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「エホバの証人」についての情報サイト

2006年5月7日

エホバの証人問題を整理する-12

(3).当事者の視点から

ここまでのところで、なぜ『エホバの証人問題』の本質が、「欺罔行為錯誤」にあると考えられるのかを説明してきたわけですが、この点を、エホバの証人信者になってゆく人たち自身の視点から、わかりやすく具体的に見てみると次のようになるかと思います。

 
 
 
 
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ア.まず、エホバの証人になる人のうちの圧倒的多くは家庭の主婦、しかも、もともと何の宗教も信仰していない、ごく普通の主婦たちであるといえるのではないかと思います。

こうした人たちは、比較的時間に余裕があるという点・夫は仕事で忙しいためあまり意思疎通することができず、「孤立気味」であるという点・小さな子供を抱え、どのように子供を育ててゆけばよいか、将来に漠然とした小さな不安を抱えている、といったいくつかの共通点を持っていたりします。

(また、家庭の主婦以外では、大学生や専門学校生などの世代の、比較的若い人たちがエホバの証人になるケースもまた多いといえるのではないかと思いますが、これらの人たちもやはり、時間に余裕があるという点・親元を離れており、相談できる「大人」が周りに存在せず「孤立気味」であるという点・自分の将来に漠然とした不安を抱いていたり、或いは「人生の意味」を求めている、といった共通点を持っているといえるのではないかと思います。)

仮に自分がこうした状況にあると仮定した上で、「当事者の視点」から、人がどのような過程を経てエホバの証人になってゆくかを具体的に想像して考えてゆくと、エホバの証人問題の本質がどこにあるかが理解しやすいのではないかと思います。

 
 
 
 
イ.さて、こうした状況にいる平凡な家庭の主婦の下に、同じように主婦の立場にあるエホバの証人信者が個別訪問で訪ねてきたり、或いは、もともと知り合いだった信者が何かの折に親しげに話しかけてきて、子育てのハナシをしてきたりするわけです。

「今は本当に悪い世の中だから、子供がキチンと育ってゆくかどうか、心配になることはないですか」とか、

「子供を育ててゆく上で、何か指針となるもの、安心して頼れる導きがあれば良いと感じることはないですか」とか、

「私も同じ主婦として、何を指針に子供を育ててゆけば良いか、悩んだことがあったんです」

などと言われるわけです。

しかも、そういった質問をしてくるエホバの証人信者の人は、独特の小奇麗な服装で、物腰が柔らかく、言葉遣いもきれいであり、親切そうで、「何か人と違ったものを持っている」というような印象のある人だったりするわけです。

そして、

「宗教の勧誘をしに伺ったわけではないんです。ただ、私は聖書を学んでいるんですが、聖書の中の言葉には、子育てや夫婦関係においてうまくやってゆく上でのすばらしい指針がたくさん載せられているんです。具体的に役立つその情報を、知っていただければと考えているんです。」とか、

「聖書は世界中で最も広く読まれているベストセラーですが、日本人の方には馴染みの薄い本ではないかと思いますし、教養の一つとして、どんなことが書いてあるかぐらい、お知りになられてみてもよいのではないですか。無料ですし、決して宗教に入るよう勧誘されたりはしませんから。」

などと言われて、週1回、30分から1時間だけ時間をとって定期的に聖書の話題について話し合うよう勧められたりするわけです。

先に述べたような状況(比較的時間があり、やや孤立気味で、子育てにつき少し不安があるという状況)にある主婦としては、

「こんなに誠実そうな人が一生懸命勧めてくれているのに、むげに断るのも忍びない」とか、

「どうせヒマだし、お金もかかるわけでもないし、週一回くらいなら相手になってもいいかな」とか、

或いは、純粋に「聖書に何が書いてあるかそういえば知りたい」とか、

それらエホバの証人信者が連れて来る子供たちが異常に礼儀正しいのを見て、「自分の子供もこういう風にキチンとした子供になって欲しい」

などと考え、週1回の自分の家での聖書の話し合いに応じるようになったりするわけです。

その「定期的な聖書の勉強」の際には、聖書の中に書かれている、家族や夫婦関係についての非常に魅力的な概念(例えば、夫においては妻を深く愛し、妻においては夫を深く敬うことの必要性・子供に時間と関心を費やすことの必要性・家庭内において寛大であり許しあうことの必要性等々)が実に効果的に説明され、多くの人は多かれ少なかれ何らかの感銘を受けるわけです。

また、この「家庭聖書研究」では、教える側のエホバの証人信者は、大抵上手に聖書を操って、様々な的確な聖書の言葉をスラスラひいて説明して見せるため、「とにかく聖書全体に良く通じている人」・「誠実かつ勤勉に聖書を学んでいる人」といった印象を与えることも多いようです。

さらに、その勉強の際には、自分に毎週聖書を教えてくれる特定の信者とは別のエホバの証人信者が入れ替わり立ち代り参加してくることがあり、それらの人たち一人一人も、親切そうで、確信に満ちており、やはり「何かを持っているようだ」と感じさせる人だったりするわけです。そして、それらの人たちは、これまたその一人一人が、「私も同じ主婦として、何を指針に子供を育ててゆけば良いか、悩んだことがあったんです。そんな時、エホバの証人の聖書の教えに出会い、こんなに子供を立派に育てられたんです。」などと説明するわけです。

さて、ここら辺の段階までであれば、ある種、「通常の何の問題もないとみなされる精神的活動」と考えることができるのではないかとも思えます。

しかし、このように、「自分に最も利害関係があり、最も関心がある分野(=主婦の場合、子育てや夫婦関係)について大いに役に立ちそうだ」との印象を、エホバの証人の教えについて抱き始めた頃、次のようなことを言われたりするわけです。

「聖書には、私たちの生活に現実に役立つ、多くの実際的な知恵がおさめられているとお感じになったことと思います。ところで、聖書は単にこうした家族生活についての指針を与えるだけではなく、実は、あなたやあなたのご家族の生活に極めて大きな影響を及ぼす、とても重要な情報も与えてくれているんです。その、聖書が私たちに伝えようとしている、最も重要なテーマについて、知りたいと思われませんか?」

 
 
 
ウ.お気づきかとは思いますが、ここから先が、エホバの証人だけに特徴的に見られる教えになってくるわけですが、今まで「家族生活に役立つ知恵の本」的に説明されていた本・聖書について、「実は聖書には、これら生活の知恵とは別の、はるかに重要なあるテーマが存在し、それはあなたとあなたの家族の人生に大きな影響があるので、是非そちらについても学んでみてもらいたい」などと説明されるわけです。

この頃には、「エホバの証人の話すことはとても役に立つ」・「エホバの証人は自分のことを考えていろいろ教えてくれる本当に誠実な人である」・「エホバの証人は聖書全体にとてもよく精通し、正確な理解をもっている人である」との印象が(意識的にせよ、無意識的にせよ)根強くなっているため、特に抵抗もなく、むしろ一定の信頼感(或いは好奇心にかられた期待感など)を持ってその説明に耳を傾けるようになっているという人が多いわけです。

そのような状況でエホバの証人信者は、

「神はまもなくこの地球に裁きをもたらし、聖書に書かれている神の教えに従う人以外は全て滅ぼされる」ということ、

「その裁きの時は、現実に私たちが生きている現代のこの時代にやってくる」ということ、

「なぜ私たちの時代にそのような滅びがやってくるといえるかというと、聖書全体を勤勉に正確に調べると、『終わりの日』と聖書が予言する時代が1914年に始まったということが、1年のズレもなく正確に算出されるからである」ということ、

「事実、約2000年前に、イエスキリストは、『終わりの日』には地震、戦争、食糧不足、犯罪、疫病といった『終わりの日のしるし』が見られるようになると予言したが、これらの事象の数・規模は1914年を境に飛躍的に増加している」ということ

「これは客観的な科学的なデータで裏付けられている情報であり、信頼できる」ということ、

等々を説明するわけです。

ここで留意していただきたいことは、確かに、通常の判断能力を有する一般人が、いきなりこうしたハナシを持ち出されたとすれば、誰もこれを真剣に信じようとはしないであろうものの、すでに述べてきたような状況にある人にとっては、「これは自分や自分の家族の人生や将来にとって極めて重要な情報に違いない」と、本気で考えさせられる情報に思える、ということです。

すなわち、エホバの証人のこうした教えに耳を傾ける人というのは、すでに述べたように、特に高い教育を受けてきたわけでも、人生の修羅場をくぐった経験を重ねているわけでもない一般の主婦であり、その多くは、人を疑いの目で見ながら生活してるわけでもなく、人に親切にされればそれに感謝し、困ってる人をみればほっておくわけにも行かないと考える、ごくごく普通の人のいい主婦だったりするわけです。

そして、そこまでにいたる「家庭聖書研究」なるものを通じて、「このエホバの証人信者の人たちは本当に利他的で、自分のことを考えてくれている誠実な人たちなんだ」とか、「この人たちは見事なまでに聖書全体に精通していて、自分なんか足元にも及ばないほど良く努力し、勉強しているんだ」という、ある種のかなり強い信頼感を抱くに至っている場合が多いわけです。

さて、そのような状況で(=つまり、特に疑うことを知らない誠実で平凡な若い家庭の主婦が、『誠実に自分を気にかけてくれている、聖書に非常によく精通している人』と1対1で教育を受けているというという状況で)、実にスラスラと、よどみない仕方で、1914年という年号の算出方法について説明されたりするわけです。

 
 
 
 
「聖書のダニエル書4章には、「大きな木が切り倒され、『7つの時』が過ぎると再び木は成長を始める」という幻が書かれていて、その『木』は、イスラエル民族によって代表される神の宇宙の支配者としての権威を表すんです」

「イスラエルが滅ぼされたのは紀元前607年のエルサレム攻略の時なので、その時から『7つの時』がすぎれば神の支配権は再び示されるんです。そして、黙示録によると、「1つの時は360日」なので、「7つの時」は2520日であり、民数記によると「1年は1日」なので、2520日は2520年になるんです。」

「紀元前607年から2520年が過ぎると西暦1914年になるんです。なので、今、私たちが住んでいるのは終わりの日なんですよ。」

「もちろん、これだけでは、今が『終わりの日』だということがすぐに信じられるとは思いません。でも、この事実を裏付ける、現実の証拠があるんです。」

「例えば、一つの例だけ考えてみても、最近地震が多いと思いませんか?実は、年間平均地震発生率は、1914年以前の2,000年間と比べて,それ以後は20倍も増加してるんですよ。なぜそういえるかというと、1984年に,コロラド州ボールダーの全米地球物理学データ・センターのデータと、幾つかの標準的な参考文献を補足資料として用いた表が作成されたことがあったそうなんですね。その表にはマグニチュード7.5かそれ以上を記録した地震,または500万ドル以上の金額に相当する財産を破壊したり,100人以上の死者を出したりした地震だけが載せられているそうなんです。
1914年以前の2,000年間にはそのような地震の発生は856回と計算されています。ところが,1914年以後のわずか69年間に,そのような地震が605回あったことを同じ表は示しています。つまりこれは,1914年以前の2,000年間と比べて,それ以後の年間平均地震発生率が20倍も増加したことを意味しています。他にも~~という資料がありますし、別のある有名な専門家も~~と述べているんです・・・・・etc」

「他にも、1914年という年を境に、世界に『終わりの日のしるし』が顕著に見られるようになったことを示す、目に見える証拠が数多く存在しますし、それらを、実際、一緒に調べていただくこともできます。
世の多くの人は、こうした客観的資料に裏打ちされる聖書の「真理」を知らないですし、残念ながら知ろうともしないんです。それは、誠実に勤勉に聖書を学ぶ意思がなかったり、或いは、物質的に豊かになることに目がくらんで、滅びへの道を進んでいるからなんです。」

等々等々…。

 
 
 
 
 
といった感じに。

しかも、これらの説明は一度に一気になされるわけではなく、ある程度の時間(例えば数週間)をかけて、ゆっくりと、わかりやすく、繰り返し確信に満ちた口調でなされるわけです。また、様々な専門雑誌(とされる雑誌)からの引用や、専門家の見解の引用などのうち、その端的なわかりやすく結論部分のみが羅列された出版物(とはいえ、その出版物自体は100%エホバの証人出版のもの)の、その活字体を示されながら説明されたりするわけです。

 
 
さて、すでに指摘したように、そもそも、この1914年という年代計算の根拠そのものが全く成り立たないものであるということ、そしてその事実をエホバの証人組織の最高幹部たち自身が認識しているという事実は、その元最高幹部の中心メンバーだった人物が明言しているわけです。

また、その年に『終わりの日』なるものが始まったことを裏付ける、客観的データ的なものについても、ものみの塔協会が重要な前後関係や前提知識を無視した上で「権威者」や「資料」を瀕回に引用し、実際に引用している原著でそれら権威者や資料が述べる結論とは全く反対の結論を読者に印象付けているということを行ってもいるわけです。

しかし、実際にこうした「エホバの証人の教え」を受ける側の人間としては、上に述べたような具体的状況の下、それらを見抜くことは困難だったり不可能である場合がとても多いわけです。

つまり、人を疑うことを知らない、本当に正直で誠実な、弱い立場にある若い主婦とかが、自分が「信頼できる人だ」・「誠実で私と私の子供たちのことを考えてくれている人だ」と思い始めている人の説明を聞くときに、それを的確に論破したり、証拠を集めて調査しようなどと考えるわけがないわけです。

小さな赤ちゃんを抱え、「せめてこの子は幸福に問題なく成長して欲しいと」、ささやかな希望と小さな不安を抱いてる平凡な若い家庭の主婦とかが、「本当にエルサレムの崩壊は紀元前607年だったのか」とか、「全米地球物理学データ・センターのデータには、検討すべき論理的前提があるのではないか」などと考えたりはしないわけです。

むしろ、

「ここまで難しいことがキチンと書かれている活字の資料があるのだから、まさかここにうそはあるまい」とか、

こんなに誠実そうに教えてくれる人がいるのだから、これは正しいんだろう、信じても大丈夫なんだろう」

と多くの人は結論づけてしまうわけです。

誠実で正直な人ほど、これらの教えをそのまま受け入れてしまう傾向にある、とも言えるかも知れません。

 
 
 
もちろん、健全な批判能力が働いて、「こんな話は信用できない」と考える人も非常に多く、むしろそう結論付ける人のほうが多数派であろうと思います。

しかし、これまたすでに述べたように、

「夫との時間が少なく、誰かと接していたい」という思いや、

「多くの人が持っているわけではない、何か希少価値のあるものを自分だけが持っていたい」という多くの人が抱きがちな自然な欲求や、

「子供を育ててゆく上で、やはり頼れる何かが欲しい」という思いや、

「元々神様はどこかにいるはずだと思っていたけど、これが神様を知る良い機会かもしれない」という考えなど、

様々な思いやタイミングがあいまって、エホバの証人の教えを受け入れよう、と考える人もまた、驚くほど多いといえるのではないかと思います。

そして、そうした人たちのほぼ全員について言えることは、「1914年という年代計算が正しい」という前提と、「その年を境に『終わりの日のしるし』が激増しているという現実の証拠がある」という前提があるからこそ、この教えを現実のものとして受け入れた、という点ではないかと思います。

(なお、ここまで、家庭の主婦がエホバの証人になるパターンを例として考えてきましたが、上の方で述べた、大学生等の若い人たちがエホバの証人の接触を受ける場合には、『家族生活の成功』云々を媒介にすることなく、いきなり核心部分からの話を持ち出され、逆にそれが魅力的と思われる場合が多いのではないかと思います。

つまり、「人生の意義は何だろうとか、これから先の将来、自分の人生やこの世界はどうなってゆくだろうかとか、考えたことはないですか。実は聖書には、私たち人間がこの地球に存在している意義や、これから先世界がどうなってゆくかについて、興味深い考えが載せられているんです」といった感じの質問や説明をされ、そこからダイレクトに、「終わりの日」の話に入ってゆく、というパターンが多いかもしれません。

ただ、この場合にもやはり、これらの聖書予言についてのエホバの証人の教えを裏付ける現実の証拠が存在するという前提があるからこそ、その教えを受け入れたという人がほとんどであり、もし、「その前提がそもそも欠けている」という、ひた隠しにされている事実をあらかじめ知っていたのであれば、このエホバの証人の教えを受け入れはしなかったであろう人が非常に多いであろう点については一貫して共通しているのではないかと思います。

また、これら若い人たちの多くには、「人生経験が乏しく物事についての批判能力が十分ではないために人を信じやすい、或いは疑えない」・「親とは離れて生活しているために、人との定期的接触に魅力を感じやすいと同時に、周りから健全な助言を得る機会が少ない」・「自分の人生には価値ある特別な何かが起きるのではないか、という漠然とした期待感を抱いている」といった、エホバの証人の教えを疑うことなく受け入れる方向に働きやすい、一定の共通点があるという点も、主婦の場合と共通しているのではないかと思います。)