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「エホバの証人」についての情報サイト

2005年7月25日

エホバの証人のでき方⑤

さて、この「神のご意志」の時期にエホバの証人となり、それゆえに地上での神の唯一の組織を再建するために用いられた人というのが、もちろんチャールズ・ラッセルだったというワケです。
(^∀^)

そして彼の作った聖書研究のグループ(=現在は「エホバの証人」組織)は、西暦100年か200年ごろからの千数百年のブランクを経た後に再建された、現代における神の唯一の地上の組織であり、この組織に属さない人間は、神が正しいことを証する者ではないので「邪悪な世代」として、もう間もなくくるハルマゲドンで滅ぼされる、というのがジケイレツにそった説明ってことです。
 
 
 
 
 
 
さ、ここで「でもなんでそんなことが言えるのか」、ていう疑問が当然必ず起こるんですが、ここが大事なポイントで。
(∋_∈)

上で述べたような主張・解釈を裏付ける2つの論理的根拠がエホバの証人にはあるワケです。

これはエホバの証人の自らの正当性を主張する上でかなり決定的な論理的主張だとオモイマス。
 
 
 
 
 
 
1つは、神のご意志の時期がいつかというのは聖書を勤勉に学びさえすれば具体的年号を特定できるし、ラッセルとその仲間は実際、その神のご意志の時期を事前に割り出し、人々に知らせていたという点。
 
2つ目は、その神のご意志にとって特別な時期を起点に、エホバの証人が神にとっての唯一真の宗教として是認されたことを示す、明らかな目に見える証拠があること。
 
 
 
 
 
 
続きは次回。

2005年7月27日

エホバの証人のでき方⑥

この2つの論理的根拠をもう少し詳しく書きますね☆
(^∀^)
 
 
 
まず1つ目の、「神のご意志」の時期がいつかってのが、聖書を勤勉に調べることによってどうわかるのかという点ですが。

長いけど、我慢してイッキに読んでね。(>_<;)

前書きましたけど、エホバの証人の人たちによると、古代の聖書時代に神の是認を受けた唯一の組織が地上に存在して、それがイスラエル民族だったワケですが、このイスラエル民族には、役割もあったんですよね。
 
 
 
その役割は何かというと、神の宇宙の支配者としての権威というか支配権というか、そういうものを地上で代表するってこと。
 
 
 
まあ、外国に大使館をおいて、そこに国旗掲げるみたいな感覚で。神の支配者としての権威はイスラエルによって地上に対して代表されてたという構図。そしてその証拠として、イスラエルはどこの国と戦争しても奇跡とかが起きて天下無敵だったと。
 
 
 
ところが、この神の支配権の地上での代表が途絶えることが予言されるんですね。
 
 
 
それが聖書のダニエル書の4章というところにでてくるそうです。
 
そこにどんな内容が書かれているかというと、ネブカドネザルという名前の、ある王様が変な夢をみるワケです。
 
その夢の中では、何だかもんのすご~~~~~~く(>_<;)デカイ木がでてくるんだけど、天使がやってきて、この木をスッパリ切っちゃうんですよね。
 
( ̄∇ ̄)ナハハハ
 
 
 
ただ、切られた木の根っこはそのまま残されて、成長がストップするように金属の輪っかをかけられます。そして「7つの時」が過ぎると再び木は成長を始めると。
 
 
 
エホバの証人の理解によると、このデカイ木は、イスラエル民族によって代表されてた神の宇宙の支配者としての権威を表すそうです。
 
 
 
そしてその木が倒されることは、その神の権威の代表たるイスラエル民族が滅ぼされ、地上で神の権威を代表する組織がなくなることを意味すると。
 
 
 
しかし、「7つの時」が過ぎ去れば、神の支配権は再び地上に対して示される。
 
というのが、エホバの証人のダニエル4章の理解なワケです。
(^∀^)
 
 
 
これはつまり、イスラエル民族が滅びる時(=起算点)がいつなのかと、そこから流れ始める「7つの時」(=経過期間)がどの位の期間なのかがわかれば、神の支配権が再び地上に対して示される時、つまり神の特別なご意志の時がいつか割り出せるワケです。
(^∀^)ムフフフフフ
 
エホバの証人によれば、イスラエルが滅ぼされて木が倒されたのは、紀元前607年のエルサレム攻略の時だそうです。
 
 
 
そこから「7つの時」が過ぎたら、神の支配権は再び示されるので、この「7つの時」は何年間なのか気になるワケだけど、まず黙示録を調べると、1つの時は360日とあるそうです。そうすると、「7つの時」は2520日ということになります。
そして、民数記には「1年に対して1日」という記述があるので、この法則をあてはめると、2520日は2520年ということになります。
 
紀元前607年から2520年が過ぎると西暦1914年になります。
 
 
 
というわけで、エホバの証人の方たちは1914年に神の支配権がこの地に対して再び示されるんだと考え、それはどういう意味かというと、天ですでに復活していたイエス・キリストがその年に地球を支配する「神の王国」の王として天で即位するということだ、と考えているんですよね。
 
そして、イエスキリストはまだ地上にいたときから、自分が王様になるときには戦争・地震・食糧不足といった「しるし」が地上に現れると予言していて、実際そのとおりに1914年に第一次世界大戦が起きたしその後戦争が続いているし、その年を境に地震や食糧不足も増えているし、そういった目に見えるしるしが、1914年はまさに預言成就の年で、その特別な年にイエスキリストが神の王国の王として即位したことをガッツリと証明しているんだ、とも考えているかと思います。
 
そして、ラッセルとその仲間は勤勉かつ誠実な聖書研究によって、これらの「真理」を理解するにいたり、1914年の何年も前から、この特別な年についてふれ告げていたら、まさにその年に預言が成就して、その理解が正しかったことが証明されたと。この特別な年について事前に理解し・ふれ告げていた組織なんぞはもちろん彼らをおいては他になく、事前にこの年を述べ伝えていたという事実や、何よりこの年の意義をきちんと理解できるようになるには神の助けなくしてはできるはずもないのだから、そうした理解のための神からの助けを得られたということも、神から是認された唯一の組織であることを示す間違いのない証拠だと。ま、そういう理解がなされていると思うんですよね。
 
さらに、イエスキリストは、自らのバプテスマから3日半の後に、エルサレムの神殿に現れて、そこにいた両替商たちを追い払うことにより神への崇拝を清めたと。この予言的行動の成就として、1914年から3年半の後の1918年にイエスは地上の崇拝を清めるために地上に注意を向け、当時バビロン的な因習(誕生日とかクリスマスとか)をまだ引きずっていたエホバの証人組織を清めなくてはならなかったので、精錬というか懲らしめというか、そんなんを与え、それがすなわち1918年のラザフォードを含む8人の協会役員の投獄だったと。
 
その後1919年に彼らは解放され、その年にはオハイオのシーダーポイントですっごい大会やったし、黄金時代誌も作りだしたし、もはや大いなるバビロン(背教したキリスト教世界を中心とする偽りの宗教の世界帝国)はエホバの証人の邪魔ができなくなったので、その年に大いなるバビロンは倒れたんだと。
 
このあたりまでが、エホバの証人が自分たちが唯一真の宗教だと主張する根拠の1つ目、「神のご意志の時期がいつかというのは聖書を勤勉に学びさえすれば具体的年号を特定できるし、ラッセルとその仲間は実際、その神のご意志の時期を事前に割り出し、人々に知らせていた」という点についての流れなわけです。
 
 
 
 
 
 
あ~~~
こんなに長くなるとは思わなかった。
(^∀^;)シンドイ
 
エホバの証人の人たち自身も、キチンとすぐには説明できないってのがよくわかるわ、しょうがないねこれだけ複雑だと。
 
 
 
あ、エホバの証人の人とかでこれみてて、もし間違いあったら教えてくださいね。
(>∀<;)フヒー!
 
 
 
 
 
 
さて、エホバの証人の自らの正当性を主張する上での論理的主張その2
「神のご意志にとって特別な時期を起点に、エホバの証人が神にとっての唯一真の宗教として是認されたことを示す、明らかな目に見える証拠があること」っていうてんなんですが、こっちはまあ簡単なわけですよ。
 
上に書いたように、1914年に続く1918年の協会役員の投獄・1919年のシーダーポイントの大会と黄金時代誌の発行開始、こういったいろんなエホバの証人組織にとっての重大ニュースも、大抵聖書預言の成就であり、こういうイベントが全て聖書から説明できるってことがこれには含まれるわけですけど、それより何より、エホバの証人が現在「霊的繁栄」を経験しているという厳然たる「事実」が、エホバの証人だけが真の宗教であることを示す、明らかな目に見える証拠だ、とされています。
 
この「霊的繁栄」って何かというと、まあ「わかりやすすぎるぞコラ」ってくらいわかりやすくいっちゃうと、
 
 

  1. 聖書の意味がちゃんとわかる ってことと、
  2. 数がふえてる

 
 
ってことに尽きる印象。

例えば、1914年から終わりの日が始まったこと、大半の人間の希望は将来地上の楽園で生きることで14万4千人だけが天へ行って王様になること、地上に苦しみが存在するのはこないだも書いた神と悪魔の論争の結論を示すためでキチンと理由があること、こういう聖書の正しい理解が得られているのはエホバの証人組織だけで、これは神がエホバの証人組織を祝福しているからで、こういう理解がエホバの証人だけに与えられているということは、神が特別に是認している証拠だというわけです。

あとは、とにかくエホバの証人が世界中で増え続けていることは、ひたすら神の祝福だと、まあそういうわけですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なんかとんでもなく長くなったけど、エホバの証人たち自身が自分たちの組織についてどう考えているのか、なるべくエホバの証人の観点から必要十分に書いたらこんな感じなのかな?と思うことを書きました。
(^∀^;)=3
世間の人の目にエホバの証人の発生と発達がどういう風に映るのかだけをツラツラかくのは不公平だもんね☆
 
 
 
さて、このエホバの証人側からの説明、どせいさんはどう思うかというとですね、まあかなり説得力あると思うんですよね。
なによりさ、最初に書いた一般人のエホバの証人組織についての文化的視点からの解釈は夢も希望もない感じですよね。
それにひきかえこちらの説明は、すごいわくわくする感じだし聞いてて楽しいというか、続きが気になるし、もっといろいろ質問したくなる感じもする。
(^∀^)キャー!
 
次回はね、ここら辺くらいまでしっかりエホバの証人側からの説明聞いた上で、まともな一般人はどう考えるのかなあ、っていうのを、どせいさんなりに書きたいと思います。

あ、でもねなんか同じテーマずっと続いてちょっと飽きちゃったんだよね。

次回はタイムリーな別の軽い話題書いて、そのあとにでもまたどせいさんの勝手な意見をつらつら書こうかな。

あ、でも間あくとワケわかんなくなるかな。

どうしよう。
(>∀<;)…

2005年8月5日

地域大会野郎その①

今地域大会シーズン真っ最中ですね。
(>∀<)

エホ証やめて良かったって人たちの中にも、地域大会だけは行ってみっかあっていう人多いみたいですよね。

なんていうか、いかにもエホ証エホ証した雰囲気味わえるし、人数が多いぶん人との接触も希薄で、微妙な歓迎とかされてイヤな感じになることもないからでしょうかね。
これが集会だとそうもいかないワケでして。
( ̄∇ ̄)ハハハハ

 
 
どせいさんはもちろん地域大会いったことありますよ、ありますとも。
(^∀^)エッヘン
(どせいさんが参加した地域大会の様子 ここをクリック)

ま、日本のエホバの証人の人たちは、地域大会なんてのはエホ証ならではの取り決めで、こういうほかに例を見ない雰囲気・規模の集まりがあることもエホバの証人が真の宗教である証拠のひとつだ、なんて感じる方も多いみたいなんですよね。

実際そんな説明をされたことアリマシタ。

しかし外にいる者から見ますとね、やっぱり地域大会も、よくあるアメリカ方式の集まりに過ぎないな、って見えちゃったりするんですよね。
(^∀^;)モウシワケナイガ

どせいさんが一番最近「あ、これってエホバの証人の地域大会に似てるな」って思ったのは、ブッシュ対ケリーのアメリカ大統領選挙の時の、共和党大会のシーンを見たときですね。

大統領選近いときに、アメリカの共和党員の人たちが何日間か大会開いてたワケなんですが、もちろんエホバの証人の人たちは、「そんな大会と私たちの霊的集まりはぜんぜん違う!」っていうと思います。

でもね、同じ信条を持つ人たちが一つのでっかい都市に何万人と集まりあい、何日間かお互い励ましあい、士気を高めあうというあたり、一般人の目からすればとてもよく似てると思いますね。

それから、共和党大会では「基調演説」を誰がするか話題になってましたが、エホバの証人の地域大会でも「基調をなす話」が必ずあるでしょ。
少し意識の高いエホバの証人の方なら、自分の大会で誰が基調をなす話をするか、やっぱり話題にすることもあるのではないですかね。
その辺もとてもよく似てる。
ちなみに大抵支部委員より2ランクくらい低いベテル長老がやることが多いみたいですが。ベテルの家族研究の司会するくらいの人かな。

ほかにもいっぱい類似点アリマス。

まあね、なんていうか、共和党大会のほうがエホバの証人の地域大会を真似してるわけはないので、エホバの証人のほうが、意識的にか無意識にか、アメリカの宣伝方式を取り入れてるんでしょうね、多分。そんな風に、エホバの証人の人たち(特に日本のエホバの証人の人たち)が、「自分たちの組織が真の宗教であることを示す特徴だ」と考えてるものの多くは、とても冷たい視点からいってしまえば、いろんなこと知ってる人とかが見ると、実は単なるアメリカ文化の踏襲で、比較的狭い視野しか持たずにエホ証になっちゃった人たちにとても効果的に心理的影響を及ぼしてるだけだ、と見られちゃったりもするのではないですかね。

ついでなのでちょっと触れておくと、共和党にも開拓者がいるの知ってますか?( ̄∇ ̄)ハハハ

ブッシュさんの選挙運動で、一定以上の資金を集めた人は「パイオニア」と呼ばれ、その5分の1の資金を集めた人は「レンジャー」になれるそうです。アメリカの大使などの公職についた人のうち43人は開拓者で、チャオ労働長官、国土安全保障省のトム・リッジ長官も開拓者だったんだって。

これって、一定以上の奉仕時間を入れると「開拓者=パイオニア」になれるエホバの証人のシステム、そして開拓者じゃないと巡回監督やベテル奉仕者、RBCや大会監督などの要職につきにくいエホバの証人のシステムによく似てませんか?

てか、同じだよ、オイ。

熱心なエホバの証人の中にも、奉仕は自分と神との関係だ、とか、自分にできる精一杯を奉仕にささげるべきで時間の絶対数はさほど重要ではない、って考える人たちで、「開拓者」っていう制度やそれに基づく待遇の差異がなぜあるのか少し疑問に思う人も多いように思うんですが。
エホバの証人の外部からこういうシステムを見ると、ぜんぜん普通に、単純粋なアメリカ式のアメとムチのキャリアパスシステムに見えちゃうんですよね。
実際そうなんだろうし実際そうなんだろうし。

ごめんね、冷たいハナシで。(^∀^;)でも、ちがうっていう証明もできないと思うよ。

ハナシそれちゃったけど、地域大会がエホバの証人に効果的に心理的影響を及ぼしてるって上で書きましたが、それがどういう意味か次回書きますね。

2005年8月7日

地域大会野郎その②

地域大会についてのどせいさんの戯言のつづきなんですが。
( ̄∇ ̄)ハハハ

この地域大会てのは、ハタから見る者にとっても、またエホバの証人の人たち自身にとっても、それぞれの観点からエホバの証人らしさ満載のイベントと映ると言えるのではないでしょうかね。

エホバの証人側からしてみれば、

① 群衆の中でエホバを賛美するという点で、数千人から数万人が集まること自体が神への賛美だし、
② 多くの啓発的なプログラムを通じてエホバから教えられる機会だし
(実際新しい本でるし、たまに特別な発表聞くし(^O^)♪)
(どせいさんの参加した地域大会で新しい文書の発表を歓ぶ聴衆の様子 ここをクリック)
③ 仲間の信者と愛と立派な業を鼓舞しあい、霊的な交わりや兄弟関係から喜びを得る機会だし、
④ 立派な態度の証人が大会会場の周辺で良い評判を得ることが、公の証しになり真理が伝えられる手段になるし、
(実際最終日にいっつも、駅長さんとか会場の運営会社の人とかの褒め言葉が発表されるし、あたしたちバッジ着けてるし(^-^)☆)

 
そんなワケで真の崇拝にとって重要な取り決めなの

てな感じでしょうか。
(^∀^)ね

 
 
一方どせいさんみたいに、エホバの証人は唯一真の宗教というよりも、時代時代の社会情勢を反映して、生まれるべくして生まれ、発展すべくして発展してきた宗教なのではないかしら?と夢のないことを考える人には、この地域大会ていうものは、エホバの証人を続ける人が求めるものを実にうまく供給する、エホバの証人組織の存続維持にかかせないナイスなシステムに見えたりもするワケなんですよね。
(>∀<;)ヌハー

 
 
 
以前どせいさんがどっかの掲示板で書いたんだけど、ぶっちゃけエホ証の人たちって、教理の正しさだけを理由にやってるわけではないとうケースがとても多いですよね。

実際、その辺の奉仕者に、いきなり「なんで1914年に終わりの日が始まったのか」って尋ねたら、こないだ書いたみたいな理由を即座に答えられる人ってほとんどいないんじゃないかな。

なんとなく教理が正しいと思う25%・霊的に弱ることで長老や他の人に非難されたくない25%・お友達との交わりが楽しい25%・集会や大会で綺麗な服着て気取った雰囲気の中にいるのが楽しい25%みたいに、みんな複合的理由で続けてるんだとオモイマス。

 
 
 
 
そして地域大会ってのは、こういうエホバの証人を続ける理由のすべてを実にうまく充足してるように思えるんですよね。

 
 
 
 
たとえば、地域大会中はずっとプログラムを聞き続けるわけなので、エホバの証人の教理がすごい好きな人にとっては、知的欲求を満たせるからその内容聞くだけで楽しいんだと思います。
大会から帰ってからもしばらくの間群れの奉仕の時とかにでも話題にできるし、何ヶ月かたったら「ものみの塔」の記事にもなるから、そのときにはまた同じこと学べてよく理解できるし、そんな感じで大会で話された内容に精通することで、向こう半年~1年くらい自分の中での満足味わえたり、或いは周りからの優越感味わえたりするしね。

一方、あまり教理のことわかってなくてエホ証やってる人も、「あんなに沢山プログラムあるから、自分は全部理解できないだけで、やっぱりこの組織って健全な真理を与える唯一の組織には違いないんだわ」って思ったりするわけですよね。

 
 
 
 
 
それから、大会ではほかの会衆の人たちと大量に会うことになるでしょ、これってエホ証続けるために2つの方向で大きく働くことになると思うんですよね。

1つは、まあ旧知の人に会うわけですから、純粋に嬉しかったり楽しかったりする。しかも、毎週顔を合わせるわけではない人にたまに会うわけだから、なんていうかお互い表面的に繕うこともできるし、普段その人の嫌なところを目にしてるわけでもないから、何かかなり立派な人との兄弟関係を享受しているような独特の感覚にお互いが陥るわけですよね。そもそもエホバの証人になる人って、人好きで、かつ,やや八方美人的な傾向強いから、年に1,2回「だけ」会うっていうのは、完璧な人間関係の中にいるっていう錯覚を生じさせるにはまさに絶妙な仕組みな気がする。考えてみると、「ものみの塔」とかで抽象的に「素晴らしい兄弟関係」とかってのが出てくると、大抵こういう地域大会で味わう一種独特の雰囲気が思い出され、いつも群れの奉仕で会う飽きるほど見慣れた兄弟たちの顔は思い浮かばないもんではないかね。

そしてもう1つは、エホ証やめようかなって思っても、たまに会う,よその会衆の兄弟たちになんて思われるかを考えると辞められないとか、大会で会うたびに「長老になった?」とか「開拓入った?」とか聞かれるので、そういう目に見える成長がないと体裁が悪いから次までの1年にガンバルという、マイナス面の影響。

ま、こんな感じで、比較的関係が希薄な知人たちと大量に年に一回だけ会うってのは、積極的にも消極的にも、エホバの証人を続けさせる上で巧みに作用してるように見えるといえば見える。ワケデス。

 
 
 
 
 
 
そして、こないだの「エホバの証人のでき方」の中で、この手の新宗教は、人にお手軽に尊厳を与えるので強い支持を受けるみたいなことを書きましたが、エホバの証人の地域大会の最大の意義はこの点と直結してると思うんですよね。

ものすごい簡単に言ってしまうと、地域大会に参加すると、キレイなかっこして礼儀正しくて親切な人が数千人~数万人集まってる中にいることにより、自分も高い品位や人間性を持ち、かつ神に選ばれた特別の人間なんだと感じられるワケデス。これって単純なように思えてもじつは人間にとっては相当大事なことで、かつ、エホバの証人組織の発展・存続の鍵だと思います。

それから、ただそこにいるだけではなく、地域大会にはいろんなとこでそういう尊厳への欲求を満たす機会が提供されてると思うんですよね。

わかりやすいとこから行くと、演壇で話す兄弟なんかはもちろんすっごい尊厳への欲求みたされるわけですよね。

演壇でハナシをしなかったとしても、例えばインタビュー答えたり、実演出たりするなら、まづはステージにいる最中すごい尊厳満たされ、その後大会中ずっとお礼言われ続けて尊厳満たされ、次の大会まで自分の会衆や近隣でそのことが意識され尊厳満たされ、挙句の果てに姉妹とか若い兄弟とか(つまり演壇でハナシする側の立場にはない人)の場合、何回大会に出たかが、エホバの証人ワールド内での社会的地位を判断する指標になってたりするわけですよね。

大相撲の三賞みたい。
( ̄∇ ̄)グハハハハ

エホ証やめた人たちの掲示板でのやりとりでも、自分がいかにがんばってたかの指標で、大会でのインタビューに答えたことがあることに触れる人が多いのも、いかにこれがエホバの証人人生履歴に意味を持つかがわかるし、心理的効果の大きさもわかる気がする。

それから、ステージに立たなくとも、「自発奉仕」ってやつでかなり尊厳満たされるようにも思えますね。例えば、若い兄弟なんかは、自分がインタビュー答えるわけではなくとも、ステージの係やることによって何だかすっごい人目に触れて尊厳満たされたり、演壇でハナシをするほどのレベルでない兄弟でも、自発奉仕の部門の監督やったり、どんなに下っ端でも会場整理係やったり、とにかく「人に指示をする立場」に立てるし、しかもその相手は見知らぬ初めて合う人たちでキチンとした格好・雰囲気であると。
てなわけで、トップ10数人から末端部分の信者に至るまで、みんなで尊厳を満たせるナイスなシステムが出来上がってるんですよね。

あとはね、特に女の人って、なんかおシャレとか、キレイなかっこしてお姫さまっぽく振舞ったり扱われたりするのが好きですよね。いくつになっても。地域大会では、女の人みんながみんな独特のお洒落して、品位あるような雰囲気の一部になって「オホホホ」ってしていられるってのも、実はかなり大きい魅力なんだと思いますよ。小さい女の子がいる人たちなんかは、子供に気合を入れてお人形さんみたいにして嬉しそうな人多いし。

実際考えてみたら、地域大会に来るエホバの証人信者の人の格好って、やっぱかなり独自路線で盛(も)ってるでしょ?
(世の中に見られる盛り過ぎの別の例 ここをクリック)

別に、そういう服装するのは全くいいと思います。
全く文句はありませんが、ただ、エホバの証人の人たちは「真の崇拝にふさわしい服装、高価ではなくても神と他の人への敬意を示す慎みある服装をしてるだけです。自分に注目を集めることは目的ではないですし、ふさわしくありません」みたいなことをおっしゃり、かつ、そう思ってるでしょ。でも、世間から見れば、やっぱエホバの証人の女性たちの、特に大会のときの格好はかなり独特なんですよね。

たとえばその格好で「派遣社員でーす」て、会社にいくのは絶対無理だと思う。

なのでね、本人たちにその意識があるかないかは知らんが、やっぱり、大会ってのはそういう人間としての欲求をかなり満たすための場になってるんだと、どせいさんは思うわけなんです。

 
 
 
 
 
最後に簡単にまとめると、やっぱこの地域大会ってやつは、社会学的な意味の「偶像崇拝」だと思いますね。

つまり、「偶像崇拝」ってのは、人々をまとめて行動させるために、「とにかくこれが神様だから、こいつに従いなさい」って支配者が人々に渡すわけですよね。そうすると、与えられた人々は、そいつさえ崇拝すればいいからやること単純でわかりやすいし、たいていそういう偶像は超でかくて超りっぱで威厳があるから、「よくわからんがこんだけ立派なら神様に間違いあるまい。俺がこの目でじかに見てスゲーって思ってんだから間違いようがないよな」って考えるわけです。

ま、地域大会もね、とにかくそこに行くことが大事で集まりあうことが崇拝だっていわれるから、教理理解してない子供もお年寄りも、バッチつけてそこいって座ってればほめられるから単純明快でやりやすいんですよね。

それから、こんだけ立派な人たちがこんなに沢山日本中で集まって、こんだけ立派な評判得ているのかーって思うと、教理は正確にはわからんが、この中にいていわれること聞いてれば間違いあるまい、と思えるわけですよね。

いろんな欲求を満たすという複雑さ、とにかくエホバの証人組織のなかでやってくよう人々をまとめるシンプルさ。

かなりうまくできたシステムだな、と思ってしまうんですよね。

 
 
 
 
 
 
よく共産圏の国ってしょっちゅう記念式典でマスゲームやるけど、ああいう超大人数での団体行動って、独特の連帯感生むし、なんかとにかく楽しくなるらしいんですよね。心理学的に証明されてて、独裁政権下ではよく利用されるんだって。

エホバの証人の地域大会で感じる連帯感やいわゆる「喜び」。
その同じ連帯感や「喜び」を、独裁政権国家の国民も感じているという事実は、どせいさんみたいなエホバの証人を外から観察するものにとっては、とても意義深いものに思えてしまうんですね、これが。

2005年8月11日

郵政解散野郎

いや~、シュウギイン解散しちゃいましたね。
( ̄∇ ̄)アハハハ

どせいさんなんて、参院での否決、リアルタイムでテレビでみちゃいました。
(>∀<)テンケイテキショウシミン

 
 
その後の郵政解散の報道みてて面白いなって感じたのは、いろいろな悪人ツラの政治家が沢山テレビに出てきて、普段は聞けないような政策論をずいぶんと闘わせてるから、その人たちの考え方がよくわかるようになったことですかね。

そして、意外にかなり説得力のある、「男気」を感じる発言がとても多いんですよね、これが。たとえば小林興起とかね。

 
 
 
政治家の人たちが、なんとなく悪人ぽくて清潔感ない印象の顔の人が多いのは、政治家の仕事ってのは、基本的に私ら国民自身のそれぞれの「欲」を代表して主張し、調整することだからだと思うんですよね。

「欲」っていうと、エホバの証人の人たちはどうしてもすぐに「欲=悪」となってしまったりするみたいですが、健全な欲をもつのは悪いことでもなんでもなくて、普通のこと・社会が発展するのに不可欠なことだと思います。

 
 
 
おうちにお年よりいれば医療費安くして欲しい

おうちにチビッ子いれば教育費安くして欲しい

でも社会が使えるお金は決まってる

そんな健全だけど、それぞれシャレにならんくらい死活問題な「欲」を、調整しあうのが政治家の仕事ですよね、顔も歪んでくるワケです。

 
 
 
 
ただ、そんな悪人ツラで、普段はなんとなく悪印象な政治家の人たちが、関心を向けられて機会さえ与えられれば、抵抗勢力と言われてる人たちでさえ、世を思う気持ちや腹のすわった度量の広さをいかんなく示せるもんなんですよね。
(もちろんどうしようもないのもいますよ、オオニタアツシとか、政治家ではないけどハマコーとかね。)

悪人だというイメージ先行だった顔に、節々で、知性や責任感や広い視野からの確たる展望や、そういったものがあらわれて、「あ、やっぱりすごいんだなこの人たち」って思わせる感じがする。

時々ふとしたときに見える笑顔とかに、周りの勝手な都合で作り上げられ押し付けられたイメージとは違った、人間性の深さや豊かさやド迫力がにじみ出る気がする。
( ̄∇ ̄)

リンカーンがいった言葉に、「男は40過ぎたら自分の顔に責任を持たなくてはならない」っていうのがあるといわれてますが、これって至言だと思う。

 
 
 
 
 
ひるがえって考えてみると、エホバの証人の男の人って、なんか「さわやか」な笑顔の人が多いですよね。
(^∀^)アハハハ

さわやかな顔の男の人を見ると、「この人って、今まで自分の人間性かけた重大な決定したり、修羅場を切り抜けたり、そういう経験して腹を据えて『自分』というものを確立したことがないんじゃないのかしら?」と考えちゃう人って多いと思うけど、まあどせいさんもそんなうちの一人です。

勿論エホバの証人の「さわやか」な笑顔の男の人と話をしたことは何度もあります。

でもやっぱり、ちょっと突っ込んだ質問をしたり、或いは男として腹を割ったハナシをしようとすると、途端に困り果てた顔になったり、そのままさわやかな笑顔を無理に続けて、それがなんとも「なさけない」顔になったりってのが多いですね、若い連中から巡回監督にいたるまで。
なんていうか、無理に「人工的な好印象ツラ」をキープしようとして、限界まで来ると、途端に全てが崩れちゃうような印象かな、うまくいえないけど。

 
 
普段は自分のしょってるものでゆがんだりもするけど、時々見せる笑顔や、いざって時の目つきとかに、知性や度胸や他の者を守る覚悟や高い志やその他もろもろが表れる。そんな「悪人ツラ」のほうが、どせいさんはかっこいいと思いますね。
(^∀^)へへへへ

そして、普段は「さわやか」なんだけど、いざってときにキョロキョロしたり、情けなくなる。そんな顔は、わりとキライです。