、ラッセルというのは、「現代における」エホバの証人の組織を再建した人にすぎない、と考えているんですよね。
 
 
 
エホバの証人の教えによると、この世には神と悪魔がいて、この両者はアダムとイブがエデンの園で禁断の木の実を食べた時以来、二つの論争点を巡ってどちらが正しいか争っていることになってます。
 
 
 
一つ目の争点は、人間や天使たちは神のいうことは聞かずに自分たちで独立して行動した方が幸せになれるのか、それとも神の指示に従順にしてた方が幸せになれるのかという点。
 
 
 
ま、こちらはほっとけば時間の経過とともに自ずから答えがでるだろうとみなされてます。人間が神から独立した結果、神は自然災害や病気などの問題に関与してくれなくなり、人間は自分たちではこういう問題は解決できず、多くの人たちが苦しんでるので、時の経過とともに人間は神から独立してはおれないと証明されたと。
 
 
 
そしてもう一つの争点ですが、エホバの証人にはこちらの争点が特に大事で、何が問題とされてるかというと、人間は自らの意志で神に従おうとするか、それとももし何らかのメリットを与えられたら神ではなく悪魔に従おうとするか、という点です。(確認のためにいいますが、どせいさんがそう考えてるワケではないですよ、エホバの証人の人たちがそう信じてるという説明してるだけです。)
(^∀^;)
 
 
 
なんでエホバの証人にとってこちらが大事かというと、1つめの争点は、ほっとけば時間の経過とともに自然と証明されるのに対して、こちらは誰か証明する人が必要となるからなんですよね。つまり、苦しい状況になっても自分の意志で神に従いつづける人があらわれて初めて神の方が正しいと証明されるわけです。
 
 
 
そしてそういう人は神にとっては証人(=つまりはエホバの証人)ということになるわけです。
 
 
 
ま、ちょっと長くなりましたが、そう考えてるので、人間の歴史において聖書の神エホバに従う人は、全て「エホバの証人」だ、とエホバの証人の人たちは考えてる、ということだと思います。
 
 
 
そして、そういうエホバの証人は、ある程度の数になってからは、ひとつの組織として常に神に特別扱いされるようになり、いつの時代にも神は地上に唯一の自分の組織を持っていた、と考えられています。旧約聖書の時代はイスラエル民族・新約聖書の時代に入ってからは、イエスキリストの弟子たちが作った原始キリスト教の教会(=エホバの証人風にいうと初期クリスチャン会衆)が、その唯一の組織なわけですよね。
 
 
 
 
 
 
 
さて。
こっから先が、現代におけるいわゆる「エホバの証人」という宗教集団が、なぜこの世における唯一真の宗教といえるのかという点につながる、いわばエホバの証人の宗教的正当性を根拠付ける重要な解釈上のポイントとなるんですけど。
 
イスラエル民族の誕生以来、神はいつも地上に自分の是認する組織(=つまり神から見た唯一真の宗教)をもっていたわけなんですが、西暦100年あたりから、それが途切れるわけです。つまり、キリストの弟子のうち最後の生き残りだったヨハネがその辺りで死ぬと、原始キリスト教は急速に背教し始め、もはやひとつの組織として神に是認される状態ではなくなってしまうわけです。
 
これは、イエスが生きていたときに予言した「夜」の時代で、もはや地上に神の唯一の組織というものは存在しなくなり、その状態が千数百年続いた、と考えられています。中世の魔女狩りとか、十字軍とか、そういう悪行の数々はこの「夜」の時代に行われたというワケでして。
 
ただまあ、「組織」としての真の宗教が存在しなかっただけで、個人としてのエホバの証人は、常に存在したとエホバの証人は考えています。たとえば、ウィリアム・ティンダルとか、ヤン・フスとか、歴史でも習うような有名な人でも、神に忠実であったので、彼らもエホバの証人であり、後に天で復活したというようなことを、強くにおわせることがものみの塔のいろんな記述に出てきます。中にはね、ニュートンはたぶんエホバの証人にはなれなかったけど、ニュートンの弟子は多分エホバの証人で、天で復活しただろうみたいな記述とかもね。
 
まあそういう中世のエホバの証人たちは、たまたま神が地上には自分の組織を持たないときめた「夜」の時代に出現しちゃったので、個人レベルでしかエホバの証人たり得なかったけど、もし「神のご意志」の時期に出現してたら、きっと地上の神の組織を作り上げるために神に用いられただろうと、エホバの証人は考えているわけです。
 
そして実際その「神のご意志」の時期にたまたまタイミングよく出現して、地上の神の組織を作り上げるために神に用いられたって人が現れるわけなんですよね。
 
じゃあ、その「神のご意志」の時期ってのはいつで、そのたまたまタイミングよく出現して、地上の神の組織を作り上げたのは誰なのか、っていう話なんですが、ちょっと長くなったので続きはまた次回。

2005年7月25日

エホバの証人のでき方⑤

さて、この「神のご意志」の時期にエホバの証人となり、それゆえに地上での神の唯一の組織を再建するために用いられた人というのが、もちろんチャールズ・ラッセルだったというワケです。
(^∀^)

そして彼の作った聖書研究のグループ(=現在は「エホバの証人」組織)は、西暦100年か200年ごろからの千数百年のブランクを経た後に再建された、現代における神の唯一の地上の組織であり、この組織に属さない人間は、神が正しいことを証する者ではないので「邪悪な世代」として、もう間もなくくるハルマゲドンで滅ぼされる、というのがジケイレツにそった説明ってことです。
 
 
 
 
 
 
さ、ここで「でもなんでそんなことが言えるのか」、ていう疑問が当然必ず起こるんですが、ここが大事なポイントで。
(∋_∈)

上で述べたような主張・解釈を裏付ける2つの論理的根拠がエホバの証人にはあるワケです。

これはエホバの証人の自らの正当性を主張する上でかなり決定的な論理的主張だとオモイマス。
 
 
 
 
 
 
1つは、神のご意志の時期がいつかというのは聖書を勤勉に学びさえすれば具体的年号を特定できるし、ラッセルとその仲間は実際、その神のご意志の時期を事前に割り出し、人々に知らせていたという点。
 
2つ目は、その神のご意志にとって特別な時期を起点に、エホバの証人が神にとっての唯一真の宗教として是認されたことを示す、明らかな目に見える証拠があること。
 
 
 
 
 
 
続きは次回。