2005年7月9日
映画野郎②
一応「マトリックス」のあらすじ。
舞台は1995年。コンピュータープログラマーのネオ(キアヌ・リーブス)は、昼は大手プログラム会社のSE、夜は凄腕のハッカーという二重生活。このネオの身の回りで、「何か妙な出来事」がおき始め、彼は導かれるようにモーフィアスという人物を探し始める。ある夜、その人物からメッセージが届く。「白ウサギについていけ」。いわれるままウサギちゃんについていったネオは、真の現実世界を知るか、それともこれまでの平凡な世界に戻るかをいきなり選べといわれる。現実世界を知ることを選んだネオは、今まで現実だと思っていた1995年の世界が、実は機械によって脳内に作られた仮想現実だと知る。本当に本当の現実世界は2200年「頃」。人類は昆虫みたいなキモい機械たちに養殖されており、数十億人全員が、マジ睡眠栽培状態…てな感じ。
キャー!
(^∀^)コワイ
さて、「マトリックス」の一番面白いところは、「既存の世界観の崩壊」っていうのが見事に描かれてるトコロだと思うんですよね。
そしてこの、今までの世界観がガラガラ崩壊していくっていうのは、ものすごい不思議な感覚の伴う経験で、エホバの証人の教理を信じてたんだけど、でも、どうやらそれがウソらしいと思うようになった人は、程度の差こそあれ、大抵この感覚味わうのではないかとも思います。
( ̄□ ̄;)今までの全部ウソだったのかー!ガビーン
みたいに。
エホバの証人の2世として育てられて、その教理をハナっから信じてなかったなんていう人は、ほとんどいないじゃないですか。
不思議なもので、小さいときからエホバの証人がイヤでイヤで仕方なく、中学・高校に入ったらすぐに離れたっていう人たちでも、エホバの存在、悪霊の存在、将来ハルマゲドンがくること、といったあたりの教えは頭に残り、「エホバの証人の世界観」というものをいつまでも確信して、いわばそれを「引きずりながら」生きてたりするものです。
そんな感じの人たちが、専門家のカウンセリング受けたり、ネット等でエホバの証人組織や教理についての「強い現実感のある」さまざまな細かな情報を得たりして、
「ハイ、今までのウソ ( ̄∇ ̄) スカーン」
と確信すると、すごいショックを受けたりするわけで(ま、たいていは心地よい大ショックなんですけどね)。
まして、本当に心底信じて開拓奉仕とかやってきたんだけど、とんでもない矛盾や事件に個人的に巻き込まれて、何がなんだかわからない混乱状態で、いろいろ調べてしまい、教理の矛盾と思えるところ・組織の不誠実と思えるところを一気に知ると、まさに「リアル・マトリックス状態」。
「今までの世界はうそだったのか!これが真実だったのか!」てな感覚が一気にめぐってくるんじゃないかと思うんですよね。
(>_<)
ネオが現実世界を知る前に、モーフィアスから青いキャンディーと赤いキャンディーを示されて、「青い方をとればすべてを忘れ元の世界に戻るけど、赤い方をとれば本当の現実を知り、後戻りはできない」って言われるシーンがあるんですよね。
あれってまさにネットでエホバの証人について調べるかどうするか悩む現役信者の心理状態と完全に重なる気がスル。
自分の組織が何だか叩かれてて、そこに膨大な量の情報があるんだろうことは薄ら薄らわかっちゃいるんだけど、一目それを見たら後戻りはできないし…、みたいなね。
(^∀^)ね
後半のあたりでは、一緒に現実世界に目覚めて闘ってた仲間が、将来の希望が薄い現実世界に飽き飽きして、仲間を裏切って、自分を元の仮想世界に戻すよう機械どもに頼むシーンもあるんですよね。
あれって、一度はエホやめたものの、いろいろそれなりにメリットあるからって、教えが正しくはないと思いながらもエホ証に戻ってく人たちの姿とこれまた重なるんですよね。
そういった視点で「マトリックス」をみると、ま、いろいろ感じる部分が出てくるもんだなあと、どせいさんは一人でモンモンとしながら考えたりしてるわけです。(-_-)
さて、「既存の世界観の崩壊」というのを扱った映画はほかにもいっぱいあるわけですよね。
例えば、「トゥルーマンショー」。