2005年9月22日
さて、海外のエホバの証人バカ話となると、とたんにジョーク色が強くなる感じがしますね。
(^∀^)ニャハハハ
かなりストーリー性があり、起承転結や特に「オチ」がしっかりしてるのが多くて、その分日本人の感覚からいくと腹のそこからくる笑いという感じにいまいち欠ける感じがしますね。
ただ無駄に数は多い。
そんで、大抵は「迫害者」や「キリスト教聖職者」みたいな、濃いキャラが登場するんですよね。(^∀^)マイッタ
そして、ハタからみるものには、
「え!そんなのネタにしてだいじょうぶなのかい?( ̄∇ ̄;)」
と思えるようなあやういネタが大変多い。
それこそ迫害とか輸血とかね。
例えば。
エホバの証人嫌いで有名な、ある市の市長はヘンクツで、普段相手にしてくれる人がいないので寂しく思い、動物なら話相手になってくれるだろうと、オウムを買いに行ったそうな。
ところが運悪く、ペットショップの親父はエホバの証人だったんですね。市長はそれに気付かない。
(>∀<;)ウヒー!
ハラハラ
市長はさっそくおうちでオウムに話かけてみたんだけど、オウムはウンともスンとも言わない。市長はガッカリして、オウムを部屋に置いたまま、その存在を気にしなくなったんだそうです。
ところが。
今までウンともスンとも言わなかったオウムが、火曜日の夜7時に突然口を開き、大きな声でいいました。
「ショセキケンキュウ、ショセキケンキュウ」
オウムはずっと繰り返します。
それを聞いた市長。
すぐにそれが、エホバの証人の集会のことだと気付き、怒り狂います。
(>∀<;)ムガー!
「今までウンともスンとも言わないと思ってたら、よりによってエホバの証人の集会のお知らせか!」
市長はオウムを絞め殺してやろうかと思いましたが、オウムは30分もするとおとなしくなり、何もいわなくなったので、命だけは許してやりました。
ところが。
市長がそのことを忘れた頃、木曜日の6時半になって、オウムは再び突然口を開き言いました。
「シンケンセンキョガッコー、シンケンセンキョガッコー」
市長はまたも怒り狂い、オウムを絞め殺してやろうかと思いましたが、再び30分もするとオウムはおとなしくなり、命だけは許してやりました。
ところが。
日曜になると、嫌な予感がしてた市長をしり目に、1時半になって、オウムは再び突然口を開きました。
「コウカイコウエン、コウカイコウエン」
再び市長は怒り狂い、今度ばかりはオウムを掴み、力一杯オウムを壁に叩き付けました。
こうなったらオウムはひとたまりもありません。力なくヒュルヒュルと床に落ち、今にも死にそうな虫の息。
するとその今にも息を引き取りそうなオウムが、最後の力を振り絞り、片方の翼をパタパタさせて、市長を呼んでいます。
「シチョ~・・・、シチョ~・・・」
それに気づいた市長が近づくと、オウムは何か言おうとしています。
遺言でも言おうとしてるのかと思って、最後の言葉ぐらい聞いてやるかと考えた市長は、冷たくオウムに聞きました。
「なんだ、なんか言いたいのか」
するとオウムは片方の羽をパタパタさせて言いました。
「ユケツ、イヤ
ユケツ、イヤ」
・・・パタッ。
・・・・。なんと立派なオウムなのでしょう!
( ̄∇ ̄)
なんか、アメリカのどっかの州ではやったジョークらしいんですが、エホバの証人の人たち自身がこういうジョークでゲラゲラ笑ってるとこって、なんか、あんまし想像したくない気もしますが。
まとにかくこういう輸血拒否関連のハナシとか、反対者のハナシとか、いっぱいあるみたいで。
ジョーク形式以外ではですね。
例えばオーストラリアだったかニュージーランドだったか、とにかくそっち方面の羊系の国に、エホバの証人の一コマ漫画を描いてる兄弟いますよね。
どせいさんもかなりの数のその人の一コマ拝見しました。
エホバの証人の社会の中の風刺がいろいろされてるんですが、なかなかよくできてると思いましたね。
例えばあるヒトコマ。
集会のお祈りが終わった直後みたいなシーンが描かれてて、沢山の人が王国会館の自分の座席の位置に立っているんですね。
ところが、王国会館のあちこちにはクモの巣が張り、立ってる兄弟姉妹・子供たちは服がボロボロで頬はこけ、目の下にクマができ、あたかも王国会館の座席のそれぞれ自分の位置に立ったまま、何十年も経ったかのような光景。
そんで、一コマですから、下に一つだけセリフが書いてあるワケなんです。そのセリフは1番前で父親と手をつないで立っている子供のセリフなんですが。何と言ってるかというと、
「パパー。
…あの訪問講演者、今までのお祈り最長記録更新だね~」
と。
無駄に長いお祈りをヤユする漫画なワケですな、これが。
他にも、微笑ましい風刺がいっぱいアリマシタ。
たとえば、ある一コマには、チキチキマシーン猛レースにでてきたケンケンみたいな、すんごい悪そうなブルドッグぽいデカい犬が、自分の犬小屋の前で口を押さえて
「ウシシシシ(≧∀≦)」
て笑ってるんですね。
この一コマ、セリフはなし。
ただその犬の小屋の屋根の下あたりに、4つか5つくらい、インスタント人間のマークが書いてあるんですよ。
インスタント人間てわかりますかね?あの、○をかいて頭代わりにして、胴体と手足は線をピッピッとひいただけのやつね。
でそのインスタント人間の図がいくつか並んでて、なぜかみんなカバン持っているんですよ。しかも何体かはスカートはいてたり。
つまりね、戦闘機のパイロットて、自分が撃墜した敵機の数を、自分の機体に戦闘機マークつけていって自慢するじゃないですか、あのノリでこの犬、今まで自分のご主人様を訪問してたエホバの証人のうち、噛みついた奉仕者の数だけマークを小屋につけて、それみて笑いがとまんない感じになってるってことなんですよね。
ほほえましいでしょ?
( ̄∇ ̄;)スカーン
こんな風に自分たち自身を揶揄することができるってのは、いろいろ意義深いことだと思いますね。こういうやや自虐っぽいネタは、ジョーク式のバカ話にもたくさんでてきますね。
例えば。
あるクモがある日ある王国会館に住み着いたそうなんですね。
ところがエホバの証人は「清い民」なので、キレイ好き清潔好き人たちで、どこにクモが巣をはっても、すぐに次の集会前にお掃除当番に巣を取り除かれてしまう。
さすがにここまでは掃除しないだろうという場所に巣をはっても、エホバの証人はとにかく「清い民」なので、必ず見付けられ、取り除かれてしまう。
そんな感じで、クモは完全に参ってしまい、王国会館に住み着くことをなかばあきらめかけていたそうな。
ところがある日、ひょんなことから、奇跡的に、会衆の誰からも関心を払われない場所を発見し、そこに巣をはってみました。
なぜかその場所には本当に誰も関心を示さず、むしろ避けて通るほどでした。
おかげでクモは末長くそこに住むことができました。
めでたし、めでたし。
( ̄∇ ̄)ハハハハ
でね、まあこういうのお好きな方にはすぐにピピッときたかと思うんですが、その誰も関心を示さない場所ってのはもちろん寄付箱なワケですね。
ま、長々といろいろ書いちまいましたが、これらの例のようにですね、エホバの証人についてのいろんなJokeとか、anecdoteみたいなのがたくさん存在するということ、そして自分たち自身を揶揄したりするものが多いということは、それだけエホバの証人「社会」の規模の大きさとか安定性を示すものだと思うんですよね。
そもそもこういうおバカな話を考えつく人がいて、それを受け入れる一定の数の人と、雰囲気が存在するってことですから。特に自虐的なjoke、風刺的jokeが存在するってことは、それだけエホバの証人「社会」の成熟性・安定性の証拠とも受け取れる感じもしますね。こういう点から言っても、エホバの証人というのは狂信的カルトとは完全に一線を画するのではないかとも思います。
もっとも、日本で話したらぶたれそうなハナシも結構あるのでね、そういうことを考えると、エホバの証人文化の形成やその成熟度ってのは、国や地域ごとにかなり区別して考える必要があるということも示唆されているのかなあと。いう気がしますね。
やはり本当にエホバの証人問題やエホバの証人の本質を考えたいと思ったら、国・地域・言語・文化別に考察する個別具体的視点と、「アメリカに本部を持ち」「統治体によって世界的に束ねられている」総体としてのエホバの証人に対する大局的視点とを、常に柔軟に切り替えることが不可欠な気もしますよね、どうなんだろ。
さて、こんな風に前回と今回ちょっとだけ紹介したバカ話ってのは、面白かったりほほえましかったり、とにかく健全な印象があります。
しかし一方で、エホバの証人社会内で伝播している「うわさ話」の類には、なんとも言えない不気味なものも多いんですよね。
続きはまた次回。
2005年9月25日
日本のエホバの証人社会に広く浸透している不思議なハナシ・ややうす気味悪いハナシといったら、皆さん何かご存じでいらっしゃるでしょうか。
(^∀^;)
どせいさん的に1番有名かなと思うのは、やはり漫画家の鳥山明がエホバの証人になったというハナシでしょうか。
90年代の半ば頃から日本のエホバの証人社会の中に広まっていったうわさらしいんですが、一応どんなハナシなのか書きますね。
この話はいろいろ尾ひれがついて変形しがちなあまたのうわさ話の中にあって、珍しくわりとしっかりした共通性を持って語られてる話なんですよね。
どんな内容かというと、まずこれは、エホバの証人の栃木大会ホールの建設中に、食事してる建設奉仕者を相手にある地域監督が話した経験ということになっているみたいです。
その地域監督が言うには、東海地方のある巡回大会で、すでにバプテスマを受けてエホバの証人の成員となっていた漫画家の鳥山明が、どのようにして真理を知ったのかについてインタビューを受けて経験を語ったそうなんですね。
鳥山明の『ドラゴンボール』は空前の大ヒットだったワケですが、その経験の中で彼は、『ドラゴンボール』のストーリーは一切彼自身の創作ではなく、ある日悪霊が彼のところにやってきて、自分の言う通りに描けばヒットするからと言われた内容であり、その悪霊の指示通りに描いて実際ヒットしたものだったと述べたそうなんです。
『ドラゴンボール』の人気が不動のものになった頃、鳥山明はその悪霊に、なんで自分にこんなヒット作を描かせてくれたのか、尋ねたそうです。
するとその悪霊は、「エホバの証人の2世たちを真理から引き離すためにその漫画を利用するためだ」と答えたそうで。
そこで鳥山明は『エホバの証人』てなんだろう、『2世』てなんだろうと不思議に思うようになったと。そして『エホバの証人』について知りたいなあと思っていたところ、彼の家にエホバの証人が訪ねてきたと。
そう語ったというお話です。
しかし、後に鳥山明本人が、ある雑誌のインタビューで、自分はエホバの証人ではないと明確に否定しているそうなので、どうやらこれはまったくのでたらめな話みたいです。
もう一つ非常に有名なうわさ話として、日本最大のテーマパークでエホバの証人の子供が行方不明になったという話があります。
あるエホバの証人のお母さんが、小学校低学年くらいの女の子とそのテーマパークにいったんだそうです。
ちなみにどこの会衆の姉妹だったかというとこまでうわさに含まれてる場合もあって、エホバの証人を今もやっているどせいさんの親族は、板橋区内のある会衆の姉妹の話に間違いないと聞いた、と教えてくれました。
そして、その女の子がお手洗いに入った時、なかなか外にでてこないので、お母さんが心配してお手洗いの中に見にいったところ、その子はコツゼンと姿を消していたんだそうです。
慌てたお母さんがテーマパークの係員にその事を告げると、係員は、ある特別な音楽を園内全体にかけたそうなんですね。その音楽というのは、その会社の緊急マニュアルに決められている特別の音楽で、緊急事態が起きていると全従業員に知らせるもので、これがかかると園内の全ての出口は閉鎖され、一つの出口からしかお客さんは出れなくなるとのこと。
そして、係員はお母さんをその出口に立たせて、出て行くお客さん全てを一人一人チェックさせたと。
なかなかその女の子はみつからず、お母さんが必死にエホバ神に祈ると、ちょうどそのときに出口を通ろうとした、深く帽子をかぶり、だっこされて眠っていた、髪の短い子供の帽子がハラッと下に落ちたんだそうです。お母さんがその顔をみるとなんとその子が、髪を切られ、男の子の服装をさせられた上に薬物で眠らされ、連れ去られそうになっていたその姉妹の子供だったというんですね。
なんでも、臓器売買のために誘拐され、売られそうになっていたんだということらしいです。
念のために申し上げますが、これも全く事実無根のただのうわさ話、真実ではないんですよ。
まあ、今の日本のエホバの証人社会の中では、これら2つが特に有名なうわさ話ではないかと思います。いわゆるエホバの証人の「出版物」に載ったワケではもちろんなく、「口コミ」だけで驚くほど広く浸透してるハナシです。
これら2つ以外にも、恐らくは全くの事実無根なのだろうけども、エホバの証人社会の中でまことしやかにささやかれ、広まり続けてるハナシというのは他にもいくつかあるみたいで。
いわゆるあちこちの「反エホ証」サイトの掲示板なんかでも、この類のうわさ話が定期的に話題になり、「一体なんなんだろうね」みたいな話になり、やがて忘れられ、みたいなのが繰り返されたりしてる印象を受けました。
さて、ではこれらの「事実無根なんだけどもエホバの証人社会に間違いなく広く浸透してるうわさ話」というのは、何か意味があるんでしょうか。
この点、どせいさん的に言わせていただくと、これらの「うわさ話」というのは、社会心理学でいうところの『流言』或いは『都市伝説』というものに典型的にあてはまる事象でないかと思っています。
それがどういう意味なのか、そしてそれがエホバの証人社会の本質について何を意味するのかっていうことについてはまた次回。
(^∀^)ご意見・ご感想ボシューチュー
2005年9月26日
えっとですね。
最初に、いわゆる「うわさ話」ってやつが、社会学とか社会心理学とかからの観点からどんな風に考えられているのかってのを書きますね。
(^∀^)
ま、「うわさ」ってのはいくつか種類わけされてて、前回書いたみたいな流言・都市伝説,そしてデマとかに分類されるみたいなんですよね。
このうち「都市伝説」ってのは何かというと、なんつーかまあ、楽しみとして話されるうわさのことみたいですね。エンターテイメント性があることや、時間的にも、空間的にも特定の状況との結びつきが弱いため、普遍的な広がりをもつという特徴があるらしい。
有名なのは、「トイレの花子さん」・「ドラえもんやサザエさん最終回のうわさ」・「消えるヒッチハイカー」・「口裂け女」・「マクドナルドのハンバーガーミミズ肉使用疑惑」・「猫を電子レンジにかけたら爆発し、メーカーを訴えたアメリカ人女性」・「ピアスの穴から出た白い糸」などなど。
とんでもない量があるので、有名なのだけでも全部あげようとしたらキリがない。
(≧∀≦;)ウへー
ちなみに前回紹介した、「テーマパークでの子供誘拐事件」も、お母さんがエホバの証人だったという部分と、エホバに祈ったら子供の帽子がとれたという点を除いて、そっくりそのまま有名な都市伝説として、「この世」の中でも知れ渡っている話なんですよね。大学の一般教養で心理学を教えるときに、まさにこの例を引き合いとして出す先生とかもいるみたいだし、相当有名な都市伝説みたい。
一方、流言というのは、「正確さを証明する根拠がないのに、口伝えで人々の間に言いふらされ、信じられていく命題」ということみたいですね。こちらは「単なるお話」とみなされる都市伝説とは違い、ややシリアスで、本当に信じられるために厄介な問題を引き起こすことも多いみたいでして。
具体例としては、1973年から74年にかけての「トイレット・ペーパー・パニック」・1973年の「豊川信用金庫取り付け騒ぎ」・1923年の「関東大震災直後の朝鮮人の襲撃のうわさ」などでしょうか。
最近の例では1990年に東武伊勢崎線沿線から関東圏にひろがった外国人労働者についてのうわさもあるかと。夫と犬の散歩中の中年女性が東南アジア系の浅黒い男たちにおそわれ、夫の目の前で乱暴されたというもの。アフリカ系の男に乱暴され、エイズに感染したとか、母親と娘が乱暴されるというヴァージョンもあったみたいです。
いずれもまったく事実無根のうわさなんですよ。
( ̄∇ ̄;)
ちなみに「デマ」というのは、この流言と似ているんですがちょっと違う事象らしいです。どこが違うかというと、流言は事実がどうかが明確でないままに流れて行くというのに対し、デマは真実ではないと知りつつ流されるものである、ということらしいです。デマの定義をすると、「情報操作のために流される情報」とか、「語り手の意図を実現するため、真実ではないと知りつつ流される情報」ということになるみたいで。
マスコミがいわゆる「うわさ」というものを取り上げる場合にも、「都市伝説」の場合では、視聴者が決して「本当の話」とは信じないだろうという考えを前提に、「こんな奇妙な話が話題になってます」と紹介するみたいなんですね、たとえば昔の人面犬のハナシみたいに。一方、「流言」については、それがある程度広がった段階で、人々が本当だと信じてしまうとまずいという考えを前提に、この流言は事実無根ですという形で取り上げるようです。
でですね、前回取り上げた「鳥山明エホバの証人説」やその他のまことしやかにささやかれるうわさというのも、エホバの証人社会内で「事実」として流布していったという点を考えると、まさにこの「流言」というものに当てはまるのではないかと思います。
そしてこの手のうわさというのは、時代を変えて、同じハナシがニューバージョンになってあらわれたりすることもあるそうなんですね、この点もエホバの証人内のうわさによくあてはまるんですよ。
というのは、鳥山明についてのこの奇妙なうわさ話は、ほぼ同じような形で約25年前エホバの証人内で流れたピンクレディについてのうわさとかなりの類似点があるんですよね。
ピンクレディは、1980年に突然解散を宣言し、翌81年に実際解散したわけですが、この解散に関しても、エホバの証人の間で、「ピンクレディがブレイクする前に悪霊がやってきて、『お前たちを大ヒットさせてやるから言われたとおりの歌を歌え。そして、80年になったらどんなに人気絶頂でも必ず解散しろ』と指示され、その通りに80年に突然解散を表明した」といううわさがかなり広く流れ、信じられたことがあったらしいんですよね。まさにこの焼き直しという印象を強く受けます。
そう思いませんか、どうだろ?
(^∀^)
他にもですね、エホバの証人内で流れる奇妙なうわさのうち、時代を変えて繰り返されるものはいっぱいあるんですね。
例えば、やっぱり20年くらい前に、エホバの証人社会で、ギレアデ聖書学校に参加したんだけど、全課程中に全く注解させてもらえなかった兄弟の経験についてのうわさが広まったことがあったみたいなんですね。
そのうわさによると、ギレアデ学校の全生徒のうち、何人かの兄弟たちが学校の初日からいくら手をあげても全く教訓者から指してもらえなかったんだそうです。明らかに自分たちだけを意図的に注解から外してると感じたその兄弟たちのうちの一人が、ある日教訓者を訪ねて行って、
「なぜ自分は注解させてもらえないんですか」
と尋ねたそうなんですね。
すると教訓者はわりとあっさりと、
「あ、わかりました。兄弟はもう結構です、次から指されますから」と言い、実際次のクラスから、まるで今まで何もなかったみたいに、その人は注解できるようになったと。
まあそんな感じに、同じように注解させてもらえなかった兄弟たちは、次々教訓者のとこに尋ねに行って、その都度教訓者にあっさりと、
「あ、わかりました。兄弟ももう結構です。」と言われ、次のクラスからやはり何もなかったみたいに、注解できるようになっていったと。
ところがある兄弟だけは、決して教訓者に理由を尋ねなかったそうなんですね。
そしてついにギレアデ学校の全課程が終わり、その何も尋ねようとしなかった兄弟はとうとう一回も注解させてもらえなかったそうです。
そして卒業式。
それぞれの卒業生が初めて任命地を告げられるワケですが、その何も尋ねようとしなかった兄弟はなんと一人だけ、禁令下の国へ任命されたと。
まあ、そんなお話。
これもまた全く事実無根の流言らしいんですが、興味深いのは、今から7、8年くらい前から再び日本中のエホバの証人の間にこのうわさが再燃して広まったらしいという点なんですね。
ちょうどその時期ってのは、日本で宣教訓練学校が開かれ始め、その参加者にちょっと異常なくらいの羨望が集められていた時期だったワケですが、このギレアデの話がそっくりそのまま日本に舞台を移し、日本国内でのある宣教訓練学校で起きたエピソードとして語られたみたいなんですよね。
エホバの証人内のこの手の典型的「流言」も、やはりあげていったらキリがないくらいすごい量になりそうな勢い。
(>∀<;)ヌハー
さてじゃあですね、こんな感じに、非常に多くの「流言」・「都市伝説」がエホバの証人社会内に存在するのはなぜなんでしょうか。
(^∀^)
さあ、ここがポイントなワケですよ。
(>∀<)
2005年9月28日
エホバの証人社会の中で、多くの流言・都市伝説が生き生きと根付いた上に、スクスク発展しちゃっているという事実は、エホバの証人社会の特性・本質について多くのことを示唆するものではないかとカンガエマス。
(^∀^)
まあ、一般的にはうわさなんてもんは、人から人へとクチコミで伝わる過程で内容が歪曲されてったものだろう、くらいにしか思われないかもしらんです。
しかし、社会学とか社会心理学とかやる人は、そうは考えないんですよね。そして、こういう「うわさ」研究をする人にとって、うわさそのものの収集はあっというまになされるけれど、それをどう分析・解釈するかがなかなかむずかしいみたいで。
とりあえず、この類の「流言」研究のうち3つについてツラツラ書いて、その視点をエホバの証人内の流言にあてはめて、いろいろ好き勝手に考えていってみたいと思います。
( ̄∇ ̄)ハハハハ
まず、社会学におけるもっとも有名なうわさ研究は、フランスのエドガル・モランという社会学者のやった『オルレアンのうわさの研究』だと思います。
オルレアンというのはフランスの都市なんすが、1969年にその都市に発生したうわさを分析した研究なんですよね。
その研究対象になったうわさってのは、ユダヤ人の経営する最新ブティックの試着室で、若い女性が薬物を投与されて誘拐されてるらしいというもの。例によってまったくの事実無根で現実の被害者なんかはいなかったワケです。
(^∀^)ハイ
モランは、このうわさは女性誘拐・都市化現象・ユダヤ人という三つの要素により構成されると分析してるんですね。
つまり、そのイナカにあって大人たちは、最先端のブティックを危険なものとみていて、都市化という現象についても、若い女性たちに危険な自由化をもたらすと感じていた。
一方で、若い女性たちは、ブティックに憧れを抱くワケですよね。
こうした人々の漠然とした反感や想像が、「女性のかどわかし」という古典的かつ既存の物語を基礎的骨組みとして形を得、その古典的物語が「流行最先端のブティックの試着室」という現代的・現実的舞台での流言として発生した、ということみたいなんですね。
それらにプラスして、ユダヤ人への偏見が、うわさに妙な信憑性を与えたと。
ついでに「試着室」という密室に対する、性の象徴としてのイメージもうわさの出現に影響を与えたと。
つまりですね、曖昧な状況や新しい事態に対する人びとの漠然とした不安、敵意、自分たちでは十分理解できない状況、既存の偏見、などが流言を生み出す要素であると分析してるみたいで。
ま、こいつを例のピンクレディとか鳥山明のハナシとかにあてはめてみるとですね。
(>∀<;)え~
ま、まずピンクレディにしても鳥山明の漫画にしても、エホバの証人、とりわけ昔からまじめにやってきた人たちなんかにとっては、いうまでもなく、「この世の堕落した音楽」・「この世の暴力的漫画」ということになるわけで、これらに対しては極めて強い敵意や反感があったワケですよね。
しかも一方で、エホバの証人の若い人や新しい人なんかは、そういう「世」に対して強い憧れを抱いている場合も多いと。
このあたりの状況からして、かなり「オルレアンのうわさ」と同じ要素があるように思えるんですよね。
そして、どちらもかなり人気の高い時点で突然引退表明したので、「一体なんなんだろう?」と世間は考えたワケですよね。確かに十分理解しがたく、何があるのかと知りたい状況が存在したと。
そんな状況の中で、「悪霊の影響」という古典的な既存の発想、しかも全てに説明がつくし自分たちだけしか理解できないはずだと解釈できる発想を骨組みとして、流言が発生したと考えることもできる気がします。
(^∀^;)ハハハ
さらに、どせいさんはこれに、エホバの証人全体に存在する支配的発想がうまく絡んでると思うんですよね。
まあ客観的に考えて、エホバの証人は組織としても個人としても、極めて自意識が強いと言えると思うんですよね、自分たちはとにかく特別と考えている。なので、特別な時代に生きてる特別な自分たちは、「世の人々」が理解できない物事のカラクリや、本当の意義が特別に理解できることがあるとか、神の導きの下にある自分たちの組織には、特別なことが起きると、そういう深層意識が非常に強く働いていると、オモイマス。
こういうのがあいまって、「世の人たちにはなんで突然の引退なのか理解できないだろうけど、実は真相はこうらしいわよ(^∀^)キャー!」みたいな感じに、うわさに拍車がかかるとともに、「エホバの証人内での信憑性の付与」がおこなわれていったのかなあ、てな感じですね。
まあね、ミュージシャン等の成功の裏には悪霊が関与している、という系統のうわさというのはエホバの証人内には山ほど存在するわけですよね。
どせいさんが知ってるだけでも、ピンクレディみたいなかなり前のから始まって、松任谷由美とかXJapanとかラルクアンシエルとかいろいろありますね。ラルクにいたっては、昔出したツインのアルバムの題がark(アーク)とray(レイ)だったからやっぱり「悪霊」が絡んでるんだとかね。ただまあそんな風に、エホバの証人内でうわさの対象になるのは、ほとんどが時代の最先端をいってて、社会でもやや奇抜とみなされ、その時代の評価を完全には確立せずに「世の」大人からも眉をひそめられるようなグループだけなんですよね、どんなにヒットしても千昌男やサブちゃんが悪霊によってヒットしたってことにはなかなかならないんですよね。
このように、、曖昧な状況や新しい事態に対する人びとの漠然とした不安、敵意、既存の偏見などによって生み出されるという意味で、エホバの証人内のうわさというものは、まさに「流言」というものにぴったり当てはまるような気がしますね。
それはとりもなおさず、エホバの証人内でささやかれ続ける多くの「不思議な経験」や「出版物にはのっていないけどよく聞く経験」みたいなもののほとんどはまったくの虚構であるということも意味するんだとおもいます。
さてでは、エホバの証人社会の中でそのように流言が生じやすいのは、エホバの証人社会の特性・本質につき何を物語るのかという本題に入ってゆきましょう☆
まだまだしつこく続く
2005年10月2日
流言についての研究で他に有名らしいのは、アメリカの社会心理学者ゴードン・W・オルポートとレオ・J・ポストマンの研究みたいですね。
そして、この研究者たちの考える、一定の社会内で流言の発生する要素ってのは、エホバの証人の組織にとってはかなり耳の痛いハナシのような気がするんですよね。
( ̄∇ ̄;)スカーン
この研究者たちが何を言ってるかというと、流言の発生を左右するのは、状況の「重要性」と「曖昧さ」であるとし、流言の発生量は重要性と曖昧さに比例すると定式化しているんですね。
つまりね、まず自分たちにとって大事なことなら大事なだけうわさも起こりやすいというワケですよね、こちらは分かりやすい。
そして更にね、人々が直面するその事態がぶっちゃけあんましよくわからん事態だとか、適応を要求されている問題状況についての知識が不明確なとき、人びとは不安をもち、この不安から逃れたりなんとか自分たちなりの答えをだそうとするために、流言が生み出され、共有されるとのこと。
逆に言えば、自分たちにとってどうでもよいことは流言にはならないし、またたとえ重要なことでも、事態が正しく把握され、状況に対する知識が明確であれば流言は発生しない。
そういうことらしいです。
(^∀^)ハイ
こうした意味での流言の生じやすい状況というのは、阪神大震災後の状況が典型的にあてはまったそうなんですね。まあ、とんでもない激甚災害のため、テレビ・ラジオ・インターネットなどによる情報提供が追い付かなかったり、或いはそういう手段利用そのものがそもそも不可能になったため、阪神大震災後には、強姦魔・放火魔・地震の再来・仮設住宅建設、などかなり広い範囲の物事についての流言がまんえんしたようです。もちろんこれら全ては被災者の安全や生活そのものに直結する重要な事柄でもあったと。
激甚災害後に限らず、状況に対する正確な知識が欠落している場合に流言は起こりやすいワケですから、特に言論・思想の自由のない抑圧的な社会でもしばしばまん延したそうです。かつての共産圏とかでね。
流言は人びとがほんとうに知りたいことを知りえていない、考えたいことを考えられないことの反映ということなワケです。
これって、内部にいる人はどう感じるのかわからないですけど、外部から観察するものにとっては、まさしくエホバの証人社会にジャストミートに当てはまるような気がしてしまうんですよね。
( ̄∇ ̄;)スカーン
ていうか、どせいさん的には、エホバの証人内になんだか薄気味悪い、しかもその薄気味悪さがなんだかとても面白く感じられ人をひきつける、そういう類の話がすんごい多いのは、まさしくこの点が関係してるんだろうと思っちゃうのよね。
つまりね、まあやっぱりどうひいき目に考えてあげたとしても、エホバの証人社会というのは「正確な情報」というものから引き離されていると思うんですよね。大学教育やインターネット等、本当に健全で正確な情報にアクセスする手段を用いることの「危険性」をシキリと強調する点、それを繰り返し強調する点、そして、自らの組織・教理についての批評を「汚れ」等と表現して絶対悪とみなす点などに端的にそれがあらわれてると思います。
ずばり言ってしまうと、エホバの証人の人たちは「正確な情報」を持てていないし、「健全な批判能力」、つまり、なにか耳障りのよい言葉をきいた場合に、「ちょっとまてよ、そうはいっても本当にそうなのかい?」と考えて確かめてみる能力や習慣が一般の人に比べてかなり欠落しているゆえに、ワケのわからない奇妙なうわさ話があっという間に蔓延しやすい社会を形成している、ということです。
例によって、エホバの証人の人たち自身は「そんなことはないぞ!」と反射的に感じるかもしれないですけど、「じゃあなんでわけのわかんないうわさがすっごいたくさん存在するの?」って話なんですよね。
きちんとあらゆる事象についての正確な知識が共有され、人々に不安のない社会では、「まことしやかにささやかれるうわさ」ってものはあまり生じないんですよね。そういう社会では、何か妙な話を聞くと、「いやそれおかしいでしょ」ってすぐに思えるし、言えるから。
もちろんバカ話的なうわさは存在しえますよ、徳川埋蔵金の話とかね。
でもそれは、うそと承知の上での楽しみとしての話、都市伝説であって、不健全な社会の兆表として存在し、人々に信じ込まれる流言とは一線を画するものなんですよね。
流言が蔓延する社会というのは、人々が不安を抱いてたり、偏見を抱いてたりして、その上で人々が正確な情報を知りたいのに知れない、正確な情報を得て真偽を確かめたいのに正確な情報を得られないという、不健全な社会なんです。
エホバの証人内に多くの「真実であると信じ込まれてる真実ではないうわさ話」が存在してきたということは、エホバの証人社会というものは、人々が「この世」や悪霊などについてある種迷信的な不安を抱いてたり、偏見を抱いてたりして、その上で人々が正確な情報を知りたいのに知れない、正確な情報を得て真偽を確かめたいのに正確な情報を得られないという、不健全な社会であるということを、皮肉にも示してしまっていると考えることもできるのではないのかしらとオモイマス。
それからですね、余分なこと言わせていただくとですね。
(^∀^;)
エホバの証人内に流れてるうわさ話ってのは、エホバの証人的に考えても、キチンと考えたらおかしな話ばっかりなんですよね。
たとえばね、鳥山明に悪霊が「2世を引き離すために」漫画の内容を教えてやったって話もね。そもそも本当にエホバの証人2世を引き離すためだったら、なんで悪霊がタネあかしをするんですかね(?∀?)。結局この人がエホバの証人に関心をもってこのことを経験で話したりすれば、みんながみんな関心を持って、「あ、やっぱりエホバの証人は真理を持ってて、だから悪霊も攻撃するんだ」って思いますよね。悪霊自身が真理を広めたり、信者の信仰を強める行動をとるってのは矛盾してる気がするんですよね。
それに「2世を引き離すために」と悪霊が明言したことになってたらしいんですが、3世とかはほっといていいのかな?くだらん指摘のような感じがするかもしれないですが、とにかく悪霊自身が「2世」と言ったことになってるみたいなので、この辺り、「とにかく2世は特別扱いを」みたいな風潮が流れ始めた、当時のエホバの証人社会の特徴を示すとともに、まだ3世や4世が珍しい「日本のエホバの証人」ならではの発想に基づいた流言だったんだなと、考えさせる話だと思うんですよね。この辺にも、「つくられた話感」が強くする。
そもそも、ものみの塔協会の「出版物」の中では、あちこちで、悪霊にまつわる逸話を話題にしないようにと指示が出てるわけですよね。悪霊が何かの行動をするのは必ず何か悪い意図があるからそれを広めるのは悪霊の思う壺だとか、イエスが地上にいたときには悪霊たちの会話や活動をすべて認識できたけど、イエスはそれを「面白半分に」人々に教えようとはしなかったとか。
そういうものみの塔からの指示を考えると、こんなに大々的に悪霊について話す経験が、「大会」でインタビューとして扱われるといのは、エホバの証人的に考えて、言ってみれば「霊的な見方」をすれば、すぐに「おかしい」と感じるはずだし、そう感じなかった人たち、そしてこの話を聞いたときにほかの人に話して広めた無数の証人たちは、みんなこの指示に従った見方をできなかった、あるいはこの指示に反していた、ってことになると思うんですよね。
そう考えると、前にどせいさんが指摘したとおり、エホバの証人の人たちは、「自分たちは理性に基づいて奉仕をしており、キチンと自分で学んで、研究して、知的にエホバの証人をやっている」と自分で考えてはいるんですけど、悲しいかな、自分たちの組織の出す大切な見解にほとんど精通できていないか、それを知ってはいてもあてはめられない、ということも同時に露呈しちゃってるということだと思うんですよね。
「そんなことはないさ!」と元気よく言われてもね、「じゃあなんで鳥山明の話をみんな知ってるの?」と聞かれたら、この点についてぐうの音も出ない感じでは…
(>∀<;)ムッハリ
まだまだ続く