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「エホバの証人」についての情報サイト

2008年5月24日

悪霊と闘うーエホバの証人内部に見られる「悪霊信仰」の分析 ④

○コックリさんと集団ヒステリー、そしてエホバの証人

心霊現象のうち日本人に最も馴染み深く、エホバの証人内部においてもいろいろな噂話が存在するもののひとつに「コックリさん」があります。「コックリさん」とは机の上に「はい・いいえ・数字・五十音表」などを記入した紙を置き、その紙の上に硬貨を置いて参加者全員の人差し指を添え、全員が力を抜いて「コックリさん」に呼びかけると硬貨が動く、というもので、霊との交信術とされるものです。もともとは19世紀に西洋で流行したテーブルターニングとかウィジャ盤といった占いに端を発し、日本では明治17年に下田港に漂着したアメリカ船の船員たちが村人たちに伝えたテーブルターニングが始まりであるようです。日本では、「狐や狸が憑依する」との理解から、「狐狗狸(コックリ)さん」と呼ばれるようになったようです。「エンゼルさん占い」・「キューピット占い」というバリエーションもありますが、要は「コックリさん」と同じものですね。

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(英語版ウィジャ盤ーウイジャ(Ouija)とは、フランス語で「はい」を意味する Oui と、ドイツ語で「はい」を意味する ja から作られた造語)

さて、この「コックリさん」、科学的な見地からはどのように説明されるのでしょうか。この点については、高名な精神科医森田正馬をはじめ、多くの学者によりその研究がなされていますが、どせいさん個人としては、精神科医の風野春樹先生が作っているサイト、「私家版・精神医学用語辞典」の中での説明が大変わかりやすいと思っています。以下の『』内の文章は、そのサイトからの風野先生の文章の引用文です。(http://psychodoc.eek.jp/abare/kokkuri.html)

まず、風野先生のサイトには山田正夫他による「オカルトゲームを契機に発症した集団ヒステリー」(社会精神医学1986年4号)という論文に載っている例が以下のように紹介されています。

『昭和50年代後半、神奈川県内の中学校で起こった事件である。この学校は旧陸軍兵舎跡地にあり、生徒の間では戦死者の亡霊が出るという噂が語り継がれていたという。5月の放課後、3年生5人(全員女子)、2年生3人(全員女子)、1年生2人(男子)が参加している英語クラブの活動中のことだ。3年生の部長、2年生の部員3名がメンバーとなって「こっくりさん占い」を始めた。始めてまもなく10円玉が動き始めたため、「危険だからやめよう」と誰かが言い、いったんはゲームを中止したが、「エンゼルさん占い」なら危険はないだろうと再開した。その直後のことだ。そばで見ていた2年生のA子が「背中が重い、何かが乗っかってくる」と泣き出した。彼女は「霊が呼んでいる」「何かが見える」と叫んだかと思うと、部室の中を駆け回り、ついに部屋を飛び出してどこかへ行ってしまった。部屋は騒然となった。すぐに部員が手分けして探し、A子は自分の教室の席でボンヤリと座っているところを発見された。さて、A子はすぐに正気を取り戻したが、もう誰もさすがに占いを続ける気にはならない。捜索に参加していた1年生男子のBとCは、自分たちの教室に戻ることにした。二人が教室に入った直後、Bはコンクリートの壁に女性の影を見た。次いで肩と腕が重くなり、女性の声が聞こえてきた。「地獄へおいで」と。怖くなったBは教室から逃げ出し、廊下を走り出す。Cは驚いてそのあとを追う。壁に気づかず頭をぶつけながらも走り続けるB。結局、4階にある教室の窓を開けて登ろうとしていたところを、ようやく追いついたCが押さえつけて部室に連れ戻した。一応Bが落ち着いたところで、Cはこっくりさん占いの用紙を片付けなければ危険だと考え、一人で教室に戻ることにした。すると今度はCを怪異が襲った。Cは教室に入ったとたん、壁に白い影のようなものを見、背中が熱くなるのを感じたのである。Cは、足の力が入らず床を這いずり回っているところを発見され、部室に連れ戻されたという。』『物語はまだ終わらない。その1年後のことである。前年度の事件は校内でも噂になっており、特にBとCのいた1年X組では「このクラスは呪われている」と密かにささやかれていたという。4月下旬の放課後、1年X組の女子4名で「エンゼルさん占い」を始めた。20回目を行ったところ、一人が急に泣き出した。その後、そばで見ていたD子が、手足が自分の意思に反して動き出したり、狐の霊がとりついて普段とは違う声で喋り出す、といった憑依状態になった。同時にE子とF子ももうろう状態となり、手の自動運動が出現した。E子とF子の症状はまもなく消失し、その後症状が出現することはなかった。しかし、D子はその後も学校で自動運動、憑依現象が持続し、精神科を受診。受診時は、D子(本人)とN子(悪い子)という2人の人格が交代して出現する多重人格状態で、N子のときには「D子を殺してやる。そのために乗り移ったのだ」と叫んだり、母親に悪態をついたり物を投げたりする状態だった。症状が消えるまでは1ヶ月半の入院を要したという。』

この症例について、風野医師は次のように述べています。

『この論文でおもしろいのは、男子と女子の反応の違いについての考察。女子は「自分が憑依状態に陥ることを不可思議な体験と感じているが恐怖感は感じておらず」、憑依や失神も遊びの中のひとつの役割行動としてとらえている。それに対し、男子は女子の憑依行動に不安や恐怖を感じて逃走、パニック行動を起こしている、というのだ。男子は非日常的な事件に恐怖を感じていてパニック状態になってしまうのに対し、女子はなんと憑依現象すらも日常の一部に取りこんでしまっているのですね。男性の方が女性よりも恐怖に弱い、という俗説があるけど、それを裏づけるような結果になっているというわけ。』

さらに、風野医師は同じ論文からもうひとつの例を紹介し、続けて以下のように述べています。

『A子とB子は神奈川県の中学校に通う1年生の女子生徒である。放課後に二人で「キューピットさま占い」をしていたところ、何かの拍子に文字盤の「出口」が破れてしまった。するとA子の目が突然つりあがり、いきなりB子に殴りかかった。B子は、たまたま通りかかった友人のC子と一緒にA子を取り押さえようとしたが、A子はものすごい力で襲いかかってくる。B子とC子は教室を逃げ出し、トイレに隠れたが、なおもA子はドアをよじのぼろうとしたり、声を上げながらドアを叩いたりしている。しばらくして声が聞こえなくなったので、A子がいなくなったと思ったB子とC子がおそるおそる外に出ると、二人を見つけたA子が再び襲いかかった。二人の悲鳴を聞いてかけつけたほかの生徒とともに、みんなでA子を押さえようとしたところ、彼女は倒れ、平静に戻ったという。しかし、今度はB子がもうろう状態となり、急に走り出し、4階にある教室のベランダから飛び降りようとした。続いてC子も同じ状態になってしまった。しばらくすると二人は平静に戻ったが、この学校ではその後4日間にわたって、この3名のほかにも6名の生徒に失神、もうろう状態、手足の震えなどが出現したという。』

『この話で興味深いのは、「追いかけてくる人物から逃げてトイレの中に隠れるが、なおも襲ってくる」という「トイレの怪談」のパターンが忠実に守られているということ。この場合、たぶん、逃げる方も追う方も怪談のパターンを無意識のうちに演じていたんじゃないだろうか。「演技性」というのが、ヒステリーの大きな特徴なのだ。』

さて、この論考の中で風野医師は「コックリさん」にまつわる心霊現象は「集団ヒステリー」として説明される現象であるとの理解を示しています。この「集団ヒステリー」とは何なのかという点について風野先生は説明をしていませんが、これは「集団妄想」とも呼ばれる、群集心理のことで、特定の集団の人たちが強い不安などにさらされ続けることで、その集団の中の人たちが、同時に恐慌状態に陥ったり同じ妄想を信じこんだりすることです。ストレスや不安を引き起こしている、目の前の現象に対して、通常では説明できない超常現象が起きたと確信され、オカルト的説明がなされます。さらに、不安感やストレスを解消するために、その確信にもとづいて、その人たちが、いっせいに異常な行動に出ることがあります。妄想を裏付ける事実はないので、大抵はさほど時間がたたずに妄想から覚めることが多いわけですが、突発的な行動等に出なかった場合には、当人たち自信もそれが妄想であるということに気づかず、「間違いのない心霊体験」として記憶され、確信を持って語り続けられたりするわけです。

さらにこの「集団ヒステリー」の事例においては、その集団が共通して抱いている認識や理解に基づいて、物事が一定方向に統一して強引に理解され、知覚されるという顕著な特徴があるようです。前述の子供たちの例で言えば、全員が全員、「トイレ=おばけ」「霊に取り付かれる人=女の子」「おばけ=不気味な女の人」というステレオタイプ的な発想を社会により植えつけられており、「この学校はどうやら呪われている」「今自分たちは霊と交信している」という強い不安感・恐怖感にさらされることにより、それぞれがこうした「与えられた理解」に基づいて一定の統一的行動をとるようになり、仮に黒い影が見えたり大きな音が聞こえるなどの偶発的な(至極自然な)外部現象が生じると、それを霊による攻撃であると統一的に理解し、妄想症例が収まった後にも「全員が同じものを見たのだから間違いない」ととらえられ、語り継がれてゆく構図になるわけです。

こうした現象は、エホバの証人信者にも生じうるのではないしょうか。ひとつの架空事例を想定して考えてみたいと思います。たとえば、あるエホバの証人の会衆の区域は「悪霊にまつわる話」が多く、悪霊の影響が強いとのもっぱらの評判であったとします。(日本国内にはこうした場所は意外に多く、栃木県の日光市や青森県の下北半島、和歌山県の紀伊、出雲市、京都市や沖縄の一部などにつきこうしたうわさが現実に存在するようです。)そして、そうした会衆のある二人の奉仕者が、「悪霊の影響」を受けていると自認する人の家を再訪問などで訪れているとします。その再訪問先の人物は本当に投薬治療の必要な程度の精神疾患を抱えていたりして、「自分は霊と話をしたんだ」というような体験談を語り始めるとします。こうした精神疾患を抱えている人の場合、自分の「体験談」については確信を持って語りますし、なにせ病気なわけですから独特の異様な空気(プレコックス感)を持って据わった目で朗々と話し続けたりするわけです。さて、こうした人とお話すると、独特の「噛み合わない感覚」を覚え、その人が病気だとわかっていた上で通常の会話をするとしても独特の恐怖感を覚えるわけです。ましてやその話している相手が本当に「悪霊に取り付かれている」と信じており、自分たちのいる地域全体が「悪霊の影響下にある」という漠然とした深層心理があり、なおかつ「悪霊は現実の存在で特にエホバの証人には具体的な危害を加える」と繰り返し教育を受け、しかもそれを全面的に信じているとなると、その二人は相当の不安感・ストレスにさらされることになります。

こうした情況で、なんらかのごく自然の外部的刺激が生じた場合どうなるでしょうか。たとえばその家が古い建物で、少し離れた側道をダンプカーが通ると特殊な振動の伝わり方がして、その家の側面のみが揺れるという現象があっとします。通常ならば、「え?地震ですか?」と家の人に尋ね、家の人は笑いながら「いや、ボロ家だからこうこうこうなってるんだよ」と説明し、それを聞いて一同笑う、という形で済まされるはずのところが、その家の家人は例によって自分の話を据わった目で続け、二人の奉仕者はお互いがお互い、「自分たちは今にも悪霊現象を見るかもしれない。そして悪霊現象の典型例といえばポルターガイスト現象だ」と無意識かつ統一的に考えている場合、その現象のおきている瞬間においても、その後はじめてお互いに口を利く瞬間においても、「明確な悪霊現象を間違いなく経験した」という理解なされ、後にこの話は「複数の人が同時に体験したのだから間違いない」という扱いがされ、大々的に語り継がれてゆく可能性があるわけです。

この、ダンプカーによる揺れの例以外にも、たとえば、この奉仕者二人が鬱々とした恐怖感を感じている最中に、仏壇の置かれた隣の部屋で、一瞬だけ洗濯物がひらりと動くのが見えたと仮定しましょう。二人はこれをどうとらえる可能性があるのでしょうか。一般的に日本では、黒猫・長い髪の女・老婆などといったものが幽霊と結びつけられており、一般人であればこうしたステレオタイプ的発想に基づいて「そのなぞの物体」を統一的に知覚するのでしょうが、エホバの証人については悪霊に関し「黒く大きくおそろしい男性」という統一的イメージを与えられているため、無意識的な恐怖感の影響下で、二人はその自覚がないままに統一的に「黒い男の姿を見た」的な解釈をし、その証言はこれまた「複数人が同じように経験したのだから間違いない」と解釈され、その後数十年単位で語り継がれ、その間に尾ひれがついたり記憶が都合のよい形で改ざんされ、最定着したりするわけです。
(これは、全くの架空事例ですが、「集団ヒステリー」現象をエホバの証人の情況に当てはめるならば、こういうことがありうるというひとつの例として理解していただければと思います。)

さて、このように、「もともと強く与えられていたストーリーに基づいて自分の理解できない現象を統一的に強引に理解して、知覚・確信する」という構図はエホバの証人の「悪霊現象」を理解する上で実に有益であると考えられます。日本のエホバの証人内部で語り継がれる「悪霊経験」のうちの大方のケースにおいて、知覚された悪霊の姿というものは、「黒く、大きく、恐ろしく、男性である」という特徴を持っているように思われますが、これは、日本人のイメージする幽霊が「女性」である場合が多いのと顕著な対象をなしているからです。つまり、悪霊というのは「女を求めて堕落した霊者である=男性である」というイメージが与えられており、ものみの塔協会の示す悪霊のイメージが「黒いもの」であるため、こうした方向性で「知覚」がなされているものと考えられます。結局のところ、信者たちの間で「あらかじめ与えられた統一的イメージ」にそって、無意識のうちに統一的知覚を強引になされていると考えられるわけです。

もっとも、エホバの証人サイドからは「本当に悪霊というのは黒い男性なんだ」という反論がありうるかもしれません。ところが、大変興味深いことに、カトリック圏のエホバの証人たち、特に中南米のエホバの証人の「悪霊うわさ話」に登場する悪霊は、「緑色の小人」である場合が少なくありません。これは、カトリックにおいては「子供に幼児洗礼をしないでおくと、その間に小人がやってきて子供をどこかに連れ去ってしまう」という神話が存在するため、悪霊=小人という統一的理解が植えつけられているからであると考えられます。

では、なぜ中南米の悪霊は「緑色」なのでしょうか。この点を解明することは、大変興味深いので、文化人類学的視点から、詳細に論じて見たいと思います。