2005年8月29日
さて、
「1914年の年代計算に根拠はございません!(≧∀≦)」
てサラッというのは簡単ですが、これがエホバの証人の人たちに与える影響はすさまじいと思うんですよね。
(^∀^;)アタリマエダケド
勿論ね、今は「終りの日」ではないってのも大変なことです。
(その29 ワキミチ 参照で)
でもそれより何よりですね、ちょっと前にどせいさんが書いたように、エホバの証人の人たちは1914年前後に自分たちの組織に様々な聖書予言が成就したことを正当性の根拠と考えてるワケです。
そしてそのうち最も重要なのは、1914年から3年半後の1918年に、神は天への復活を開始し、1919年にはエホバの証人組織を「忠実で思慮深い奴隷」として任命し、以後地上の霊的な事柄は全てエホバの証人組織に任された、との理解だとオモイマス。
しかしこの基準たる1914年になんの根拠もないとなると、神がエホバの証人組織を認めて霊で導いてるという解釈そのものが覆るワケですよね。
ということは、「組織」が教えるありとあらゆる全ての事柄、宇宙主権とか、将来地上の楽園で永遠に生きられる希望とか、輸血をしてはいけないとか、結婚関係外の性関係はいけないとかっていう教えとか、集会や大会・正規開拓者や補助開拓者・巡回監督や長老や奉仕の僕などといった組織のシステム、そういったエホバの証人組織の全てのものの正しさが、ここでとりあえずオールリセットされ、神の是認を受けているという点について何の根拠もないことになるワケですよね。
(^∀^;)ね
というか、客観的に見てる人にとっては、「いや、何の根拠もないというよりも、1914年の年代計算は間違ってるとハッキリ認識してるにも関わらず、引き続きその年代計算を根拠に自分たちは唯一の神の経路だと信者に教え続けてる組織の教えであるという事実からすると、むしろどちらかというと、全てが誤ってると推測した上で確認してった方がよいのではないかい?」と思えるのですが、イカガデショウ。
(^∀^;)(^∀^;)(^∀^;)・・・・・。
ま、そんなワケで、この1914年の年代計算の間違いはあまりに致命的で、これをひた隠しにしようとする不誠実な態度とあいまって、「エホバの証人組織が唯一真の神の地上の組織だ」というエホバの証人の主張は、残念ながら全く成り立たないものだと思えてしまうワケです。
どう思う?
さて、以前どせいさんは、エホバの証人が自分たちの組織だけが唯一真の組織だと考える根拠として、
① 聖書をガッツリ読むと1914年がキリストの再臨の年ってわかる
② エホ証組織はその年の前後に発生・発展し、しかもその年の特殊性を事前にふれ告げていた
③ その年代以降エホバの証人は、聖書の真理を正確に理解できるという点と、世界中で増え続けているという2つの点で、神に是認されてる
という3点を挙げているということを指摘しました。
でこの①の年代計算の誤りだけで、エホバの証人組織のいう正当性は完全に瓦解するとは思います。
までも一応念のためにね、エホバの証人が自分たちは唯一の神の組織だと主張する残りの根拠もちょっと考えてみようかと思うんですよね。
続きは次回
(≧∀≦)ウシシシシ
2005年8月29日
ちょっと本論からワキミチにそれます。
まあ単なる余談・オマケと思って軽く聞いてください。
この1914年の年代計算の誤りをひた隠しにするというのは、エホバの証人の人たちの実際の生活を考えるといろんな点で本当にひどいことだと思うんですよね。
この年代計算が誤りとなると、今は「終りの日」ではないことになるかと思います。そうなると当然、今のエホバの証人の人たちがいわゆる「大群衆」として生きて新しい体制に入るワケではないことになるワケですよね。
でね、エホバの証人の人たちの中には、「もし自分が生きてる間に終りがこないとしても、それでもエホバの証人をやめはしない」というひとが多くいて、これはこれでまあ立派なことで、納得がいくことではあります。
気になるのはですね、「いつかは自分も結婚したいけど、とりあえずハルマゲドンが来るまでは独身で奉仕して、新しい体制で若返ったら結婚しよう」って本気で考えて、結婚しないでいる姉妹たちとかって、本当にいるワケですよね。そういう人たちのことなんですよ。
一般社会の女性はやっぱり、チヤホヤされる時期は短いからその時期は大事にし、それが過ぎれば結婚や出産の適齢期を意識しつつ、かなり真剣に恋したり結婚相手を選んだりする人が多いと思うんですが、明らかにそういう感覚がエホバの証人社会には欠落してるように感じられるんですよね。
ほかにも子供を作らない・かなりの年齢差で結婚する。
これはエホバの証人社会の大きな特徴のように思えます。
明確に「ハルマゲドンくるまでは」と自分に言い聞かせてるわけではない人たちの間でも、エホバの証人社会全体の支配的傾向として、「とりあえずハルマゲドンが来るまでは保留」という意識が、生活のいろんな重要決定において確実に働いているように思えます。
上にも書きましたが、「もし自分が生きてる間に終りがこないとしても、それでもエホバの証人をやめはしない」という決意。
これは確かに納得の行く発言なのだけど、しかし「もし自分が生きてる間に終りがこないとしても、それでもやはり結婚はしない」という風にはならないと思うんですよね。
だってね、エホバの証人の教えによると、一度死んで復活する人は、恋愛感情や生殖能力を持たずに復活してくるわけですから、「もし自分が生きてる間に終りがこないとしても、再び復活して生きられるからエホバの証人をやめない」とは言えても、
「もし自分が生きてる間に終りがこないとしても、いずれ復活して再び恋愛できるから、やはり今恋愛はしない」とは言えないワケですよね。
そうなると、今は終わりの日ではないとして、でも遠い遠い未来のいつかにハルマゲドンが本当にくるのだと仮定したとしても、生きてそれを通過して若返ることができないのであれば、今のエホバの証人の人たちが恋愛して結婚できるのは今しかないワケなんですよね。
「今が終りの日ではなく、生きてハルマゲドンを通過して若返れるワケではないとわかってたなら、なんでそれをキチンと言ってくれなかったのか。それさえ知っていれば、エホバの証人やめるとはいわなくても、せめて結婚はしたのに」と考えるエホバの証人の人は、実はかなり多いのではないかな。
子供を作らないという決定についてもこれはいえるんですよね、「今が終りの日ではなく、生きてハルマゲドンを通過して、新しい体制で子供を生めるワケではないとわかってたなら、なんでそれをキチンと言ってくれなかったのか。それさえ知っていれば、エホバの証人やめなくとも子供は作ったのに」と思う人も多いはず。
違うかな。
どうなんだろ。
2005年8月30日
えっと。
(^∀^)
そうですね、まず③の、「正しく聖書を理解してるからエホバの証人組織は唯一真の神の組織だ」という主張なんですが。
エホバの証人の人たちは、たとえ年代計算のひとつやふたつ間違っていたとしても、その他の聖書理解については,組織は依然、唯一信頼できる団体なのであって、引き続きこの組織のもとにとどまりたい、て考えたりもするかもしれないですよね。
思うにそういう人たちは、エホバの証人の聖書理解は、ラッセル時代からの独自の勤勉な聖書研究の賜物として他に例をみない完全にオリジナルなもので、それゆえに自分たちの組織は、他の全ての偽りの宗教から一線を画しているのだと考えてると思います。
だから、ひとつやふたつやみっつやよっつくらい、どでかい間違いがあったとしても、「じゃあ他にどこの団体がエホバの証人より正しく聖書を理解してるんだ」ぐらいの勢いなわけでして、ハイ。
まあ何度もいいますけど、どせいさんは自分ではあまり宗教とかは信じてないですし、ましてや「エホバの証人の代わりに真理に導いてくれるのはこの組織ですよ」って他の宗教勧めるインチキ宗教家みたいな真似をする気は毛頭ナイデス。
( ̄∇ ̄;)ハハハ
そんな気はまったくないんですが、でもね、それなりに世の中をウロチョロしてきたものとしてですね、まあ例によって、ホントにエホバの証人の教えが、エホバの証人の人が考えているような特別なものなのか、外からみた場合の印象を伝えることくらいしても、怒られはしないんじゃないかと思うんですよね。
では、エホバの証人の人たちが自分たち独自の特徴だと考え、それゆえに自分たちを世の多くの偽りの宗教と完全に分けられた者とさせてると考えてる多くの教えが、本当に本当にほんとーに(>∀<;)(←しつこい)エホバの証人独自のものなのかというと。
…。
なんといーますかまあ、
外部からフツーにながめると、
やっぱり独自のものとはとても言えないと思えるんですよね。
( ̄∇ ̄;)スマンコッテスタイ
社会学とか社会心理学とかやる人にとって、エホバの証人みたいに、100年以上の歴史があって、先進国中心に数百万単位の信者がいる宗教ってのは、「カルト教団」とか「新興宗教」ではなく、「新宗教」ってやつにカテゴライズされると思います。
そんでね、エホバの証人の人たちの教えの多くは、エホバの証人独自の教えというよりも、この「新宗教」に特有の典型的共通点を多く有する教えのように思えるんですなコレガ。
まあ、ペンテコステ派のとこでわりと具体的に書いたので、どういうことなのかイメージはわくと思うけど、一応、いくつかの文献に触れますね。
えっとね、ふだんおうちでマンガ本ばっか読んでるどせいさんだってね、難しい文章読むことだってあるんですよ。
(^∀^)エッヘン
わかりやすいな、と思うのは、Gussener,R.E.,&Berkowitz,S.D.て人たちが書いた論文なんですよね。*注2
この論文の中でこの人たち、新宗教の3つのタイプとして、キリスト教系・東洋の神秘系・自己啓発系の宗教をとりあげて、
究極の実在
最高善
悪の根源
最高権威
指導者のタイプ
修行者の道
社会との関係
歴史との関係
脱退者との関係
についてそれぞれ何を教えてるかをまとめてるんですよね。
そして、キリスト教系の新宗教の特徴として、
究極の実在 → 創造者としての神のご意思が世界の道徳律である
最高善 → 罪が贖われることによる個人の救済
悪の根源 → 人間の不従順、うぬぼれ等
最高権威 → 不謬とされる聖書の文字通りの解釈
指導者 → 神の言葉をふれ告げる伝道者・警告する者
修行者の道 → 廉直であること・義に厳しいこと・聖書研究・信仰
社会との関係 → 不道徳な今の世から来るべき世への逃れ
歴史との関係 → 歴史的使命を果たす・キリストの再臨を待つ一方、世界の人々へ福音を伝える
脱退者との関係 → 背教行為は神の力を弱める脱退は悪魔の手ほどき
ていうことを教えるって指摘してるんですよね。
どせいさんは、エホバの証人の教えって、だいぶこれに当てはまるような気がするんだけどどうですかね。
念のためにいいますと、別にGussenerとBerkowitzは、エホバの証人を研究してその特徴をまとめたわけではないんですよ、アメリカのたーくさんのいわゆる「新宗教」の教えについて、その特徴をまとめただけなんです。
なのに、 なにやらエホバの証人の教えの特徴を説明されてるかのような印象をウケル・・・。
つまり、エホバの証人が、聖書そのものの研究の重要性を強調し、「忠実で思慮深い奴隷」を見張りの者、警告をふれ告げるものと呼び、現在の汚れた世から離れることを人々に勧め、二度と繰り返されない現代にとって最も大切なのべ伝える業の重要性を訴え、そのようにしてエホバの証人独自のものと思える教えを強調すればするほど、結局、世に多く存在する他の「新宗教」との教えの上での共通点を強調する結果になるわけですよね、いってみれば。
( ̄∇ ̄)スカーン
ちなみにエホバの証人そのものを対象にしてる論文てのも、結構あるんですよ。
たとえば、Lawson,R.て人は、新宗教の教団と国家との関係について論文書いてるんだけど(*注3、その中で、同じミラー派(Millerite movement)の流れを引く二つの新宗教として、安息日再臨派(Seventh-day Adventists)とエホバの証人(Jehovah’s Witnesses)について比較してるんですよね。
長くなったので続きはまた次回
*注2
Gussener,R.E.,&Berkowitz,S.D.1988
Scholars,sects and Sanghas,Ⅰ:recruitment to Asian-based meditation groups in North America.
Sociological Analysis,49,136-170.
*注3
Lawson,R.1995 Sect-state relations:Accounting for the differing trajectories of Seventh-day Adventists and Jehovah’s Witnesses.
Sociology of Religions,56,351-377
2005年9月2日
Lawson,R.はこの論文の中で、
1. 社会的上昇志向性
2. 組織の開放性
3. 教義の硬直性
4. 黙示録的世界の切迫度
5. 生まれついての信者の割合
6. 改宗者に対する教化
7. 迫害を受けた度合い
8. 国家・社会との関係
9. セクトとしての位置づけ
といった要因について、特に戦争時の政府との関係に焦点をあてながら、二つの宗教を比較・考察してるんですよね。
ちなみに安息日再臨派(Seventh-day Adventists)については上から順に
1. かなりの社会的上昇を実現
2. 指導部は組織が一般人に与える印象に配慮・社会的地位を求める
3. 教義の解釈を緩和する方向性を示す
4. 「その日」の到来を遅らせることで妥協・明確な日時設定を避ける
5. 生まれついての信者の割合が高い
6. あまり熱心ではない
7. 迫害は散発的・大抵事前に回避
8. 時代とともに緊張関係は明らかに減少
9. 教団化したセクト
としてるんですが、エホバの証人(Jehovah’s Witnesses)については、
1. ほとんど社会的上昇性は見られない
2. 指導部は孤高の存在・世間から一歩退くことを強調
3. 教義解釈は厳格
4. 「その日」の到来が迫っていると強調・明確な日時を設定
5. 生まれついての信者の割合は低い
6. 非常に熱心
7. 政府・暴徒による組織的迫害に苦しめられた
8. 緊張関係は依然高い・時代が変わってもほとんど変化なし
9. セクトとして定着
としているみたい。
でね、まあこの内容自体はぶっちゃけどうでもいいんですよ。
( ̄∇ ̄)アハハハ
どせいさん的にポイントはですね、「なんでこの研究者が安息日再臨派とエホバの証人を比較の対象としたのか」てことなんですよね。
(^∀^)ヌフフフフ
上を見れば明らかなようにね、この2つの宗教はいい感じにキレイな対象をなしてるワケですよね。お互いがお互いの正反対の方向性に発展してきている。
そしてね、ただ対象的な発展をとげてる2つの宗教だってだけではないんですね、ここが大事。
とりわけこの研究者に興味深かったんじゃないかなと思うのは、この2つの宗教は、同じ一つの宗教から派生した亜派、いってみれば兄弟教団で、出発点は同じなのに、そこから好対象な形でそれぞれの独自路線に発展していったという点ではないですかね。
(^∀^)キュピピピーン
実際論文の中で彼は、2つの宗教は、どちらもWilliam Millerの予言が1844年10月22日に外れた後に、彼の信仰の基本部分を受け継ぐ形で活動を始めた、千年王国到来前にキリストが再臨する(permillennialism)という立場を採る終末論グループとしてるみたいなんですよね。
おんなじ宗教から派生した2つの宗教が、それぞれあさっての方向に発展していくなんて、研究対象としてはもってこいだったんじゃないのかな~
ま、つまり何がいいたいかというとですね、どうもエホバの証人の人たちには、自分たちの宗教は、とにかくラッセルが聖書そのものを理解したくて勤勉に研究した結果として長年の闇の時代の後にポコッと生まれたみたいな印象持ってる人が多いですよね。そりゃあ他の人たちからいろいろ啓発されたこともあったけど、ほとんど自分たちが誠実かつ徹底的な聖書研究をしたということのみに立脚して発生・発展していった宗教だとね。
( ̄∇ ̄;)どうだろ?違うかな。
しかし実際はですね、多くの研究者が考えてるように、エホバの証人の教えはこのMillerの考えを引き継ぐ形で発生してるみたいなんですよね。
よくはわからんけど、さらにこのMillerは、イギリスのジョン・ブラウンていう人が1800年代の初めに書いた、「ダニエル8章の2300日は西暦1844年に終わる」っていう論文を支持してたみたいでして。
そして、さらにこのブラウンて人は、別の聖書解釈も示していて、それが「ダニエル4章の『七つの時』は2520年」ていうやつでね。
つまりエホバの証人が今使ってる年代計算の方法そのものを言い出したのは、このブラウンさんてことらしいです。例の元統治体の兄弟、このこと書いてますね。*注4
続きはまた次回
*注4
レイモンド・フランズ『良心の危機』(せせらぎ出版 2001年)
193頁
2005年9月9日
さて、以上から、エホバの証人の人たちが、自分たちだけが享受してる真の聖書理解と考えるもの「真理」は、わりと多くのキリスト教系新宗教にみられる共通特徴にかなりジャストミート、バット折れるくらいの直球ド真ん中だと思えるワケです。
そして、その中でもまだ比較的オリジナルぽい教えは1914年に関連した教えなんだけど、結局この年号は、さかのぼるとやっぱり他の宗派から移植されたものだし、それより何よりそもそも虚構に基づいているんですよね。
こうなるともう、なんかマンシンソウイな印象…
(^∀^;)
てことで、エホバの証人が自分たちの組織だけが唯一真の組織だと考える根拠の、
①「1914年がキリストの再臨の年」ってのに続いて、
③「エホバの証人は、聖書の真理を正確に理解できてるという点と、世界中で増え続けているという2つの点で、神に是認されてる」
ってのもかなりグラグラくるような気がする。
ちなみに、「世界中で数が増え続けてる」っていう点については、これはこれで独立して書きたいことがあるので、今回はちょっと触れないでオキマス。別のときに書きますね☆
( ̄∇ ̄)フヒヒヒヒ
まあ、エホバの証人ていうのは、なぜか嫌ってる人が多いですよね。(^∀^;)でね、そういう人たちがエホバの証人の「教理体系」について攻撃するときって、大抵「1975年に世界が終わる」っていう予言とか、或いは「1914年以前に生まれた人が死に絶える前に世界が終わる」っていう見解とか、そういう終わりについての明確な年代設定をし、そしてはずしたことを攻撃するような気がするんですが、どうかな。
で。
まあですね、この手の年代設定ってのは確かに問題は問題ですよ、それは間違いない。
( ̄∇ ̄;)イカン、イカンよ
でも、こういう点を指摘しても、エホバの証人の人とか、エホバの証人になろうか迷ってる人に、その教理を1からきちんと再吟味させる上であんまし功を奏さないような気がするんですよね。
なんでかっていうと、まずエホバの証人サイドからこの点についての説明が,すでにちゃんとなされてるんですよね。
「神のみ名が立証されるのを見たいという熱意のあまり誤った期待が高まるのを制しきれないときもあった。それは、誤りではあったけども、むしろ組織の神への愛と奉仕への責任感の強さを示すものでもある」ってな感じで。
そして、これはこれでかなり納得のいく説明なんですよね、実際。
エホ証ではないどせいさんが聞いても、
「なるほどねー」
と思うもん。
(∋_∈)
ま、あとはそういう説明より何より、30年も前に予言がコケたことなんて今のエホバの証人たちは自分にはあんま関係ないしぶっちゃけどうでもいいんですよね。
この点ナイスな点を突いてるのは、Zygmunt,J.Fて人のやった研究。*注5
この人はその研究の中で、エホバの証人の予言が次から次へと否定されても、教団の解体・信者の大量離反が生じなかったってことを指摘してるみたいなのね。
興味深いのは、この研究は1970年にされてるんですよ、例の1975の大予言の5年前。
で、この人の分析どおり、その5年後に再び予言がスッカラカンに外れても、
スッカラカンカンカーン
(^∀^)ハハハ
教団の存亡という観点から言うと、ハッキシ言ってなーんも影響なかったんですよね。そりゃね、74年に13.5%だった前年度比の信者増加率、77年は-1.7%、78年は-1.4%に落ち込みはしましたよ。でも結局現在までに当時の3倍まで信者数増えてるでしょ。
だからね、エホバの証人の教理の中でも、変な予言してそれが外れちゃったっていうのは、いろんな意味で大した弱点ではないんですよね。
なのでね、エホバの証人の教理体系を客観的に分析してそこから何かを引き出そうというときに、予言はずしたことってのにあまり重きを置く必要もない気がする。
むしろ、もし本当にエホバの証人の教理体系から何かを引き出して、その本質を見極めようとするならば、注目すべき点は、世の多くの人があまり攻撃の対象とはしようとせず、エホバの証人たち自身も誇りに思い、「この点については反対者も含め誰もがエライ!と思うだろう。これがあるから私たちは正しい組織なんだ(^∀^)♪」と考えてる、種々の特徴ではないですかね。
その特徴ってのは、例えばGussenerとBerkowitzのまとめた特徴にあったように、まさに「聖書そのものの解釈を重視する」っていう点とかなんですよね。
こういう、エホバの証人が「自分たちが真の組織であることの特徴だ!」と胸を張り、世の人たちもあまり攻撃しない点こそがですね、実は同時にエホバの証人は世に多く存在する新宗教のひとつに過ぎないってことの論拠にもなっちゃってるように、どせいさんには思えちゃう。
(^∀^;)
どういうことかというと、とにかく聖書そのものの重要性を強調するってのは、エホバの証人の中にいる人にとっては、「なんて神の言葉に忠実なんだろう。真の神の僕のあるべき姿だ」と思えるかもしれません。
ただ、一方で、外部からそれを見る人には、「自分たち自身で聖書を読んでいるんだから自分たちは正しいに違いない。自分たちが教えることはすべて何らかの聖句に基づいているんだから正しいに違いない。」と、根拠の無い「正当性の権威づけ」を与えることに使われてるんじゃないかという、表裏一体の危険性への不安感・危惧感を与えるワケです。
これは、世の中のいろんな場面に同じように潜む、巧妙な危険性なんですよね。例えば、政府や国会が何か重要決定するときに、「国民の意見も聞かないといけないから」といって、政府の諮問委員会とかを作っていろいろ意見を出させるとしますよね。これは一般の人には、「なるほど、こうやって国民の意見を取り入れてくれれば間違いはあるまい。すばらしいシステムだ。」と思うかも知れません。でも、本当に民主主義の意義とか理解してる人は、「いやいや、ほんの数人の委員会のメンバーの意見を聞いただけで国民の意見をすべて聞いたかのような体裁を作って、あとは自分たちのやりたいようにしようとしてるだけという危険はないんかい。たかが数人の意見を聞いただけで国民のお墨付きを得たような外見を作って、根拠のない「正当性の権威付け」をしてるだけでしょう。そもそもその委員会のメンバーが偏った構成ではなく国民をきちんと代表してるとなぜ言えるんかい」と考えるワケです。これは健全な批判能力。
研究者とかの考えだとね、同様に、エホバの証人のような、いわゆる新宗教が世の中でやってゆくためには、何らかの権威付けが必要なワケですよね。
みんながみんなカトリックやプロテスタントっていう巨大な既存チャーチに属してる時に、自分たちだけが真の宗教だと言っても、
「へ?何を根拠に?」
と言われてシマウ。
なので、
「いや、自分たちはとにかく聖書をそのまま研究してる。だから正しいんだ。あんたたちは聖書から離れてしまってるでしょ。」
といえば、まあ巨大宗教に対抗する大義名分は持てるでしょ。
だから、多くの新宗教は、大抵聖書そのものの通読の重要性を説くワケです。
エホバの証人が聖書そのものが自分たちの権威だといい、その割には研究の時にはものみの塔や知識の本がメインで、聖書は必ずそれらの書籍の内容の正しさの「確認」として言及されるような気もするのも、そういうベクトルで説明がつくような気もする。
( ̄∇ ̄;)
ちなみにキリスト教世界の腐敗を攻撃するってのもこういう方向から説明がつくわけですよね。
神から背教した「大いなるバビロン」を糾弾するってのは、エホバの証人の中からみると、神の僕の「使命」だと思いますが、一方で外から見ると、別の意義が見てとれるといえばとれるんですよね。
カトリックみたいな巨大な既存組織がある中で一宗教としてやってゆくには、やっぱりその既存勢力を攻撃するってのは、信者を獲得したり、自分たちの存在意義に聖書的意味や人を魅了する特別な責任感を付与する上でとても効果的な行動であると。
ま、例によってどっちの解釈も成り立つわけですよね。
聖書そのものの重要性を強調するからエホバの証人は信頼できる
聖書そのものの重要性を持ち出すことでエホバの証人組織は自らを権威付けている
どっちを信じてもまあそれは好みなんでしょうね。
ただクドいけど、1914の年代計算が間違ってると知っててそれをひた隠しにし、その誤った年代計算に基づいて、なお自分たちは「忠実で思慮深い奴隷」だと言ってるという事実を考えると、「聖書そのものの重要性を強調するからエホバの証人は信頼できる」ていうほうの解釈はかなり厳しい気もする。
公平な見方ではないかな。
どうなんだろ。
エホバの証人たち自身が、自分たちが真の宗教であることを示すもっとも大きなポイントの一つであると考える「聖書そのものの重要性を説く」という特徴。これが観点を変えると、実は、時代の流れとともに必然的に生まれてきた世の多くの新宗教のひとつに過ぎないということの強力な論拠でもある。
おもろいもんですよね。
(^∀^)アハハハハ
*注5
Zygmunt,J.F1970 Prophetic failure and chiliastic identity:The case of Jehovah’s Witnesses.American Journal of Sociology,75,926-948