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「エホバの証人」についての情報サイト

2008年5月23日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析 ①

このサイト内では繰り返し言及されていることですが、エホバの証人信者のひとつの大きな特徴は「信仰心が強く現実の日常生活にもその信仰を反映させようとする」という点にあるのではないかと思います。今回はそうしたエホバの証人信者の強い信仰のうち、ひとつの特殊な側面である「悪霊の存在に対する信仰心」という面について、少し分析を加えてみたいと考えています。

エホバの証人の個々の信者の人たちは、自分たちのこの物質世界のほかに「目に見えない霊の世界」が存在すると真剣に信じています。その「霊の世界」には当然、神とその使いである天使たち(エホバの証人は「み使い」と表現する)が存在するわけですが、それら「善の霊者たち」以外に、悪魔とその使いである悪霊(エホバの証人は「あくれい」と発音する)もまた存在し、この現代社会や人間一人一人に現実の影響力を与えていると信じているわけです。

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(コキュートスにて凍るサタンーダンテの『神曲』)

彼らのイメージする「悪霊」は、目に見えない超人間的な強力な存在であり、この物質世界を飛び回りながら「社会としての人間たち」や、その中の個々の人間に様々な悪い影響を与る存在であるようです。エホバの証人の出版物の表現を借りるならば、「悪霊たちはある人々を病気にかからせ、ある人々に対しては,睡眠を妨害したり,恐ろしい夢を見させたりして,夜中にいやがらせをし、性的に虐待する場合も」あるそうです。そして、「発狂や殺人や自殺にまで人々を追いつめることも」あるようです。

エホバの証人の人たちは、ある特定の媒介物、神社のお守りや葬式で配られる葬式まんじゅう、特定の過激な音楽のCDやジャケットなどに悪霊が取り付くことがあると本気で信じており、異常なほど神経質にこれらの「媒介物」を避ける傾向があります。また、「エクソシスト」などのホラー映画を見ると「悪霊の影響を受ける」という強迫観念的な恐怖感を抱いている信者は多く、さらには、一部の精神疾患についてもその原因が「悪霊の攻撃」であると解釈される場合も少なくありません。

これら信者たちの「悪霊の存在を完全に現実のものとしてとらえる傾向」は実に強く、エホバの証人組織内での「実際に悪霊を見た」・「悪霊の攻撃を受けた」というまことしやかな体験談についての具体例を挙げると、枚挙にいとまがありません。
(こうした「まことしやかな悪霊についてのうわさ話」のいくつかの実例は、下の脚注部分に挙げてあります。)

さて、エホバの証人内部において確信を伴って語られる、それらの「悪霊現象」の正体は、本当のところ何なのでしょうか。エホバの証人内部において、ここまで「悪霊の存在に対する信仰心」が鮮明であることは、この組織の本質について何を示唆するのでしょうか。こうした鮮烈な信仰は、内部の信者にどのような影響をもたらしているのでしょうか。今回はこういった点について、いろいろ考えてみたいと思います。

参考ーエホバの証人内部に見られる有名な悪霊話

*その①―『笑うワラビ』

・「群れの奉仕」にエホバの証人の何人かの兄弟姉妹たちが参加していて、奉仕終了の後に「みんなでワラビを採ろう」という話になり、兄弟たちはちょうど集合場所だった「ある神社」でワラビを採り始めた。しばらくして司会者の兄弟が「ここは悪霊の影響がある場所かもしれないから場所を移動しましょう」と指示したが、普段から反抗的な二人の姉妹がこれに従わず、その神社の境内に残って取り続けた。姉妹たち二人がワラビを取り続けていると、どこからともなく不気味な笑い声が聞こえてきた。二人は不思議に思ったが、そのうちその声は聞こえなくなったので気にしなくなった。二人はわらびを取り終わってから一方の姉妹の家に行き、台所にワラビを置いて応接間で「肩がこったわよね」と会話していた。すると、再び不気味な笑い声が聞こえてきた。その声は前よりも大きく、二人はその声が台所から、そして、ワラビの中から聞こえてくることに気づいた。しかし二人は「自分たちにはエホバがついているから大丈夫だ」と思っていて「サタンが出てきたなら肩でも揉んでもらいましょうか」と言った。すると突然その二人の首の骨が折れ、一人はすぐにその場で死んでしまいもう一人は重体になり、その後その生き残った方の姉妹がこの話を語り継いだ。

*その②-『聖霊が見える研究生』

・関東地方のどっかにいるあるおじさんには、「神様」がついていて、自分に危害を加えようとする人を吹き飛ばす力が備わっていた。ある時などは、パチンコ屋から出てきて帰ろうとしたとき、間違えてヤクザの自転車に乗ってしまい、「オイ待てコラ!」といわれたおじさんは、恐怖のあまりその相手を吹き飛ばしすぎてしまい、そのヤクザは30メートルも飛んでしまった。後にこの出来事は「○○市の男性、なぞの飛行を経験」と地元新聞の記事にもなった。
やがてそのおじさんの成人した娘がエホバの証人になりバプテスマを受けた。おじさんは、その娘にも「神様」がついたことを感じ取り、「自分の神様」と「娘の神様」のどちらのほうが強いのか確かめたくなり、あるときテレビを見ている娘の後ろから、邪悪な気を送って娘を吹き飛ばそうとしてみた。そうすると娘も「何か邪悪な気」が来るのを感じ取り、とっさにエホバに祈った。するとおじさんの神様は、娘には何もできないのだった。自分の神様より娘の神様のほうが強いとわかったおじさんは、エホバの証人と研究を始めた。ところが聖書を読もうとすると、悪霊が邪魔して、聖書が全部真っ白な紙になってしまって何も読めない。そこで、バプテスマを受けた自分の娘が聖書に指をさすと、そこから一筋の光が来て1行読むことができた。おじさんいわく、それが「エホバの聖霊」であるとのこと。もう少し霊性の高い研究司会者が指をさすと、もう少し強い光が来て、2・3行読むことができた。そして、研究に参加した長老が聖書を開くと稲妻が走るかのように聖霊が見えるのだった。
そのおじさんが進歩して王国会館に行こうとすると悪霊が妨害をし、家を出たとたんにばったり倒れてしまい、救急車で運ばれることもしばしばだった。マンションの壁を乗り越えて飛び降りようとさせられたこともあった。ところが一歩王国会館内に入ると、悪霊の妨害は一切やんだ。そして、王国会館全体と、集会参加者一人一人に、例の光(=エホバの聖霊)がさし、光で包まれてるのが見えた。一人一人の聖霊の量には明らかに差があり、多い人もいれば少ない人もいた。注がれる光がとりわけ多い人がいて、その人は誰かと尋ねたら、長老だった。他方、光がまったくさしていない人がいて、それは「居眠りしている人」と「排斥されている人」だった。集会が始まり、長老が演壇で聖書を開くと、そこから出る聖霊の量は半端ではなく、またも稲妻が走るように見えた。
おじさんがその後どうなったかは知られていない。

*その③『悪霊にとりつかれた王国会館』

・宮城県T市の会衆の王国会館は2階建てで、2階部分は普通の民家のようになっていて人が宿泊できるようになっていた。ある夜、その会衆の一人の姉妹から長老に「反対者の主人の迫害にあっているのでその王国会館の2階に泊まらせてもらえないか」と連絡がきて、姉妹はそこに泊まることになった。姉妹が王国会館に着いたすぐ後に、その姉妹から再び長老に連絡がきて、姉妹は「悪霊の攻撃を受けているので助けて下さい」といってきた。その会衆には長老が一人しかいなかったので、長老はもう一人奉仕の僕の兄弟と一緒に、その王国会館へいった。
二人が王国会館に入ると、その姉妹は完全に悪霊にとりつかれていて、本人のモノではない不気味な男の声で、卑猥な言葉や神を呪う言葉を言い続けていた。二人は姉妹を囲んで一晩中エホバに祈ったが、悪霊は姉妹からでていかなかった。一夜があけて、兄弟たち二人は、「こんなに悪霊が強力なのは、きっと何か悪霊が取り付いていられる物があるからで、その媒介になっている物を見つけ出して処分しよう」という結論にいたり、二人は王国会館内をいろいろ探した。出所不明な古い壺があったので、それを外で割ってみて、もう一晩様子をみることにした。その夜も姉妹は変わらず悪霊にとりつかれて、一晩中卑猥な言葉を言ったり、神を呪う言葉を言い続けていた。一夜あけて兄弟たちは王国会館中を探しまわったが、悪霊が取り付いているらしき物はみつけられなかった。
困った二人が二階に戻ってきて、ふと目に入ったのがふすまだった。そのふすまはとてつもなく古いもので、考えてみると二人ともそのふすまがどこから来たのか全く知らなかった。そして、そのふすまからは非常に強い邪悪な気が感じられた。兄弟たちはふすまを取り外そうとしたが、どんなに力をいれてもなぜかふすまは外れなかった。二人はふすまを破るしかないと考え、力一杯蹴破った。彼らが驚いたことに、ふすまの中身の紙には全て「お経」が使われていて、悪霊はそのふすまに取り付いていたのだった。
ふすまが壊されると悪霊はすぐに姉妹と王国会館からでていったが、でていく間際に「せっかくよい隠れ場所をみつけたのに」と捨てゼリフを吐いていった。ちなみに姉妹に取り付いた悪霊は、一晩中神をのろっていた際に、兄弟たち二人しかいないはずなのに、誰もいない場所をみながら「みんな座っているのにどうしてお前だけ立っているんだ」とずっと言っていたとのこと。あとで兄弟たちは、それは助けに来てくれたみ使いに向かって話しかけていたんだ、と確信した。

*その④『悪霊と賛美の歌、そして残りの者』

・アメリカのある州で、エホバの証人の姉妹が(例によって)悪霊に取り付かれた。会衆の長老たちが姉妹を囲んで何度も祈ったが、(いつものように)悪霊は強力で姉妹からでていこうとしない。困り果てた長老たちが、ブルックリンべテルに電話して相談してみた。電話にでたべテルの兄弟は「そしたら集会が終わった後に、会衆みんなで王国会館に残って、その姉妹と一緒に『賛美の歌』を歌い続けてなさい」と指示した。
次の集会の終わった後、長老が会衆全体に事情を説明し、都合の良い人に残ってもらってみんなでずーと賛美の歌を歌い続けた。その悪霊につかれた姉妹も参加して、最初姉妹は自分の声で歌っていたが、歌が続くにつれ、その声がだんだん低くなり、次第に男の声になっていった。みんなが賛美の歌を歌い続けると、姉妹の声はますます低くなっていった。
最終的に、姉妹の声は身の毛のよだつような悪霊の声そのものになり、その時点で悪霊はついに耐え切れなくなったらしく、姉妹からでていった。その姉妹からでていく時、悪霊は会衆全体に聞こえる大きな声で「このことを教えたのは残りの者か!!」という捨てゼリフを吐いていった。後で会衆の長老たちが、再びブルックリンべテルに電話をして事の顛末を報告した時、最後に、前回「賛美の歌」についての指示をしてくれた兄弟にでてもらい、その兄弟が残りの者かどうか尋ねた。
兄弟は「そうですよ」と答えた。

*その他の雑多なハナシ

・よく耳にするのは「コックリさん」がらみの怖い話。「若い高校生の兄弟が学校でコックリさんをやった。霊との交信の最中におかしな生暖かい風が吹いてきて、その兄弟は「霊」を見てしまって、家に帰ってからは何も言わずにガタガタ震えいて、翌日になったら死んでしまった。」など。

・「王国会館の天井に、その会衆の姉妹の姿が張り付いてた」という話もいろんな変形バージョンが各地に存在。
「ある兄弟が夜中に王国会館を通りかかったら、誰もいないはずなのに王国会館から青白い光が見えて、気になって鍵を使って入ってみた。すると、煙のようなものが立ち込めていて、会衆の姉妹が王国会館の天井にさかさまに張り付いていた。兄弟が驚いていると、その姉妹の姿は煙のように消えてしまった。不振に思った兄弟がいろいろ調べると、その姉妹は悪霊崇拝をしていたことが判明した。」など。その姉妹は堕胎をしていたことが判明したバージョンもあり。

・子供にだけ悪霊が見える系の話も多く存在。
「ある王国会館(青森の恐山近辺とか、出雲市の王国会館とか)では、集会中に子供たち全員にだけ、窓の外にものすごい恐ろしい姿のたくさんの鬼がいるのが見えるとか、ある姉妹が再訪問先にあがらせてもらうと、いつも子供だけが、壁に飾ってある遺影の目が動いて自分たちを追うのが見える。」など。

2008年5月23日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析 ②

エホバの証人信者たちの悪霊に対する認識は、前述したとおりのものであるわけですが、悪霊についてのエホバの証人組織の「公式な」教え・見解はどのようなものなのでしょうか。簡単に確認しておきたいと思います。

エホバの証人の教理によると、全知全能の神が最初の人間アダムとイブを創る前に、何十億という数のみ使い(天使たち)が創られ、これらのみ使いたちには少なくとも4つのランクがありました。1番高いランクはミカエル(一人しか存在せず、後にイエスキリストと呼ばれる。み使いたちの頭。)、2番目はセラフ(非常に高い立場にあり、神聖さに関わる務めを果たす。)、3番目はケルブ(神の威光を支持する務めを果たす。)、4番目にその他の数十億のみ使い(その他雑用要員)という具合です。

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(多数の羽で体を覆うケルブの姿 1156)

やがて、ケルブたちのうちの一人が神に反逆して悪魔サタンとなり、この悪魔が他のみ使いたちもたぶらかすようになるわけです。結果としてみ使いたちの3分の1(相当数という比喩)が神に反逆し「ノアの大洪水」の起こる直前期に、その性的欲求を満たすために人間に化肉して地上に現れ、人間の女性たちと性関係を持つとともに地上で悪行を重ねるようになり、これに怒った神が地上を洪水で滅ぼすとともに、これら悪霊たちに天の霊の世界へ戻ることを許さず、結果として悪霊たちは地上付近を徘徊するようになった、ということです。

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(天界から追放される堕天使)

したがって、エホバの証人の教えでは悪霊たちは「性倒錯者」であり、ハルマゲドンとそれに続く自分たちの滅びが間近であるため、一人でも多くの人間を苦しめようとしている強力で極悪な存在であるわけです。彼らの教えによれば、悪霊はよく人に取り付きますが、中にはひとつの国家に取り付く悪霊もおり、人々が戦争をするのは背後にこれら悪霊の影響があるからということになっています。また、そうした「人間社会」という大きなレベルに対しての影響のみならず、個人的レベルでも、人間の生活に具体的に関与している存在であるとも教えられています。そして、他の宗教に関連した宗教グッズやヘビーメタル等の音楽といった媒介物を通じて、悪霊が個々の人間に悪影響を与えるという明確なビジョンが信者には与えられているわけです。
(*エホバの証人発行の出版物の中に見られる「悪霊」の存在についての教えの具体例は、下の脚注に数例を挙げています。)

脚注の例が示すように、エホバの証人内部では「悪霊」の存在について極めて断定的な口調での具体的な教えが繰り返し与えられており、また、「悪霊の攻撃を経験した」との経験談が繰り返し紹介されるため、こうした教えの結果として「悪霊の存在についての信仰」というものが、エホバの証人信者のメンタルの不可欠の要素となっていると考えられます。
(*「悪霊の攻撃を経験した」との経験談の具体例についても、脚注の続く部分に紹介してあります。)

かくしてエホバの証人信者は、常に悪霊の存在を意識し、「悪霊に関わる」とされる物や場所に事あるごとに警戒し、暗闇や宗教施設・墓地などに対してある場合には病的と思えるほどの恐怖感を抱く生活を送ることになっているわけです。また、このシリーズの①で紹介したような多種多様な「悪霊についての経験談」なるものが、鮮明な現実感とともに信者の間で語り継がれてもいるわけです。さらに、エホバの証人信者ないしは研究生の中には「自分は悪霊をみた」「自分は悪霊の影響を感じる」との発言を確信を持ってする人や、何かの問題を抱える信者に対して「それは悪霊の影響だ」と結論付ける長老等が、現実に多く存在するわけです。

*エホバの証人発行の出版物の中に見られる「悪霊」の存在についての教えの具体例

『今日,悪霊は,恐らくかつてないほど大々的に,自分たちの超人的な力を用いて人々を唆し,紛れもないオカルトの慣行に携わらせています。その力を見くびってはなりません。悪霊は実在します。そうでなければ,今日人々の間に,流血や破壊に対する飽くなき渇望がこれほど明白に見られるわけを,どのように説明できるでしょうか。人間は本来,平和で幸福な生活を望んでいます。しかし,悪霊が悪行を助長します。その者たちには人間の知力に影響を及ぼし,それを腐敗させる力があるのです。』―目ざめよ!1998年4月8日号

『彼らは性倒錯者であり,性に狂ったこの世界を操っている黒幕なのです。自分を再び物質化して人間となることは阻止されていますが,自分が地上で堕落させた者たちの性的に倒錯した行為を見て楽しもうとします。(エフェソス 6:11,12)』『悪霊たちが教えの手段としているのは音楽だけではありません。彼らは商業テレビ番組,映画,ビデオなども用いて教えます。』―ものみの塔1994年5月15日号

『悪霊たちは極悪ですから,精神的な苦しみを味わっているある人たちの難しい状態を一層ひどくして,それらの人々を責めさいなむことにサディスティックな喜びを感じるとしても驚くには当たりません。それで長老たちは,悪霊の影響が関係していると考えられる十分の理由があるなら,少し尋ねてみても差し支えありません。例えば,その人は何らかの悪霊崇拝に関係している人から問題の元になっていそうな物品を直接に,わざわざ受け取っているでしょうか。そのような物を処分すれば気持ちが楽になるかもしれません。(使徒 19:18‐20)クリスチャンは「悪魔に立ち向かいなさい」と言われているのですから,長老たちは,悩まされている人に悪霊から出ているかもしれない異様などんな“声”にも耳を傾けないよう助言することもできます。(ヤコブ 4:7。マタイ 4:10)攻撃されていると思う人は,大声でエホバの名を呼び,熱烈に祈るべきです。―エフェソス 6:18。箴言 18:10。』-ものみの塔1988年10月15日号

『悪霊とかかわりを持つようになった人が悪霊の残忍さに気づいてきたとしても,驚くには当たりません。スリナムの一人の女性は,心霊術を行なっていた家族の中で育ち,悪霊たちが,「嫌がる犠牲者をさいなんで楽しんでいる」様子をじかに見ました。 ですから,どんな方法であれ,こうした残酷な霊の被造物とかかわりを持つのは非常に危険です。悪霊の影響から逃れたいなら,悪魔崇拝に関係した物をすべて処分しなければならないということです。それには,本,雑誌,ポスター,マンガ本,ビデオ,魔よけ(“お守り”として身に着ける物),インターネットからダウンロードした悪霊的な内容のものがすべて含まれます。(申命記 7:25,26)水晶球やウィジャ盤など,占いに用いるような物も一切処分してください。悪魔的な内容の音楽やビデオも捨ててください。そうした思い切った手段を講じるには勇気や決意が求められますが,その益は大きいでしょう。ジーンという名のクリスチャンの女性は,あるコンピューターゲームを買いました。初めは害がないかに思えましたが,ゲームを進めるにつれて,ゲームのさまざまな場面に心霊術的なところがあることに気づきました。程なくして,ジーンは暴力的な恐ろしい夢を見るようになりました。「わたしは夜中に起きてゲームのCDをたたき割りました」と語っています。どうなったでしょうか。「それ以来,全く悩まされていません」。』―目ざめよ!2002年1月22日号

*「悪霊の攻撃を経験した」との経験談の具体例

『悪霊たちはある人々を病気にかからせます。またある人々に対しては,睡眠を妨害したり,恐ろしい夢を見させたりして,夜中にいやがらせをします。性的に虐待する場合もあります。発狂や殺人や自殺にまで人々を追いつめることもあります。スリナムに住むリンティナという女性は,ある悪霊に16人の身内を殺され,自分自身も18年間,身も心もいじめ抜かれたと語りました。彼女は自分の直接の体験から,悪霊たちは「いやがる犠牲者を死ぬまでいじめることを楽しむ」と言っています。』-死者の霊

『私はかつては霊媒でした。呪術を行なう者であり,魔術に携わる者でした。普通の方法では知ることのできない事柄に関する知識を,一人の悪霊が私に与えてくれていました。例えば,私には祖母が死ぬ前からその死の迫っていることが分かっていましたし,親戚の人が妊娠したときにも,ほかの人たちが知る以前にその事実を知りました。それは,虫の知らせというようなものではないのです。その種の事柄に関する私の知識は,ほぼ間違いなくいつも正確でした。私が仲間の学生や教師,それに親戚などが病気になるように願い求めると,必ず病気になりました。一度,祖母のことで気が動転したときに,祖母が怪我をすることを願いました。私は自分についている悪霊たちを呼び,祖母が刃物で自分の体を傷つけるようにして欲しいと具体的に頼みました。その日の午後,祖母はナイフで自分の体を傷つけました。それから,一人の友人が,悪霊たちを呼び出す私の能力をあざ笑ったことがありました。私はその人が麻薬をやっていることを知っていたので,君は逮捕されてから釈放される,と言いました。悪霊たちは私の望み通りに事を運んでくれました。2か月もしないうちにその男は逮捕され,後に告訴が取り下げられて釈放されました。男はそれっきり私の力を疑うことはありませんでした。悪霊たちと交信する際には,名前を使って悪霊たちに話しかけるようにしたのですが,特定の悪霊と接してみると,その悪霊の性格や物の行ない方が,自分が呼び出す別の悪霊とは必ず異なっているように感じられました。こうして私は大勢の悪霊を名前で知るようになりました。』-目ざめよ!1986年8月22日号 

『悪霊は私が眠ろうとする時に限って私を煩わせました。うつらうつらしかけると,その声が私を起こし,墓場や死について話しかけてきました。その後,その悪霊は攻撃の手を強めました。私は何度もその悪霊の手で締め殺されそうに感じました。逃れようとしましたが,重いものが上から体を圧迫しているようで,逃れられませんでした。叫び声を上げたいと思っても声が出ませんでした。攻撃を受けた後,体力が回復しかけると,また農作業を行ない,キャッサバや砂糖きびを栽培し,海岸にある小さな町の市場でそれらを売りました。』『近所に住んでいたエホバの証人で全時間奉仕者のメーナという女性はたとえ私が死ぬとしても復活するという希望のあることを聖書から説明してくれました。しかし,まさにその夜,私は悪霊に取りつかれました。そのとき私は初めて,「エホバ! エホバ!」と,大声で呼びました。言えたのはそれだけでした。すると,その悪霊は離れ去ってしまったのです。』―ものみの塔87年9月1日

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(エホバの証人の出版物にしばしば登場するタロットカードの死神ー「悪霊の媒介物」とされる)

2008年5月24日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析 ③

では本論にもどり、エホバの証人内部に存在するこうした「悪霊現象」の正体はいったい何なのかという点を考えてみましょう。特に、「悪霊を見た」・「悪霊を感じる」と確信をもって述べる人の存在や、数多の「悪霊バナシ」の原因は何なのかという点に主眼をおいて考えていきたいと思います。

エホバの証人信者であるか否かに関わらず、こうした「霊の存在」を確信する人は世の中に多いわけですが、どせいさん個人についていいますと、こうした「霊の存在」というものは全く信じていません。「いや、それでも霊はいるんです」とおっしゃる方が多いのは承知しており、そういうご意見は尊重すべきだとも思いますし、そうした人たちに「霊なんていないんだ」と説得する気もこれまた全く無いわけですが、逆に、そうしたサイドから何を言われても個人的には「悪霊なんているわけない」と完全に思っていますし、また、そう考えるのが一般社会においてまともな発想であると自分勝手に確信してもいます。

さてそこで、例によって、どせいさんのように「悪霊の存在を全く信じない」という発想をもつ人間が、エホバの証人内の「悪霊現象」について聞かされたときに、その現象をどうとらえるのかという点についてこれからいろいろ述べさせていただきたいと考えています。これがこのサイトのスタンスということになります。そして、端的な結論を先に述べると、こうした「悪霊現象」の原因には2つのものがあると考えています。ひとつは『精神疾患』であり、もうひとつは『流言』です。

このうち、『流言』という側面については、すでに「うわさ話」についての考察の中で「鳥山明やピンクレディなどの有名人が悪霊の影響を受けていた」というJW内部での根拠の無いうわさ話を素材として、いくつかの考察を述べさせていただいています。要するに、エホバの証人組織内部には、世の中の出来事全体に対する懐疑心や「自分たちだけは特別」との強い選民意識が存在すると同時に、物事を無批判に受け止めたり事実かどうかを的確に判断する能力に欠けるという傾向が見られるため、何らかの特殊な出来事がおこると短絡的に「これは悪霊のしわざだ」という一方的な解釈・理解がなされ、これが「悪霊についてのうわさ話」として、尾ひれをつけられながらまことしやかに語り継がれてゆく、という構図がみられるということです。さらに、こうした噂話が伝播され拡大再生産されてゆく際に、その媒体となるネットワークも構築されている点についても指摘しました。

したがって、今回のシリーズの①で紹介したような、派手な「悪霊バナシ」のほとんどは「単なる流言」、すなわち真っ赤なうそであり、こうした話の出所をたどってゆくと結局は事実無根であることが証明されるような類のものであるといえるのではないかと思います。ただ、この点についての社会学的知見に基づいた考察はすでに「バカ話・うわさ話野郎」のなかで扱っていますので、今回は後回しにし、もうひとつの「精神疾患」という側面について、まず考えたいと思います。
(もしまだ「バカ話・うわさ話野郎」をお読みでない方がおられれば、一度ご覧いただくことをお勧めします。(特に③以降をお勧めします)。)

「悪霊現象の正体」としての「精神疾患という側面」とは、要するに、「悪霊を見た」「悪霊を感じた」と確信を持って発言する人というのは、統合失調症をはじめとした精神疾患に罹患している人、ないしはそうした疾患に罹患している人に接した人であるに過ぎないであろう、ということです。エホバの証人信者には思い込みが激しく、自分たちの宗教教理に都合のよい形で物事を理解し、それに疑いの余地を挟まないばかりか、他の人にもその理解を要求し、確信を持って語るというタイプの人がとても多いように思われます。他方で、エホバの証人信者は教育の価値を否定されており、医学的知見や社会学的知見を「世の知恵」と称して注意深く避ける傾向も根深く存在しています。(長老たちの中には悲劇的なほどに愚かで、かつ、自らの一方的で主観的な判断を確信をもって人に押し付けるタイプの人間がいる、ということには誰しもが同意するのではないでしょうか。)

こうした望ましくない下地が一般的に存在する中にあって、特定の精神疾患に見られる典型的な症例が起こると、短絡的に「悪霊現象である」と決め付け、エホバの証人教理と都合のよい形で結びつけた上で、確信を伴って他の人に伝えられてゆく、という現象こそが「悪霊現象」の本当の正体なのではないかと考えるわけです。また、統合失調症のような明確な精神疾患が関わらないケースであっても、集団妄想や集団ヒステリーと呼ばれる現象や個人の強い暗示が、日ごろのエホバの証人教育や「悪霊の存在」を当然の前提とする周囲の雰囲気とあいまって、「悪霊の存在を確信する経験」を引き起こしていることも多々あるように思われます。これらは、純粋な精神疾患とは異なるものではありますが、いずれにせよ精神医学や社会心理学の観点から明快な説明がなされうるという点では同様のものであり、便宜上、広い意味での「精神疾患」と同じ部類に属するものとして考察するのが適当であると考えています。

では、こうした「広い意味での精神疾患が悪霊現象として受け入れられている」という構図についてより具体的に理解するために、医学や社会学・文化人類学の見地からは心霊現象や妖怪などの存在についてどのように説明されるのかという点をこれから少し概観し、その理性的な理解と、エホバの証人内部での「悪霊現象」を要所要所で結びつけるという形で、考察を進めていってみたいと思います。

2008年5月24日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析 ④

○コックリさんと集団ヒステリー、そしてエホバの証人

心霊現象のうち日本人に最も馴染み深く、エホバの証人内部においてもいろいろな噂話が存在するもののひとつに「コックリさん」があります。「コックリさん」とは机の上に「はい・いいえ・数字・五十音表」などを記入した紙を置き、その紙の上に硬貨を置いて参加者全員の人差し指を添え、全員が力を抜いて「コックリさん」に呼びかけると硬貨が動く、というもので、霊との交信術とされるものです。もともとは19世紀に西洋で流行したテーブルターニングとかウィジャ盤といった占いに端を発し、日本では明治17年に下田港に漂着したアメリカ船の船員たちが村人たちに伝えたテーブルターニングが始まりであるようです。日本では、「狐や狸が憑依する」との理解から、「狐狗狸(コックリ)さん」と呼ばれるようになったようです。「エンゼルさん占い」・「キューピット占い」というバリエーションもありますが、要は「コックリさん」と同じものですね。

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(英語版ウィジャ盤ーウイジャ(Ouija)とは、フランス語で「はい」を意味する Oui と、ドイツ語で「はい」を意味する ja から作られた造語)

さて、この「コックリさん」、科学的な見地からはどのように説明されるのでしょうか。この点については、高名な精神科医森田正馬をはじめ、多くの学者によりその研究がなされていますが、どせいさん個人としては、精神科医の風野春樹先生が作っているサイト、「私家版・精神医学用語辞典」の中での説明が大変わかりやすいと思っています。以下の『』内の文章は、そのサイトからの風野先生の文章の引用文です。(http://psychodoc.eek.jp/abare/kokkuri.html)

まず、風野先生のサイトには山田正夫他による「オカルトゲームを契機に発症した集団ヒステリー」(社会精神医学1986年4号)という論文に載っている例が以下のように紹介されています。

『昭和50年代後半、神奈川県内の中学校で起こった事件である。この学校は旧陸軍兵舎跡地にあり、生徒の間では戦死者の亡霊が出るという噂が語り継がれていたという。5月の放課後、3年生5人(全員女子)、2年生3人(全員女子)、1年生2人(男子)が参加している英語クラブの活動中のことだ。3年生の部長、2年生の部員3名がメンバーとなって「こっくりさん占い」を始めた。始めてまもなく10円玉が動き始めたため、「危険だからやめよう」と誰かが言い、いったんはゲームを中止したが、「エンゼルさん占い」なら危険はないだろうと再開した。その直後のことだ。そばで見ていた2年生のA子が「背中が重い、何かが乗っかってくる」と泣き出した。彼女は「霊が呼んでいる」「何かが見える」と叫んだかと思うと、部室の中を駆け回り、ついに部屋を飛び出してどこかへ行ってしまった。部屋は騒然となった。すぐに部員が手分けして探し、A子は自分の教室の席でボンヤリと座っているところを発見された。さて、A子はすぐに正気を取り戻したが、もう誰もさすがに占いを続ける気にはならない。捜索に参加していた1年生男子のBとCは、自分たちの教室に戻ることにした。二人が教室に入った直後、Bはコンクリートの壁に女性の影を見た。次いで肩と腕が重くなり、女性の声が聞こえてきた。「地獄へおいで」と。怖くなったBは教室から逃げ出し、廊下を走り出す。Cは驚いてそのあとを追う。壁に気づかず頭をぶつけながらも走り続けるB。結局、4階にある教室の窓を開けて登ろうとしていたところを、ようやく追いついたCが押さえつけて部室に連れ戻した。一応Bが落ち着いたところで、Cはこっくりさん占いの用紙を片付けなければ危険だと考え、一人で教室に戻ることにした。すると今度はCを怪異が襲った。Cは教室に入ったとたん、壁に白い影のようなものを見、背中が熱くなるのを感じたのである。Cは、足の力が入らず床を這いずり回っているところを発見され、部室に連れ戻されたという。』『物語はまだ終わらない。その1年後のことである。前年度の事件は校内でも噂になっており、特にBとCのいた1年X組では「このクラスは呪われている」と密かにささやかれていたという。4月下旬の放課後、1年X組の女子4名で「エンゼルさん占い」を始めた。20回目を行ったところ、一人が急に泣き出した。その後、そばで見ていたD子が、手足が自分の意思に反して動き出したり、狐の霊がとりついて普段とは違う声で喋り出す、といった憑依状態になった。同時にE子とF子ももうろう状態となり、手の自動運動が出現した。E子とF子の症状はまもなく消失し、その後症状が出現することはなかった。しかし、D子はその後も学校で自動運動、憑依現象が持続し、精神科を受診。受診時は、D子(本人)とN子(悪い子)という2人の人格が交代して出現する多重人格状態で、N子のときには「D子を殺してやる。そのために乗り移ったのだ」と叫んだり、母親に悪態をついたり物を投げたりする状態だった。症状が消えるまでは1ヶ月半の入院を要したという。』

この症例について、風野医師は次のように述べています。

『この論文でおもしろいのは、男子と女子の反応の違いについての考察。女子は「自分が憑依状態に陥ることを不可思議な体験と感じているが恐怖感は感じておらず」、憑依や失神も遊びの中のひとつの役割行動としてとらえている。それに対し、男子は女子の憑依行動に不安や恐怖を感じて逃走、パニック行動を起こしている、というのだ。男子は非日常的な事件に恐怖を感じていてパニック状態になってしまうのに対し、女子はなんと憑依現象すらも日常の一部に取りこんでしまっているのですね。男性の方が女性よりも恐怖に弱い、という俗説があるけど、それを裏づけるような結果になっているというわけ。』

さらに、風野医師は同じ論文からもうひとつの例を紹介し、続けて以下のように述べています。

『A子とB子は神奈川県の中学校に通う1年生の女子生徒である。放課後に二人で「キューピットさま占い」をしていたところ、何かの拍子に文字盤の「出口」が破れてしまった。するとA子の目が突然つりあがり、いきなりB子に殴りかかった。B子は、たまたま通りかかった友人のC子と一緒にA子を取り押さえようとしたが、A子はものすごい力で襲いかかってくる。B子とC子は教室を逃げ出し、トイレに隠れたが、なおもA子はドアをよじのぼろうとしたり、声を上げながらドアを叩いたりしている。しばらくして声が聞こえなくなったので、A子がいなくなったと思ったB子とC子がおそるおそる外に出ると、二人を見つけたA子が再び襲いかかった。二人の悲鳴を聞いてかけつけたほかの生徒とともに、みんなでA子を押さえようとしたところ、彼女は倒れ、平静に戻ったという。しかし、今度はB子がもうろう状態となり、急に走り出し、4階にある教室のベランダから飛び降りようとした。続いてC子も同じ状態になってしまった。しばらくすると二人は平静に戻ったが、この学校ではその後4日間にわたって、この3名のほかにも6名の生徒に失神、もうろう状態、手足の震えなどが出現したという。』

『この話で興味深いのは、「追いかけてくる人物から逃げてトイレの中に隠れるが、なおも襲ってくる」という「トイレの怪談」のパターンが忠実に守られているということ。この場合、たぶん、逃げる方も追う方も怪談のパターンを無意識のうちに演じていたんじゃないだろうか。「演技性」というのが、ヒステリーの大きな特徴なのだ。』

さて、この論考の中で風野医師は「コックリさん」にまつわる心霊現象は「集団ヒステリー」として説明される現象であるとの理解を示しています。この「集団ヒステリー」とは何なのかという点について風野先生は説明をしていませんが、これは「集団妄想」とも呼ばれる、群集心理のことで、特定の集団の人たちが強い不安などにさらされ続けることで、その集団の中の人たちが、同時に恐慌状態に陥ったり同じ妄想を信じこんだりすることです。ストレスや不安を引き起こしている、目の前の現象に対して、通常では説明できない超常現象が起きたと確信され、オカルト的説明がなされます。さらに、不安感やストレスを解消するために、その確信にもとづいて、その人たちが、いっせいに異常な行動に出ることがあります。妄想を裏付ける事実はないので、大抵はさほど時間がたたずに妄想から覚めることが多いわけですが、突発的な行動等に出なかった場合には、当人たち自信もそれが妄想であるということに気づかず、「間違いのない心霊体験」として記憶され、確信を持って語り続けられたりするわけです。

さらにこの「集団ヒステリー」の事例においては、その集団が共通して抱いている認識や理解に基づいて、物事が一定方向に統一して強引に理解され、知覚されるという顕著な特徴があるようです。前述の子供たちの例で言えば、全員が全員、「トイレ=おばけ」「霊に取り付かれる人=女の子」「おばけ=不気味な女の人」というステレオタイプ的な発想を社会により植えつけられており、「この学校はどうやら呪われている」「今自分たちは霊と交信している」という強い不安感・恐怖感にさらされることにより、それぞれがこうした「与えられた理解」に基づいて一定の統一的行動をとるようになり、仮に黒い影が見えたり大きな音が聞こえるなどの偶発的な(至極自然な)外部現象が生じると、それを霊による攻撃であると統一的に理解し、妄想症例が収まった後にも「全員が同じものを見たのだから間違いない」ととらえられ、語り継がれてゆく構図になるわけです。

こうした現象は、エホバの証人信者にも生じうるのではないしょうか。ひとつの架空事例を想定して考えてみたいと思います。たとえば、あるエホバの証人の会衆の区域は「悪霊にまつわる話」が多く、悪霊の影響が強いとのもっぱらの評判であったとします。(日本国内にはこうした場所は意外に多く、栃木県の日光市や青森県の下北半島、和歌山県の紀伊、出雲市、京都市や沖縄の一部などにつきこうしたうわさが現実に存在するようです。)そして、そうした会衆のある二人の奉仕者が、「悪霊の影響」を受けていると自認する人の家を再訪問などで訪れているとします。その再訪問先の人物は本当に投薬治療の必要な程度の精神疾患を抱えていたりして、「自分は霊と話をしたんだ」というような体験談を語り始めるとします。こうした精神疾患を抱えている人の場合、自分の「体験談」については確信を持って語りますし、なにせ病気なわけですから独特の異様な空気(プレコックス感)を持って据わった目で朗々と話し続けたりするわけです。さて、こうした人とお話すると、独特の「噛み合わない感覚」を覚え、その人が病気だとわかっていた上で通常の会話をするとしても独特の恐怖感を覚えるわけです。ましてやその話している相手が本当に「悪霊に取り付かれている」と信じており、自分たちのいる地域全体が「悪霊の影響下にある」という漠然とした深層心理があり、なおかつ「悪霊は現実の存在で特にエホバの証人には具体的な危害を加える」と繰り返し教育を受け、しかもそれを全面的に信じているとなると、その二人は相当の不安感・ストレスにさらされることになります。

こうした情況で、なんらかのごく自然の外部的刺激が生じた場合どうなるでしょうか。たとえばその家が古い建物で、少し離れた側道をダンプカーが通ると特殊な振動の伝わり方がして、その家の側面のみが揺れるという現象があっとします。通常ならば、「え?地震ですか?」と家の人に尋ね、家の人は笑いながら「いや、ボロ家だからこうこうこうなってるんだよ」と説明し、それを聞いて一同笑う、という形で済まされるはずのところが、その家の家人は例によって自分の話を据わった目で続け、二人の奉仕者はお互いがお互い、「自分たちは今にも悪霊現象を見るかもしれない。そして悪霊現象の典型例といえばポルターガイスト現象だ」と無意識かつ統一的に考えている場合、その現象のおきている瞬間においても、その後はじめてお互いに口を利く瞬間においても、「明確な悪霊現象を間違いなく経験した」という理解なされ、後にこの話は「複数の人が同時に体験したのだから間違いない」という扱いがされ、大々的に語り継がれてゆく可能性があるわけです。

この、ダンプカーによる揺れの例以外にも、たとえば、この奉仕者二人が鬱々とした恐怖感を感じている最中に、仏壇の置かれた隣の部屋で、一瞬だけ洗濯物がひらりと動くのが見えたと仮定しましょう。二人はこれをどうとらえる可能性があるのでしょうか。一般的に日本では、黒猫・長い髪の女・老婆などといったものが幽霊と結びつけられており、一般人であればこうしたステレオタイプ的発想に基づいて「そのなぞの物体」を統一的に知覚するのでしょうが、エホバの証人については悪霊に関し「黒く大きくおそろしい男性」という統一的イメージを与えられているため、無意識的な恐怖感の影響下で、二人はその自覚がないままに統一的に「黒い男の姿を見た」的な解釈をし、その証言はこれまた「複数人が同じように経験したのだから間違いない」と解釈され、その後数十年単位で語り継がれ、その間に尾ひれがついたり記憶が都合のよい形で改ざんされ、最定着したりするわけです。
(これは、全くの架空事例ですが、「集団ヒステリー」現象をエホバの証人の情況に当てはめるならば、こういうことがありうるというひとつの例として理解していただければと思います。)

さて、このように、「もともと強く与えられていたストーリーに基づいて自分の理解できない現象を統一的に強引に理解して、知覚・確信する」という構図はエホバの証人の「悪霊現象」を理解する上で実に有益であると考えられます。日本のエホバの証人内部で語り継がれる「悪霊経験」のうちの大方のケースにおいて、知覚された悪霊の姿というものは、「黒く、大きく、恐ろしく、男性である」という特徴を持っているように思われますが、これは、日本人のイメージする幽霊が「女性」である場合が多いのと顕著な対象をなしているからです。つまり、悪霊というのは「女を求めて堕落した霊者である=男性である」というイメージが与えられており、ものみの塔協会の示す悪霊のイメージが「黒いもの」であるため、こうした方向性で「知覚」がなされているものと考えられます。結局のところ、信者たちの間で「あらかじめ与えられた統一的イメージ」にそって、無意識のうちに統一的知覚を強引になされていると考えられるわけです。

もっとも、エホバの証人サイドからは「本当に悪霊というのは黒い男性なんだ」という反論がありうるかもしれません。ところが、大変興味深いことに、カトリック圏のエホバの証人たち、特に中南米のエホバの証人の「悪霊うわさ話」に登場する悪霊は、「緑色の小人」である場合が少なくありません。これは、カトリックにおいては「子供に幼児洗礼をしないでおくと、その間に小人がやってきて子供をどこかに連れ去ってしまう」という神話が存在するため、悪霊=小人という統一的理解が植えつけられているからであると考えられます。

では、なぜ中南米の悪霊は「緑色」なのでしょうか。この点を解明することは、大変興味深いので、文化人類学的視点から、詳細に論じて見たいと思います。

2008年5月25日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析 ⑤

○緑色とオオカミー「恐怖の正体」を考える

1.緑色と恐怖

この「緑」という色には、一体どのような意味があるのでしょうか。文化人類学的視点から言って、ことヨーロッパ大陸系の民族・人種にとって「緑」というのは恐怖や不気味さの象徴であり、忌避したい色であるようです。スティーブン・スピルバーグ製作の映画「グレムリン」でも、可愛いペット「ギズモ」が化け物に変身するとその色は緑色になり、多くのスプラッター映画でも、登場するオバケは意味もなく緑色の液体を吐いたりします。アニメ作品などを見ても、最後に主人公が戦う相手はなぜか必ず緑色だったりします。

では、なぜ緑色が「恐怖の象徴」として扱われるのでしょうか。これにはヨーロッパ文化が深く影響しているわけです。ヨーロッパ大陸というのは、切立った崖とジャングルにコミュニティ同士が隔絶された南東アジアや過酷な砂漠地帯に寸断される中東などと異なり、なだらかな大陸がどこまでも続き、相互の移動や文化交流が極めて容易であったため飛躍的に文化が発展しました。また、フランス語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語といったロマンス語系の言語が互いに非常に似通っているのも、こうした相互移動・文化交流の容易さによるものであったわけです。

しかし、ヨーロッパ大陸においてもこうした相互移動の際の大きな障害が一つ存在し、それが「黒い森」に代表されるような広大な「森」であったわけです。

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ある拠点から別の拠点に移動する上で、緑色の森を通過しなければならず、その森の中には野獣を中心とした多くの危険が存在し、旅人の命を脅かしていました。人々がその危険性ゆえに森を避けるため、結果的に盗賊や逃亡してきた犯罪人が森に潜むようになったために森はその危険性をまし、こうして一つの「恐怖の象徴としての森」が存在するに至ったわけです。人々はそうした危険性ゆえに自然と緑色を恐れるようになるとともに、こうした危険な場所に人々を近付けないために教育的な目的も加味して「緑色=恐怖」という概念がことあるごとに意図的かつ統一的に人々に印象づけられたりもしていきました。かくしてヨーロッパにおいては、「緑色=恐怖」という潜在的意識が確実に存在するようになっていったわけです。

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(『神曲』地獄篇の冒頭で、気付くと深い森の中におり恐怖にかられるダンテ。)

こうしてヨーロッパ人の統一認識となり、深層心理の奥深くに存在するようになった「緑色=恐怖」という構図は、様々な側面に現れることがあります。たとえば、日本人は「庭」を作る場合、苔むした岩や池・小川などを組み合わせて、小さな空間の中になるべく通常の自然を再現しようとする傾向があります。最も小さなレベルでは「盆栽」という空間の中にさえ、緑の苔がびっしり生えた「小型の大木」を再現しようとします。このように日本では「自然を愛でる」傾向があり、緑色を「望ましい色」として扱うのは、国土が狭く気候が穏やかな日本においては「自然」は脅威ではなかったからです。他方、ヨーロッパ系の人々が庭を造る場合、ベルサイユ宮殿の庭園に代表されるような、丸や四角などの幾何学の形、つまり自然界には存在しない形で花壇が作られ、徹底的に「人工的」な印象を与える形式がとられます。同じ種類の花だけが集められて何らかの模様を作り、その周囲の草は見渡す限り完全に刈りそろえられるわけです。これは、ヨーロッパ系の人々にとり、自然は「愛でる対象」ではなく「克服すべき恐怖の象徴」であり、この自然を征服したかたちを反映した庭を作成することで、一種の安心感を覚えるからと考えられています。

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(ヴェルサイユ宮殿の庭園)

さて、こうした流れで先ほどのエホバの証人内部における悪霊現象を考えた場合、一つの実に理性的な結論に至れるのではないでしょうか。日本国内のエホバの証人の間では「悪霊が緑色である」という話はまず聞かれず、他方で、中南米系のエホバの証人の間では「緑色の悪霊」の噂話や目撃体験談が存在するとしたら、それは本人たちも意識していないような「既存の与えられたイメージ」に従って特定の悪霊像が「創出されている」だけであり、現実に存在する悪霊を本当に目撃した上で体験談が語られているわけではないということを皮肉に示しているのではないでしょうか。

結局のところ、多くの場合エホバの証人は与えられた情報やコントロールされた情報のもと、その狭い視野のみに基づいて強い思い込みをしているに過ぎず、その「恐怖の正体」について外部からの冷静な分析が加えられた場合、こうした思い込みはいとも容易に覆され、それが真実ではないことが証明されることになるのではないかという印象を受けるわけです。

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