2006年8月6日
エホバの証人問題を整理する-14
2.責任追求を考える
さて、以上、ここまで述べてきたことを考えると、まさしく、
1.ものみの塔による明らかに意図的な欺罔行為 と、
2.それにより引き起こされた信者たちの錯誤
という2点こそが、エホバの証人問題の根本にあるものではないかと、どせいさんは考えるわけです。
そして、これら2つのエホバの証人問題の根本を視野に入れつつ、輸血拒否やムチ問題を、どう社会的に考えてゆくべきか(=どんな問題が起きており、誰にその責任があり、その責任について法的・社会的責任を追及できるのか)について、これから個別に述べてゆきたいと考えています。
ただ、その前に、そもそもこの根本のところである、「教義についての意図的な欺罔行為」そのものについて、法的責任は問えないのだろうか、と考える人は多くいると思います。
そこで、ものみの塔が行っている、これら「意図的な欺罔行為」と思える行動について、法的責任を問えるのかどうかを、刑事責任と民事責任に分けて、少し考えてみたいと思います。
(1).刑事上の責任
ア.ものみの塔の、理解に苦しむような不誠実極まりない教えについて、その実体を知るに至った信者のうち、多くの人は
「これって詐欺ではないのか」
と考えるようです。
あるいは、ネット上の掲示板等のやり取りなどをみていると、
「ハルマゲドンで滅ぼされるぞ、と繰り返し脅すのは、脅迫罪になるはずだ」
と主張する人を見かけることがよくあります。
確かに、通常の感覚で行けば、ものみの塔の教えというのは、詐欺罪や脅迫罪に該当するように思えるのではないかと思います。
少なくとも、「これってサギじゃないの?」と疑問に思うのは自然の感覚ではないかと思います。
では、ものみの塔の教えは詐欺罪ないし脅迫罪になるのでしょうか。
イ.宗教と詐欺罪
まず詐欺罪(刑法246条)についてなんですが、残念ながら、ものみの塔の行為は、恐らく専門家の人たちにとっては、一見して詐欺罪にはならないもの、といえるのではないかと思います。
実にいろんな面で、詐欺罪が成り立たない理由が多く存在するのではないかと思いますが、そもそも1番の理由として、詐欺罪というものの本質は、『財産に対する罪』であるとされています。
つまり、金銭等の何らかの財物を巻き上げるため、ないしは債務を免れる等の財産上の利益を不法に得ることを直接の目的として、欺罔行為がなされた場合に詐欺罪の成否が問題となるのであって、財物・財産上の利益の移転そのものに向けられた欺罔行為を欠く場合には、この罪は成立しない、ということになってるみたいです。
この点、問題ある宗教団体が行った行為が詐欺罪を構成するかにつき、興味深い一つの実例は、『法の華三法行』という宗教が起こした刑事事件です。