2005年8月25日
エホバの証人のでき方⑩
さて。
これさえ正確と証明されれば、エホバの証人組織の正当性やその教えの正しさが全て証明されるんじゃないのかいという「1914年についての年代計算」が、果たして冷静な一般人の目にどう映るかという点なんですが。
(≧∀≦;)ヒー
ドキドキ
無駄にもう一度確認すると、エホバの証人の人たちは、
・聖書のダニエル4章にでてくる、「一度切られ、7つの時が過ぎると再び成長を始める木」は、神の支配権を表す。
・黙示録と民数記によると、7つの時は2520年。
・イスラエルが滅ぼされたのは、紀元前607年で、そこから2520年が過ぎると1914年。
ということで、1914年という特別な年が導き出され、この年に終わりの日は始まったし、これと絡んでラッセルとその仲間はイエスキリストによって「忠実で思慮深い奴隷」として任命されたとしているわけです。
ではね、これを眺めてどせいさんがどう思うかというとですね。
確かにこの流れに論理矛盾ナイデス。(^∀^)
矛盾はない、ないけれども、だからといってこれが正しいことにはまだならないんですよね。
この説明には、あたかも周知の事実であるかのように流され、証明の対象とされてはいない「前提」がいくつかあるんですよね。そもそも証明されてない「前提」のもとに何かの論理を組み立てても、それはただの架空のお話になっちゃうわけです。
このエホバの証人の論理で一番証明の対象とされるべきなのに、何の説明もされてないものの最重要なものは、「イスラエルが滅ぼされたのは、紀元前607年」っていう点です。
どせいさん的には、
「え? なにこれ?」
「誰が言ったの? ・・・どこに書いてあるの?」
(^∀^;)? ??
ていう感じですかね。
どせいさんもそれなりにいろいろ調べてみたし、特にそういうのが得意なお友達とかにも聞いてみたんですが、ネブカドネザルがこの年にエルサレムを滅ぼしたなんていう資料ってどこにもないらしいんですよね、周の匡王の退位の年ではあるらしいんだけど。
エホバの証人の人で、「自分は理性による神聖な奉仕をしてて、自ら聖書を勤勉に研究して真理を確信しています」っていう人の中で、このもっとも基本かつ初歩的な点を、本当に自分で確認した人っているのかな?
(>∀<;)
それとも、「活字の形で見せられ、当然に証明されたことであるかのように『言い切り』のカタチで物事を示されると、人の良さもあいまってそれを確認することもなく信じてしまう」という、多くの誠実な人たちが陥ってしまう落とし穴に、まんまとスッポリ入ってしまったのかな?
ま、なんにせよですね、イスラエルが滅ぼされたのは紀元前607年ではないらしく、どの考古学上の資料も大体その年から20年ずれた年を示しているみたいです。
そして、残念なことですけども、個々のエホバの証人の人が、この点を覆そうとしてもたぶん絶対無理だと思います。
何でかっていうとね、エホバの証人の本に「聖書に対する洞察」っていう本あるでしょ?
あの本はどせいさんもなめるようにして読んだけど、とてもよくできていると思いますね。(^∀^)ハイ
あの洞察の本の大部分を執筆して、ものみの塔の記事とかも書いていた元統治体の兄弟が、あの本の前身だった「聖書理解の助け」っていう本
(あの、例の青くてでかくて日本語で出てないやつね☆)
を書くために徹底的に調査したけど、結局、紀元前607年という数字は協会の出版物にしか存在しないということがわかり、終わりの日が1914年に始まったことにはならないことがわかったって後で公言してるんだよね。*注1
というわけでですね、「これさえ正確と証明されれば、エホバの証人組織の正当性やその教えの正しさが全て証明される」という1914年についての年代計算は、そもそもその一番の土台というか、前提が、虚偽に立脚しているわけなんです。
(^∀^;)どどどどう思う?
ヒー!
ま、考えてみればですね、ラッセルが年代計算に関心持ち出したのは、1876年頃らしいんですよね。今から130年前。日本でいったら徳川慶喜とか、勝 海舟とかがウロウロしてた時代。10年前は江戸時代なワケですよ。 みんなチョンマゲ。
そんな時代に、ネブカドネザルがいつエルサレムを滅ぼしたかについて、1年もずれずないキチンと確定的な考古学上の年号の知識があったとはとても思えないんですよね。
(>_<)
続きはまた次回
*注1
レイモンド・フランズ『良心の危機』(せせらぎ出版 2001年)37、38頁