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2005年12月2日

『JWプレコックス感』野郎⑬

では、このエホバの証人の国内の『外国語組織』のおそるべき状況と『JWプレコックス感』がどう関係するのかという点なんですが。

これはですね、この外国語組織についてのハナシを始める前に少し申し上げましたが、「個人としてのエホバの証人の方々の行動・発想」と「組織としてのエホバの証人の行動・発想」が、非常に似たパターンを示しているということのわかりやすい例であるようにどせいさんには思えたんですよね。

つまり、個々のエホバの証人の方たちの中には、実質はそうでもないのにいかにも立派な人間性を培っているかのような外見だけを作り上げているため、なんともいえない「どことなく変チクリンなズレ感」が漂ってしまってる人、しかもそのことについて「俺ってすごいでしょ」みたいに強い自己満足感をにじませてしまっているために、余計滑稽な感じがするという方が多くいるように思えるわけなんですよね。

で、エホバの証人の組織のやることも、なんていうか話だけ聞くと、或いは世の中のことをなにも知らされていない無垢な信者が見ると、「なんてすごいんだろう」と感銘を与えるかもしれないけども、実質を見るとまったくのハリボテということが結構あると思うんですよね。外国語会衆の奉仕者の言語レベルや『言語訓練コース』の教訓者の質なんてものはその好例だということです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まあね、エホバの証人の中でも本当に純粋にやってる人なんかは、こういう外国語組織の状況なんかを聞いたとしても、「言語そのものをマスターすることが目的ではなく兄弟たちや関心ある人たちを霊的に養うことが目的なんだ。なので、どんなにつたない言葉であっても命を意味する神の言葉をその人たちの言葉で伝えようとする兄弟たちの努力は本当に貴重なんだ。」と解釈するかも知れないです。でもね、いつものように、こういういわゆる「より霊的な物事の見方」で外国語会衆の状況を見たとしても、それでもやっぱりこの方たちのやってることはおかしい気がするんですよね。

つまりね、もし本当に「つたない言葉でも、命を意味する神の言葉をその人たちの言葉で伝えようとする努力」を払ってるんだったら、例えば「長老なのに3年も4年もその会衆にいて数字もきちんといえない人たち」ってどういうことなんですかいね?
エホバの証人的に言って長老というのは、聖書を教える能力に優れ、人々を牧羊し、ある場合には『審理委員会』でそういう人たちの文字通りの命すらも扱うんではないんですかい?

ところが多くのネイティブの人たちは、そうした日本人長老とかについてどせいさんにこう話すんですよね。「あの人たち何のためにいるのかわかんない」とか、「集会で注解も一切しない、第二の話すらできない、集会の前後に会話もできない、そのくせ集会が終わると長老の集まりばかりやって偉そうに指示ばっかりしてくる」とかね。

まあ実際死んだ魚の目をした、まさしく能力もやる気もゼロって雰囲気の日本人長老が大会会場でもけっこううろついてましたね。なんか生気のない顔でつまんなそ~にうろうろしてるんですよね。なのになぜか無駄にエラそう。
(世の中に見られる「またしてもあいつやる気ゼロ」の別の例 ここをクリック)

中には、なんかの理由で日本語会衆にいづらくなったので、外国語会衆なら『長老の家族』というだけで『必要で』移動できるので、家族でやってきたって人とかも結構いるみたいで。

こういう人たちが、つまり普段から注解できない・しようともしない、割り当てできない・しようともしない、牧羊できない・しようともしない、集会の前後に信者とお話しすることもできない・しようともしないって人たちが、なぜか『審理委員会』だって言うとノコノコ出てきて、よく知りもしない「会衆の兄弟姉妹」を相手に、エホバの証人的に言って「命のかかった決定」をするわけなんだそうなんですよね、排斥とか何とかカンとか。

まあそんな状況つかまえて、「つたない言葉でも、命を意味する神の言葉をその人たちの言葉で伝えようとする努力」もクソもないですよ、つたなすぎるにもほどがあるっつーの。
( ̄∇ ̄)ハハハハ

そのくせになんかどうも、「俺は外国語会衆にいるぜい」みたいな妙なプライドもってるような感じの人もとっても多いんですよね。いや、あんた「いる」だけで、話せナイ&存在に意味ナイのではないですかい?と誰かに言ってもらいたい

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、こんな状況だとね。
「その業の重要性のゆえになんとかして組織を作りたい」という誠実な姿勢よりも、なんかどうもやっぱり「外見だけを妙に気にしてハリボテだけを作り上げているためズレ感が漂ってしまってる組織」、しかもそのことについて「俺たちってすごいでしょみたいに強い自己満足感をにじませてしまっている・しかもそれが強い不快感を引き起こしている組織」って感じがしてしまうんですよね。

そしてこれって考えてみるとエホバの証人組織のあらゆるところに見える本質的傾向であって、これが組織としてのエホバの証人の『JWプレコックス感』の原因になってると思うんですよね。

会衆の組織ひとつを考えてもそうなんではないですかね。最近は会衆の合併でそういうのも少なくなったかもしれないですけど、例えば、「伝道者になるための討議は奉仕委員会のメンバーの長老一人と他の会衆の長老が行う」みたいな取り決めがあるとしても、結局会衆に長老なんて2、3人しかいないんだから全員奉仕委員に決まってるわけですよね。なんかそんな状態なのに妙に「委員会」なんてたいそうな名前のついた形骸化してるシステムを維持して自己満足に浸ってるようなそんないや~な印象があるんですよね。

まあそう考えると、「長老制」というシステムにいたく満足している事実自体からして『JWプレコックス感』の大きな要因になってる感もあるきがしますよね。上の方で、能力もやる気もなくて存在そのものに思いっきり疑問を呈されている外国語会衆の長老の話をちょろっと書きましたが、別にこれって外国語会衆に限ったことでは全然なくて、「能力もやる気もない、何のために存在するのかそういえば疑問な、むしろいないほうが会衆がよくなるんではないんかい?」って長老ばっかりなんではないんですかね、よく知りませんけど。
結局『外国語会衆』みたいなハードな環境になればなるほどごまかしが効かなくなるから、外国語会衆の長老のあからさまな無能ぶりが誰の目にも明らかになり、一方で日本語の普通の会衆ではなんとなく周りの人の注解で支えられたりとかするから長老のボケナスぶりがぼやかされるというだけの話で、そもそも『ものみの塔』の標榜する、「愛と謙遜さにあふれ、聖書を教える能力を十分に有し、信仰の手本となるべき長老団」なんて存在しないんではないですかいね?するのかな?
まあ同じくボケナスなどせいさんがこういうこというのもなんなんですが。

『神権宣教学校の割り当て』とか『奉仕会の実演』なんかでも、ごくたまにどせいさんが拝見したりなんかしたりすると、本当にエホバの証人の人たちは組織全体が巨大なフィクションの中に住んでるなあとつくづく思うんですよね。なんだか『聖人崇拝』は正しいのかとか、『ロザリオを使うのは正しいのか』とか、まあそんな絶対ありえないようなカリキュラム内容にあわせるために、話しかけた人がたまたま教会員だったみたいな状況を無理やり設定して話を進めてく、そしてそれに誰も疑問を感じない、そしてそれによって『野外での宣教のために訓練されている』と考える。

冷静に考えるととんでもない「ズレ感」・「現実との乖離」だと思うんですよね。

 
 
 
 
 
 

 
 
 
まあ、こんな感じに、「実質はそうでもないのに立派な外見だけを作り上げているため、なんともいえないズレ感が漂ってしまう」・「しかもそのことについてひとりよがりな強い自己満足感をにじませてしまっているために、余計変な感じがする」という本質的特質がエホバの証人組織全体を貫いていて、これが『JWプレコックス感』を強く引き起こすものとなってると思うわけです。

 
 
 
よどみなく続く